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二月某日【東京デート】蓮見
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「先輩、東京行きません?」
「東京?」
金曜の放課後。鴫野の部屋で一戦終えた俺は、鴫野と後始末を一緒にしながら、鴫野に言われて間抜けな声で聞き返していた。
この前、デートに行こうと言ったのを忘れていた訳じゃない。
鴫野から言ってくれたのが意外で、すぐに反応できなかっただけだ。
「好きな写真家の、写真展があって」
鴫野は下を向いて、はにかむようにボソリと言った。
鴫野ぽいな、と思った。そういうのとは無縁な俺はこんなことでもなければ行くことはないだろと思う。鴫野の個展でもあれば別だろうけど。
「いいよ。行こうぜ」
俺は二つ返事で了承した。
だって、東京に行くなんて、そんなの明らかにデートだ。楽しみに決まってる。
「週末、ていうか、明日とか、空いてます?」
「ん、空いてる」
元々、予定なんてない週末だったので即決だった。こんなに早く、鴫野と東京に行くチャンスがやってくるなんて思っていなくて、俺の胸は俄かに色めき立つ。
「場所、後で送ります」
こうして、鴫野との東京デートが決まった。
鴫野は何だかずっと恥ずかしそうにしていて、俺まで何だか照れてしまいそうだった。
土曜、朝。駅で待ち合わせた。
五分前に着けばいいやと思っていた俺より早く、鴫野は駅に着いていた。いつものモッズコートを着ていたからすぐわかった。そうでなくても、背の高い鴫野は遠目からでもすぐわかる。
鴫野は俺を見つけると小さく手を振った。
髪も下ろしてるし、髭も剃ってない。わかってるじゃん、と思って俺は嬉しくなる。みんなに見せて回りたい気持ちと誰にも見せたくない気持ちが混ざっているけど。
だって、好きな奴が俺のために髪型変えてくれるのとか、服を考えてくれるのとか、すごく嬉しいと思う。
「先輩」
「学校じゃねえし、こうって呼べよ」
「……こう」
もう散々その呼び方で呼んでるはずなのに、こうやって改めて呼ばせると鴫野は照れる。いい加減慣れてもいいのに、とは思うけど、これはこれで可愛げがあっていいかと思ってしまう。
俺が頬を緩めると、鴫野は薄く笑った。
今日のコースは全部鴫野が調べてくれた。ギャラリーまでの行き方も、その後行くところも、鴫野が考えてくれた。つまり、今日のデートは鴫野プロデュースだ。
「行こうぜ」
俺は鴫野のカーキ色の袖を引っ張った。
柄にもなくはしゃいでいた。今朝は目覚ましより早く目が覚めたし、昨日は全然寝付けなかった。
二人並んで改札を抜けてホームに出ると、少しして電車が到着した。田舎なので、電車は各駅停車。快速なんてものはそんなにしょっちゅう走っていない。
それから、電車に揺られること約二時間。
テレビの話とか、写真の話とか、友達の話をして、乗り継ぎをして、二時間の道のりはあっという間だった。
やってきた写真展は、小さなギャラリーで開かれていた。思ったより人が入っていてびっくりした。
チケットを買って、俺は鴫野についていく。
静かなギャラリー。学校の教室くらいの広さのスペースは白い壁で迷路のようになっていた。そこに、幾つもの写真が並んでいる。俺は鴫野に並んで写真を眺める。
写真を見つめる鴫野の横顔を盗み見て、心臓が跳ねた。
俺のことなんて目に入っていない、目の前の写真に釘付けになっている鴫野の真剣な顔。こんな顔もするんだと、また知らない一面が見えて、胸が震える。
鴫野が足を止めたのは、風景写真の前だった。
見れば、それは海の写真だった。
どこかの海岸。湘南とかだろうか。
「なあ」
なんとなく、鴫野と行った冬の海のことを思い出した。邪魔しちゃ悪いと思いつつ、俺は鴫野に声をかけた。
「海、好きなの」
子供みたいな俺の問いかけに、鴫野は驚いたような顔をして俺を見た。
「え、あ、そう、すね。この人の海、雰囲気があって好きなんすよ」
言っていることはわかる気がした。
どこかもの寂しげな海の写真。人のいない、波打ち際。それは少し彩度が低いからなのか人物が一切いないからなのか、理由はわからなかったけれど、寂しそうだと思った。だけど、その雰囲気が好きだった。
「俺も好き」
口をついて出たのは素直な言葉だった。
それを聞いた鴫野が笑った。
「よかった」
「また、行こうな。海」
鴫野と行った冬の海を思い出す。今度は夏がいいと、ぼんやり思った。
「はい」
そんな会話をしながら、ゆっくりギャラリーを見て回った。
風景の写真が多かった。海、山、街。そのどれも、言いようのない寂しさがあって、好きだと思った。
最後にあった物販で、鴫野は写真集を買っていた。俺は少し離れた場所でそれを見守る。
「あ、あの、南さんのファンで、あの、海の写真、すごくよかったです」
どうやら、物販にいたのは写真家らしかった。
「ありがとうございます。学生さん?」
「はい」
「来てくれてありがとうございます。よかったら、また見にきてください」
「はい。絶対来ます」
あー、めちゃくちゃ嬉しそう。犬だったらめちゃくちゃ尻尾振ってるやつだ。
こんなに喋ってる鴫野を見るのは久しぶりだった。
あー、握手までしてもらって、良かったな。
俺とも、あれくらいいっぱい喋ってくれてもいいのに。
俺と鴫野の共通の話題は意外と少ない。それに気付いてしまって、少し寂しくなった。
鴫野は頭を下げると、そんな俺の元へ走ってきた。
「すんません、ご本人いたの嬉しくて」
「めちゃくちゃ喋ってたな」
「えっ、あ」
「いいよ、ファンなんだろ」
そうは言ったけど、ちょっと悔しかった。
気持ちはわからないでもないけど。
「こう、怒った?」
「怒ってねーよ。少し寂しかっただけ」
「メシ、行きます?」
「ん」
ギャラリーを出た俺たちは、十五分ほど歩いたところにある喫茶店に行くことにした。パスタが美味しいらしい、レトロな喫茶店。
「俺、先輩があの海の写真、好きだったの、嬉しい」
「なんで」
「俺が一番好きなやつだからですよ。先輩もいいなって思ってくれたの、なんつーか、上手く言えないですけど、嬉しい」
「そっか」
心なしか、鴫野の頬が赤い。
鴫野が嬉しく思ってくれているなら、それでよかった。そうやって、鴫野と話ができるなら。
「お前個展とかやんの?」
素朴な疑問であり、俺の願望だった。コンクールで賞を獲るような鴫野が写真家になったら、いつか、鴫野もあんなふうに個展を開いたりするんだろうか。
「そりゃ、いつかやりたいですよ。その、いつか、有名になったら」
鴫野は俯いてぼそりと言った。
「ふふ、そしたら、お花とか出してやるよ」
「ありがとうございます」
「あの写真も飾んの?」
俺が言ったのは、学校の写真のことだ。俺と鴫野がこうなるきっかけになった、あの写真。なんか賞獲ったんだっけ。
「っえ」
わかりやすく狼狽える鴫野。こいつ何か勘違いしてるな。
「学校の写真」
「ああ、いや、あれは」
鴫野は赤い顔でちらりと俺を見た。
「もう、誰にも見せたくないです」
目を伏せた鴫野。その横顔に、俺の胸が跳ねる。
そんな優しい顔に独占欲を滲ませるから、俺は鼓動が早まるのを止められない。
「あんた絡みの写真は、もう俺だけの秘密にするって決めたんで」
鴫野が続けた言葉は、俺の胸の深くまで落ちて染み込んだ。
誰彼構わず見せて回りたい気持ちと、同じくらいおおきい、隠して誰にも見せたくない気持ち。鴫野にもそれがあるのがわかって、俺だけ空回ってるわけじゃないんだと思うと嬉しかった。
「お前……」
「こうには、そのうちフォトブックか何かにして渡すから」
「……ハメ撮りは?」
周りに人もいないし、悪戯ぽく俺が笑うと鴫野はいよいよ顔を赤くした。
「ばっ……、あれは出せる訳ないっしょ、絶対社外秘!」
声を上擦らせる鴫野を見て、俺は笑った。
「はは」
本気で狼狽える鴫野は、可愛かった。
いつか、鴫野の個展が決まったら、絶対に花を出そうと心に決めた。
その後俺と鴫野がやってきたのは、昔ながらの、食事もできる喫茶店。鴫野の調べではパスタが美味しいらしい。
昔からやってそうなレトロな内装が、雰囲気があっていい。木のテーブルに木の椅子。店内は濃い茶色が多くて少し薄暗くて落ち着いた空気が流れている。席が空いてるのは、穴場なのか、昼時よりも少し早いからなのかわからなかった。
「先輩、そんな食うんすか」
鴫野は俺の注文内容を見て少し引いている。
俺の前に並ぶのは、ハンバーグの乗った大盛りのナポリタン、ランチセットでサラダスープ付き、コーラ、そこにパフェ。しかもでかいやつ。
「運動部の男子なんてこんなもんだろ」
周りも大体こんな感じだったから普通だと思ってたけど、どうやらそうじゃないらしい。
鴫野の前に並ぶのは普通盛りのミートソースと、ランチセットのスープとサラダ、アイスティー。
お前こそ少食すぎじゃね?
「こわ……」
鴫野は引いている。なんでだよ。お前が少食すぎるんだよ。
「これくらい普通だろ。運動部だし」
「そういうもんすか」
どこか納得できていない様子の鴫野。
「一口食わせて」
俺が言うと、鴫野は何を思ったのかフォークでパスタをくるくると巻き始めた。ああ、それってもしかして。
他に客もいないし、気づいてないなら、まあ、それでもいいんだけど。
「はい」
鴫野は普通にそれを差し出してきた。
パスタに絡んだ肉多めのミートソースが美味そうだった。
わかってないというか、無邪気というか。俺は嬉しいから、まぁいいか。
口を開けて一口分のパスタをもらう。
「うまいな」
挽肉多めのミートソースはちゃんとトマトソースの味と肉の旨みがあって美味しかった。
「そうすね」
鴫野のリアクションは普通だった。気付いていないようなので、俺は口の端を釣り上げて笑ってやった。
「お前、結構大胆だな」
「は?」
「外でこういうことすんの」
お返しに一口分のナポリタンをフォークに絡め取って差し出してやると、鴫野の顔があっという間に赤くなる。
まじか。気づいてなかったのかよ。
「美紀孝」
照れる鴫野に、フォークを突き出す。
「食えよ」
俺が笑うと、目を逸らした鴫野はおずおずと口を開けてパスタを食べた。
「うまい?」
「……うまいです」
かわいいの。
さっきまで感じていたもやもやしたものは、気がついたらどこかへ行ってしまった。
案外、俺も単純なのかもしれない。
帰りの電車に乗り込むのは少し寂しかった。二人掛けの席に隣り合って座る。後一時間もしたら、駅に着いてしまう。
「なあ、みきたか」
鴫野を呼ぶと、鴫野は俺の顔を覗き込む。
「俺とももっと喋れよ。何でもいいから」
「何でも、って」
鴫野が笑う。
「しりとりでもします?」
「そうじゃねーよ」
俺も笑う。もう、なんでもいいから、もっとずっと鴫野と話がしたい。
「こう、楽しかった?」
「ん。楽しかった。また、行こうな」
「受験終わったら、いろんなところ行きましょ。海とか」
「そ、だな」
すぐ隣にある鴫野の体温と穏やかな声が心地好い。電車の走る規則的な音と揺れも相俟って瞼が重くなってくる。
海もいいけど、俺は鴫野と水族館に行きたい。シャチがいるとこ。ショーを最前列で観て、一緒に水被って。ずぶ濡れになりたい。風邪ひきそうだからら、行くなら夏かな。
そんなことを、ちゃんと言葉にできただろうか。
背中に当たる西陽と隣の鴫野の温もりがあったかくて、俺の意識はとろとろと溶け出していた。
「こう」
「んあ」
「もう、着くよ」
優しく揺り起こされて、俺は目を擦る。そんなに疲れている自覚はなかったのに、はしゃぎすぎたのか、いつの間にか俺は鴫野の肩にもたれて寝てしまっていた。
「わり、寝てた」
「いいっすよ、全然」
時間は、日暮れが迫る夕方の入り口だった。帰ってしまうのは少し惜しい時間だ。
「この後、どうします?」
「うち、来いよ」
言ってちらりと鴫野を見上げると、喉仏が上下するのが見えた。
わかりやすい奴。だけどそんなところが堪らなくかわいくて愛おしい。
俺が笑うと、鴫野は少し照れたように目を逸らした。
「……ッス」
停車駅を告げるアナウンスが聞こえた。
鴫野の手を引いて席を立つと、鴫野は素直についてきた。もう少しだけ、こいつと話していたい。
もう少しだけ、独占していたい。
振り返ると鴫野は甘やかに笑って、俺の手を握り返した。
「東京?」
金曜の放課後。鴫野の部屋で一戦終えた俺は、鴫野と後始末を一緒にしながら、鴫野に言われて間抜けな声で聞き返していた。
この前、デートに行こうと言ったのを忘れていた訳じゃない。
鴫野から言ってくれたのが意外で、すぐに反応できなかっただけだ。
「好きな写真家の、写真展があって」
鴫野は下を向いて、はにかむようにボソリと言った。
鴫野ぽいな、と思った。そういうのとは無縁な俺はこんなことでもなければ行くことはないだろと思う。鴫野の個展でもあれば別だろうけど。
「いいよ。行こうぜ」
俺は二つ返事で了承した。
だって、東京に行くなんて、そんなの明らかにデートだ。楽しみに決まってる。
「週末、ていうか、明日とか、空いてます?」
「ん、空いてる」
元々、予定なんてない週末だったので即決だった。こんなに早く、鴫野と東京に行くチャンスがやってくるなんて思っていなくて、俺の胸は俄かに色めき立つ。
「場所、後で送ります」
こうして、鴫野との東京デートが決まった。
鴫野は何だかずっと恥ずかしそうにしていて、俺まで何だか照れてしまいそうだった。
土曜、朝。駅で待ち合わせた。
五分前に着けばいいやと思っていた俺より早く、鴫野は駅に着いていた。いつものモッズコートを着ていたからすぐわかった。そうでなくても、背の高い鴫野は遠目からでもすぐわかる。
鴫野は俺を見つけると小さく手を振った。
髪も下ろしてるし、髭も剃ってない。わかってるじゃん、と思って俺は嬉しくなる。みんなに見せて回りたい気持ちと誰にも見せたくない気持ちが混ざっているけど。
だって、好きな奴が俺のために髪型変えてくれるのとか、服を考えてくれるのとか、すごく嬉しいと思う。
「先輩」
「学校じゃねえし、こうって呼べよ」
「……こう」
もう散々その呼び方で呼んでるはずなのに、こうやって改めて呼ばせると鴫野は照れる。いい加減慣れてもいいのに、とは思うけど、これはこれで可愛げがあっていいかと思ってしまう。
俺が頬を緩めると、鴫野は薄く笑った。
今日のコースは全部鴫野が調べてくれた。ギャラリーまでの行き方も、その後行くところも、鴫野が考えてくれた。つまり、今日のデートは鴫野プロデュースだ。
「行こうぜ」
俺は鴫野のカーキ色の袖を引っ張った。
柄にもなくはしゃいでいた。今朝は目覚ましより早く目が覚めたし、昨日は全然寝付けなかった。
二人並んで改札を抜けてホームに出ると、少しして電車が到着した。田舎なので、電車は各駅停車。快速なんてものはそんなにしょっちゅう走っていない。
それから、電車に揺られること約二時間。
テレビの話とか、写真の話とか、友達の話をして、乗り継ぎをして、二時間の道のりはあっという間だった。
やってきた写真展は、小さなギャラリーで開かれていた。思ったより人が入っていてびっくりした。
チケットを買って、俺は鴫野についていく。
静かなギャラリー。学校の教室くらいの広さのスペースは白い壁で迷路のようになっていた。そこに、幾つもの写真が並んでいる。俺は鴫野に並んで写真を眺める。
写真を見つめる鴫野の横顔を盗み見て、心臓が跳ねた。
俺のことなんて目に入っていない、目の前の写真に釘付けになっている鴫野の真剣な顔。こんな顔もするんだと、また知らない一面が見えて、胸が震える。
鴫野が足を止めたのは、風景写真の前だった。
見れば、それは海の写真だった。
どこかの海岸。湘南とかだろうか。
「なあ」
なんとなく、鴫野と行った冬の海のことを思い出した。邪魔しちゃ悪いと思いつつ、俺は鴫野に声をかけた。
「海、好きなの」
子供みたいな俺の問いかけに、鴫野は驚いたような顔をして俺を見た。
「え、あ、そう、すね。この人の海、雰囲気があって好きなんすよ」
言っていることはわかる気がした。
どこかもの寂しげな海の写真。人のいない、波打ち際。それは少し彩度が低いからなのか人物が一切いないからなのか、理由はわからなかったけれど、寂しそうだと思った。だけど、その雰囲気が好きだった。
「俺も好き」
口をついて出たのは素直な言葉だった。
それを聞いた鴫野が笑った。
「よかった」
「また、行こうな。海」
鴫野と行った冬の海を思い出す。今度は夏がいいと、ぼんやり思った。
「はい」
そんな会話をしながら、ゆっくりギャラリーを見て回った。
風景の写真が多かった。海、山、街。そのどれも、言いようのない寂しさがあって、好きだと思った。
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「あ、あの、南さんのファンで、あの、海の写真、すごくよかったです」
どうやら、物販にいたのは写真家らしかった。
「ありがとうございます。学生さん?」
「はい」
「来てくれてありがとうございます。よかったら、また見にきてください」
「はい。絶対来ます」
あー、めちゃくちゃ嬉しそう。犬だったらめちゃくちゃ尻尾振ってるやつだ。
こんなに喋ってる鴫野を見るのは久しぶりだった。
あー、握手までしてもらって、良かったな。
俺とも、あれくらいいっぱい喋ってくれてもいいのに。
俺と鴫野の共通の話題は意外と少ない。それに気付いてしまって、少し寂しくなった。
鴫野は頭を下げると、そんな俺の元へ走ってきた。
「すんません、ご本人いたの嬉しくて」
「めちゃくちゃ喋ってたな」
「えっ、あ」
「いいよ、ファンなんだろ」
そうは言ったけど、ちょっと悔しかった。
気持ちはわからないでもないけど。
「こう、怒った?」
「怒ってねーよ。少し寂しかっただけ」
「メシ、行きます?」
「ん」
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「俺、先輩があの海の写真、好きだったの、嬉しい」
「なんで」
「俺が一番好きなやつだからですよ。先輩もいいなって思ってくれたの、なんつーか、上手く言えないですけど、嬉しい」
「そっか」
心なしか、鴫野の頬が赤い。
鴫野が嬉しく思ってくれているなら、それでよかった。そうやって、鴫野と話ができるなら。
「お前個展とかやんの?」
素朴な疑問であり、俺の願望だった。コンクールで賞を獲るような鴫野が写真家になったら、いつか、鴫野もあんなふうに個展を開いたりするんだろうか。
「そりゃ、いつかやりたいですよ。その、いつか、有名になったら」
鴫野は俯いてぼそりと言った。
「ふふ、そしたら、お花とか出してやるよ」
「ありがとうございます」
「あの写真も飾んの?」
俺が言ったのは、学校の写真のことだ。俺と鴫野がこうなるきっかけになった、あの写真。なんか賞獲ったんだっけ。
「っえ」
わかりやすく狼狽える鴫野。こいつ何か勘違いしてるな。
「学校の写真」
「ああ、いや、あれは」
鴫野は赤い顔でちらりと俺を見た。
「もう、誰にも見せたくないです」
目を伏せた鴫野。その横顔に、俺の胸が跳ねる。
そんな優しい顔に独占欲を滲ませるから、俺は鼓動が早まるのを止められない。
「あんた絡みの写真は、もう俺だけの秘密にするって決めたんで」
鴫野が続けた言葉は、俺の胸の深くまで落ちて染み込んだ。
誰彼構わず見せて回りたい気持ちと、同じくらいおおきい、隠して誰にも見せたくない気持ち。鴫野にもそれがあるのがわかって、俺だけ空回ってるわけじゃないんだと思うと嬉しかった。
「お前……」
「こうには、そのうちフォトブックか何かにして渡すから」
「……ハメ撮りは?」
周りに人もいないし、悪戯ぽく俺が笑うと鴫野はいよいよ顔を赤くした。
「ばっ……、あれは出せる訳ないっしょ、絶対社外秘!」
声を上擦らせる鴫野を見て、俺は笑った。
「はは」
本気で狼狽える鴫野は、可愛かった。
いつか、鴫野の個展が決まったら、絶対に花を出そうと心に決めた。
その後俺と鴫野がやってきたのは、昔ながらの、食事もできる喫茶店。鴫野の調べではパスタが美味しいらしい。
昔からやってそうなレトロな内装が、雰囲気があっていい。木のテーブルに木の椅子。店内は濃い茶色が多くて少し薄暗くて落ち着いた空気が流れている。席が空いてるのは、穴場なのか、昼時よりも少し早いからなのかわからなかった。
「先輩、そんな食うんすか」
鴫野は俺の注文内容を見て少し引いている。
俺の前に並ぶのは、ハンバーグの乗った大盛りのナポリタン、ランチセットでサラダスープ付き、コーラ、そこにパフェ。しかもでかいやつ。
「運動部の男子なんてこんなもんだろ」
周りも大体こんな感じだったから普通だと思ってたけど、どうやらそうじゃないらしい。
鴫野の前に並ぶのは普通盛りのミートソースと、ランチセットのスープとサラダ、アイスティー。
お前こそ少食すぎじゃね?
「こわ……」
鴫野は引いている。なんでだよ。お前が少食すぎるんだよ。
「これくらい普通だろ。運動部だし」
「そういうもんすか」
どこか納得できていない様子の鴫野。
「一口食わせて」
俺が言うと、鴫野は何を思ったのかフォークでパスタをくるくると巻き始めた。ああ、それってもしかして。
他に客もいないし、気づいてないなら、まあ、それでもいいんだけど。
「はい」
鴫野は普通にそれを差し出してきた。
パスタに絡んだ肉多めのミートソースが美味そうだった。
わかってないというか、無邪気というか。俺は嬉しいから、まぁいいか。
口を開けて一口分のパスタをもらう。
「うまいな」
挽肉多めのミートソースはちゃんとトマトソースの味と肉の旨みがあって美味しかった。
「そうすね」
鴫野のリアクションは普通だった。気付いていないようなので、俺は口の端を釣り上げて笑ってやった。
「お前、結構大胆だな」
「は?」
「外でこういうことすんの」
お返しに一口分のナポリタンをフォークに絡め取って差し出してやると、鴫野の顔があっという間に赤くなる。
まじか。気づいてなかったのかよ。
「美紀孝」
照れる鴫野に、フォークを突き出す。
「食えよ」
俺が笑うと、目を逸らした鴫野はおずおずと口を開けてパスタを食べた。
「うまい?」
「……うまいです」
かわいいの。
さっきまで感じていたもやもやしたものは、気がついたらどこかへ行ってしまった。
案外、俺も単純なのかもしれない。
帰りの電車に乗り込むのは少し寂しかった。二人掛けの席に隣り合って座る。後一時間もしたら、駅に着いてしまう。
「なあ、みきたか」
鴫野を呼ぶと、鴫野は俺の顔を覗き込む。
「俺とももっと喋れよ。何でもいいから」
「何でも、って」
鴫野が笑う。
「しりとりでもします?」
「そうじゃねーよ」
俺も笑う。もう、なんでもいいから、もっとずっと鴫野と話がしたい。
「こう、楽しかった?」
「ん。楽しかった。また、行こうな」
「受験終わったら、いろんなところ行きましょ。海とか」
「そ、だな」
すぐ隣にある鴫野の体温と穏やかな声が心地好い。電車の走る規則的な音と揺れも相俟って瞼が重くなってくる。
海もいいけど、俺は鴫野と水族館に行きたい。シャチがいるとこ。ショーを最前列で観て、一緒に水被って。ずぶ濡れになりたい。風邪ひきそうだからら、行くなら夏かな。
そんなことを、ちゃんと言葉にできただろうか。
背中に当たる西陽と隣の鴫野の温もりがあったかくて、俺の意識はとろとろと溶け出していた。
「こう」
「んあ」
「もう、着くよ」
優しく揺り起こされて、俺は目を擦る。そんなに疲れている自覚はなかったのに、はしゃぎすぎたのか、いつの間にか俺は鴫野の肩にもたれて寝てしまっていた。
「わり、寝てた」
「いいっすよ、全然」
時間は、日暮れが迫る夕方の入り口だった。帰ってしまうのは少し惜しい時間だ。
「この後、どうします?」
「うち、来いよ」
言ってちらりと鴫野を見上げると、喉仏が上下するのが見えた。
わかりやすい奴。だけどそんなところが堪らなくかわいくて愛おしい。
俺が笑うと、鴫野は少し照れたように目を逸らした。
「……ッス」
停車駅を告げるアナウンスが聞こえた。
鴫野の手を引いて席を立つと、鴫野は素直についてきた。もう少しだけ、こいつと話していたい。
もう少しだけ、独占していたい。
振り返ると鴫野は甘やかに笑って、俺の手を握り返した。
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