余孽之剣 日緋色金─赫奕篇─

不来方久遠

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アテルイ譚

六 父

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 国府多賀城。
 アテルイは、人目を忍ぶため嵐の夜を選び、イカコだけを伴って城内に潜入し
た。
 さすがに、田村麻呂の所在はつかめなかった。
 目的は、ただ一つ。
 蝦夷から寝返った上に、田村麻呂の下で同族を攻撃している売国奴を倒す事で
ある。
 帰順したとはいえ、俘囚の詰め所は生え抜きの帝軍からは離れた区画にあり、
また同族ゆえに潜り込み易かった。
 豪雨と強風のため視界が悪いせいで、敵に見咎められる事も無く、アテルイは
一つの屋形に侵入した。
 イカコを外で見張りに立たせ、サシでケリをつけるつもりだった。
 そこには、まるで待ち侘びたかのように、落ち着き払った男が一人居た。
 鉄仮面をかぶったその男は、突然乱入して来たアテルイに対して、動揺する事
無く相対した。
「胆沢のアテルイだ」
 アテルイは、毅然として名乗った。
 男は、鞘から刀を引き抜きざまに、アテルイに斬りかかった。
 猫のような敏捷さで、アテルイが刀をかわしながらヒヒイロカネの剣を抜刀し
た。
 ヒヒイロカネの剣を見て、男が不敵な笑みを浮かべたように見えた。
「…?」
 アテルイは、不審に思いながらも仮面の男に刃を向けた。
 その切っ先が男の顔面をかすめると、仮面が割れ、焼け爛れた異様な顔が現れ
た。
「ッ!」
 アテルイは、焼け爛れたその男の顔にギョッとした。
 同時に、自身と同じ匂いを感じた。
 男は、おもむろに持っていた剣を床に捨てた。
 そして、静かに念じた。
 アテルイの手中にあるヒヒイロカネが鈍く光り始めた。
 己以外の者に反応したヒヒイロカネの剣を見ながら、アテルイは言い知れぬ恐
怖を感じた。
 その時、騒ぎを聞き付けた警備の者達が駆け付けて来た。気が動転したアテル
イは、その場を離れた。
 訳も分からないイカコだったが、アテルイの後に続いた。
 男が、吹き荒ぶ嵐の中に消えて行くアテルイを目で追った。

 多賀城から逃走し、途中に隠しておいた馬で安全な地域に来た頃だった。
「なぜ、一息に斬らなかった」
 イカコが、アテルイに質した。
「伊治公砦麻呂という者を、知っていよう」
 アテルイが、言った。
「朝廷軍に対して、初めて反旗を翻して死んだという伝説の蝦夷」
「顔を変えて、今も生きているらしい」
「まさか! 奴がそうなのか?」
 イカコは、信じられないという面持ちで言った。
「アザマロが敵となれば、手強い相手だ」
 アテルイは、困惑げに答えた。

 延暦二十年(801)。
 朝廷軍は戦によって植民地を増やすが、エミシは守るだけでそれ以上得るモノ
はない。
 エミシにとって戦は何も生まなかった。
 それゆえ、朝廷側に寝返って所領を安堵される者が続出した。
 坂上田村麻呂は、満を持して勝負に出た。
 蝦夷最後の砦である胆沢に対して、大規模な掃討作戦を敢行した。
 アテルイは、来る日も来る日も死力を尽くして戦った。
 しかし、負けはしないものの決して一方的な勝ち戦でもなかった。
 蝦夷軍と朝廷軍との戦いは長期化し、泥沼化の様相を呈していた。
 味方の死傷者の数も戦の度に増え続け、蝦夷側にはいつしか、厭戦気分が生ま
れていた。
 田村麻呂は、調略した蝦夷を巧みに利用して、もっとも頑強に抵抗を続ける胆
沢のアテルイ軍を孤立させていった。
 白鳥が越冬のため、大陸から飛来していた。
 北の山野が銀世界に覆われる間際まで、攻め続けた。
 が、敵の将であるアテルイより冬将軍のほうが難儀であった。
 もう一歩という所で、雪おこしに見舞われた。
 雪に埋もれ、閉ざされた厳寒の北の冬で、戦を行うのは不可能である。
 双方にとって、戦は年を越さざるを得なかった。
 陸奥の季節に、アテルイは救われた。
〝この先、戦を続けていいものだろうか〟
 アテルイは、悩んでいた。
 長期化すればするほど仲間が死んで逝く。
 翌年は山脈から吹き降ろされた冷たい偏東風“ヤマセ”のせいで、夏だという
のに寒冷で農作物がうまく育たず、不作により日高見地方は困窮していた。
 アテルイは、できるだけヒヒイロカネの剣を使わないように戦った。
 剣を念じて発光させると、その日を境に以前より疲れが残るようになり、実年
齢より歳を取った感覚になった。
 剣を使わないと、戦は人もムラも時間も大量に浪費させた。
 戦は、何も生まない。
 ただ、人命と生活を破壊するだけだ。
 朝廷軍によって焼き討ちにあい、灰となっている集落群の址が増えていった。
 母を失った子供の姿があった。
「…これまで…だな……」
 累々と山野に倒れている屍を見て、アテルイは呟いた。
 その光景を自身の幼い頃の境遇に重ね合わせて、戦の意味を考えていた時だっ
た。
 イカコが戦場でアザマロらしき者より預かったという坂上田村麻呂からの書状
を携えて、アテルイのもとを訪れた。
 自らの署名が記してある、親書だった。
 敵将が文を送ってくるのは、初めての事であった。
 田村麻呂は、蝦夷に対して最大限の敬意を払っている証拠だった。
 なぜなら、蝦夷についての都人の思想は、およそ文字など持たぬケモノという
無知さ加減である。
 アテルイは、ゆっくりと読んだ後、腹心であるイカコに見せた。
「降伏…」
 イカコが、呟いた。
「俺とモレの二人の身柄を条件に、胆沢への攻撃をさせないという」
 アテルイが、隣にいるモレを見ながら言った。
「……」
 モレは、沈痛な表情で俯いていた。
「罠だろう」
 イカコが、言った。
「敵も焦れているのは確かだが、試してみる価値はあるかもしれない」
 アテルイが、言った。
「これまでもそうだったように、あたしはあなたに付いて行きます」
 モレが、決然として言った。
「俺とモレが、この土地にいる限り、戦は永遠に続く。それを終わらせる機会か
もしれん」
 アテルイは、条件を飲む決意をした。

 多賀城周辺には、万単位の警備兵が集まっていた。
 北上川に沿って、アテルイは向かっていた。
 アテルイは、モレの他に一騎当千の精鋭五〇〇人を従えていた。
 イカコは、白旗を掲げている。
 朝廷軍は、アテルイ一行を見守っていた。
「海を、見た事はあるか?」
 東日流出身のイカコが、不意にアテルイに聞いた。
「ウ、ミ…」
 アテルイには、意外な質問だった。
「おらのムラのツガルには、海がある。この川のずっと先は、海に続くと聞いて
いる」
 イカコが、北上川を指差しながら説明した。
「海で舟を使えば、陸地を歩く何十倍もの速さで移動できる」
「馬より速いのか」
 アテルイが、質した。
「帆に風を受けて、水の上を走るんだ。海を渡れば、ミヤコには三日で着ける」
 イカコが、答えた。多賀城の門前に、到着した。
「世話になった。後は任せたぞ」
 アテルイは、イカコの手を強く握った。
「案ずるな」
 そう言いながらイカコは、アテルイとモレを送り出した。
 五〇〇名の蝦夷達が、アテルイとモレに一斉に礼をした。
 二人は、静かに城の中に入って行った。

 平安京。
 約一万人の役人を含めた十数万人を、この京は抱えていた。
 坂上田村麻呂は、蝦夷征伐の大将軍として、大勢の都人に出迎えられて凱旋帰
国を果たし
た。
 アテルイとモレは、降伏後共に陸奥から陸路で移送され、身柄を拘束されたま
ま一ヶ月を牢で過ごした。
 その間、二人の処遇について議論された。
 田村麻呂は、アテルイとモレに朝廷の温情を示し、恩赦を与えて蝦夷地を束ね
させた方が、今後の陸奥を統括するには得策であると主張した。
 参議の多くは、逆賊悪路王アテルイと、その女モレを討つべしと唱えた。
 モレを同罪とするは、その子孫をも根絶して、朝廷への遺恨を排除せよという
意見が大勢を占めたからだった。
 朝議は長引いた末、田村麻呂は最後まで強く二人の助命嘆願をするが、朝廷の
威光を示すため、見せしめの処刑と決定された。
 処刑地は都では縁起が悪いという理由から、裏鬼門である河内国が選ばれた。
 新しき都を、獣のような蝦夷の血で汚したくないという考えが趨勢だった。
 処刑の命が下ったので、田村麻呂は視点を変えて、ヒヒイロカネという秘剣の
奇蹟を試してみたい衝動にかられた。
 田村麻呂は直接、柄を握ってみたが何の反応もせず、普通の剣だった。
 剣を輝かせ、その力を発動させるには、何か特別な呪文のようなモノが必要ら
しかった。
 例えば、陰陽道で使われる九字を切るような何かがないと……
 それを確かめるべく、アテルイとその連れを試し斬りの人身御供に考えた。
 斬首の刑に服すなら、残酷だが実験台として検体になってもらおう。
 何事も起こらねば、ただの剣。
 もしも、変事が起きるようなら、天皇以外に人智を超越したモノが、この世に
存在する事になる。
 一つのクニに、二人の天皇は不要である。
 朝廷が蝦夷を忌嫌い、いたずらに貶めて抹殺を謀る理由には、その根底に蝦夷
に対する畏敬の念がありはしないか。
 己が信ずる神話を覆す、もう一つの異形のモノが、北に眠っていると。
 通説では、蝦夷の祖は出雲地方から流れて来たと云われている。
 出雲神話に代表されるように、日本のルーツを辿ると、現在の認識とは異なる
見方も厳然としてあるのだ。
 その北の民の眠りを醒ませば、現体制を根本から否定され、逆に蝦夷のように
追われる立場になる。
 朝廷は、それを知っていて、ひたすらその事実を闇に葬ろうとしているのでは
ないか。
 朝廷に身を置く田村麻呂に取っては、その疑念を払拭する意味においても、ヒ
ヒイロカネの剣でアテルイを斬首しなければならなかった。
 蝦夷平定の本当の理由を知るために、独断で決めたのだった。

 河内国、杜山。
 降るような蝉時雨の夏の暑い日だった。
 血の色をした空の西日の陽射しが痛いほどだった。
 おびただしい数のハゲタカの群れが、まるで獲物を待っているかのように上空
に飛来してきた。
 蝦夷国で、悪路王〝アテルイ〟と呼ばれた男と連れの女が、今まさに斬首され
ようとしていた。
 卑しい蝦夷の処刑は、怨念から悪霊となって取り憑かれないように、同族であ
る蝦夷が選任された。
 〝夷を以って夷を征する〟、毒には毒をという発想であろう。
 鉄仮面をかぶった男が、アテルイの前に進み出た。
 男は面を外して、焼け爛れたその顔をアテルイに見せた。
「アザマロか…」
 アテルイは、呟いた。
 男の手には、ヒヒイロカネと呼ばれる蝦夷製の剣が握られていた。
 アザマロと呼ばれた男は、連座したモレの首飾りを手に取って凝視した。
 見覚えがあった。
 男が、アテルイの背後に回った。
「■■■■■■」
 不思議な呪文のような韻律を、アザマロが唱えた。
 その音色に、ヒヒロイロカネの剣が呼応するように光り輝き出した。
 ハゲタカが姿を消し、蝉の声がピタリと止んだ。
「ッ?」
 アテルイは、唖然とした。
 ヒヒイロカネが隣のモレの見つめる中、アテルイの首めがけて、振り上げられ
た時だった。
 急に突風が、吹いてきた……アテルイは、確信した。
 アザマロが父であると。
 どっどど
    どどうど
          どどうど
             どどう                   
 風雲急を告げ、辺りが暗くなり、閃光が走ると同時に雷鳴が轟いた。
 剣に落雷し、アザマロと共に処刑執行官達が、一瞬の間に蒸発してしまった。
 刑場に繋がれていたはずの二人の姿も、そこから消えていた。
 どっどど
    どどうど
          どどうど
             どどう
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