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序幕
敗国の運命(さだめ)◆
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「オレが……オレがッ、ゲルハルトだ!」
ティルスは敵前に体を投げ出し、叫ばずにはいられなかった。
眼前に鎮座する者達の表情は、夕闇に溶け分からない。彼らの背後には、石造りの王城が一年前と変わらぬ姿で静かにそびえ立っていた。──仲間と寝食を共にし、稽古に励んだ宿舎や王城前の広間。今やそのすべてが、湖を越えてやってきた侵略者どもの手に落ちているなど、信じたくはなかったが。
一年半前。
ティルスの故郷【ティエーラ王国】は、【レグノヴァ帝国】の若き将軍アヴェルヌスによって蹂躙された。王都シャルブルクの陥落を皮切りに、王国西部はアヴェルヌスの手中に。生き残った王国精鋭部隊【碧湖守備隊】は、王国東部の山岳地帯を拠点としながら王都奪還を試みるも、その希望は残党狩りによって砕かれた。奮闘虚しく、ティルス達は全員捕虜となり──そして今日、王都シャルブルクに望まぬ形での帰還を果たしたのだった。
──これより執り行われるは、ティエーラ王国の反逆の芽を、完膚なきまでに摘み取る儀式──
碧湖守備隊隊長ゲルハルトの処刑である。
◆◆◆◆◆◆
「オレが……オレがッ、ゲルハルトだ!」
ティルスはもう一度、声を振りしぼった。
希望などとうに残されていなかった。
成す術も皆無だと、分かりきっていた。
それでも。たとえそうだとしても。
(隊長、死んじゃだめだ!)
ティエーラ国王をはじめとする王族、その他軍事力を持っていた部族長達が帝国軍によって亡き者となった今、王国精鋭部隊の隊長までも失うことは、すなわち王国の再起不能を意味していた。
(オレがゲルハルト隊長の身代わりになる……!)
国の要である隊長が犠牲になるより、何も失うものがない自分が死んだ方がマシだ。
「……ティルス、もういい」
「…………」
涙を浮かべて振り返ると、やれやれと言わんばかりの穏やかなゲルハルトの顔が、そこには在った。
「静かにしていろとあれほど言ったのに。まったくお前は。──その気持ちだけで、十分だ」
ゲルハルトは苦笑しつつも、その声音は、子供時代のティルスを諭す時のような優しい、懐かしい声だった。
ティルスの胸に、在りし日のいくつもの思い出がこみ上げる。行き場のない感情は涙となって頬にあふれた。ティルスとゲルハルトはしばしの間、重い静寂の中で互いに見つめ合った。周囲を取り囲む帝国軍も、見物に訪れた属州民達も、状況が飲みこめないせいだろうか、誰一人としてティルスの無謀な寸劇に口を挟まなかった。短いようで長いようにも感じられる特別な瞬間だった。
二人に許された最後の瞬間をつんざいたのは、ひどく不快な笑い声だった。
「キミ面白いね~! この状況で最後の悪あがきってヤツかな? フフッ」
ゲルハルトの青き双眸が、すかさず声の主へと向けられた。
「──儂一人の処刑を持って、生き残った碧湖守備隊の命だけは見逃す。──確かにそう約束したな? レグノヴァ帝国の皇帝よ!」
ティルスに呼びかける声とはまるで違う、歴戦の老将としての鋭い声だった。
名を呼ばれた男──レグノヴァ帝国・第七代皇帝アドアステルは、長髪を弄びながら応じた。
「うん。約束してあげる。でも碧湖守備隊隊長ゲルハルト、キミはダメかな。残党狩りもまぁまぁ楽しかったけど、キミ達しつこかったからね。もう飽きちゃったんだよね。アヴェルヌスもさんざん手を焼いちゃったみたいだし? ねぇ?」
皇帝の隣で剣を構え佇む銀髪の男が──今や『ティエーラ属州』の属州総督としてこの地に君臨する、将軍アヴェルヌスだ。
「……俺が勝ち、貴様らは敗北した。帝国の定めに従い、引導を渡してやる」
アヴェルヌスに前に出るように促され、ゲルハルトは『死』へと向かって歩み始めた。
帝国による被征服国の有力者の処刑は、斬殺と決められている。
(ああ……隊長……)
やはりもう、どうすることもできないのか。
父のように慕った恩人の命が奪われていく様を、成す術もなく見届けるしかないのか。
「……こんな形で渡したくはなかったんだがな」
ゲルハルトは、ティルスだけがかろうじて聴きとれる声で呟いた。
ゲルハルトがティルスの横を通り抜け、敵前へとまさにその身を捧げる寸前のことである。
言われたことの意味を考える前に、ティルスは右手に何か固い物の感触を覚えた。
両腕に繋がれている鎖とは違う、何か別の──。
(──!)
形を見ずとも、何を渡されたのか。
ティルスには明白だった。
「……ッ!」
反射的に握りしめる。帝国兵の誰にも悟られないように。奪われないように……。
「生きている限り状況は変えられる。
──皆のこと、頼んだぞ!」
これがゲルハルトの最期の言葉となった。
「ゲルハルトた──」
皇帝アドアステルの天高く掲げた長剣が、容赦なくゲルハルトの体を貫いた。先ほどまで重苦しい静寂に包まれていた王城広間にも、どよめきが広がる。
碧湖守備隊の兵士達も、そのほとんどが涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。慕ってきた者の苦しむ姿を直視できず、顔をそむける者も多く見られた。
ティルスもできることなら、目の前の惨劇から目を逸らしてしまいたかった。しかし同時にこうも思った。大切な人の勇姿を、この瞳と脳裏に焼き付けなければと。
死の間際、ゲルハルトから託されたものの重みを無下にしたくない。無下にしてたまるか。
(隊長……)
緋色に染まった石畳を見つめながら、ティルスは右手を固く握りしめた。
(たとえ奴隷になろうとも、オレ達は生き延びて皆の家族や仲間を助ける! 助けるんだ!)
「ふーん、玩具はキミだけだな」
「……は?」
顔を上げると、血に塗れた長剣を所在なげに持ったままの皇帝アドアステルと目が合った。
無機質な紫色の瞳に見下され、全身に寒気が走る。
(……なんだ? 何を言ってるんだ?)
「──アヴェルヌス、もういいよ。殺って」
その直後である。これまで無言で周囲を取り囲んでいた帝国兵たちが一斉に剣を抜き、碧湖守備隊の兵士達を次々と刺し殺していった。武器の携帯を許されず、両手を鎖で縛られていた仲間達に抵抗の余地などなかった。
──ただ一人、刃を向けられることのなかったティルスを除いては。
「ふざけるなァァ! やめろ! やめろ──!
約束が、約束が違うだろッ!?」
阿鼻叫喚の最中。
血を流し倒れ込む仲間達を救おうと駆け出したところで──ティルスの意識は途絶えた。
ティルスは敵前に体を投げ出し、叫ばずにはいられなかった。
眼前に鎮座する者達の表情は、夕闇に溶け分からない。彼らの背後には、石造りの王城が一年前と変わらぬ姿で静かにそびえ立っていた。──仲間と寝食を共にし、稽古に励んだ宿舎や王城前の広間。今やそのすべてが、湖を越えてやってきた侵略者どもの手に落ちているなど、信じたくはなかったが。
一年半前。
ティルスの故郷【ティエーラ王国】は、【レグノヴァ帝国】の若き将軍アヴェルヌスによって蹂躙された。王都シャルブルクの陥落を皮切りに、王国西部はアヴェルヌスの手中に。生き残った王国精鋭部隊【碧湖守備隊】は、王国東部の山岳地帯を拠点としながら王都奪還を試みるも、その希望は残党狩りによって砕かれた。奮闘虚しく、ティルス達は全員捕虜となり──そして今日、王都シャルブルクに望まぬ形での帰還を果たしたのだった。
──これより執り行われるは、ティエーラ王国の反逆の芽を、完膚なきまでに摘み取る儀式──
碧湖守備隊隊長ゲルハルトの処刑である。
◆◆◆◆◆◆
「オレが……オレがッ、ゲルハルトだ!」
ティルスはもう一度、声を振りしぼった。
希望などとうに残されていなかった。
成す術も皆無だと、分かりきっていた。
それでも。たとえそうだとしても。
(隊長、死んじゃだめだ!)
ティエーラ国王をはじめとする王族、その他軍事力を持っていた部族長達が帝国軍によって亡き者となった今、王国精鋭部隊の隊長までも失うことは、すなわち王国の再起不能を意味していた。
(オレがゲルハルト隊長の身代わりになる……!)
国の要である隊長が犠牲になるより、何も失うものがない自分が死んだ方がマシだ。
「……ティルス、もういい」
「…………」
涙を浮かべて振り返ると、やれやれと言わんばかりの穏やかなゲルハルトの顔が、そこには在った。
「静かにしていろとあれほど言ったのに。まったくお前は。──その気持ちだけで、十分だ」
ゲルハルトは苦笑しつつも、その声音は、子供時代のティルスを諭す時のような優しい、懐かしい声だった。
ティルスの胸に、在りし日のいくつもの思い出がこみ上げる。行き場のない感情は涙となって頬にあふれた。ティルスとゲルハルトはしばしの間、重い静寂の中で互いに見つめ合った。周囲を取り囲む帝国軍も、見物に訪れた属州民達も、状況が飲みこめないせいだろうか、誰一人としてティルスの無謀な寸劇に口を挟まなかった。短いようで長いようにも感じられる特別な瞬間だった。
二人に許された最後の瞬間をつんざいたのは、ひどく不快な笑い声だった。
「キミ面白いね~! この状況で最後の悪あがきってヤツかな? フフッ」
ゲルハルトの青き双眸が、すかさず声の主へと向けられた。
「──儂一人の処刑を持って、生き残った碧湖守備隊の命だけは見逃す。──確かにそう約束したな? レグノヴァ帝国の皇帝よ!」
ティルスに呼びかける声とはまるで違う、歴戦の老将としての鋭い声だった。
名を呼ばれた男──レグノヴァ帝国・第七代皇帝アドアステルは、長髪を弄びながら応じた。
「うん。約束してあげる。でも碧湖守備隊隊長ゲルハルト、キミはダメかな。残党狩りもまぁまぁ楽しかったけど、キミ達しつこかったからね。もう飽きちゃったんだよね。アヴェルヌスもさんざん手を焼いちゃったみたいだし? ねぇ?」
皇帝の隣で剣を構え佇む銀髪の男が──今や『ティエーラ属州』の属州総督としてこの地に君臨する、将軍アヴェルヌスだ。
「……俺が勝ち、貴様らは敗北した。帝国の定めに従い、引導を渡してやる」
アヴェルヌスに前に出るように促され、ゲルハルトは『死』へと向かって歩み始めた。
帝国による被征服国の有力者の処刑は、斬殺と決められている。
(ああ……隊長……)
やはりもう、どうすることもできないのか。
父のように慕った恩人の命が奪われていく様を、成す術もなく見届けるしかないのか。
「……こんな形で渡したくはなかったんだがな」
ゲルハルトは、ティルスだけがかろうじて聴きとれる声で呟いた。
ゲルハルトがティルスの横を通り抜け、敵前へとまさにその身を捧げる寸前のことである。
言われたことの意味を考える前に、ティルスは右手に何か固い物の感触を覚えた。
両腕に繋がれている鎖とは違う、何か別の──。
(──!)
形を見ずとも、何を渡されたのか。
ティルスには明白だった。
「……ッ!」
反射的に握りしめる。帝国兵の誰にも悟られないように。奪われないように……。
「生きている限り状況は変えられる。
──皆のこと、頼んだぞ!」
これがゲルハルトの最期の言葉となった。
「ゲルハルトた──」
皇帝アドアステルの天高く掲げた長剣が、容赦なくゲルハルトの体を貫いた。先ほどまで重苦しい静寂に包まれていた王城広間にも、どよめきが広がる。
碧湖守備隊の兵士達も、そのほとんどが涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。慕ってきた者の苦しむ姿を直視できず、顔をそむける者も多く見られた。
ティルスもできることなら、目の前の惨劇から目を逸らしてしまいたかった。しかし同時にこうも思った。大切な人の勇姿を、この瞳と脳裏に焼き付けなければと。
死の間際、ゲルハルトから託されたものの重みを無下にしたくない。無下にしてたまるか。
(隊長……)
緋色に染まった石畳を見つめながら、ティルスは右手を固く握りしめた。
(たとえ奴隷になろうとも、オレ達は生き延びて皆の家族や仲間を助ける! 助けるんだ!)
「ふーん、玩具はキミだけだな」
「……は?」
顔を上げると、血に塗れた長剣を所在なげに持ったままの皇帝アドアステルと目が合った。
無機質な紫色の瞳に見下され、全身に寒気が走る。
(……なんだ? 何を言ってるんだ?)
「──アヴェルヌス、もういいよ。殺って」
その直後である。これまで無言で周囲を取り囲んでいた帝国兵たちが一斉に剣を抜き、碧湖守備隊の兵士達を次々と刺し殺していった。武器の携帯を許されず、両手を鎖で縛られていた仲間達に抵抗の余地などなかった。
──ただ一人、刃を向けられることのなかったティルスを除いては。
「ふざけるなァァ! やめろ! やめろ──!
約束が、約束が違うだろッ!?」
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