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とろける琥珀と石油王
アルバイト
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朝。いつものように朝食を終えた後のことだった。食器を片付けたルイがユーシーの頬にキスをひとつして仕事部屋に向かおうとしたところで、ユーシーがルイを見上げて口を開いた。
「ルイは、ルーの仕事があるんだろ。俺も何か仕事したい」
「仕事、か」
ユーシーの琥珀色の視線を受け止めたルイは顎を擦って考えているようだった。
香港では仕事がない日でも地下闘技場という楽しみがあったが、こちらではそうもいかない。このお上品な街には地下闘技場なんてものはなく、上品なカフェやマルシェがあるばかりだった。
アダムと勉強するのもトレーニングするのも悪くないが、それだけではユーシーには物足りなかった。
ユーシーの本能は、刺激を求めていた。家にいるばかりでは退屈で、退屈な時間はろくなことを考えられない。
「ユーシー、退屈なら、私と一緒に来ませんか」
「アダムと?」
アダムからそんな声がかかるとは思わず、ユーシーは咄嗟にアダムを見た。
「ええ。まあ、アルバイトのようなものですが」
ユーシーの視線を受け止め薄い笑みを浮かべるアダムは、その視線をルイへと向けた。
「ルイ、いいですか?」
「うん」
渋るかと思っていたユーシーだったが、ルイはすんなり了承した。
「行っておいで、ユーシー」
ルイが柔らかく微笑む。ルイがそう言うなら、大丈夫なのだろう。
こうしてルイの公認のもと、ユーシーはアダムとともにアルバイトのようなものを始めることになった。
アダムの運転する車でユーシーが連れて行かれたのは、ルイの家からさらに郊外へ行ったところにある一軒家だった。
古びてはいるが雰囲気のある、昔ながらの家のようだった。ルイの家の周りにある家よりももう少し古そうだった。
「着きましたよ、ユーシー」
車の窓から見える家に夢中になっていたユーシーはアダムの声に促されて車を降りた。家の前の駐車場は車を止めてもまだ余裕がある広さだった。
見れば見るほど普通の家にしか見えない。アダムは何のアルバイトをしているのかと考えるが、答えは見つからない。
車から降り立ったユーシーを出迎えたのは緑の香りだった。ルイの家のある場所よりも緑が多い、のどかな場所だ。空も広い。
昼間とはいえ涼しくなった。ルイの家よりも心なしか涼しい。アダムもユーシーもTシャツにデニム、パーカーを羽織ったラフな格好だ。羽織ってきたパーカーだけでは心許なくて、ユーシーは思わず自分を抱くようにして腕をさすった。
アダムと二人並んで玄関先へやってくると、ドアの脇に据え付けられた呼び鈴をアダムが押した。
ドアが開き、出てきたのは三十代と思われる短い金髪の男だ。アダムよりは背の低いひょろりとした体躯の青年は、青い瞳にアダムを映すと柔らかく微笑んだ。
「元気そうで何よりだよ、アダム」
「お久しぶりです、エゼキエル」
親しげな二人が話すのは英語で、ユーシーは胸を撫で下ろす。フランス語はまだ少ししかわからない。読めはするが、書くのも話すのもまだ苦手だった。
エゼキエルと呼ばれた短髪の男は、カメラを首から下げていた。カメラマンでもやっているのだろうかとユーシーは思う。
アダムもユーシーも手ぶらだ。彼の家の掃除の手伝いでもするのだろうか。
「そちらは?」
「新しい家族のユーシーです。見学に」
「よろしく、ユーシー。僕はエゼキエル。カメラマンだ」
「よろしく……」
差し出された手を、ユーシーは躊躇いながら握る。
「じゃあ、案内するよ。ここは僕の自宅兼スタジオなんだ」
挨拶もそこそこに中へ通されたユーシーは、物珍しそうに家の中を眺めた。
家の中はリノベーションされ、近代的な内装になっていた。
廊下を抜けて通されたのは明るいサンルームのような部屋だ。白を基調にした部屋は、家具も淡い色で統一されている。リビングだろうか。大きな窓は庭に面しているが、庭の外周は背の高い塀と木々に囲まれていて他の景色は見えない。それでも庭を彩る木々や花は綺麗で、世界から切り離されたような美しい部屋だった。
「好きなところへ座って。飲み物を用意するよ」
エゼキエルは席へと案内してくれた。掃除のアルバイトではないのだろうか。
ユーシーは釈然としないまま庭の見える窓辺のソファに座った。
「アダム、これ、何の仕事?」
さすがに不安になって、ユーシーは向かいのソファに掛けたアダムに訊いた。いつまでももやもやと定まらない気持ちを抱えているのは嫌だった。
そんなユーシーにアダムから返ってきたのは思わぬ答えだった。
「モデルです」
「モデル?」
ユーシーにはアダムとモデルの仕事が繋がらなかった。
「アダムが?」
言われてみればアダムは見目も良いし背も高い。元殺し屋だと知らなければ、言われたらそうだと思ってしまいそうだった。
そんな話をしているうちに、飲み物を持ったエゼキエルがやってきた。
「アイスティーでよかった?」
テーブルの上にグラスに入ったアイスティーが置かれる。
「うん。ありがとう」
「ありがとうございます、エゼキエル」
「さっそくだけど、ユーシー、モデルをやってみる気はあるかい?」
「え」
ユーシーはグラスに伸ばしかけた手を止め、アダムとエゼキエルの顔を交互に見た。見学だけだと思っていたのに、まさか自分がモデルをするなんて考えもしなかった。
「見たところ、君は素敵な刺青を持ってる。細身だし、髪の毛も綺麗だ。顔立ちもいいし、何より、その目の色」
戸惑いを隠せないユーシーに、エゼキエルは随分と熱のこもった声で切々と語る。
「エゼキエル、ほどほどにしておかないとルイに怒られますよ」
「えっ」
静かなアダムの声に、エゼキエルは弾かれたようにアダムを見た。エゼキエルはルイのことを知っているようだった。
「ユーシーはルイの恋人です」
アダムの言葉にエゼキエルは慌ててユーシーを見た。
「そうだったのか、すまない」
申し訳なさそうにエゼキエルは眉を下げた。
ユーシーはさほど気にならなかったが、それよりも勝手に仕事を受けてしまっても良いのかどうかの方が気がかりだった。
「これ、ルイに聞いてからの方がいい?」
「いえ、貴方の判断で構いませんよ」
アダムがそう言ってくれるなら心強い。ユーシーの心はもう決まっていた。
「ん、やるよ、モデルの仕事」
「ありがとう。新しい役者を探してたんだ。契約書を用意する。少し待っていて」
役者。ユーシーが観る映画の中に出てくるのも役者だ。それとこのモデルの仕事はどう違うのだろう。
ユーシーの知らない世界だった。
足を踏み入れようとしている新たな世界に、ユーシーの鼓動は早まった。
「ルイは、ルーの仕事があるんだろ。俺も何か仕事したい」
「仕事、か」
ユーシーの琥珀色の視線を受け止めたルイは顎を擦って考えているようだった。
香港では仕事がない日でも地下闘技場という楽しみがあったが、こちらではそうもいかない。このお上品な街には地下闘技場なんてものはなく、上品なカフェやマルシェがあるばかりだった。
アダムと勉強するのもトレーニングするのも悪くないが、それだけではユーシーには物足りなかった。
ユーシーの本能は、刺激を求めていた。家にいるばかりでは退屈で、退屈な時間はろくなことを考えられない。
「ユーシー、退屈なら、私と一緒に来ませんか」
「アダムと?」
アダムからそんな声がかかるとは思わず、ユーシーは咄嗟にアダムを見た。
「ええ。まあ、アルバイトのようなものですが」
ユーシーの視線を受け止め薄い笑みを浮かべるアダムは、その視線をルイへと向けた。
「ルイ、いいですか?」
「うん」
渋るかと思っていたユーシーだったが、ルイはすんなり了承した。
「行っておいで、ユーシー」
ルイが柔らかく微笑む。ルイがそう言うなら、大丈夫なのだろう。
こうしてルイの公認のもと、ユーシーはアダムとともにアルバイトのようなものを始めることになった。
アダムの運転する車でユーシーが連れて行かれたのは、ルイの家からさらに郊外へ行ったところにある一軒家だった。
古びてはいるが雰囲気のある、昔ながらの家のようだった。ルイの家の周りにある家よりももう少し古そうだった。
「着きましたよ、ユーシー」
車の窓から見える家に夢中になっていたユーシーはアダムの声に促されて車を降りた。家の前の駐車場は車を止めてもまだ余裕がある広さだった。
見れば見るほど普通の家にしか見えない。アダムは何のアルバイトをしているのかと考えるが、答えは見つからない。
車から降り立ったユーシーを出迎えたのは緑の香りだった。ルイの家のある場所よりも緑が多い、のどかな場所だ。空も広い。
昼間とはいえ涼しくなった。ルイの家よりも心なしか涼しい。アダムもユーシーもTシャツにデニム、パーカーを羽織ったラフな格好だ。羽織ってきたパーカーだけでは心許なくて、ユーシーは思わず自分を抱くようにして腕をさすった。
アダムと二人並んで玄関先へやってくると、ドアの脇に据え付けられた呼び鈴をアダムが押した。
ドアが開き、出てきたのは三十代と思われる短い金髪の男だ。アダムよりは背の低いひょろりとした体躯の青年は、青い瞳にアダムを映すと柔らかく微笑んだ。
「元気そうで何よりだよ、アダム」
「お久しぶりです、エゼキエル」
親しげな二人が話すのは英語で、ユーシーは胸を撫で下ろす。フランス語はまだ少ししかわからない。読めはするが、書くのも話すのもまだ苦手だった。
エゼキエルと呼ばれた短髪の男は、カメラを首から下げていた。カメラマンでもやっているのだろうかとユーシーは思う。
アダムもユーシーも手ぶらだ。彼の家の掃除の手伝いでもするのだろうか。
「そちらは?」
「新しい家族のユーシーです。見学に」
「よろしく、ユーシー。僕はエゼキエル。カメラマンだ」
「よろしく……」
差し出された手を、ユーシーは躊躇いながら握る。
「じゃあ、案内するよ。ここは僕の自宅兼スタジオなんだ」
挨拶もそこそこに中へ通されたユーシーは、物珍しそうに家の中を眺めた。
家の中はリノベーションされ、近代的な内装になっていた。
廊下を抜けて通されたのは明るいサンルームのような部屋だ。白を基調にした部屋は、家具も淡い色で統一されている。リビングだろうか。大きな窓は庭に面しているが、庭の外周は背の高い塀と木々に囲まれていて他の景色は見えない。それでも庭を彩る木々や花は綺麗で、世界から切り離されたような美しい部屋だった。
「好きなところへ座って。飲み物を用意するよ」
エゼキエルは席へと案内してくれた。掃除のアルバイトではないのだろうか。
ユーシーは釈然としないまま庭の見える窓辺のソファに座った。
「アダム、これ、何の仕事?」
さすがに不安になって、ユーシーは向かいのソファに掛けたアダムに訊いた。いつまでももやもやと定まらない気持ちを抱えているのは嫌だった。
そんなユーシーにアダムから返ってきたのは思わぬ答えだった。
「モデルです」
「モデル?」
ユーシーにはアダムとモデルの仕事が繋がらなかった。
「アダムが?」
言われてみればアダムは見目も良いし背も高い。元殺し屋だと知らなければ、言われたらそうだと思ってしまいそうだった。
そんな話をしているうちに、飲み物を持ったエゼキエルがやってきた。
「アイスティーでよかった?」
テーブルの上にグラスに入ったアイスティーが置かれる。
「うん。ありがとう」
「ありがとうございます、エゼキエル」
「さっそくだけど、ユーシー、モデルをやってみる気はあるかい?」
「え」
ユーシーはグラスに伸ばしかけた手を止め、アダムとエゼキエルの顔を交互に見た。見学だけだと思っていたのに、まさか自分がモデルをするなんて考えもしなかった。
「見たところ、君は素敵な刺青を持ってる。細身だし、髪の毛も綺麗だ。顔立ちもいいし、何より、その目の色」
戸惑いを隠せないユーシーに、エゼキエルは随分と熱のこもった声で切々と語る。
「エゼキエル、ほどほどにしておかないとルイに怒られますよ」
「えっ」
静かなアダムの声に、エゼキエルは弾かれたようにアダムを見た。エゼキエルはルイのことを知っているようだった。
「ユーシーはルイの恋人です」
アダムの言葉にエゼキエルは慌ててユーシーを見た。
「そうだったのか、すまない」
申し訳なさそうにエゼキエルは眉を下げた。
ユーシーはさほど気にならなかったが、それよりも勝手に仕事を受けてしまっても良いのかどうかの方が気がかりだった。
「これ、ルイに聞いてからの方がいい?」
「いえ、貴方の判断で構いませんよ」
アダムがそう言ってくれるなら心強い。ユーシーの心はもう決まっていた。
「ん、やるよ、モデルの仕事」
「ありがとう。新しい役者を探してたんだ。契約書を用意する。少し待っていて」
役者。ユーシーが観る映画の中に出てくるのも役者だ。それとこのモデルの仕事はどう違うのだろう。
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