レコンキスタ

琥斗

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 第2章『仲間』

 3.希望を抱く者・失う者◆

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 心を無にしてしまえば、驚くほど瞬く間に月日は過ぎ去っていった。ロシャナクに言われた通り“大人しく”さえしていれば、身体に危害を加えられることは次第に少なくなっていった。しかし、ただそれだけだった。それだけでしかなかった。そんな日々はティルスにとって何の意義も成さなかった。ただ無為に過ごすだけの毎日に、心が腐っていく。
 帝国立剣闘士養成所に連行されてから、早二週間が経過しようとしていた──。

◆◆◆◆◆◆

 自分の生に意味を感じられない。今日も今日とて、稽古が終わり、あとは夜ご飯を食べて入浴し寝るだけだ。美味しいのか美味しくないのかさえよく分からない、夜ご飯として配給されたスープを一口すすり、ティルスはため息をこぼした。

(ダメだなオレ、こんなんじゃ)
 託された命なのに。自分はたった一人の生き残りなのに。
 漠然と“頑張らなければ”と思うが、何をどう頑張ったらいいのか、ティルスには皆目見当がつかなかった。涙でスープがにじむ。己が不甲斐なさすぎて。

(こんな場所で泣いちゃダメだ)
 スープを飲み干して、足早に食堂から去ってしまおう。そう思った時だった。

「……闘技場でクソ野郎をブッ飛ばしたヤベー奴って、お前だよな?」

 よいしょ、と言いながら、名も知らぬ剣奴がニヤニヤしながらティルスの横に腰かける。松明の灯りでもハッキリと分かる、鮮やかな緑色の髪を束ねた青年だった。突拍子もない声かけに驚きつつも、ティルスは咄嗟に答えた。

「た、確かにオレだけど……って!! そんな話したらヤバイって!!」
 ラケルド本人や、周りにいる監視の兵達に聞かれたらどんな目に遭うか。それに、ロシャナクに“会話は部屋の中以外ではしない方がいい”と助言されている。ティルスはあわてて青年の口を塞ごうとした。

「はぁ~? 心配ねぇって。興行師サマは今日から不在だぜ」
「えっ!?」
「興行師サマだけじゃねーぜ。他にもほら」

 そう言って、青年はティルスに周りを見渡すよう促した。松明の灯りで照らされた構内に目を凝らすと、確かにいつもより監視兵が少ない。そして心なしか、養成所全体の雰囲気も緩んでいる気がする。自分達の他にも、何組かの剣奴達が輪になって話す様子も見て取れた。

「あ、俺はテンプル。お前はティルスだよなっ?」
「……お、おう」
「いや~ティルスのこと無謀だって言う奴もいるけどさ、俺はスカッ! としたね。ラケルドのこと、みんな大っっっ嫌いだからさ。よくぶっとばしてくれたなって感じ! だから俺、ずっとお前と話してみたかったんだよ!」

 テンプルと名乗った青年は、興奮冷めやらぬ様子でティルスに詰め寄った。

「……そ、そうか」
「え? なんか元気なくね?」
 もっと覇気がある奴だと思っていたのに、とテンプルは残念そうに呟いた。

「……ごめん」
 ティルスは思わず謝ってしまった。別に責められたわけでもなかったのだが。意気消沈した様子のティルスを見て、テンプルがあわてて言葉を紡ぐ。

「いや~!! 別に責めてねーし!! ってか俺でよかったら話きく?」
「えっ」

 予想外の申し出である。

(どうしよう、話してみるか……?)

 周りの様子をもう一度確かめる。ラケルドとその取り巻き達が不在という、今日この雰囲気であれば、入浴時間まで話ができそうだ。
 思えば、ここへ来てからロシャナクと話すばかりで、アレリアはおろか、他の剣奴と接点を持つ機会に恵まれていない。情報を集めるためにも、自分の気持ちを整理するためにも、この青年と話してみても良いのかもしれない。

「……少し長くなるかもしれねーけど、話していいか?」

◆◆◆◆◆◆
 
 剣奴になるまでの旅路。闘技場での出来事。アレリアのこと―ここに生き着くまでを、ティルスはなるべく簡潔に話した。ティルスが一通り話し終えると、今度はテンプルの身の上話になり、彼の“人となり”を知ることができた。テンプルがエルシャニア人であり、養成所に来て半年であること。ここに来る前は鉱山で奴隷として働いていたこと。その鉱山にはティエーラ人もちらほら居たが、ティルスの仲間だったかどうかまでは分からないこと、などを話した。そして話題は自然と、棘姫アレリアの謎へと移っていった。

「あ~! あの子か~……」
 俺もあまり詳しくはないんだけど、と前置きをしてからテンプルは語り始めた。

「あの子と話せる機会がほとんどねぇというか……話して親しくなると“対戦相手にされて闘技場で殺される”って噂がある」
「えっ!?」
 その噂があってか、彼女に積極的に話しかける剣奴はいないし、彼女自身も他人を寄せ付けないような雰囲気をまとっているから、とテンプルは加えて説明してくれた。

「ってかあの子“別格”だもんな。ご飯も風呂も、俺達とは別の時間だし」
 入浴の時間帯が自分達と別なのは当たり前ではないだろうかと思うティルスに構わず、テンプルは話し続ける。

「まぁ唯一の女の子だし、売れっ子剣闘士だから扱いが違うのは当然だよな~。闘技場で何人も殺してるし強いからな。部屋だって俺達とは違うし、きっと布団だって良い物使ってるに違いねーぜ! ……ん?」

 ピタリと話をやめ、テンプルは視線を落として何かを思案し始めた。

「テンプル? どうした?」
「…………部屋」
「え?」
「……部屋だよ、部屋」

 何を言われているのか分からない。部屋がどうしたのか。

「──俺の部屋に来て、アレリアと話せばいい」
「なっ……!? え、えええええ!?」

 テンプルは妙案を思いついたとばかりに、顔を輝かせて言った。

「俺の部屋! アレリアの隣! よく泣き声とか聞こえるから、壁越しだったら会話できるんじゃねーの? なんで殺されなかったのかさぁ、直接きいてみようぜ」
「そ、そんなことしたらダメなんじゃねーの!? 見張りとかにバレてさ……」

 勝手に部屋を移動するなんて。さすがに無理があるのではないだろうか。

「バレねぇ、監視あいつらテキトーだから誰がどの部屋とか覚えてねぇって! 俺達入れ替わりも激しいからな……。房に入る前―建物の手前のトコで、人数の確認しかしてねぇからマジで! 大丈夫、大丈夫!」

 テンプルは自信満々に答えた。

「どうするティルス? 今日来るか?」
「…………」

 訓練中にアレリアと二人きりで話すことは不可能に近いと分かったし、食事と入浴は分かれていて一緒になることはない。アルクとロシャナクには彼女を守るために“ここでは極力関わるな”と釘も刺されている。普段の生活の中では、アレリアと接触できる機会はないに等しい。

 でも。壁越しに“会話”ができるのなら。少しでも言葉を交わせるのなら。

(──アレリアと話したい)

 ラケルドがいない、今が好機ではないだろうか。この機を逃してしまえば、次はいつ接触できるか分からない。

「分かった。……お願いしてもいいか?」

 心が決まれば、ティルスの行動は早かった。ロシャナクとアルクには心配をかけないよう、入浴の時に今夜はテンプルの部屋で過ごすことを伝えた。二人は少しだけ不安そうな表情を見せたが、ティルスの行動を咎めることはしなかった。そして入浴後──テンプルの言った通り、監視兵の人数確認は乱雑に行われ、ティルスはいとも簡単テンプルの部屋へと潜入することができた。

◆◆◆◆◆◆
 
 鼓動がどくどく、と波打つ。待ち望んでいた機会ではあったが、いざ本当に彼女と話せると思うと緊張する。テンプルが、少し落ち着けよと言わんばかりに、ティルスに深呼吸を促した。

 呼吸を整える。ティルスは意を決して、灰色の石壁を優しく叩いた。

「いきなりごめん! アレリア、聞こえるか」

 返事がない。もう眠ってしまったのだろうか。
 もう一度壁を叩こうかと右手を握りしめたところで、壁の向こうから可憐な声が届く。

「…………だ、だれ?」

 いた。答えてくれた。ティルスはあわてて言葉を紡ぐ。

「オレだ! えーと、ティルスです」
「ティルス……?」
「二週間ぐらい前に、お前と闘技場で戦ったティエーラ人だ」
「あっ……! あの時の……?」

 よかった。覚えていてくれたようだ。

(えっと……)
 まずは何を話そうと思っていたか。限られた時間、支離滅裂にならないようにティルスは頭の中で整理する。まずは自分にトドメを刺さなかったことで、アレリアに嫌な思いをさせてしまったことを謝る。そして次に、ラケルドに逆らってまで自分を殺さなかった理由を尋ねるのだ。

「──この前はごめん! オレにトドメを刺さなかったせいで……お前に嫌な思いをさせてしまったように思う。その後、大丈夫だったか?」
「え…………!? あ、はい……」

 少し間があいた後に『大丈夫』とだけ、小さな呟きが聴こえた。よかった。しかし戦いぶりとはまるで正反対の声音である。すぐに折れてしまいそうなか細い声で、話し方も舌足らずで幼い印象だ。

「あ、あの。あたしもずっと貴方と話したかったんです」
「えっ」

 会話を主導するのは自分の役割だと思っていたが、意外にもアレリアが矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

「どうして、貴方が父の──【碧湖守備隊ノール・ヴァルト】隊長ゲルハルトのペンダントを持っているのですか? お父さんは、王都シャルブルクは、ティエーラ王国は今どうなってしまったのですか? あたし、何も手がかりがなくて、でもやっと! 何かを知っていそうな貴方がここに来てくれた……だから……」

「なっ!? えっ!?」

 聞き間違えでなければ、【お父さん】と聞こえた気がする。

「父? 父親? え!?」

 壁越しにティルスの混乱を感じ取ってか、アレリアはもう一度、彼女なりに声を振りしぼった。


「あたしは、アレリア・ヴォルタートです。
 ゲルハルト・ヴォルタートの娘です……!」


(──!! そういうことか)
 闘技場でトドメを刺そうと思った時。観念したティルスが胸元から取り出したペンダントが、棘姫──アレリアの目に入ったのだ。自分が殺されなかった理由は尋ねずとも理解した。突如として現れた、父親が所持していたはずのペンダントを持つ青年。アレリアにとっては晴天の霹靂だっただろう。彼と話をしたい、聴きたいという一心で、彼女はラケルドに逆らって―命を救ってくれたのだ。

「そうか。お前、隊長の娘だったのか……!」

 言われてみれば、彼女の湖のような蒼い瞳は、隊長と同じ色をしていた。

 ティルスの胸に、なんとも言えない高揚感が広がる。隊長、隊長! 娘が生きていたよ。
 隊長のペンダントが、自分の命を守ってくれた!
 人生に、こんな巡り合わせがあるなんて!
 形見のペンダントを、ベッドの下に置いたままにしてきたことをティルスは悔やんだ。今日この場に持って来ればよかった。ああ、早くペンダントを握りしめて、隊長に報告してあげたい。

「あの……父は今……」

 アレリアの控えめな声が、ティルスを現実へと引き戻した。

「ッ…………!!」
 脳裏に、忘れもしないあの日あの時。ゲルハルト隊長が処刑された瞬間を思い出す。
 どうしよう。正直に話すべきか。アレリアにとっては辛い話だ。

(でも、取り繕ったって、しょうがねーよな……)

 真実を伝えることこそが誠意だろう。そう心を決めて、ティルスは大きく息を吸い込んだ。

「アレリア、落ち着いて聞いてくれ。隊長──お前のお父さんは……」

 処刑の具体的な内容だけを伏せ、ティルスはその他すべての内容を、包み隠さずアレリアに話した。【碧湖守備隊ノール・ヴァルト】の奮闘虚しく、王都の奪還はおろか、今やティエーラ王国全土が帝国の手に落ちてしまったこと。ゲルハルト隊長が隊員達を助けるために犠牲となってくれたが、その約束は帝国に守ってもらえず、まともな生き残りは自分ただ一人であること。

「そ、そんな…………」

 壁越しに涙ぐんだ声が届く。無理もない。自分もたくさん涙を流したから。
 嘘だったら良かったのにと何度も思った。でも、これが現実だ。

「辛いよな。頭も心もすぐに整理つかねーと思う。だけどな、隊長が最期に言ったんだ。
 “生きている限り状況は変えられる”って」

 返事はない。泣きじゃくる声だけが、石壁を伝ってくる。
 それでも、ティルスは言葉を続けた。
 肩を寄せ合うことが出来ない代わりに、声に力を込めて。アレリアの心が、いずれ上を向けるようにと祈りながら。

「だから、一緒に頑張ろう。この先どうなるか分からないけど、オレは一生懸命考えて、……頑張るつもりだ」
 

 ひとまず、初めての対話はここまでとなった。アレリアの泣き声が大きくなったため、鉄扉の前に何人かの見張り兵が集まってしまったことと、アレリアの感情の整理が必要だと思ったからである。ティルスは、『おやすみ、またな』と優しく声をかけて、いつもと違う床へ入った。

 まだまだ興奮冷めやらず、当分眠れそうにない。

「テンプル、ありがとう。お前のおかげだ」
「なに、このぐらい! またなんかあれば協力するぜ~」

 歯に衣着せぬ物言いをする第一印象もあり、テンプルが興味本位でアレリアとの会話に横入りしてきたり、話し終えた後に根掘り葉掘り聞いてきたりするのではないかと思っていたが、意外にも彼はただ静かに、一部始終を見守ってくれた。こうして今も、ティルスが一人感慨に浸りたい様子を察してか、過度に干渉してこない。おしゃべりな性格とは裏腹に、繊細な部分も持ち合わせている青年なのかもしれない、とティルスは思った。もしかしたら単に眠いだけで、明日改めて色々聞かれるかもしれないが……。とにかく、この機会を作ってくれたテンプルには感謝だ。

(アレリアと話せてよかった)

 闘技場で一度、命を投げ出そうと思った。
 自分の生きながらえた意味に一寸の価値もないと、そう悟ったから。
 その気持ちは、今日アレリアと話すまでずっしりと重く、ティルスの心を蝕んでいた。

 でも。アレリア──隊長の娘と、邂逅を果たすことができた。少しでも何かが欠けていたら実現し得ることのない、奇跡の巡り合わせだった。

 生きながらえた意味は、確かにあったのだ。
 その実感が、ティルスの心に再び熱い炎を灯らせた。

(そうだ、“生きている限り状況は変えられる”)

 剣の腕には自信がある。
 “剣闘士”という殺し合いを強いられる身分にこそ落とされてしまったが、まだ何も終わっていない。むしろこれからだ。

(帝国人や挑戦者と戦って、この場から出られるのなら、オレはやってやる!)

 ティルスは活力を取り戻した。
 一方、壁の向こう側。
 アレリアは、ティルスとまったく逆の思いを深めているなど、知る由もなく──。

◆◆◆◆◆◆

 レグノヴァ帝国・帝都オクトフォリス。
 大理石の柱に囲まれた空間―豪奢な玉座に、鎮座する半裸の男が一人。

「ティエーラ属州のアヴェ君にも、そろそろ“お手紙”届いたかなァ~?」

 レグノヴァ帝国・第七代皇帝アドアステルは、ニヤニヤしながら呟いた。



「──始まるよ、
 【ティエーラ属州完全平定記念大会】が」
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