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いつしか、ボクの店はマスクラーメンと命名され、ネットの口コミに掲載され
るようになると、100人近い客足となり、完売する日も出てくるようになった。
二ヶ月目に入った頃だった。
一人の女性客が来店した。
営業職風のキャリア・ウーマンといった感じで、ボクより年上だと思われる女
性だった。
一心不乱に調理するボクだったが、マスク越しからでもその熱い視線は痛いほ
どに感じとれた。
その女性は、毎日のように通って来た。
残業で遅くなるのか、来店時間は決まって閉店間際だった。
「一人でやってるの。大変ね」
ある日、女性が話しかけてきた。
「ええ」
ボクは、ぶっきらぼうに答えた。
それ以来、一日何杯作るのかとか、従業員はいないのかとか、およそ味以外の
質問をしてきた。
店が終わる間際だった。
「今度、お茶でもご一緒したいなあ」
その日、最後の客となっていた女性が帰り際に言った。
逆ナンパされたのも同じだったので、ボクは想定外の事態に唖然として答えに
窮した。
「あなたに興味があるの」
軽く言うと、女性は帰って行った。
後片付けをし、店を閉めてマスクを脱ぎながら外に出た時だった。
「待っていたわ」
暗がりから声をかけられた。ボクは、慌ててマスクをかぶり直した。
声をかけてきたのは、いつも閉店間際に来るキャリア系の女性だった。
「ねえ、少し付き合ってよ」
ボクの腕を取ると、女性がドンドン先に歩き出した。
「終電が…」
泣きそうな声を、ボクは発した。
通りに出ると、女性が手を挙げてタクシーを拾った、
ボクは、このまま拉致されるのだろうかと不安になった。
「仮装パーティですか?」
ルームミラー越しにボクを見て、運転手が言った。
「ええ」
ボクは、いい加減に返事した。
女性が聞きなれない行き先名を告げると、運転手は料金メーターを倒して発車
させた。
着いたのは、ラブホテルだった。
慣れた感じで、女性がチェックインの手続きを済ませた。
わけが分からないまま、一緒に部屋に入ると、女性は餓えた猛獣のようにボク
に抱きついてキスしてきた。
ええい、もうなるようになれ。
据え膳食わぬわ男の恥。
どこかのドラマで聞いたセリフが頭をよぎった。
同時に、一日中暑い厨房に立っていた事を思い出した。
もしかして、ボク、汗臭い?
気にしだすと、どうにも汗の臭いが気になった。
「待って。シャワー浴びさせて…」
シャツをはだけて、ムシャブリつく女性から解放されるようにボクは懇願した。
男女逆転の展開のような気がした。
女性は、ニコリと微笑むとボクからようやく離れた。
服を脱ぎバスルームに入った。
鏡に映る自分を見て、ハッとした。
間抜けな感じで、素っ裸のマスクをした男が立っていた。
ボクは、シャワーを浴びるためマスクを脱いだ。
対人恐怖症とも今夜でオサラバだ。
今宵、誘ってくれた女性は、ボクの病気を直してくれる女神様だと確信した。
頭から熱いシャワーを浴びると、そこがラブホテルというのを一瞬忘れてリラ
ックスした。
鼻歌混じりでシャンプーし、サッパリすると、バスタオルを腰に巻いた。
母親以外の女性に裸を見られるのに慣れていないボクは、気恥ずかしさもあっ
て頭髪をゴシゴシと、ハンドタオルで拭きながらバスルームを出た。
マスク無しで人前に出る再デビューのはずだった。
BGMの流れる薄暗いベッドルームに、裸身の女性が待っていた。
シーツを剥いで、女性がボクを見た。
ボクは、頭からタオルを外して女性の裸に目が止まった。
そして、女性と視線が交差した瞬間だった。
「キャーッッッ」
女性は悲鳴を上げた。
ボクの方こそ、声を上げたい気持ちだった。
「どうして、マスク取ったのよ!」
女性が金きり声で叫んだ。
「は」
相手が何をほざいているか分からなかった。
女性は、シーツに包まりながらそそくさと下着を取ると、あっという間に服を
着込んだ。
「マスクしてなきゃ、意味が無いじゃないッ」
怒り心頭の女性は、当て付けるように乱暴にドアを閉めて出て行った。
ポツンとその場に取り残されたボクは、惨めな気持ちになった。
心の病を患っている息子を心配して警察に捜索願いでも出されたら困るので、
バイト先
に泊まったと親には連絡した。
何時間、そこにぼんやりとしていただろうか…
ベッド脇の電話のコール音がした。
電話機をとると、チェックアウトの知らせだった。
ホテルの外に出ると、朝日が眩しかった。
前に朝日を浴びたのは、いつだっただろうか。
そんな事を考えながら、トボトボと歩き出した。
他に行く当ても思いつかなかった。
ボクは、店に向かった。
無心で麺を作り、スープを仕込んだ。
何やら、外が騒がしくなっていた。
開店時間だった事を思い出し、マスクをかぶって戸の鍵を開けた瞬間だった。
ドッと、待っていた客が入って来た。
さらに、店の外には行列になっていた。
ボクの作るラーメンを今や遅しと待ちわびている人達が、確かにここに存在し
ていた。
ボクは、全力でつけ麺を作って売った。
あの夜以来、マスクフェチの女性は見ていない。
そして、賃貸契約の期限が切れる三ヶ月が、あっという間に過ぎていった。
『都合により、本日で閉店させていただきます。これまで、ありがとうござい
ました。』
マスクをかぶらなければ、客と相対できなかったこれまでの自分を恥じた。
素顔をさらしてこそ、客商売の本筋だ。
最後の日、ボクはマスクを外して店に立つ事にした。
「あれ!」
一番に入って来た客が、別の店かと思うようなリアクションをした。
「マスクは?」
二番目の客が聞いた。
「かぶるのやめたんです」
ボクは、客の目を見てしっかりと答えた。
「最後ぐらいは、キチンと素顔でごあいさつしようと思って」
もう、対人恐怖症は完治していた。
「調子狂うなあ」
食券機に金を入れながら別の客が言った。
「マスクは、ユニホームだろ」
立ち待ちしている客に、そう言われた。
「しろよ、マスク」
〝マスクッ!〟
〝マスクッ、マスクッ、マスクッ〟
マスクコールが、狭い店内にこだました。
皆に求められるまま、ボクはマスクをかぶらざるを得ない状況に追い込まれて
いた。
後ろを向いて、おもむろにマスクを付けた。
前は、人が怖くてやむを得ずマスクをしていた。
今は、人に望まれて自分からマスクをかぶるのだ。
マスクを装着して、カウンターに陣取る大勢の客の前に立った。
〝ウォーッ〟
歓声が上がった。
お客さん達は、身近なヒーローを見出したのかもしれない。
ならば、それを演じるのも悪くない。
それが、マスクラーメンなのだから。
──おあいそ。
るようになると、100人近い客足となり、完売する日も出てくるようになった。
二ヶ月目に入った頃だった。
一人の女性客が来店した。
営業職風のキャリア・ウーマンといった感じで、ボクより年上だと思われる女
性だった。
一心不乱に調理するボクだったが、マスク越しからでもその熱い視線は痛いほ
どに感じとれた。
その女性は、毎日のように通って来た。
残業で遅くなるのか、来店時間は決まって閉店間際だった。
「一人でやってるの。大変ね」
ある日、女性が話しかけてきた。
「ええ」
ボクは、ぶっきらぼうに答えた。
それ以来、一日何杯作るのかとか、従業員はいないのかとか、およそ味以外の
質問をしてきた。
店が終わる間際だった。
「今度、お茶でもご一緒したいなあ」
その日、最後の客となっていた女性が帰り際に言った。
逆ナンパされたのも同じだったので、ボクは想定外の事態に唖然として答えに
窮した。
「あなたに興味があるの」
軽く言うと、女性は帰って行った。
後片付けをし、店を閉めてマスクを脱ぎながら外に出た時だった。
「待っていたわ」
暗がりから声をかけられた。ボクは、慌ててマスクをかぶり直した。
声をかけてきたのは、いつも閉店間際に来るキャリア系の女性だった。
「ねえ、少し付き合ってよ」
ボクの腕を取ると、女性がドンドン先に歩き出した。
「終電が…」
泣きそうな声を、ボクは発した。
通りに出ると、女性が手を挙げてタクシーを拾った、
ボクは、このまま拉致されるのだろうかと不安になった。
「仮装パーティですか?」
ルームミラー越しにボクを見て、運転手が言った。
「ええ」
ボクは、いい加減に返事した。
女性が聞きなれない行き先名を告げると、運転手は料金メーターを倒して発車
させた。
着いたのは、ラブホテルだった。
慣れた感じで、女性がチェックインの手続きを済ませた。
わけが分からないまま、一緒に部屋に入ると、女性は餓えた猛獣のようにボク
に抱きついてキスしてきた。
ええい、もうなるようになれ。
据え膳食わぬわ男の恥。
どこかのドラマで聞いたセリフが頭をよぎった。
同時に、一日中暑い厨房に立っていた事を思い出した。
もしかして、ボク、汗臭い?
気にしだすと、どうにも汗の臭いが気になった。
「待って。シャワー浴びさせて…」
シャツをはだけて、ムシャブリつく女性から解放されるようにボクは懇願した。
男女逆転の展開のような気がした。
女性は、ニコリと微笑むとボクからようやく離れた。
服を脱ぎバスルームに入った。
鏡に映る自分を見て、ハッとした。
間抜けな感じで、素っ裸のマスクをした男が立っていた。
ボクは、シャワーを浴びるためマスクを脱いだ。
対人恐怖症とも今夜でオサラバだ。
今宵、誘ってくれた女性は、ボクの病気を直してくれる女神様だと確信した。
頭から熱いシャワーを浴びると、そこがラブホテルというのを一瞬忘れてリラ
ックスした。
鼻歌混じりでシャンプーし、サッパリすると、バスタオルを腰に巻いた。
母親以外の女性に裸を見られるのに慣れていないボクは、気恥ずかしさもあっ
て頭髪をゴシゴシと、ハンドタオルで拭きながらバスルームを出た。
マスク無しで人前に出る再デビューのはずだった。
BGMの流れる薄暗いベッドルームに、裸身の女性が待っていた。
シーツを剥いで、女性がボクを見た。
ボクは、頭からタオルを外して女性の裸に目が止まった。
そして、女性と視線が交差した瞬間だった。
「キャーッッッ」
女性は悲鳴を上げた。
ボクの方こそ、声を上げたい気持ちだった。
「どうして、マスク取ったのよ!」
女性が金きり声で叫んだ。
「は」
相手が何をほざいているか分からなかった。
女性は、シーツに包まりながらそそくさと下着を取ると、あっという間に服を
着込んだ。
「マスクしてなきゃ、意味が無いじゃないッ」
怒り心頭の女性は、当て付けるように乱暴にドアを閉めて出て行った。
ポツンとその場に取り残されたボクは、惨めな気持ちになった。
心の病を患っている息子を心配して警察に捜索願いでも出されたら困るので、
バイト先
に泊まったと親には連絡した。
何時間、そこにぼんやりとしていただろうか…
ベッド脇の電話のコール音がした。
電話機をとると、チェックアウトの知らせだった。
ホテルの外に出ると、朝日が眩しかった。
前に朝日を浴びたのは、いつだっただろうか。
そんな事を考えながら、トボトボと歩き出した。
他に行く当ても思いつかなかった。
ボクは、店に向かった。
無心で麺を作り、スープを仕込んだ。
何やら、外が騒がしくなっていた。
開店時間だった事を思い出し、マスクをかぶって戸の鍵を開けた瞬間だった。
ドッと、待っていた客が入って来た。
さらに、店の外には行列になっていた。
ボクの作るラーメンを今や遅しと待ちわびている人達が、確かにここに存在し
ていた。
ボクは、全力でつけ麺を作って売った。
あの夜以来、マスクフェチの女性は見ていない。
そして、賃貸契約の期限が切れる三ヶ月が、あっという間に過ぎていった。
『都合により、本日で閉店させていただきます。これまで、ありがとうござい
ました。』
マスクをかぶらなければ、客と相対できなかったこれまでの自分を恥じた。
素顔をさらしてこそ、客商売の本筋だ。
最後の日、ボクはマスクを外して店に立つ事にした。
「あれ!」
一番に入って来た客が、別の店かと思うようなリアクションをした。
「マスクは?」
二番目の客が聞いた。
「かぶるのやめたんです」
ボクは、客の目を見てしっかりと答えた。
「最後ぐらいは、キチンと素顔でごあいさつしようと思って」
もう、対人恐怖症は完治していた。
「調子狂うなあ」
食券機に金を入れながら別の客が言った。
「マスクは、ユニホームだろ」
立ち待ちしている客に、そう言われた。
「しろよ、マスク」
〝マスクッ!〟
〝マスクッ、マスクッ、マスクッ〟
マスクコールが、狭い店内にこだました。
皆に求められるまま、ボクはマスクをかぶらざるを得ない状況に追い込まれて
いた。
後ろを向いて、おもむろにマスクを付けた。
前は、人が怖くてやむを得ずマスクをしていた。
今は、人に望まれて自分からマスクをかぶるのだ。
マスクを装着して、カウンターに陣取る大勢の客の前に立った。
〝ウォーッ〟
歓声が上がった。
お客さん達は、身近なヒーローを見出したのかもしれない。
ならば、それを演じるのも悪くない。
それが、マスクラーメンなのだから。
──おあいそ。
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