余孽之剣 日緋色金─発動篇─

不来方久遠

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アザマロ譚

八 カムイ

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 〝リーンリーン、チンチロリン〟
 季節は移ろい、外からスズムシとマツムシの鳴く声が競うように聞こえてきた。
 三日三晩、アザマロは洞窟で眠り続けた。
 白子になってから、体力の衰えが著しい。
 四日目の朝に目覚めると、疲れた身体を引き摺るようにして穴から這い出して
みたが、鷹の姿が見当たらなかった。
 夜、どこか哀しげな白狼の声がこだましていた。
 次の日の昼であった。
 その若いマタギは、近くの山を猟犬のように嗅ぎ回っていた。
 ある樹木に、特殊な記号が刻まれているのを目敏く見付けた。
 木印という、マタギが使う暗号のような物だった。
 クマが自分の縄張りを主張する引っ掻き傷にも似ていた。
 自然界の仕組みの中で生きるマタギの智恵である。
 記号には、白鷹をここで捕まえたという意味が込められていた。
 そこで、不思議な形をした剣を杖のように突きながら歩くアザマロと出くわし
た。
「ひッ!」
 目の前に現れた全身白い男を見て、若いマタギが思わず腰を抜かしそうになっ
た。
 季節外れの雪男が出たと思った。
 アザマロが、自身の白い肌を指差した後、両手の指を器用に使って鷹の形にし
た。
「シラケェタカッコケ(白い鷹の事か)」
 若いマタギが、意味を理解して答えた。
「オラホノジッコガトッタッケ(俺等の爺サンが捕ったようだ)」
 雪男の白い瞳孔に恐怖の余り、他言無用と長に言われていた事を若いマタギが
白状した。
 アザマロは、若いマタギの眼を見据えた。
「サガステルノス(探しているのだ)」
 長の家族が殺されていたので、心配しながら木印の痕跡を辿っている途中だっ
た。
 若いマタギは、樹の枝を払って木印を雪男に指し示した。
 アザマロも使う手法だった。
 なるほどと思ったアザマロは、若いマタギに付いて行く事にした。
 二人は、獣道の中に道標のように刻印されていたマタギ同士の特殊な木印を頼
りに、行方不明のマタギの長を追跡した。
「ッ!」
 煙が上がっていた。
 若いマタギは、その煙が長の所持する炭の色だと判った。

 伊治城。
 俊哲が証拠隠滅のために、斬殺したマタギの長の骸を焼却していた。
 陰陽師は、着衣に混じっていた炭が一緒に燃えて、狼煙のように空に上がった
煙を眺めながら何事かを思案していた。
 焼き終えると、陰陽師は骨壷に骨を入れて印を結んだ。
「後は、アザマロが来るのを待つのみ。ヤツが来し時は頼むぞ。但し、隠密裏の
策ゆえ人に洩らしてはならぬ」
 陰陽師は、俊哲を戒めた。
 陰陽博士ほどの知識を持たない彼が施した術は、長い効力を持続させられない
ものであった。
 博士の地位に就かなければ、代々陰陽寮に伝わる秘術を体得する事ができない。
 一介の陰陽師で終わるつもりなど、さらさら無い彼には歯痒いものであった。
 いかなる手段を取ろうとも、より大きな力を得るのには博士にならねばならな
い。
 アザマロの存在は、千載一遇の機会だった。
 博士就任への足掛かりに、アザマロを踏み台にするつもりだった。
 陰陽寮の長となれば、呪術を尊ぶ帝さえ操る事ができる。
 帝を抑えれば、この国を統べる事も夢ではない。
 白子となって弱らせ、俊哲を噛ませ犬に使わなければ、とても手に負える相手
でない事は、たった独りで皇軍を苦しめてきたこれまでの戦績によって十二分に
解り切っていた。
 それゆえに、捕縛した鷹を救出に現れてくれるのを心待ちにしていた。
 早くしなければ、術が解けてしまうからだ。
「承知」
 そんな陰陽師の計略も知らされずに、俊哲の方は内心ほくそ笑んでいた。
 この期に、紀古佐美を出し抜いて自分がアザマロを討てば、次期将軍の座が見
えるからだ。
 陰陽師は、小さな倉に白鷹を入れて鍵を掛けていた。
 それぞれの思惑の渦巻く中、陰陽師は結界を張る旨を俊哲に伝えて、用がある
まで立ち入りを禁止した。従って、倉の様子を覗けるのは他にはいなかった。
 中には、猿轡を噛まされ足鎖を付けられたナギの姿があった。
「心配するな。じっとしておれば、殺さぬ」
 陰陽師は、狙った魚を寄せ集める撒き餌のように、白鷹が首に付けていたヒス
イの勾玉を、施錠した戸にぶら下げながらナギに話しかけた。
 水溜りに、シオカラトンボが尻を水に付けて卵を産んでいた。
 その側で、七頭のサイ達が檻に閉じ込められ、何の食い物を与えられずに腹を
減らしていた。
 空腹の余り、白狼に顎を割られてケガをした一番弱そうな相手を、よってたか
って嬲り殺した。
 肉を噛み切り、目玉の回りから毛皮をどんどん剥がすと皮下脂肪が出てきて、
内臓をうまそうに食い漁った。
 あっという間に骨と皮と尻尾だけが残されたが、やがてはそれもしゃぶり尽く
した。
 弱ったサイが順番に共食いされ、最後に生き残った頭格が檻から出された。
 そして、頭格のサイは頭だけ出して地面に埋められたまま、餌も水もやらずに
何日間も放っておかれた。
 目の前には、肉を置かれて飢餓感を募らされた。
 当然、サイは餓えと乾きで苦しがり、怒り狂って騒いだ。
 咆える体力も無くなった頃合いを見計らって、サイの首が刎ねられた。
 そして、蟲毒という犬神の怨念の詰まった魂魄が作り出された。
 伊治城の門が閉じられる夕刻だった。
 若いマタギは、炭煙の色から確かにここにマタギの長が来た手応えを感じてい
た。
 きっと、捕らえた白鷹をこの城に届けに来たのだと推測した。
 夕闇迫る森に紛れるように、スーッと雪男が消えた。
 その夜、城の近くで野営した若いマタギは、深い闇の中で光のように駆け抜け
る白い何かを見た気がした。
 月の無い深夜に、僅かではあるが、白狼はナギの臭いを感じた。
 臭いを辿って、城柵を飛び越えた。
 白い眼孔に、カワセミ色に光る勾玉が映り込んだ。
 白狼がナギの囚われている倉を、その嗅覚で探し当てた。
「キューン」
 白狼の発した声に、ナギが気付いた。
 ナギの気配を感じた白狼が、戸に体当たりする。
「ウ~ウ~」
 口を塞がれて声の出せないナギは、白狼の身を案じて精一杯唸った。
 白狼は、何度も体をぶつけると、勾玉が地面に落ちた。
 その時、陰陽師が松明を持って近付いて来た。
「ガルウゥ」
 白狼が、陰陽師と対峙した。
 陰陽師は、懐の包みを開けて犬万を放り投げた。
 白狼は、一瞬見たがその臭いに反応しなかった。
「やはり、半獣身の己には通じぬか」
 陰陽師は、冷笑しながら言った。
「その姿では話はできぬ。日の出に出直せ」
 陰陽師は言うと、方術を使った。
 白狼を取り囲むように、炎が地面に燃え上がった。
 火を怖れて、白狼がうろたえた。陰陽師は、火線の一角を故意に開けた。
 白狼は、ナギの勾玉を口に咥えると、火を避けるように去って行った。
 スズメのさえずりで目覚めると、アザマロの口にはヒスイの勾玉が入っていた。
 近くにナギがいると悟った。
 昨夕、埋めておいた剣を掘り出すと、アザマロは伊治城に向かった。

 伊治城には朝霧が立ち込めて、十歩先も見えない状態だった。
 翌朝になっても、雪男は現れなかった。
 若いマタギは、熊の胆や毛皮などを売る口実で城門の前にやって来た。
「朝っぱらから、何だ」
 衛兵は、シッシッと犬でも追い払うように若いマタギを迷惑がった。
 若いマタギとやり取りしている隙に、剣を携えた雪男が霧に隠れるように近付
いていた。
 アッと思ったが、若いマタギは機転を利かせた。
「メエニ、マタギノジッコ、コネガッタベガ(以前に、マタギの爺サンが、ここ
に来ただろうか)」
 若いマタギが、門前の衛兵に聞いた。
「さあな」
 衛兵が答えている間に、動物が外敵に見つからないために周囲の色に似せて自
分を守る保護色のようにして、霧に溶け込む雪男姿のアザマロが、早朝の閑散と
した城内に静かに侵入して行った。
 衛兵と争い、つまらぬ騒ぎとなって無駄な体力を消耗したくなかったので好都
合であった。
 アザマロは、ナギの居る場所を探した。
「しばらくだな。白子となってからは、身体が思うようになるまい」
 陰陽師が、アザマロの行く手に立ち塞がった。
 アザマロは、狼から授かった剣に勾玉を巻き付けたまま握り締めた。
 そのヒヒイロカネとも呼ばれる剣に、陰陽師が異様な力を感じて警戒した。
「体力がない分を、魔剣で補って戦う気か」
 陰陽師は、懐から小さな折り鶴を空に放った。
〝ヤツが来た〟
 式神となった折り鶴が、離れに居る俊哲に告げた。
「話を聞く状態では、ないようだな」
 諦め顔で、陰陽師は言った。
 連絡を受け、押っ取り刀で馳せ参じた俊哲が抜刀して、アザマロに斬りかかっ
た。
 アザマロも鞘から剣を引き抜いて、俊哲の太刀を受け止めた。
「ウギャ~」
 剣は太刀を砕いて、そのまま俊哲の首に食い込んだ。
 断末魔を吐きながら俊哲の首が飛んだ。
〝これで、この一件を知る者は我とアザマロ以外、他にいなくなった〟
 今度は、陰陽師がほくそ笑んだ。
 アザマロは、肩で息をしていた。ここまで、必要最小限の動きで体力を温存し
ていたが、もうそんなに戦える力はなかった。
 アザマロが、にじり寄った。
「その妖気を発する剣を収めよ」
 陰陽師は、声を荒げて言った。
 素直に言う事を聞く相手では無いと考えた陰陽師は、アザマロに自身の力を見
せ付ける事で交渉を計ろうとした。
 だが、あの魔剣を封じ込めねば、こちらが危うい。
 両手の指を組みながら陰陽師が呪を唱えると、サイの魂魄から造った犬神が地
面から盛り上がるように這い出た。
 さらに、右手の人差し指を倉に向けた。
 犬神が、ナギの囚われている倉に入って行く。
 倉の中から白鷹を咥えた犬神が、今しも噛み切らんばかりに出て来た。
「捨てよとまでは言わぬ。今すぐ収めねば、白き鷹を殺す」
 その剣に、ただならぬ力を感じ取った陰陽師が言い放った。
 牙を剥き出した犬神の口から、ダラダラと異臭を漂わせた涎が垂れていた。
 ググッと犬歯に噛む力が加えられ、白鷹の嘴と体を縛っていた縄が切られて肉
に食い込んでいく。
 アザマロは、剣を静かに鞘に収めた。
 ホッとした陰陽師が術を緩めると、犬神の口がパックリと開き、白鷹が解放さ
れた。
「ようやく、聞く耳を持ったか」
 陰陽師が言う間に、白鷹がアザマロの肩に脅えながら止まった。
「前にも言うたが、我を討っても己にかけられた術は解けぬ」
 陰陽師は、言った。
「……」
 ナギを取り戻したアザマロは、相手の出方を待った。
「マタギを利用して屠ったあやつを使い、色々と回りくどい策を施したのは、こ
うして差しで会うため」
 陰陽師は、首を失い横たわった俊哲の死体を見ながら本題を話し始めた。
「やってもらう事がある」
 陰陽師の呼びかけに、アザマロは不審な表情をした。
「陰陽博士を殺めるのだ。朝廷と蝦夷、時に味方にもなれば敵にもなる。己なら、
それが解る筈だ。ヒトの姿でいられるも、そう長くは無い。時を経れば獣身に取
り込まれ、遠からずその鷹共々本物の獣となろう。術から解放されたければ、博
士を殺すのだ。ただ、時期を逸すれば意味が無い」
「……」
 アザマロは、沈黙した。
 陰陽師の言う事にも一理あった。
 確かに、次第に狼と一体化していく感覚を持っていた。
 なぜなら、一日の内で意識を失っている時間が以前より長くなっていたからだ。
 このままでは、知らずに狼になってしまい、ナギさえも忘れてしまう事を恐怖
した。
「今は、互いの利害が一致している。良い取引だとは思うが」
 アザマロの胸中を見透かしたかのように、陰陽師が畳み掛けるように言った。
 アザマロ自身もそうだが、ナギを救うためなら、例え悪魔とでも取引するつも
りもあった。
「来たる年、葉月の月が満ちる翌日、一六日。昼が夜になる時、京にいる博士を
殺さねば術は解けぬ」
 アザマロは、陰陽博士の潜むというまだ見ぬミヤコという遠い異郷の地を空想
した。
「機会は一度きり」
「……」
「まだ、信じられぬようだな」
 と言って、陰陽師が舞うような仕種をした。
 白子の呪術を解かれて、アザマロと鷹は元の膚色に戻った。
「まず、我を京に戻してくれ。そのためには、覚べつ城を討って潰滅させて貰わ
ねばならぬ。既に副将の一人も死んだゆえ、朝廷軍も一時引き上げる。さすれば、
京にて手引きできるというもの」
 陰陽師の策謀は、アザマロがやろうとしている事と共通するものであった。
 自分の利のためなら敵にさえ与するという戦術を、アザマロはこの時に学び取
る事になった。
 鷹が恨みを込めたように俊哲の生首をついばんで、目玉を引き出していた。
「マタギの骨だ。その首級は手向けとして、マタギの墓前に捧げよ」
 アザマロは陰陽師から骨壷を受け取り、俊哲の首を拾い上げた。
 鷹が獲物を取り上げられて物足りないようにしているので、勾玉を付けてやっ
た。
 鷹は機嫌を直すかのように、元気に飛び上がった。
 ヒヒイロカネと呼ばれる魔剣の真の力をアザマロに解放させれば、自身の計画
に利用できる。
 そんな邪悪な野望を内に秘めつつ、陰陽師はアザマロと鷹を野に戻した。

 昼過ぎであった。
 高地に棲む雷鳥が、飛べない羽をバタつかせながら川からイワナを咥えた。
 その獲物を、カワウソが横取りする。
 アザマロは、若いマタギに長の骨と俊哲の首を手渡した。
「ジッコノアダカ(爺サンの仇か)」
 若いマタギは、雪男から人間の肌に変わった男に、惹かれるモノがあった。
 長もこの男も、白い鷹を追っていた。
 その謎を解かないと、長の殺された理由も分からない。
 このままでは、犬死したマタギが浮かばれない。
「スケルゴドネェベガ(手伝える事はないのか)」
 この男は、まだ何かやるつもりだと感じ取った若いマタギは助っ人を買って出
た。
 これ以上の危険を冒させたくないアザマロは、若いマタギの身を案じて首を横
に振った。
「ヨウアレバスミモセ。セバワガル(用があれば炭を燃やせ。そうすれば分かる)」
 そう言いながら若いマタギが、炭の塊をアザマロの手に握らせた。
 それは、マタギしか使わない特殊な煙を出す狼煙用の炭であった。

 〝スイッチョン〟
 虫が鳴いていた。江刺の里では、ウマオイの鳴き声が少なくなっていた。
 西日の傾きが、日に日に早くなっていた。
 行く秋もいよいよ深まってから、アザマロはイサセコの館を訪れた。
 イサセコが約束通りに動いてくれた事を踏まえて、アザマロが行動に移った。
 覚べつの柵造りは、順調だった。
 イサセコは、古佐美に七日の内一日だけ夷俘を休ませるように提案していた。
 古佐美は、柵の造営と並行して城内の屋敷の建設もあるので完成を急がせたか
ったが、使役の大半がイサセコの手配によるものだった事情もあり、無理強いは
出来なかった。
 蝦夷に襲撃されて工事を中断する事もなくはかどっているのは、イサセコの力
によるものが大きい事は認めざるを得なかった。
 イサセコの協力無くしては、柵の造営は不可能だったからである。

 山中に入ったアザマロは、貰った炭を燃やして狼煙を上げた。
 昼の間しか動けないので、やむなく若いマタギの力を借りる事にした。
 夕方になると、合図の煙を見た七人のマタギ衆が、殺された長の弔い合戦にと、
何処からともなく集って来た。
 柵の裏手の裾野に、イサセコの準備してくれた百頭の牛がいた。
 アザマロは、松明を牛の二つの角にそれぞれ括り付けるようにマタギ衆に頼ん
だ。
 黄昏時に忍ぶようにして、柵近くの森に牛を待機させた。
 夜になり、狼が出没したら、松明に火を点けて牛を放すように指示した。
 落日が迫っていた。
 身体に異変を感じたアザマロは、急ぐように鷹を連れて深い森の奥へと消えた。
 狼は、決して自らヒトに近付かない。
 狩人として生きるマタギは、人間の臭いや気配を消す能力を備えていた。
 だから、狼も気付かずに、御馳走が並ぶ牛の群れに寄って来る筈だった。
 アザマロは、狼を仕向けるように七日の間、断食していた。
 狼となった自分が、その空腹のため、牛に近付くであろう事を想定しての事だ。
 マタギと獣の習性を熟知したからこその作戦である。
 後は、狼に任せるかしかない。
 寝る時刻である亥の刻過ぎ、夜更けを待たないと昇らないという寝待月の晩だ
った。
 夜目の利くマタギ衆は、獣に警戒されぬように火も焚かずに、闇夜でじっとま
んじりともせずに待っていた。
 その間、若いマタギは長の仇を取ってくれた、鷹を連れたあの男の事を考えて
いた。
 猟師見習いの頃、長にヒトとオオカミが共にある、人狼の噂を聞いていた。
 〝カムイ〟
 古くからマタギに伝わるカミの名である。
 白鷹を介して、雪男と狼が現出した事実を結び付けて導き出した答えだった。
 夜間に活動するリスやネズミが、樹木の節穴に急に隠れ出した。
 小動物達の不穏な動きを感じて、マタギ衆は近くに狼が来たのを察知した。
 予想通り、その狼が現れた。
 マタギ衆は、テキパキと牛の松明を燃やした。
「ベゴハナセ!(牛を放せ)」
 若いマタギの号令で、繋がれた牛が一斉に野に解き放たれる。
 牛が頭に炎を燈していたので、火を怖れる狼は後方から追い立てる結果となっ
ていた。
 闇の中をより広い土地を求めて、狼に追われた牛の群れは隊列を組むようにし
て突進していく。
 ドドドドドォォ
 日付を跨いだ頃だった。
 その地響きに、紀古佐美が眼を覚ました。
 地震かと思われた。
 勢いが付いて自力では止まれなくなった牛の群れは、覚べつの柵を山津波のよ
うに一気になぎ倒した。
 猛り狂う牛の群れは、蛇行しながら柵という柵を踏み潰していく。
 牛角に付けられた松明が柵に引火して、紅蓮の炎が上がった。
 突然の猛牛の襲来に、朝廷軍の兵達はただ城を捨てて逃げるしかなかった。
 日の出と共に、被害状況が白日の下に晒された。
 八割がた完成していた柵が、瓦解していた。
 復興は、絶望的だった。
 不幸中の幸いは、人足達に休日を取らせていたために、若干の兵達が軽症を負
ったぐらいで人的被害は少なかったという事だった。
「偶然であろうか」
 事実が浮き彫りになるにつけ、紀古佐美はハッとした。
 後日、イサセコを召喚して尋問した。
 イサセコは悪びれもせず、再び柵を作れば良いと言った。だが、秋の作物の刈
り入れ時期なので、人足達は収穫を終えるまでは出せないと突っぱねられた。
 年貢の元である収穫を、邪魔するわけにもいかなかった。
 紀古佐美は、してやられたと思ったが、後の祭りであった。
 さらには、同じ副将の俊哲が伊治において、何者かに殺されたという報せを受
けた。
 将軍は、賊を割り出すように紀古佐美を国府に呼び戻した。
 新たなる城の柵造りは頓挫し、宙に浮く形となった。
 小黒麻呂の子飼いの部下だった俊哲殺しの真相も、用意周到な陰陽師が握り潰
したので、迷宮入りした。
 やる事なす事、後手に回る将軍に対して急速に求心力を失った朝廷軍は、一時
撤退を余儀なくされた。
 赤黄色の小花を咲かせたキンモクセイの芳しい香りが漂う頃、時節征東大使・
藤原小黒麻呂は、前任者同様に将軍として何の成果も上げる事もなく失意の内に、
その責任を問われる形で帰京する羽目となった。
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