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夜街迷宮
和議
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ユーシーとルイはタクシーを捕まえてジンの元へ向かった。
仕事後の慣れた景色をルイと並んで眺めるのは不思議な感じだった。ユーシーが先頭に立ち、その後にルイが続いた。
ジンのマンション周りは厳戒態勢、ということもなく、いつも通りだった。
ユーシーはいつものようにエレベーターに乗り、ジンの部屋の前に到着した。
呼び鈴を押すと、ややあって扉が開いた。
「早かったな」
「ジン」
ジンの涼し気な目がユーシーに向いて、その背後にいる影に気付いた。
その表情が固まる。
「っおい、ユーシー、そいつ」
目を見開き、その目はユーシーの、背後のルイを凝視する。
「あぁ、すまない、落ち着いて」
「ジン、レイさんは」
「ユーシー、お前、何やってんだ」
「君がジン?」
三人の言葉が交錯する。
「そうだよ。……とりあえず、入れ」
深夜のマンションの廊下。このままでは埒が明かないと思ったのか、ここで話し込んでは迷惑だと気付いたのか、ジンは渋々ではあるがユーシーとルイを招き入れた。
リビングに入るなり、ジンは奥のソファに身体を投げ出し、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
ルイとユーシーは入り口側のソファに並んで座った。
「ルーが、なんだってこんなとこに」
「挨拶だよ」
「は?」
ルイの言葉に、ジンが信じられないものを見るような目でルイを見た。無理もない。相手は殺そうとしていた石油王ルーだ。そのルーが挨拶に来たと言っても、そうそう信じられる訳がない。
「ここはもう引き上げる。君たちには手を出さない。所謂和議ってやつかな。その話をしたい。ジン、君でいいかな?」
ジンはこめかみに指を押し当てた。レイに無茶振りをされた時によく見かけるジンの癖だった。眉間に皺を寄せて少し考えた後、その目をまっすぐルイに向けた。
「レイさんに連絡するから、ちょっと待ってろ」
ジンはソファから立ち上がると部屋の隅に行ってスマートフォンを取り出し、電話をかけた。
電話が繋がると、ジンは静かに事情を話し始めた。電話の相手、レイと短い言葉をいくつか交わして、ジンは電話を切った。
「明日、一席用意するから話はそこで、だそうだ。連絡先を教えてくれ」
電話を終えたジンはソファに戻ってくると、ルイと連絡先を交換した。ユーシーは黙ってそれを見守る。
「じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
ルイが立ち上がり、続いて立ち上がったユーシーをジンが制した。
「ユーシー、お前は残れ」
言われたユーシーはジンとルイを交互に見た。そういえば、まだ銃遠返していなかったことを思い出す。
「そっか。じゃあ、またね、ユーシー」
ルイは思いのほか潔かった。ルイは隣にいるユーシーの額にキスをすると笑みを残して帰っていった。
玄関のドアの閉まる音がして、部屋の空気が緩んだのがわかった。
「……ごめん」
「怒ってねえよ」
ルイを見送ったジンは、気が抜けたのか身体を投げ出すようにユーシーの隣に座った。
「レイさんも?」
「あぁ。驚いてはいたけど。和議を取り付けるなんて、やるじゃねえか。お前、交渉もできたんだな」
「交渉なんて、してねーよ。わがまま言っただけ」
ジンは笑って、よくやるよ、と呟いた。
ユーシーは弾の減っていない銃をテーブルに置いた。結局、撃てなかった。弾の減っていない銃を返すのは初めてではなかったが、ターゲットを殺さずに銃を返すのは初めてだった。
ジンは黙ってそれを確認すると、いつものキャビネットにしまった。
「……あんな依頼、よく受けたな」
「だって、俺がやらなきゃ、ジンが」
「そうだな。けど、これはお前相手じゃなくてもそうした。それだけだ」
ユーシーは何も言わずにその琥珀色の瞳をジンに向けた。
「わかってるだろう。これは、そういう仕事だ」
ユーシーは黙って頷いた。
殺さなければならないから、やる。そういう仕事だと、ユーシーもわかっていた。
ジンはそんなユーシーを見て表情を和らげた。
「お前、ジェンイーに似てたから、お前もいつか死んじまうんじゃねーかって心配してた。だから、本当はこっちの仕事もさせたくなかったんだが」
ジンが珍しくお喋りだった。ジンは何度も言っていた。この仕事はさせたくないと。それを押し切って、殺し屋の世界に飛び込んだのはユーシーだった。
「ジェンイーに似て、仕事は恐ろしく上手かったからな」
ジンはユーシーの頭を撫でた。
「お前が無事に戻ってきてよかった」
ジンが表情を緩めた。ユーシーもつられて笑う。
「言っとくけど、今日はしねーぞ」
「やだ」
「やだじゃねーよ」
ジンの指先がユーシーの額を弾く。
赤くなった額を押さえ、ユーシーは恨めしそうにジンを見上げた。
「殺してねーんだから、必要ないだろ。それに、殺さなかったってことは、お前、ルイのところに行くって決めたんだろ」
ジンはお見通しだった。
結局、ルイに対して、引き金を引くことはできなかった。あんなになんの躊躇いもなく引いていたものが、あんなに重いとは思わなかった。
「俺は、人のもんには手を出さない主義なんだよ」
ジンが薄く笑った。
「ここにいるより、多分その方が幸せだ。あのオッサン、ポンコツそうだけど」
「ふふ、ルイのこと?」
「他に誰がいるんだよ」
二人は笑い合う。そのようすは、兄弟のようだった。
「幸せになれよ」
「今だって幸せだよ」
何を幸せというのか、ユーシーの中ではまだ曖昧なままだった。
未だ記憶に焼き付いている幼少期に比べたら、今の暮らしは幸せだと思う。これ以上の幸せがあるとするなら、それはまだユーシーが知らない幸せだった。ジンが言っているのは、それだろうか。
答えを求めてジンを見る。
「添い寝じゃ不満なくせに」
「それはジンが……」
言いかけたところで、ジンの指先がまたユーシーの額を弾いた。
「って!」
「お前はもっと愛されることを覚えろ。セックスだけじゃなくて、まぁ、色々あんだよ」
ジンは言葉を濁してユーシーの髪を雑に掻き回した。
「俺は教えてやれなかったからな」
そう言ったジンの声は少し寂しそうだった。
「そんなことないだろ。ジンは、いっぱい教えてくれた。なのに、何も返せてない」
「いいんだよ。お前はそんなこと考えるな。」
「でも……」
「じゃあ、この先、もし万が一俺やレイさんがヤバくなった時には助けに来てくれよ」
「絶対行く」
「はは、絶対ねーから安心しろ」
なおも縋るような視線を向けるユーシーの髪を、ジンは掻き回すように撫でた。
「二度と会えなくなる訳じゃねーんだ、そんな顔すんな」
「ほんと?」
「あぁ。嫌なことがあったら、いつでも帰ってこい」
「そっか、よかった」
ユーシーはジンに抱きついた。ジンの体温が染み渡るようだった。
「甘えん坊だな、シャオユー」
「いいだろ、今日くらい」
揶揄われて、ユーシーは不貞腐れる。
「おれは、ルイのものになるんだから」
そう言ったユーシーの胸は、少しだけ甘く痛んだ。
ジンのことは好きだった。
家族としても、人としても。
ジンに抱かれるのは好きだった。
時々見せる甘いその表情が、自分だけのものになればいいのにと思うこともあった。
ジンが、自分を弟のようにしか思っていない、ということにも気付いていた。
不毛な恋のようなものだった。
「ジン、俺、ジンのこと、好きだった」
「……知ってるよ、バカ」
「は」
ユーシーは間の抜けた声を上げていた。無理もない。心の底から、自分の気持ちなど少しも知られていないと思っていたからだ。
「あんなんで、バレてないとでも思ってたのか?」
揶揄うように頬をつつかれた。
つつかれた頬が熱い。返す言葉も思いつかない。ジンにはやはり敵わないと思い知らされる。
そういうところも、好きだった。
「お前には、ルイの方がお似合いだ」
甘く穏やかな声で言って目を細めたジンは、ひどく優しい顔をしていた。
仕事後の慣れた景色をルイと並んで眺めるのは不思議な感じだった。ユーシーが先頭に立ち、その後にルイが続いた。
ジンのマンション周りは厳戒態勢、ということもなく、いつも通りだった。
ユーシーはいつものようにエレベーターに乗り、ジンの部屋の前に到着した。
呼び鈴を押すと、ややあって扉が開いた。
「早かったな」
「ジン」
ジンの涼し気な目がユーシーに向いて、その背後にいる影に気付いた。
その表情が固まる。
「っおい、ユーシー、そいつ」
目を見開き、その目はユーシーの、背後のルイを凝視する。
「あぁ、すまない、落ち着いて」
「ジン、レイさんは」
「ユーシー、お前、何やってんだ」
「君がジン?」
三人の言葉が交錯する。
「そうだよ。……とりあえず、入れ」
深夜のマンションの廊下。このままでは埒が明かないと思ったのか、ここで話し込んでは迷惑だと気付いたのか、ジンは渋々ではあるがユーシーとルイを招き入れた。
リビングに入るなり、ジンは奥のソファに身体を投げ出し、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
ルイとユーシーは入り口側のソファに並んで座った。
「ルーが、なんだってこんなとこに」
「挨拶だよ」
「は?」
ルイの言葉に、ジンが信じられないものを見るような目でルイを見た。無理もない。相手は殺そうとしていた石油王ルーだ。そのルーが挨拶に来たと言っても、そうそう信じられる訳がない。
「ここはもう引き上げる。君たちには手を出さない。所謂和議ってやつかな。その話をしたい。ジン、君でいいかな?」
ジンはこめかみに指を押し当てた。レイに無茶振りをされた時によく見かけるジンの癖だった。眉間に皺を寄せて少し考えた後、その目をまっすぐルイに向けた。
「レイさんに連絡するから、ちょっと待ってろ」
ジンはソファから立ち上がると部屋の隅に行ってスマートフォンを取り出し、電話をかけた。
電話が繋がると、ジンは静かに事情を話し始めた。電話の相手、レイと短い言葉をいくつか交わして、ジンは電話を切った。
「明日、一席用意するから話はそこで、だそうだ。連絡先を教えてくれ」
電話を終えたジンはソファに戻ってくると、ルイと連絡先を交換した。ユーシーは黙ってそれを見守る。
「じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
ルイが立ち上がり、続いて立ち上がったユーシーをジンが制した。
「ユーシー、お前は残れ」
言われたユーシーはジンとルイを交互に見た。そういえば、まだ銃遠返していなかったことを思い出す。
「そっか。じゃあ、またね、ユーシー」
ルイは思いのほか潔かった。ルイは隣にいるユーシーの額にキスをすると笑みを残して帰っていった。
玄関のドアの閉まる音がして、部屋の空気が緩んだのがわかった。
「……ごめん」
「怒ってねえよ」
ルイを見送ったジンは、気が抜けたのか身体を投げ出すようにユーシーの隣に座った。
「レイさんも?」
「あぁ。驚いてはいたけど。和議を取り付けるなんて、やるじゃねえか。お前、交渉もできたんだな」
「交渉なんて、してねーよ。わがまま言っただけ」
ジンは笑って、よくやるよ、と呟いた。
ユーシーは弾の減っていない銃をテーブルに置いた。結局、撃てなかった。弾の減っていない銃を返すのは初めてではなかったが、ターゲットを殺さずに銃を返すのは初めてだった。
ジンは黙ってそれを確認すると、いつものキャビネットにしまった。
「……あんな依頼、よく受けたな」
「だって、俺がやらなきゃ、ジンが」
「そうだな。けど、これはお前相手じゃなくてもそうした。それだけだ」
ユーシーは何も言わずにその琥珀色の瞳をジンに向けた。
「わかってるだろう。これは、そういう仕事だ」
ユーシーは黙って頷いた。
殺さなければならないから、やる。そういう仕事だと、ユーシーもわかっていた。
ジンはそんなユーシーを見て表情を和らげた。
「お前、ジェンイーに似てたから、お前もいつか死んじまうんじゃねーかって心配してた。だから、本当はこっちの仕事もさせたくなかったんだが」
ジンが珍しくお喋りだった。ジンは何度も言っていた。この仕事はさせたくないと。それを押し切って、殺し屋の世界に飛び込んだのはユーシーだった。
「ジェンイーに似て、仕事は恐ろしく上手かったからな」
ジンはユーシーの頭を撫でた。
「お前が無事に戻ってきてよかった」
ジンが表情を緩めた。ユーシーもつられて笑う。
「言っとくけど、今日はしねーぞ」
「やだ」
「やだじゃねーよ」
ジンの指先がユーシーの額を弾く。
赤くなった額を押さえ、ユーシーは恨めしそうにジンを見上げた。
「殺してねーんだから、必要ないだろ。それに、殺さなかったってことは、お前、ルイのところに行くって決めたんだろ」
ジンはお見通しだった。
結局、ルイに対して、引き金を引くことはできなかった。あんなになんの躊躇いもなく引いていたものが、あんなに重いとは思わなかった。
「俺は、人のもんには手を出さない主義なんだよ」
ジンが薄く笑った。
「ここにいるより、多分その方が幸せだ。あのオッサン、ポンコツそうだけど」
「ふふ、ルイのこと?」
「他に誰がいるんだよ」
二人は笑い合う。そのようすは、兄弟のようだった。
「幸せになれよ」
「今だって幸せだよ」
何を幸せというのか、ユーシーの中ではまだ曖昧なままだった。
未だ記憶に焼き付いている幼少期に比べたら、今の暮らしは幸せだと思う。これ以上の幸せがあるとするなら、それはまだユーシーが知らない幸せだった。ジンが言っているのは、それだろうか。
答えを求めてジンを見る。
「添い寝じゃ不満なくせに」
「それはジンが……」
言いかけたところで、ジンの指先がまたユーシーの額を弾いた。
「って!」
「お前はもっと愛されることを覚えろ。セックスだけじゃなくて、まぁ、色々あんだよ」
ジンは言葉を濁してユーシーの髪を雑に掻き回した。
「俺は教えてやれなかったからな」
そう言ったジンの声は少し寂しそうだった。
「そんなことないだろ。ジンは、いっぱい教えてくれた。なのに、何も返せてない」
「いいんだよ。お前はそんなこと考えるな。」
「でも……」
「じゃあ、この先、もし万が一俺やレイさんがヤバくなった時には助けに来てくれよ」
「絶対行く」
「はは、絶対ねーから安心しろ」
なおも縋るような視線を向けるユーシーの髪を、ジンは掻き回すように撫でた。
「二度と会えなくなる訳じゃねーんだ、そんな顔すんな」
「ほんと?」
「あぁ。嫌なことがあったら、いつでも帰ってこい」
「そっか、よかった」
ユーシーはジンに抱きついた。ジンの体温が染み渡るようだった。
「甘えん坊だな、シャオユー」
「いいだろ、今日くらい」
揶揄われて、ユーシーは不貞腐れる。
「おれは、ルイのものになるんだから」
そう言ったユーシーの胸は、少しだけ甘く痛んだ。
ジンのことは好きだった。
家族としても、人としても。
ジンに抱かれるのは好きだった。
時々見せる甘いその表情が、自分だけのものになればいいのにと思うこともあった。
ジンが、自分を弟のようにしか思っていない、ということにも気付いていた。
不毛な恋のようなものだった。
「ジン、俺、ジンのこと、好きだった」
「……知ってるよ、バカ」
「は」
ユーシーは間の抜けた声を上げていた。無理もない。心の底から、自分の気持ちなど少しも知られていないと思っていたからだ。
「あんなんで、バレてないとでも思ってたのか?」
揶揄うように頬をつつかれた。
つつかれた頬が熱い。返す言葉も思いつかない。ジンにはやはり敵わないと思い知らされる。
そういうところも、好きだった。
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