レコンキスタ

琥斗

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 第3章 立ち上がれ! 絶望に汚されても

 6.憂うつな凱旋

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「アヴェ君ありがと~。バッチリ送り届けてくれたんだねぇ」
「……いえ、ご命令に従ったまでのことです」

 そう告げる口元は震えてはいなかっただろうか。動揺を表情に浮かべることなく、己は上手く答えられているだろうか。

(何故、あの捕虜が生きている!?)

 観覧席カウェアから闘技場中央アレーナ見下みおろすや、アヴェルヌスは一人奥歯を噛んだ。
 始末したはずの戦争捕虜が、双剣を携えて佇んでいる。かの者は【処刑用の奴隷】として、猛獣ショーか処刑ショーに放り出される手はずではなかったか。“生かしたまま帝都へと連行し、剣闘士とするように”というアドアステル帝の命を無視し、自分がそう、仕向けたはずなのに。

(何か手違いがあったのだろうか?)

 ティエーラ属州の制圧が完了した直後こそ、上手く事が運んだだろうかと不安な気持ちになることもあったが、部下から特段の報告はなかった。故に、この件に関しては首尾よく進んだものだと思い込んでいた。そして戦後処理と政務に追われる中で、次第に歯牙にもかけなくなっていたのだが。

(……ぬかったな)
 やはりきちんと、結果を後追いして確かめるべきだったのかもしれない。
 こんなに不安になるぐらいなら。

(いや、手違いであるならまだマシだが……)
 もしや自分は、“失敗”したのではないか。
 勝手な画策をしていたと、この御仁が知っていたとなれば──。

「ッ……!」
 肝が冷える思いで、アヴェルヌスは隣に鎮座するアドアステル帝を盗み見た。
 レグノヴァ帝国第七代皇帝・アドアステルは鼻歌を奏でながら、試合が始まるのを今か今かと待ちわびている。

(……こちらを疑っている様子はなさそうだ)
 先ほど述べられた謝辞にも、嫌味の色はこもっていなかったように思う。

(……今更考えても仕方のないことを、考えるのはやめよう)

 アヴェルヌスはふぅ、と息を吐いた。
 ここは高貴な身分の者だけが、その身を連ねることのできる観覧席。観客が目を向けるのは、何も闘技場中央アレーナばかりではない。
 ティエーラ属州の完全制圧を成し遂げた英雄として、自身──このアヴェルヌス・ユーラティオにも民草からの羨望や期待に満ちた視線が注がれるのだ。貴族として、将軍として、堂々たる姿を見せなければ。不安な表情を浮かべるなど、己には許されない。

(……なかなか始まらないな、試合)

「試合始まらないねアヴェ君~、なんか話してるのかな」 
 同じことを思った皇帝が何気ない言葉を投げかけてくるのを、アヴェルヌスは「ええ」と静かに受け流した。

(……この御仁は、本当によく分からない)

 気づけばいつの間にか、変な仇名あだなで呼ばれている。
 なんだ『アヴェ君』とは。

(そもそもだ)

 『急いで帝都・オクトフォリスに戻るように』という書状を受け取ったのが七月三日。ティエーラ属州の戦後処理もままならないまま、急ぎの召集とあれば、と制圧したばかりの山国を出立したのが七月五日。属州総督が緊急で召集されるとすれば、どこか別の属州で反乱でも起きたのだろうか。何か重要な決議でも成されるのだろうか。そう思いながら急ぎ山を越え、帝都に到着したのが七月二十日。そして告げられたのが『闘技大会の観覧のため』という理由であった。

(くだらない、こんな試合を見るために──)

 大義も何もない、卑しい身分の者奴隷どもの殺し合いを見て何になるのだ。
 底辺帝国民達の試合も同様に、見る価値など無きに等しかった。
 所詮、金目当ての茶番でしかないからである。
 闘技大会こんなものを観覧する暇があるなら、ティエーラ属州で取り組んでいる岩塩鉱床の採掘整備と、水道橋の建設を進めておきたかった。何より、残党狩りが完了したとはいえ、あの地はまだ盤石ではないのだ。書状が招待状だと分かっていれば、わざわざ馳せ参じることなどなかったというのに──。

「お、お兄様……」
 右肩にまとっている朱色のマントを引く手に、アヴェルヌスはふと我に返った。

 まずい。憤りが態度に出てしまっていたのだろうか。
 控えめな声と、くぃっと引く小さな手になんとなくいさめられた気がして、アヴェルヌスは「んんっ」と咳払いをしてみせた。右後ろを振り返ると、妹のフェリーエが不安そうな面持ちでうつむいている。膝の上で結ぶ右手は、心なしか震えているようにも見えて。

(やはりこの場にフェリーエを連れてくるのは……)

「ねぇ、ってかアヴェ君さ~なんで妹ちゃんも連れてきちゃったワケ?」
「そ、それは」

 フェリーエを闘技大会に連れてくるのは控えた方がよかったのだろうか、と自問自答しかけたところで、皇帝から唐突にそう声をかけられ、アヴェルヌスは心の音が跳ねた。この御仁は心の中でも読めるのだろうかと、思わず鼓動が早くなる。

「フェ、フェリーエにもぜひ、本場、帝都における白熱した闘技試合をみせようと……」
「え? この子、目、えないのに?」
「──ッ!!」

 試合も何も、えないじゃん? 来た意味あんの? と鼻で笑われ、アヴェルヌスは言葉に詰まった。フェリーエを“目が届く場所ここ”に連れてきた本当の理由を伝えるわけにもいかないが、「えないでしょ」という至極当然な指摘に対しての返しが、咄嗟に出てこない。そして何よりアドアステル帝が、妹が盲目であることを小馬鹿にしているような気がして、アヴェルヌスは思わず目を吊り上げた。

「──感じ取ることができますのよ、アドアステル様」

 そう可憐な声音で口にして、皇帝に向かって微笑んでみせたのはフェリーエだ。

「会場全体に満ちあふれる熱気、試合の臨場感……これらは見えなくても音と空気で十分に分かりますわ。オートレック属州では雑然としていた剣闘士試合というならわしを、帝国ではこのように盛大な娯楽へと発展させることができたのは、ひとしおにアドアステル様のお力によるものだと、わたくしは思います」

(フェリーエ……!)

 我が妹ながら饒舌じょうぜつな返しである。「このような場に席を連ねることができ、光栄にございます」「アドアステル様は素晴らしいですね」とまで賞賛され、アドアステル帝はまるで子供のように頬をほころばせて、ニヤニヤと喜んだ。傍ら、小さな唇から紡がれる言葉たちが、彼女の本心とは真逆であることを知るアヴェルヌスは、愛想笑いで応じることに精いっぱいだったが。

(こんな兄じゃ情けない。もっとしっかりしなければ)

 フェリーエを、この場所に連れてきたのに、逆に自分が助けられてしまうとは。

 アヴェルヌスは改めて背筋を正した。
 と同時に、会場に満ちる歓声がひときわ大きくなる。
 いよいよ試合が始まるようだ。

 闘技場中央アレーナに目を戻すと、例の捕虜と戦うのは、緑色の髪を束ねた背の高い青年のようだった。剣を構える姿はまったくさまになっておらず、闘技場の雰囲気に圧倒されているのか、体を大きく震わせている。

(なんだ? 対戦相手は新人剣闘士ティローネか……)

 どうせ画策は失敗したのだ。ならばせめて、その対戦相手が今この場で、くだんのティエーラ属州の捕虜を葬ってくれないかと願っていたが、おそらくそれは──無理だろう。対峙する新人剣闘士ティローネは素人同然だった。両者の間に、実力の差がありすぎるように思う。

「アヴェ君もさ~、今日の試合を見たら戻りたくなるんじゃない?
 

「──いえ、別に」
 ニタニタと笑いながら己の反応を伺う皇帝を横目に、努めて冷静に言い返すや、アヴェルヌスは口を閉ざし、勝敗が決まったも同然の試合へと目を向け直した。皇帝は「いいなぁ剣闘士」「ボクもやってみたいな~」などと、嘘か真か分からない戯言を抜かし続けている。


「…………ッ!」


 アヴェルヌスは左手を固く握った。

 ──ふざけるな。誰があの頃に戻りたいなんて、思うか。思うものか!
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