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アルファの男
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エレベーターを降りた真山は部屋を見つけるとカードキーで鍵を開け、部屋に入った。
広くて綺麗な部屋だった。少し照明の落とされた部屋には落ち着いた空気が流れている。入り口の正面には壁一面の大きな窓があり、音もなくきらめく都会の夜景が見える。
部屋に置かれた調度品はどれも高そうで、広さから察するにどうやらスイートルームのようだった。
真山は視線を彷徨わせながら、おそるおそる部屋の中を進む。柔らかなカーペットフロアは、意識して足音を殺さなくとも真山の足を優しく受け止めてくれた。
今日の相手は、リビングの窓辺のテーブルセットにいた。
ソファに深く身体を預けた、スーツ姿の青年だった。
頭の丸みを活かしたシルエットに整えられた髪は柔らかな茶色で、毛先が少しうねってランダムに跳ねている。見たところ、若そうだった。
真山に気付いて青年が立ち上がる。
自分より背の低い相手は初めてだった。アルファだよな、と真山は青年をまじまじを見る。アルファの背丈はたいてい真山と同じくらいか、それ以上で体格も良い。
しかしながら、彼の背丈は真山よりも十五センチほど低かった。
真山が目の前まで来ると、青年は真山に向き直った。
厚めに作られた前髪は眉が隠れるくらいの長さになっている。
そこから覗くのは二重瞼の意志の強そうな目で、灰色がかった薄い茶色の瞳が真山を見上げていた。瞼を縁取るまつ毛までしっかり見える。真っ直ぐ通った鼻筋に、柔らかそうな厚めの唇。アルファにしては小柄で綺麗な顔をしていた。
色白で色素も薄くて、そこから醸し出される可憐な雰囲気にオメガじゃないのかと疑いたくなる。
彼が纏うのは仕立ての良い深いネイビーのスリーピーススーツにサックスブルーのシャツとシルバーのネクタイ。細身の身体の線が綺麗に見えるのは彼の身体に合わせて作られたからだろう。革靴も綺麗に磨かれていて隙がない。
正直なところ、相手に困っているようには見えなかった。
「モン・プレシューのマヤです。ソウイチさん?」
ソウイチからはオメガのフェロモンは感じないし、発せられるオーラは間違いなくアルファのものだった。しかもそれは、エリートのアルファのものだ。所謂良家のアルファ。官僚やら経営者やら、トップに立つ人間を輩出する家系特有の強いアルファのオーラに、真山に緊張が走る。こうして間近で会うのは初めてのことだった。肌で感じる強い気配に思わず生唾を飲んだ。
「ああ」
短く答えるソウイチの反応は静かなものだった。真山を見て喜ぶ様子もなく、笑うでもなく、少しだけ目を見開いてぼんやりと真山を見ていた。
こんな反応をされる時はだいたいキャンセルをくらう時だった。
予約当日のキャンセルは会員にペナルティが課せられる。当日キャンセルになったとしてもキャストは賃金が保証されるため痛手は少ないが、今日はどちらかと言うと乗り気で、なんとかキャンセルは避けたかった。いつものことだが、はじめての相手だ。相性が良ければいいなと期待していた。
そんな真山の耳に届いたのは、呆けたように感情の薄い声だった。低く澄んだ響きの、抑揚の少ないソウイチの声だった。
「君は、アルファなのか」
明るい茶色の前髪の下から覗く薄茶色の瞳は、感情のかけらもなく、ただ真っ直ぐに真山を見上げていた。
「は」
真山の口からは掠れた声が漏れていた。
呟くような静かな声に真山は目を見開いた。ソウイチの色素の薄い瞳に、感情は窺えない。
ソウイチの言葉に、真山の背が凍りついたように冷たくなる。そんな言葉を言われるのは初めてだった。
そして、その言葉を何よりも恐れていた。
自己紹介もそこそこに、目の前のスーツ姿の男から放たれた言葉は、真山にとっての敗北を意味するものだった。
ソウイチと名乗る彼とは、ついさっき会ったばかりだ。
ベータのマヤ。それが今の真山の肩書きである。
今まで誰も疑わなかったし、それが偽りだと見破る者もいなかった。
だから、今日も大丈夫だと思っていた。
フェロモンの抑制剤も飲んできた。
甘やかに言葉を交わして、甘い時間が始まるはずだった。
なのに。
真山の目の前にいるオメガと見紛うばかりの可憐なアルファの男は、いとも容易く真山の秘密を看過してみせた。
「帰ってくれ」
彼の唇から畳み掛けるように継がれたのは、声色こそ優しいものの、拒絶の言葉だ。
その一言は、ベータのマヤこと真山を驚愕とともに絶望の淵へと叩き落とすには充分すぎる威力を持っていた。
心臓が喚くのを、どこか他人事のように聞く。
真山はアルファだ。アルファに抱かれたい、アルファの男だった。
広くて綺麗な部屋だった。少し照明の落とされた部屋には落ち着いた空気が流れている。入り口の正面には壁一面の大きな窓があり、音もなくきらめく都会の夜景が見える。
部屋に置かれた調度品はどれも高そうで、広さから察するにどうやらスイートルームのようだった。
真山は視線を彷徨わせながら、おそるおそる部屋の中を進む。柔らかなカーペットフロアは、意識して足音を殺さなくとも真山の足を優しく受け止めてくれた。
今日の相手は、リビングの窓辺のテーブルセットにいた。
ソファに深く身体を預けた、スーツ姿の青年だった。
頭の丸みを活かしたシルエットに整えられた髪は柔らかな茶色で、毛先が少しうねってランダムに跳ねている。見たところ、若そうだった。
真山に気付いて青年が立ち上がる。
自分より背の低い相手は初めてだった。アルファだよな、と真山は青年をまじまじを見る。アルファの背丈はたいてい真山と同じくらいか、それ以上で体格も良い。
しかしながら、彼の背丈は真山よりも十五センチほど低かった。
真山が目の前まで来ると、青年は真山に向き直った。
厚めに作られた前髪は眉が隠れるくらいの長さになっている。
そこから覗くのは二重瞼の意志の強そうな目で、灰色がかった薄い茶色の瞳が真山を見上げていた。瞼を縁取るまつ毛までしっかり見える。真っ直ぐ通った鼻筋に、柔らかそうな厚めの唇。アルファにしては小柄で綺麗な顔をしていた。
色白で色素も薄くて、そこから醸し出される可憐な雰囲気にオメガじゃないのかと疑いたくなる。
彼が纏うのは仕立ての良い深いネイビーのスリーピーススーツにサックスブルーのシャツとシルバーのネクタイ。細身の身体の線が綺麗に見えるのは彼の身体に合わせて作られたからだろう。革靴も綺麗に磨かれていて隙がない。
正直なところ、相手に困っているようには見えなかった。
「モン・プレシューのマヤです。ソウイチさん?」
ソウイチからはオメガのフェロモンは感じないし、発せられるオーラは間違いなくアルファのものだった。しかもそれは、エリートのアルファのものだ。所謂良家のアルファ。官僚やら経営者やら、トップに立つ人間を輩出する家系特有の強いアルファのオーラに、真山に緊張が走る。こうして間近で会うのは初めてのことだった。肌で感じる強い気配に思わず生唾を飲んだ。
「ああ」
短く答えるソウイチの反応は静かなものだった。真山を見て喜ぶ様子もなく、笑うでもなく、少しだけ目を見開いてぼんやりと真山を見ていた。
こんな反応をされる時はだいたいキャンセルをくらう時だった。
予約当日のキャンセルは会員にペナルティが課せられる。当日キャンセルになったとしてもキャストは賃金が保証されるため痛手は少ないが、今日はどちらかと言うと乗り気で、なんとかキャンセルは避けたかった。いつものことだが、はじめての相手だ。相性が良ければいいなと期待していた。
そんな真山の耳に届いたのは、呆けたように感情の薄い声だった。低く澄んだ響きの、抑揚の少ないソウイチの声だった。
「君は、アルファなのか」
明るい茶色の前髪の下から覗く薄茶色の瞳は、感情のかけらもなく、ただ真っ直ぐに真山を見上げていた。
「は」
真山の口からは掠れた声が漏れていた。
呟くような静かな声に真山は目を見開いた。ソウイチの色素の薄い瞳に、感情は窺えない。
ソウイチの言葉に、真山の背が凍りついたように冷たくなる。そんな言葉を言われるのは初めてだった。
そして、その言葉を何よりも恐れていた。
自己紹介もそこそこに、目の前のスーツ姿の男から放たれた言葉は、真山にとっての敗北を意味するものだった。
ソウイチと名乗る彼とは、ついさっき会ったばかりだ。
ベータのマヤ。それが今の真山の肩書きである。
今まで誰も疑わなかったし、それが偽りだと見破る者もいなかった。
だから、今日も大丈夫だと思っていた。
フェロモンの抑制剤も飲んできた。
甘やかに言葉を交わして、甘い時間が始まるはずだった。
なのに。
真山の目の前にいるオメガと見紛うばかりの可憐なアルファの男は、いとも容易く真山の秘密を看過してみせた。
「帰ってくれ」
彼の唇から畳み掛けるように継がれたのは、声色こそ優しいものの、拒絶の言葉だ。
その一言は、ベータのマヤこと真山を驚愕とともに絶望の淵へと叩き落とすには充分すぎる威力を持っていた。
心臓が喚くのを、どこか他人事のように聞く。
真山はアルファだ。アルファに抱かれたい、アルファの男だった。
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