余孽之剣 日緋色金─赫奕篇─

不来方久遠

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アテルイ譚

九 魔境

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 ゴォォォオオオオオ。
 空を切り裂くような音が近付いて来た。
 有名な三蔵法師に代表される僧によって、インドから中国に、そして遣唐使等
で日本に伝えられた仏教思想を画にした曼陀羅図。
 東西に一里五町(約4.6㎞)、南北に一里十三町(約5.3㎞)、東西に走
る39本の道路と南北に走る33本の道路が碁盤目状に区画された、この世とあ
の世を総合的に描いた曼陀羅空間を具現化した平安京の夜のとばりに轟いた。
 その最北に位置する十二町(約1.3㎞)四方に囲まれた大内裏の陰陽寮には、
陰陽師によってモレが拉致監禁されていた。
 異変を察知した坂上田村麻呂は、20を越す建物が廊下で結ばれた内裏に駆け
つけた。
 その一つに、帝が日常生活を送る清涼殿がある。
 殿中にある全ての灯明皿の炎が、一斉に消えた。
「何事か!」
 帝が、清涼殿で田村麻呂に聞いた。
「妖しき暗闇が、ここに向かっていると」
 田村麻呂が、答えた。
「物の怪か?」
「…計り知れない怨念としか……」
 陰陽寮からは、五人の陰陽師が祈祷していた。
 飛来したアテルイは、羅城門で剣を振りかざした。
 人が登る階段の無い二階建ての羅城門は幅二十六間(約47m)、高さ十二間
(約22m)の大きさで外界と対峙していた。
 外敵から京を守るために、高さが一間を越える六尺三寸(約1.9m)の軍の
神である兜跋毘沙門天像が階上に安置されていた。
 怒りの形相で手に矛を持ち、鎧兜を着けて北方を守る仏法守護神だが、その姿
はアテルイにも似ていた。
 陰陽師達は、弓弦をバンバン打ち鳴らして
人を呪い殺したり、怨霊を鎮めたりする呪術である調伏を始めた。
 アテルイの黒い魂は、そんな調伏をものともしなかった。
 同じ陰陽寮に属して、時を司る漏刻博士がいる。
 銅の容器に水を入れ、底の穴から水を落ちるようにし、これを受ける容器の中
に立てた矢の刻んだ目盛りにより時を計る水時計に従って、京の時間を管理して
いる。
 その配下の時守の叩く太鼓の合図以外、夜明けから日没は閉じられているはず
の門が、バッと全開した。
 開閉門が吹き飛ばされ、羅城門本体が大きく左に傾いて、崩れ落ちた。
 鬼神のような形相のアテルイは、まるで破戒神のように八条大路を横切った。
 台風の如き暴風の勢いで、軒を連ねた公卿達の住む寝殿造の屋根が吹き飛んだ。
 荒神となったアテルイは、東側の左京と西側の右京の中心を走る、幅四十七間
(約85m)の朱雀大路を中央突破して、朱雀門の前に仁王立ちした。
 陰陽師達は、それぞれ印を結び、口の中で呪を唱えた。
 呪の霊力が五芒星の☆形となって結集し、最後の砦である朱雀門で結界を張っ
た。
 剣を持った鬼神アテルイが、結界を突破しようとする。
 アテルイが、五芒星の光輪の中に捕らえられる。
 陰陽博士は、この時とばかりに護身の秘法である九字を切った。
「臨」
「兵」
「闘」
「者」
「皆」
「陣」
「列」
「在」
「前」
 これら九種類の文字を唱えながら、指先で空中にまず縦に四本、次にその上に
重ねて横に五本の線を描いた。
「グララアガア」
 アテルイは、人の声とも思えないような怪音を吐いて苦しみ出した。
「…アテルイ……」
 光の輪の中で囚われの身になっているモレは、懐から横笛を出して吹いた。
 神の調べのような龍笛の奏でる波動が空を飛翔し、アテルイの耳に届いた。
 すると、アテルイの力が増幅した。
 陰陽師の結界とアテルイ、双方の力が拮抗した。
「その女の笛を、止めさせろっ」
 陰陽博士が、指示した。見習いの陰陽生達が、モレに近付いた時だった。
「■■■■■■」
 アテルイは、ヒヒイロカネの剣を帝に向けて咆哮した。
「あの姿は……」
 田村麻呂は、絶句した。
 怒髪天を衝いたアテルイの形相は、まさしく鬼そのものであった。
 ─日緋色金─
 やはり、特別な力を秘めたとんでもない代物のようだ。
「悪鬼じゃ。生き霊となった悪路王だ」
 ヒヒイロカネの力を発揮するアテルイを、その眼で見た帝は取り乱していた。
 陰陽博士は、五芒星の結界に阻まれているアテルイに、呪文をかけた一本のか
ぶら矢を放った。
 かぶら矢は空中でばらけて、アテルイの頭上から流星のように降り注いだ。
 流星の落ちた後は、光の縄となってアテルイの全身を縛った。
 身動きが取れなくなったアテルイの手元から、剣が地上にバタリと落ちた。
 この世のモノとは思えない光景に、陰陽生達が呆気に取られている隙に、モレ
は続けて龍笛を吹いた。
 笛の音に、体内の新しき小さな命が疼いた。
 胎動した児と旋律によって、モレの力が発動した。
 笛の七つの孔からそれぞれ七色の光が天に向かい、七つの星を降らせた。
 星々は舞うようにして、陰陽師の作る五芒星の結界を打ち破った。
「何と、面妖な…」
 ただの笛ではなさそうだと思いながら田村麻呂が呟いた。
「アテルイ!」
 モレが叫ぶと、龍笛は共鳴しながら小太刀に変わった。
 同時に、モレの姿が自分の児を取られた夜叉のような鬼子母神に変化した。
 夜叉のモレは、瞬く間に宙を舞い、清涼殿で高みの見物をしていた帝の喉元に
刃を当てた。
「私達を自由にしなさい! さもなくばミカドを葬る」
 憑依したモレは、帝の喉を今しもかっ斬る勢いだった。
 女は弱し、されど母は強かった。
「ひッ」
 帝は、気絶した。
「し、承知した」
 田村麻呂が、代わりに返答した。
 陰陽博士は、陰陽師達に結界を解かせた。
 呪から解き放たれたアテルイは、ヒヒイロカネの剣をかざした。
 怒りにかられ、自制のきかなくなった状態だった。
 京ごと消滅させるつもりであった。
 騒ぎを聞きつけた宮中の乳呑み児が、猛烈に泣き叫んだ。
「ッ!」
 モレは、ハッとした。
 ここにも子供がいる。北の故郷と同じように、男がいて女がいて、子供がいる。
 身なりや考え方が異なるとて、同じヒトである。
 ヒト同士が争って、喜ぶのはオニだ。
 オニになってはいけないのだと、モレは思った。
 それを見たモレは、夜叉の姿から我に返った。
 田村麻呂は、帝を保護した。
「帰って来て、アテルイ! 闇に取り込まれてはダメ。鬼にならないでッ。あな
たの児ができたのよ!」
 モレが、叫んだ。
 アテルイは、モレの懐妊については知らなかった。
 連れ合いの体調の変化に鈍感だったわけではなく、急激な速度で成長していた
のだった。
 出雲の神を通して授かった生命は、常人の懐妊期間をはるかに短縮した。
 モレは、龍笛を吹いた。その調べは、荒ぶる鬼となったアテルイの琴線に触れ、
次第におとなしくなった。
 人間の姿になったアテルイは、ヒヒイロカネの剣を鞘に収めた。
 この隙に、田村麻呂の部下達が弓を射かけようとした。
 アテルイは、再び剣を抜こうとした。
「やめいッ。まだ解らぬのか!」
 田村麻呂が、部下達を諌めて止めた。
 アテルイは剣の柄を緩やかに持ち直した。
 鬼神の時とは一変して穏やかな表情になったアテルイは白馬姿になり、剣が背
中に取り付いて大きな翼になった。
 モレは馬の首にしがみつき、その光景はオシラサマ伝説のようであった。
 天馬となったアテルイはモレを背にして宙に浮き、東の空に向かって天空を翔
けて行った。

 結局、田村麻呂は、ヒヒロイロカネの剣を手にして帝に差し出す事はできなか
った。
 アテルイとモレの扱いについては、既に斬首されたという事で記録された。
 史実には、黒雲轟く雷神の怒りが内裏清涼殿に落雷して、動転する皇族の様子
が描かれている。
 朝廷は、悪路王アテルイを抹殺し損ねたという秘密を守るためと失敗の責任を
問う形で、関係した陰陽家を全て失脚させた。
 それからは別の陰陽家の賀茂氏が陰陽博士になり、後に安倍清明が台頭してく
る素地となった。
 坂上田村麻呂の英雄伝説は、宝剣を得るまでの出雲神話のスサノオと似ている。
 あちこちの賊を退治した後、ヤマタノオロチを殺し、そこから剣を得て天皇に
奉じる。 
 桓武帝は、自らを神話になぞるような自作自演を演じようとしたが、ヒヒイロ
カネ奪還の失敗後は悪鬼の報復を怖れ、身の危険を感じて蝦夷征討の中止を決定
し、密かなる野望を諦めた。
 四五歳で即位してから遷都と蝦夷征討に残りの生涯を費やした末、その数年後、
志半ばで延略二五年(806)三月一七日、七十歳で崩御となり玉座を降りた。
 田村麻呂は現役を引退させられ、その征夷大将軍の座を文室綿麻呂に譲る事と
なる。
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