レコンキスタ

琥斗

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 第1章 生きながらえの果てに

 3.剣闘士養成所

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 身を隠すべきだったと思う。しかし、疲労困憊の身体はまったく動かなかった。咄嗟の出来事に成す術なく、ティルスは入室してきた二つの影と対峙した。

「うん、初めて見る顔だね。やっぱり新入りさんだ。
 ──はじめまして。今日、来たの?」

 翡翠ひすい色の大きな瞳に覗きこまれる。 大柄な体格とは対照的な、ふんわりと柔らかい声音だった。
 もう一人は、腕組みをしたまま黙ってこちらをにらんでいる。

「し、新入り……? ってなんだ? オレ、ここ、さっき来たばっかりで……あっ」

 素性を話して大丈夫だろうか、と口をつぐんだところで、不安はすぐに安堵へと切り変わった。二人とも、腕にティルスと同様の手枷がはめられている。“捕えられている側”の人間だということが、一目で分かった。雰囲気から察するに、おそらく悪い人達ではない。

(情報だ! ひとまず情報を聞き出さないと……!)

「えっと、オレ、オレ……!」
「うん。落ち着いて、落ち着いて。ゆっくり話そう」

◆◆◆◆◆◆

 ティエーラ王国のこと。ゲルハルト隊長のこと。捕虜となり、訳も分からないまま今日この場所まで連れてこられたこと。自分の身に起こった出来事を簡潔に話したつもりだが、おそらく支離滅裂な内容だったと思う。それでも、青年はティルスの隣に腰を下ろし、静かに相槌を打ちながら、その一部始終を聴いてくれた。

「──なるほど、大変だったね」
 ティルスが一通り話し終えたのを見計らい、青年が口を開く。何から説明したらいいかな、と呟きながら、顎に指をあて思案を巡らせている様子だ。

「……とりあえず自己紹介しよっか? 僕はロシャナク。そして、こっちは──」
「……おい。勝手に会話に混ぜんなよ。……俺は名乗るつもりはねぇ」

 ロシャナクの視線が、自分達と向き合う位置に座る──この場にいるもう一人の青年へ向けられたと同時に、ドスの効いた返答が響き渡る。キッとにらみつける眼差しは、左瞳に刻まれた傷と相まって、とても鋭い印象だ。

「ロシャナク! そもそも、ここは馴れ合うような場所じゃねーだろうがっ!」
「ちょっとアルク! そんな言い方しなくても……」
「うるせぇ!! 疲れてんだよ!! 俺は寝る。……もう絶対話しかけんな」

 アルクと呼ばれた青年はそう吐き捨てると、くるりと背を向け寝床に潜り込んだ。

「……ティルス、だったよね? ごめんね。アルクはあんな感じだけど、悪い奴じゃないから」
 気にしないで、とロシャナクがそっと耳打ちする。

(いや、そう言われても第一印象、怖い人なんだけど!?)
 ティルスの困惑を知ってか知らずか、ロシャナクは淡々と説明を始めた。

「まず、ここはレグノヴァ帝国の首都
【オクトフォリス】郊外にある、
 ──【帝国立・剣闘士養成所】だよ」

「てい……こく、りつ? けんとうし、ようせいじょ?」
 ティルスの復唱に、ロシャナクがこくりと頷いて続ける。

「そう、剣闘士──僕たちは、【剣奴けんど】。レグノヴァ帝国の皇帝や貴族達の前で、殺し合いを強いられる奴隷だ」
「なッ……!?」

 剣闘士養成所。剣奴。初めて聴く言葉ばかりだ。そして、“殺し合いを強いられる”とは、一体どういうことだ。
 頭が真っ白になった。額に脂汗がにじむ。

「……ってことは、オ、オレ……殺されるのか……?」
「あ~、えっと、なんていうか……」

 ティルスの不安をなだめるように、そういうわけじゃないんだ、とロシャナクはあわてて付け加えた。

「殺し合いといっても、大きな闘技大会は年に数回しかなくて、君が今日ここに来たってことは、おそらくこれから【訓練】を受けるためで、だからすぐに殺されるワケではないというか……」
「おい! ロシャナク」
 要領を得ない説明に、先ほど寝ると宣言したばかりの青年、アルクが口を挟む。

「……今そいつにごちゃごちゃ言ったところで、どうせ何も覚えらんねーよ。明日になりゃ“クソ野郎”どもから、改めて説明があるだろうが。……うるせーから、お前らもさっさと寝ろ」
「そっか……ティルスも疲れてるよね」

 アルクの言葉に、ロシャナクも応じる姿勢を見せた。
 明日になれば、この施設を運営している者からの説明と入浴、そしてまともな食事にもありつけると言う。ロシャナクはそれだけ言うと、まぁ詳しい話はまた今度、ということになった。
 
 ティルスの肩に、ぽんっとロシャナクの手が優しく触れる。

「ティルス。本当に大変だったね。──今日はもう、何も考えなくていいから、まずはゆっくり休みな」
 
 自分を奴隷モノとして粗雑ぞんざいに扱ってきた奴らの手とは違う、久方ぶりの人間味にあふれた感触。
 その温もりは、今日までたった一人、傷つきながらも生き延びたティルスの心に染み入った。

「わ、ティルス大丈夫!?」
 大粒の涙があふれて止まらない。
 自分でも驚くほどに、張り詰めていた緊張の糸が一気にほぐれていく。

「……いいよいいよ、いっぱい泣いたらいい」
 ゆっくりと背中をさすってくれる手が心地良い。ティルスは安心して泣くことができた。
 
 ひとしきり泣いた後、ふと、ロシャナクが何かに気づいた様子で呟いた。
「……ティルス、首にかけているのは何?」
「あ、これはな!」
 ティルスは胸元に忍ばせてあった、形見をそっと取り出した。
「……ペンダント? すごく綺麗だね」
「ああ。さっき話した、ゲルハルト隊長の──」

 死に際に己の右手に託された遺品。
 それは、ティエーラ王国精鋭部隊【碧湖守備隊ノール・ヴァルト】の隊長職のあかし。見事な金細工が施されたペンダントだった。

「本当は隊長職に任命された人が持っているものだから、こんなオレなんかが……」
 本来持っていて良い代物ではない。でも、大切な人から託された物として大切にしたい。心の炎を消さないためにも、肌身離さず持っていたい。
 ティルスは熱を込めて、ロシャナクに語った。

「そっか、とても大切な物なんだね。──それなら、寝床の下に隠しておいた方がいい」
「……高価な物だから、帝国の奴らにられる!?」
「う~ん、金銭目的というか、ここだと
 “自殺防止のため”に没収されちゃうと思う」
 
ペンダントに限らず、首を吊るのに使えそうな道具は、ここでは軒並み没収されてしまうと言う。

(えっ、それはイヤだ)
 思い返せば、今日までよくも帝国兵にバレることなく身に着けられたものだ。改めて幸いだったと思う。自殺という物騒な言葉が引っかかるが、ひとまずロシャナクの言う通りにしようとペンダントを外そうとしたところで、寂しさが胸に押し寄せる。

「ティルス? どうしたの?」

「……寝床の下には明日の朝、隠す。せめて今日までは、オレ、“隊長たち”と一緒に居たい」

「ティルスがそうしたいなら、そうだね。……明日の朝、忘れずにね」
「ああ。──ありがとうロシャナク。色々と……」

 また明日──そう言葉を交わして、ティルスとロシャナクもそれぞれの寝床に身を横たえた。

(とりあえず、明日までは生きられそうだ……)
 まだまだ分からないことだらけだが、初対面にも関わらず自分の心と体を大事に想ってくれた“仲間”に出会えたことが嬉しい。ロシャナクやアルクの言うように、今日はひとまず休もう。
 明日からまた、生き残るための戦略を考えていこう。
 ティルスは形見のペンダントを、そっと握った。

 そして微睡みに身を任せ、瞳を閉じた。

◆◆◆◆◆◆

「おい! ティエーラ人はいるか!」

 バンッ! と、勢いよく鉄扉が開かれる。
 ハッとして目を開けると、何人かの男達が自分を取り囲んでいた。
「ッ!? あ……!?」
 腕を強く引っ張られ、無理やり体を起こされる。

「いた。コイツだ! 早く連れていくぞ!」

(なんだよ!? どうなってんだ!?)
 今日になればご飯が食べられるのではなかったか。すぐに殺されることはないとロシャナクは言っていなかったか。物々しい雰囲気に、首の後ろがゾクゾクする。とてつもなく嫌な予感がする。

「ティルス──!!」

 背後でロシャナクが叫ぶ声が聞こえる。
 強烈な朝日が照り付ける中、ティルスは連行された。

 ──血と絶望の舞台、
円形闘技場コロッセオ】へと。
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