レコンキスタ

琥斗

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 第1章 生きる、堕ちる

 1.着の身着のまま

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「はぁ、はぁ、はぁ……」

 アレリアを背負ったまま、ティルスは夏草が生い茂る森の中でゆっくりと腰を下ろした。

(ここまで来れば大丈夫だろ)

 弾んだ息を整えながら、頭上を仰ぐ。幸か不幸か、今宵は満月だった。月明かりを頼りに、この街道沿いの森を移動してロシャナク達を追うべきか――と考えてみるものの、くたくたになってしまった足と、未だ震える少女を背にした状態では到底無理だと思い知る。自身の体力もとうに限界だった。

(……夜の森を移動するのは危険だ。少し休んで、夜が明ける頃にまた移動しよう)

 ティルスは、今もなお己の背にしがみつくアレリアに向かって静かに声をかけた。

「アレリア、夜が明けるまで休憩しようと思う。少し横になるか?」
「…………」

 そう問いかけながら、彼女を背から下ろし、その身をゆっくりと地面に横たえさせようとしたところで、思いがけず奴隷服の襟をギュッと掴まれ、ティルスは驚いた。

(離れたくない……のか?)

 しばしの逡巡ののち、ティルスは大きな木に背を預けると、アレリアをそっと抱き寄せた。

「……嫌だったら言って。離すから」
「…………っ」

 腕の中の少女は、しばらく呆然とした様子だったが、やがてティルスの胸板へ顔をうずめると、声を押し殺して泣き始めた。
 その姿があまりにもいたたまれなかったので、ティルスは血痕と土埃だらけの汗ばむ手で、アレリアの背中を少しだけさすった。彼女に触れてよいのかどうか分からなかったが、ほどなくして体の震えは治まっていったように思う。

 ――月が身を寄せ合う二人を照らしたまま、どのぐらいの時が経過したのだろう。

 幾分か落ち着きを取り戻したアレリアが、うずめていた顔を上げ、ぽつりと呟いた。

「どうしてこんなことに? 一体なにが……」
「ああ、そうだな……」

 驚かせてしまったよな、とこぼしながら、ティルスは改めて冷静に、命からがらに逃げ出すことができた、その一部始終を思い返した。

◆◆◆◆◆◆

 ――ガシャャャン! と、けたたましく柵が倒れた音も、目の前で繰り広げられる喧噪も、どこか自分とは関係のない、遠い出来事のように感じていた。茫然自失としたティルスが我に返ったのは、ロシャナクの発した怒号だった。

「やろうティルス! もう逃げるしかない!」

 ロシャナクは、地面に仰向けの姿勢で倒れたままのラケルドの衣服をまさぐると、すかさず手足の自由を得るための鍵を探し当て、羽織のポケットから奪い取る。素早い動作でティルス、アレリア、の順に手枷を開錠し、最後に自身の手錠に鍵を押し込みながらロシャナクは端的に言い放った。

「柵の方に走ろう! ティルスはアレリアを連れて!」
「わ、わかった」

 夜の気配が迫る夕闇の中、アルクがイリス達女の子を誘導しながら、柵へ向かって全力疾走していく姿を、ティルスは目の端で捉えた。自分達もそれに続こうとアレリアの手を引き、ロシャナクの背を追う。石造りの宿舎を回り込むようにして駆ける途中、左側の建物から黒煙が上がり火の粉が舞うのが見えた。どこか燃えているのか――? 柵が近づくにつれ、馬のいななきと、喧噪がより一層激しくなる。血を流して倒れているのは、はたして味方か、帝国兵か。

(馬車だ!)

 倒れた鉄柵を踏み超えて、今にも荷馬車が走り出そうとしていた。荷台にはイリス達の姿が見える。

「僕達も乗せてくれ!」

 血を流して倒れ込む屍を踏み台に、まずはロシャナクが荷台へと体を滑り込ませる。

「ティルス達も!」
(先にアレリアを!)
 ロシャナクから差し伸べられた援助の手に、まずはアレリアの身を委ねようとしたところで、ふいにティルスの体は、荷馬車とは反対方向に引き寄せられる。

「アレリア!?」
 あろうことか、ティルスの手を引いたまま、アレリアがその場にしゃがみこんでしまったのだ。息が苦しいのだろうか、肩を上下に大きく震わせて、下を向いたきり動けそうにない。

「な、なぁ“棘姫”って確かこの養成所でイチバンの稼ぎ頭なんだろ? 逃がしたらラケルド様に怒られちまうんじゃないか!?」

 戦場さながらの混迷を極めた状況で、次第に冷静さを取り戻し始めたのは、ティルス達だけではなく帝国兵や看守達も同じだった。

「棘姫は逃がすな! 殺さず捕えろ!」

 数人の帝国兵が白刃を振り上げ迫りくる。ティルスはかろうじて向けられた切っ先をすべてかわすと、まずは一人を思いっきり突き飛ばした。不意の体当たりを食らった帝国兵は砂地に転がる屍に足をとられ派手に転倒する。二人目は顔面を殴りつけ、三人目には腹部に蹴りを入れて吹っ飛ばす。わずかにできたその隙を逃さずに、ティルスは誰のものかは分からない、地面に放り投げられたままのグラディウスを拾い上げた。

 ――そこから先は、アレリアと自分の身を守ることに一心不乱すぎて、よく覚えていない。その代わり目に焼き付いているのは、戦闘開始直後、荷馬車が自分達二人を置いてけぼりにして、砂塵を巻き上げ走り去ってしまったことだ。おおよその帝国兵を葬った後、ティルスはわだちを頼りに、すぐに追った。必死に追った。追いかけた。動けなくなってしまったアレリアを背負って。執拗にも、まだ何人かの諦めの悪い帝国兵達がティルス達の身柄を捕えようと肉薄してくる。

(このままじゃ捕まる!)

 焦ったティルスは、夕闇の中、街道脇へと広がる漆黒の森へと、その身をひそませることにした。剣奴の影を見失った帝国兵達が右往左往し、やがて追跡をあきらめて来た道を戻っていく様子を、低木の陰で息を押し殺しながら感じ取る。同時に、荷馬車はもう自分達なんかは待たずに、遠くへと行ってしまったのだろうという予感が、ティルスの心を暗く押し潰した……。

◆◆◆◆◆◆

「って感じでな……おそらくだけど、オレがアレリアを助けようとしてアイツラケルドを殴ったのが、その、脱走の合図だと勘違いされたんじゃねーかって思うんだ」

 剣奴達の間で脱走計画が練られていたが、本来であればそれはもっと緻密な作戦を練った上で八月下旬に決行予定であったこと。加えて、逃走の際はみんなで一緒に、バラバラにならないように移動して、東の渓谷にあるという廃村を目指す作戦であったことも、ティルスは包み隠さずアレリアへと伝えた。

(でも、ああ今となっては……)

 頼りであるロシャナク達とはぐれてしまった。いや、置いて行かれた、のだろうか。脱走及び逃走後の動きについては「近くなったら詳細を打ち合わせよう」と話したきりで、ほとんど何も決めていないに等しい。本当に何も準備をしないまま、逃走せざるを得ない状況に陥ってしまった。

(これからどうやって生き延びればいい?)

 ティルスは大きく肩を落とした。情報が、何もない。土地勘もない。何もかもが分からないまま、何も持たずに、ただ自分達は『檻の外に出られた』だけに過ぎないのだ。「どうして自分達を待ってくれなかったのだろう」という仄暗い気持ちと、「ここからどうしたらいい?」という不安が、絶えずティルスの胸中で渦巻き続ける。

「廃村……は、おそらく、
【ブレヴィル】のことだと、思います……」

「え!?」
 何か知っているのか、と問いかけると、アレリアは震えながら小さな唇を開いた。

「詳しいことは分からないのだけど……数年前の地震をきっかけに、その村にいた人全員が、一夜にして眠るように亡くなった……ときいたことがあるの」

 聞けば、【ブレヴィル】は、帝国貴族の間では保養地として有名な村だったらしい。しかし、一晩で村民全員が亡くなった、しかも原因は未だ不明――であることから、帝国内では「呪われた渓谷」と噂され、以来その村を訪れる貴族はいなくなった、というのがアレリアの知っている話だった。
「すごいな、よくそんな話知ってるな。どこで聞いたんだ?」

「……………………」


 しばしの沈黙のあと、アレリアはかすれた声で「帝国の貴族が、はなしているのを……」と漏らした。なんとなしに投げかけた質問だったが、心なしか、彼女の相貌がひどく陰っているように感じ、ティルスはあわてて話題を変えた。

「ロシャナク達とはぐれてしまったから、もうどうしたらいいかって思ったけど……情報を持っててくれて助かったよ。その村、人は寄りつかなくなっちまったみてーだけど、今の話だと街道も繋がってるっぽいし」

 ティルスは希望を持って語った。この街道から大きく外れないように森の中を移動したら、無事その村にたどり着けるかもしれない、ロシャナク達と合流できるかもしれないのだ。
 少しだけ活力を取り戻したティルスに、とうの情報をもたらしたアレリアは予想外の反応を投げ返した。


「あたしのせいでごめんなさい……も、もうあたしのことは気にせずに、貴方ひとりで、あの人達を追って、追って、くださいっ」

「はっ!? なにバカなこと言ってるんだ!?」

 そんなことできるワケないだろう! と思わず声を荒げようとして、ティルスは我に返った。アレリアがわぁぁぁぁ、と声をしゃくりあげて泣き始めたからだ。

(そうだ、そうだった……)
 アレリアは、自ら命を絶ってしまおうと思うほどに、ひどく思い詰めている状態であることを、ティルスは改めて思い出した。自殺を図ったのも、たった五日前のことだ。

「……大丈夫、オレと一緒に行こう」

 ティルスは、腕の中で泣きじゃくるアレリアの背中を、何度も優しくさすった。そうすることしか、今の自分にはできなかった。

「オレが起きて周りを警戒しておく。その間に、アレリアは少し眠った方がいい。空が明るくなり始めたら、この街道に沿って進んでみよう」
 次第に嗚咽は治まり、アレリアはティルスの腕の中で、泣き腫らした瞳をそっと閉じた。月明かりに照らされた唇が何度も「ごめんなさい」と繰り返すたびに、ティルスの心も、何とも言えない悲しみであふれ、共に涙を流すほかなかった。

◆◆◆◆◆◆

(のどがかわいたな……)
 耳を澄ませば、蛙達の鳴き声とは別に、かすかではあるが水の流れる音が聴こえる。おそらく近くに川があるのだろう。

(あかるくなったら……たしかめてみるか)
 野営での体調不良はすぐさま死へと直結する。飲めるような清潔な水であるかどうか、明るい状況でしっかりと確かめてから口にするべきだろう。

 今すぐにでも水源に駆け寄ってガブガブと飲み干してしまいたい気持ちをぐっとこらえて、ティルスは未だ暁さえ遠い星空を見上げた。

(みずもだけど……)
 当面の食糧はどうしたらいい。ティルスは思考が上手くまとまらない頭で考え続けた。レグノヴァ帝国内に自生している植物で口にできるものはあるのだろうか。いや、分からないものを口にするぐらいなら、畑に侵入して作物を盗むべきか。

「…………はぁ」

 くたびれた体に容赦なく、絶えず不安が押し寄せる。
 無意識に胸元に視線を落として、ティルスは不安な夜にいつもそこにあったはずの、大切な、大切なものがないことにようやっと気づく。

(隊長のペンダントがない!)

 ああそうだ。当たり前だ。訓練の間はいつも寝床の下に隠していたからだ。

「………………ッ」
 ティルスは絶句した。あの状況でペンダントを取りに戻れるような隙など、当たり前だがなかった。命からがらに養成所から逃げ出せただけでも、幸運だったと思わなければいけない。今この腕の中で、静かに眠る少女の温もりがあるだけでも、感謝しなければいけないのだろう。

(でも、でも……!)
 心にぽっかりと穴があいてしまったような悲しさがティルスの胸を押し潰す。

 ――本当に、何も持たないまま、
 オレ達はただ逃げただけだ……。

 アレリアの話をきいて「ロシャナク達と合流できるかもしれない」と思ったが、冷静に考えれば考えるほど、絶望的な状況であることを、ティルスは悟ってしまった。アレリアを起こさないように、汚れまみれの腕で、そっと涙をぬぐう。

(どうしたらいい……)

 今の自分達には身を守るための武器もない。ああ、この街道を逃げる際に「重いから」と手放してしまったのは失敗だった。
 服もどうしたらいい? 街に入るのだって、きっと、どの国でも通行証や、身分を証明するものが必要だろう。
 連絡手段だってない。生き別れてしまったら、基本的にはもうそれで終わりだ。

(ああ、こんなじょうきょうで……)
 そもそもロシャナク達を追う、という判断が無謀ではないか。彼らと合流することはあきらめて、自分とアレリアの二人だけでティエーラおうこくへのきろをもさくするほうが……。もしかしたら……。


(……………………)


◆◆◆◆◆◆

「あ、あの……!」
「!」

 アレリアの小さな声で、ティルスは目を覚ました。
 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。朝日が眩しい。

「ご、ごめん」
 ティルスはまず、自分が起きているからと豪語していたにも関わらず眠ってしまったことを謝った。
 辺りを見回すと、夜はすっかり明け、東の空には太陽が昇り始めている。木の上に鳥がいるのだろうか。「ピュロロロロロ……」と何やらずっと鳴き続けている。トンビ、もしくはノスリといった猛禽類だろうか。

「あ、あの、鳥さんが……」
「ああ、なんか……ちょっと鳴き声がデカいよな」
「あたし達の上を、ずっと旋回してて」
「トンビにしては、ずいぶん低い位置で飛んでるな」

 何気ない会話のつもりでティルスは答えていたが、アレリアは神妙な面持ちでこう切り出した。

「まるで、『ついてきて』って言ってるみたいで」
「えっ!? ええっ!?」

 アレリアは何を言っているんだ、ついに精神的不調が幻想や妄想の類にまで達してしまったのか、と不安に思ったのも束の間、頭上で絶えず何かを訴えかけるように旋回し続ける鳥を見上げるや、ティルスも不思議と“導かれている”ような気がしてきたのだった。

「行ってみよう!」

 ティルスはゆっくりと立ち上がると、アレリアの手を引いて、鳥が導き示す方向へとひたすらに歩き続けた。先導し羽ばたく方向は、街道だろうか。雑木林を抜け、夏草を踏み越えて、視界が開ける場所に出たとたん――。

「ティルス!!」
「ロ、ロシャナク!?」

 街道脇に、自分たちを置いて行ってしまったはずの荷馬車があった。ティルスとアレリアの姿を認めるや、ロシャナクが朝日を背に駆け寄ってくる。続いて、アルクとイリスも、ティルス達のもとに息を弾ませて向かってくる姿が見えた。

「よかった! よかった! ティルスならきっと生きているんじゃないかって、追いかけてきてくれるんじゃないかって思ったから、少しだけ馬車が出発する時間を、遅らせてもらうように頼み込んだんだ」

 朝日がきらめく中、再会を果たした剣奴達は、互いに身を寄せ合い、強く抱き合った。

(あれ、あの鳥は?)
 ふと、ティルスとアレリアが空を見上げると、先ほどまで道案内をしてくれていた鳥は、天高く、まるで嬉しそうに蒼天を舞っているのだった。
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