レコンキスタ

琥斗

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 第4章 戻れない道を

 2.始動

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「ラケルド様に確認したが、集団戦グレガーティムでの勝利は『施し』の対象にならないそうだ」
「……かしこまりました」

 手短に返答し、看守に向かって頭を下げる。
 そしてロシャナクは、自室へと続く薄闇の回廊を歩き出した。

「くく、残念だったなぁ~シバ人」
 嘲笑を背中で受け流しながら、ロシャナクは思案を巡らせた。

 ──ティルスにお願いすることが、増えちゃったなぁ。

(……混乱せずに、聞き入れてもらえるかな)

 ただでさえ、ティルスには話す順番を工夫しなければいけないのに。しかも、増えてしまった“お願い”は、彼が最も苦手そうな分野だ。

(いや、ティルスなら受けてくれるとは思うけど……)

 その内容は最後に話そう、とロシャナクは固く口を結んだ。
 最初の方に伝えたら、おそらくティルスは様々な感情が交錯して、作戦の詳細が頭に入らないだろうから。

「…………よし」

 鉄扉の向こうには、ティルスとアルクが待っている。松明の灯りが、ゆらゆらと揺れた。

 さぁ、──ながい夜の始まりだ。

◆◆◆◆◆◆

「ッ…………」

 ロシャナクから明かされた脱走計画は、思っていたよりもはるかに単純なものだった。ティルスは告げられた内容を心に刻みつけようと、今一度教えてもらった計画を頭の中で繰り返した。ロシャナクとアルクが見守る中で、逸る気持ちを、抑えながら。

(ええっと、まず)

 ──決行は、訓練の休憩中。鎖に繋がれていない時間帯。日が高いうちに。ラケルドが不在の日を狙う。

 ──内容。はじめに、看守と喧嘩をして、剣闘士養成所内にいる帝国兵達の意識をその対応へと集中させる。その間に、アルク達は柵を壊しに行く。ロシャナク達は馬や馬車を奪いに行く。女の子達の鎖を外すために、看守達から手枷の鍵を奪い取ることも忘れずに。

 ──脱走先。剣闘士養成所の東に、入り組んだ渓谷と廃村がある。まずはいったん、みんなで一緒にその場所に向かって逃亡する。

(……よし、要点は覚えた)
 ティルスはふぅ、と小さく息を吐いた。

「……それでね、逃亡後のことなんだけど」

 ティルスが内容を整理した頃合いを見計らって、正面の寝床で腰を下ろしているロシャナクが、再び口を開いた。

「養成所からバラバラに逃げたところで、ティルス、君のように野営経験がある元兵士でもない限り、各々の力で生きていくのは難しいだろう。特に女の子達は。だから、脱走後は、一時的にみんなで生活を共にする予定だ」

 ロシャナクの言葉を補足するように、すぐさまその隣に座るアルクが続ける。

「そうは言っても、俺達はそれぞれ故国が違う。すぐに故郷へ帰りたい奴もいれば、帝国内にとどまりたい奴もいるだろう……それに」

 ここまで一息に告げて、アルクは一度、言葉を切った。蒼色の瞳に、少しだけ怒りのような、戸惑いのような、苛烈な色がにじむ。

「……えーと、アルク?」
「……いや。今はとにかく脱走計画の話だな。逃亡後は、一時的に脱走した者同士で協力して生活するが、落ち着いたら各々の目的に従って解散する、いいな?」
「わ、わかった」

 ティルスは大きく頷いた。東の方向にある渓谷と廃村については、聴けばロシャナクがシバ王国の兵士だった頃に、偵察のため訪れたことがある土地らしい。野営や行軍の経験がある者がいれば、なんとかしばらくの間だけは自然の中で食いつないでいけるだろう、というのがロシャナクの見立てだった。

(ロシャナクがそう言うなら)
 きっと無謀な算段ではないはずだ、とティルスは安堵した。

「じゃあ脱走する時は、極力バラバラにならないように、固まって移動しねーと、ってことだな?」

 ティルスが確かめるように呟くと、ロシャナクとアルクは神妙な面持ちで静かに頷いた。

 それにしても、話がスムーズである。ティルスが質問を投げかけるまでもなく、ロシャナクとアルクは、自分が気になっていた事柄に関して、詳しい説明をしてくれた。まるで不安を感じていた部分が、あらかじめ見透かされていたのだろうか、と思うほどに二人の説明は分かりやすかった。故に、いつもより落ち着いた気持ちで、作戦の内容を聴くことができているように思う。

 が、ティルスが冷静でいられたのは、ここまでだった。

「決行の時期だけど、今月末。
 ──八月末には、実行したいと思っている」

「……………………っえ!?」

 胸に、高揚とも不安とも取れる、衝撃の波が押し寄せる。ロシャナクから放たれた言葉に、まるで時が止まったようにティルスはその場から動けなくなった。

 数ヶ月は時間が欲しいと言われていたから、なんとなく早くても十月ぐらいになってしまうのではないかと考えていた。八月末。今月だ。今日が八月六日。あと数週間、数週間後には──。


「お、思ったより……早い……」

 率直な気持ちをなんとか声にしてしぼり出すと、ティルスの動揺を受け止めるかのように、ロシャナクは穏やかに頷いた。

「まぁ、あんまり長くコソコソ動いていると、バレるからね」

 短期決戦、迅速に実行した方が良いだろう、というのがロシャナク達の判断だった。また、アルクが意外にもたくさんの情報を持っていたことで、探りを入れる時間をだいぶ省くことができたらしい。
 さらに驚いたのは、ロシャナクが「ここ数日で、剣奴の各グループのリーダーには話を通した」と言ってのけたことだ。

「各グループ?」
「ああ、実はな」
 ティルスの言葉を受けて、回答したのはアルクだ。

養成所ここでは、出身地でなんとなくグループができてるんだよ。オートレック人のグループ、キリアーノ人のグループ、ってな」
「え!? ぜ、全然知らなかった……」
「僕達シバ人や、ティルスやアレリアのようなティエーラ人は、剣奴の中では少ないからね。まぁとにかく、リーダー核の剣奴には簡潔に話をしておいたから、あとは決行当日に具体的な指示をしていく感じになるんだけど……」

「え!? そのリーダーから、全員に話をおろすってワケじゃねーのか?」
 ティルスが目を見開いて尋ねると、ロシャナクが落ち着いた声音で続けた。

「作戦を明かしたのは何人かの剣奴だけだ。全員に明かすわけには……」
「で、でも、皆に教えないと、もしかしたら!」
「ティルス」
「もし、誰かが逃げ遅れてしまったら!? 逃げたいと思っていたのに、逃げられない剣奴や女の子がいたら!? 
 ここに捕らわれている全員で逃げるって話が──」

 叶わないじゃないか──! そう、ティルスが強い口調で続けようとするのを遮って、ロシャナクは毅然とした声で、言い放った。

「ティルス、ちょっとびっくりするかもしれないけれど、はっきり言う」
「な、なんだ?」
 ロシャナクの瞳が、少しだけ悲しみに揺れる。

「──ここにいる剣奴全員が、逃げたいと思っているわけじゃない」
「え?」
 意外すぎる返答にティルスは思わず身を乗り出した。

 意味が、分からない。仲間同士で殺し合うことを強いられて、いつ闘技場で果てるとも分からない絶望的な状況の中で、この場所でもいいと、この場所いいと、思う奴隷なんているのだろうか? どうしたらそんな思考になってしまうのか。

 ティルスの困惑を感じ取って、ロシャナクがゆっくりと口を開いた。

「……捉え方の違いかな。例えばここより劣悪な環境で奴隷として従事していた者にとっては、数ヶ月に一度の闘技大会と、日々の訓練さえ耐え忍べば、毎日美味しいご飯にありつける。お風呂にも入れる。ラケルドや帝国兵に従順であるほど、剣闘士養成所内での行動も自由度は高い」

 ──はっきり言って、奴隷としては破格の待遇だ、とロシャナクは視線を落とした。

「……なら、わざわざ『逃げよう』なんて思わない人もいるってことさ。ティルスには、ちょっと、想像するのが難しいかもしれないけれど……」

「そういう、もの……なのか?」
 なんとも腑に落ちない様子のティルスを見かねて、アルクが口を挟んだ。

「全員が俺達側マトモじゃねーってことだよ。ここで、やっていきたい奴らにとっては余計な動きだってことだ。あとはまぁ単純に、気が弱い奴とかな。逃亡に失敗して痛い目みるぐらいなら、やりたくねぇ、とか」
「…………」
「……もし、そういう奴らにも作戦の詳細が知れ渡ってしまったら、最悪ラケルドに告げ口されるかもしれねぇ」
「──!」

 アルクの言葉に、ロシャナクも大きく頷いた。

「そうなんだ。作戦の内容を事前に知る人数が多ければ多いほど、ラケルド達にバレて計画が頓挫してしまう可能性が高くなるし、加えて全員が逃げたいと思っているわけじゃない。
 ──だから、具体的な指示は当日、その場で行う。逃亡するのは、僕達についていきたいと思った人達、そしてその指示についてこられる人、だけだ」

「わかっ、た……」

 渋々声にしたものの、ティルスの胸に、なんともいえないとした気持ちがうずまいた。

 逃亡を望まない人々がいることは理解した。でも当日。本当に、本当に。成功できるのだろうか。この絶望の檻の中から逃げたいと思う人を、誰一人として取りこぼさず、逃げることが。

(アレリア…………)

 もし脱走の時にここで、彼女と生き別れる結果になってしまったら。ティルスは無意識のうちに、首から下げた隊長のペンダントを、両手でぎゅっと握りしめていた。冷や汗が、その首筋をつぅ、とつたっていく。

「……………………」

 剣奴約四十五人と、女の子の奴隷十五人。そのうち、果たして何人が無事、脱走することができるのか。果たして何人が、途中で捕まったり、命を落とす結果に──。

(いや! そうならないように、しっかり動くんだ!)

 ティルスは不安を振り払うかのように、頭を左右に振った。

「ティルス、大丈夫? 続きは明日に話そうか?」
「あ……いや」
 少し迷った後に、「大丈夫」とティルスは答えた。

「ごめん。オレが言い出したことなのに、二人が一生懸命考えてくれて。……ありがとう。なんか、いざ始まる! って思ったら、少しだけ不安になっちゃったんだ」

「ティルス……」
「でも、覚悟を決めねーと。今、最後まで聴くよ。続きは明日、ってのもソワソワしちまうし。それに、オレに頼みたいことがあるんだろ?」

 ティルスの強い眼差しを受けて、ロシャナクも真剣な表情で応じる。
 ロシャナクは改めて姿勢を正すと、再び口を開いた。

「ティルス、落ち着いてきいて欲しい。
 ──ティルスにお願いしたい役目が、二つある」

「二つ?」
 ティルスはごくり、と唾を飲みこんだ。

「まず一つ目は──」

 ロシャナクから告げられた内容。それは、当日に看守に喧嘩をふっかける役をティルスにお願いしたい、というものだった。これは作戦を明かされた時点で、おのずと自分が担う役割になるだろうと思いながら聴いていたので、ティルスはすぐに承諾した。

「任せろ! 派手に暴れるぜ!」
 ティルスが意気揚々に答えると「まぁこれは近くなったらまた詳細を打ち合わせよう」ということになった。

 驚愕したのは、二つ目のお願いだった。

「ティルス、これは明日すぐにでも実行してほしいことなんだけど……」
「?」

 珍しく、ロシャナクが口元をもごつかせて「なんて言ったらいいかな」と小さな声を漏らす。

「……女の子の奴隷の中に、彼女らのリーダー的存在の“イリス”という少女がいる」
「イリス?」

 ティルスが首をかしげると、アルクが「茶色の髪を一つにまとめた女の子だ」「ほら、いつもご飯持ってきてくれるだろ」と説明をしてくれた。しかし、ティルスには見当がつかなかった。おそらく見れば「あ、この子か」と分かると思うのだが。

「んと、で、そのイリス……さん? がどうしたんだ?」
「ラケルドが不在になる日の確認と、作戦の詳細を伝えたくて、彼女をこの部屋に呼びたかったんだけど」

 僕達“集団戦グレガーティムでの勝利者”には、そのがなかったんだ、とロシャナクは力なく呟いた。

「けん……げん?」

「女を所望できるのは、だけだ──と」
「!!」

 ロシャナクはしばらく眉のあたりを曇らせていたが、やがて意を決したようにティルスに頭を下げた。


「ラケルドに“イリスを一晩貸して抱かせてください”って、──言ってほしいんだ」

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