余孽之剣 日緋色金─赫奕篇─

不来方久遠

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アテルイ譚

ニ モレ

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 伊治城。
 中央政府の命を受けた、蝦夷討伐の前線基地である。
 古代史上における〝蝦夷征伐〟は、どういう意味をもっていただろうか? 
 農業が主産業であった古代において、関東から東北地方へ広がる国土は、国家
支配者にとって必要な土地であり領土と化したい地域であった。
 中央貴族や国司には、国土ばかりではなく、陸奥国に無限にあるとも思われた、
馬・奴婢・金なども手に入れたかったに違いない。
 だが、そこには蝦夷と呼ばれる、極めて強靭な先住民が住んでいた。
 従って、支配者達は、その蝦夷をどのようにして征服するかが大きな問題であ
った。
 東北地方は、日本国家の成立以後〝みちのく〟と呼ばれ、道の奥すなわち辺境
の地とされて、また近代国家が成立した時にも、〝白川以北、一山百文〟と軽蔑
されてきた。
 特に岩手は、奈良・平安時代に中央政府の軍事征服に抗戦した歴史もあって、
それが後々においても、開発が遅れてきた一因でもある。
 そんな動乱の時代に、アテルイは生まれ育っていた。
「うッ」
 アテルイは、巖穴牢でビシッという鋭い音と激痛の中にいた。
 熊のような大男が、両手足を鎖で繋がれたアテルイの背中に、馬用の鞭で繰り
返し打ちつけていたのだった。
「こいつを、どこで手に入れた!」
 この年、征東大使に任命された紀古佐美は、アテルイが所持していた剣につい
て問い質した。
 城に常駐する刀工によると、特殊な製法の剣らしかった。
 空気を切り裂くような風切り音の後に、ビシッという肉を叩きつける音が響い
た。
「強情な餓鬼だ」
 アテルイは、ひたすら責め苦に耐え抜いた。
「この剣は、ヒヒイロカネという永久に錆びない鋼で出来ている。そして、蝦夷
の中でも秘宝と謳われたこの剣を一体、どこで手に入れたのだ」
 女に好かれそうな京風な細面の顔立ちの中に、強い残虐性を宿した紀古佐美が、
血管に青筋を立てて言った。
 噂には聞いていた深密秘奥の剣が、ここに実在していたのだ。
 ビシッ、ビシッと、鞭がしなってアテルイを打ち続けた。
 アテルイは、余りの激痛に気を失った。
 熊男が、アテルイの眼を覚まそうと桶の水をぶっかけた。
 ぼんやりと、アテルイの意識が戻った。
 再び、鞭がしなった。
 また、すぐにアテルイは、気を失った。
 熊男が桶を取ると、中の水は空だった。
「それを、よこせ」
 アテルイが拷問を受けている現場に、偶然通りかかった年端もいかない下女を
紀古佐美がつかまえた。
 そして、その運んで来た飲み水用の桶を乱暴にぶん取った。
 中を仕切る垂れ幕の隙間から、チラリとアテルイの姿が下女の瞳に映った。
 ほんの一瞬、下女とアテルイの視線が熱く絡み合った。
 地底湖の水のように、どこまでも澄んだ瞳に、鋭さと優しさを兼ね備えたその
アテルイの眼差しに、下女は魅かれる何かを強く感じていた。
 バシャーと水をぶちまける音に続いて、ビシッ、ビシッという鞭で叩く音が聞
こえた。
 下女は、中で行われている恐ろしい出来事を想像してみた。
 自分とさほど年齢の違わない男の子が、一体何をして、あんなに責められるの
だろうかと……
 いでたちから察すると、同じ土地の者のようだった。
 下女は、言い知れぬ感情を憶えたままその場を立ち去った。

 城に松明が灯された。
 漆黒の闇夜に、北の星座が宝石を散りばめたように輝いていた。
 北斗七星が、真上に移動した頃だった。
 捕虜を監視する衛兵が居眠りを始めているのを見計らい、下女はアテルイの幽
閉されている牢の閂を静かに外した。
 そっと忍び寄るように中に入った下女は、真っ暗な洞穴で眼を凝らした。
 暗闇の中で、下女の眼が全身傷ついて、グッタリとしているアテルイの姿を見
つけた。
 下女は、ゆっくりと足音をたてないように、アテルイに近付いた。
 アテルイの四肢は、鎖で柱に繋がれたまま放置されていた。
 仮に、アテルイが凶暴な猛獣のような者だとしても、繋がれていれば安心であ
る。
 そう思い、下女はそっと、アテルイの額に手を触れた。熱が高かった。
 あれだけの鞭を浴びれば、当然だった。
 まだ、寝顔にあどけなさを残す少年が、これほどの罰を受けるほどの罪を犯し
たとは、到底下女には信じられなかった。
 アテルイは、拷問による疲労のために、ピクリとも動かない。
 下女は持って来た膏薬を、ミミズ腫れしたアテルイの背中に塗り込み、アテル
イの鼻をつまんで熱冷ましの薬を口移しで飲ませた。
 そして、衛兵に気付かれない間に、下女はその洞穴を出て行った。

 朝靄と一緒に、辺りが白んできた。
 夜明けと共に、アテルイに対する責め苦が再開された。
 その日も、アテルイは紀古佐美の執拗な拷問に耐え、ヒヒイロカネで作られた
剣に関する事を一言も発しなかった。
「あの強情な小僧も、これまでか。今日、喋らなかったら、明日は処刑だ。賭け
金、用意しておけ」
 野営地では、兵達が雑談していた。
「まだ、負けと決まったわけじゃないぞ」
 そんな兵達の言葉に、下女はハッとして水汲みの手を止めた。

 満天に天の川が、美しく流れていた。
 下女は、今夜もアテルイのもとを訪れた。
 昨晩と同様に、下女がそっとアテルイの額に手を触れた時だった。
 眠り込んでいるはずのアテルイの手が、下女の手首をつかみ返した。
「ッ?」
 ハッとして声を上げそうになった下女の口を、アテルイの掌が塞いだ。
 アテルイは、右手の人差し指を下女の唇に持っていき、シーッと小さく言った。
 そして、下女が持って来たナタを見た。
 下女は、アテルイを助けるために、自らの危険を顧みずにやって来たのだった。
 下女が、ナタをアテルイの自由を束縛している鎖に、消音のために水をタップ
リと染み込ませた布を当てて振り下ろした。
 鈍い音が、周囲に洩れた。
 が、一度くらいでは、なまくらなナタでは鎖を切る事が出来なかった。
 年端もいかない女の細腕では、なおさらである。
 下女は、繰り返し何度もナタを振り下ろした。
 さすがに、その音に居眠りをしていた衛兵も眼を覚ましてしまった。
 衛兵は、表のかがり火を小分けして、洞穴の様子を見にやって来た。
 衛兵のかざした炎に、アテルイと下女の二人が映し出された。
「何をしてるッ!」
 衛兵は、腰の刀を抜刀しながら詰問した。
 下女は見つかったと思い、巻いてある布を取り払って、渾身の力を振り絞って
ナタを振り下ろした。
 衛兵の刀が眼前に迫った正にその時、手鎖がようやく切れた。
 その瞬間、アテルイは自由になった手で、足首に繋がれた鎖にナタを振り下ろ
した。
 一撃で足鎖は切れ、そのナタを衛兵の持っているかがり火に向かって投げた。
 かがり火が消され、辺りが真っ暗になった時、衛兵のみぞおちが突かれて首に
手刀が打たれた。
「うッ…」
 暗闇の中、衛兵の呻き声が一瞬した後、再び洞穴に沈黙が流れた。
「ありがとう。俺、アテルイ」
 アテルイは、下女の手をそっと握って言った。
「アテルイ…」
 下女は、アテルイの手を控え目に握り返して呟いた。
「そう。キミは?」
 アテルイが、質問した。
「モレ…それより、早く逃げないと、明日…殺されるわ……」
「…モレ、か…」
 モレという名の少女は、アテルイを外に引っ張った。
 アテルイは、刀ではなく動き易いナタを拾って、洞穴を用心深く出る事にした。
「夜明け前に、なるべく城から離れないと…」
 モレが、心配そうに言った。
「うん。でも、大切な物を取り返さなくちゃいけない」
 アテルイが、遠くを見つめながら答えた。
「何のこと」
「ここの親玉がいる場所、分かるかい?」
「ええ。まさか、そこに!」
 モレは、アテルイの言葉に有無を言わさぬ強い決意めいた響きを感じた。

 紀古佐美の寝所は、周囲に門番が常駐しており、警戒厳重であった。
 しかし、フクロウのように夜目の利くアテルイは、背後から門番にそっと近づ
くとその口を塞いでナタで頭を殴って気絶させた。
 そして、かがり火越しに遠くの草むらに身を潜めているモレに手を振った。
 アテルイは、征東大使の部屋に猫のように、物音一つ立てずに入って行った。
 そこには、アテルイを散々に拷問した熊男が護衛として、寝ずの番をしていた。
 この熊男は、頭が働かない代わりに体力だけは人一倍あったので、そこに立て
と命令されれば、三日三晩でもウドの大木の如く立ち続ける事が出来た。
「おまえ、どうして!」
 ウドの大木には、巖穴牢に繋がれていたはずの小僧がどうしてここにいるのか、
その猿ほどの脳味噌では合点がいかなかった。
 熊男は、取りあえず大きな偃月刀を抜いた。
 アテルイも、ナタを構えた。熊男の馬鹿力で振り下ろされた偃月刀は、アテル
イが手にしたナタを、砕くように弾いた。
 丸腰のアテルイに対して、偃月刀がギロチンのように垂直に襲ってきた。
 それをアテルイが機敏にかわしたので、大きく空振りをした偃月刀は、床に突
き刺さってしまった。
「何の騒ぎだ!」
 騒ぎを聞きつけた紀古佐美が、寝床から起きて来た。
「キサマか」
 紀古佐美は、アテルイを見て憎々しげに言った。
「夜が明けてからと思ったが、今、ここで成敗してくれる!」
 紀古佐美が、寝間着姿のまま刀を構えた。
 苦労して床から偃月刀を抜いた熊男が、二人の間を割って入るように、再びア
テルイに斬りかかった。
 アテルイは、何の苦もなくサッと避けた。
 その拍子に、紀古佐美の寝床に入り込んでしまう。
 枕元の後ろに、天竺の経典が書かれた掛け軸があり、そのそばにあのヒヒイロ
カネの剣が置かれてあった。
「それを、奴に渡すなッ」
 紀古佐美は、焦りの表情を浮かべて言った。
 熊男は、執拗にアテルイを追い回した。
 アテルイは、鷹が獲物を狙うような俊敏な動きで、剣を手に取った。
 水平に偃月刀を振り回す熊男の両腕を、アテルイは取り戻した剣でスパッと斬
った。
 偃月刀が、熊男の両手首ごと床に落ちる。
 ヒヒイロカネの剣を持ったアテルイは、まるで水を得た魚のようだった。
 その動きは、舞を踊るかのように軽やかでさえある。
「やはり、ただの水飲みエミシではないな、お前…」
 紀古佐美は、真剣な表情で言った。
「敵襲だ。出会え!」
 紀古佐美の号令に、辺りの警備兵が寝所に駆けつけた。
 モレは、遠巻きに見ながら心配していた。
 紀古佐美の寝所の出入口に、大勢の兵達が集まって来るのが見えるからだった。
「観念しろ。袋のネズミぞ」
 紀古佐美が、勝ち誇ったような物言いをした。
 アテルイは、数十人の兵に取り囲まれていた。
 しかし、全く動ずる事なく、アテルイは無意識にギュッと剣の柄を握り直した。 
 その時、目映い光が剣から発光し出した。
「そ、その光り物は……」
 とっさに、紀古佐美が一人だけその場から離れた。
「うわあぁぁぁ」
 剣の光が増幅し、周囲にいた警備兵が悲鳴を上げながら全て蒸発してしまった
のだ。
 モレは、寝所が爆発するように吹き飛ぶ様子を、アテルイがそれに巻き込まれ
ていないかと安否を気遣いながら離れた外で眺めていた。
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