1 / 13
かみうみのそのあと1
しおりを挟む
彼は、夜明けのような水辺にいた。
ずっと遠くに見える空の果ては深い黒から濃紺、青へと変わり、やがて金色になり、淡い赤に変わっている。
いつからここにいるのかわからない。ずっとここにいるような気もするし、ついさっきここへやってきたような気もする。
聞こえる音は不規則に打ち寄せる波の音だけだった。
水の中に揺蕩っていたはずが、いつのまにか器に据えられていた。図らずも得た器に魂が少し馴染んだのか、二本の足先に水の冷たさを感じた。足の裏には、冷たい砂の感触がある。
そして彼は自分に姿形があることを、足元に触れる水で知った。
ゆらゆらと波打つ水面に映ったのは、昏い空に溶けそうな黒い身体に、赤く波打つ髪と、金色の目だった。少年とも青年ともつかない痩せたその姿を見て、ただこれが自分の姿なのだと理解した。
揺れる水面をぼんやりと見つめる彼の後ろで、微かに音がした。
「やっと見つけた、マガツヒ」
甘く澄んだ音色の囁きが聞こえ、背後から真白い腕に抱かれた。
温かな腕だった。
マガツヒ。美しい声で呼ばれ、それが自分の名だと理解した。その意味も、役割も、その名を戴いた自分が何者なのかも、何をするでもなく勝手に、胸の内にあぶくのように湧いてきた。
マガツヒは、イザナギから剥がれ落ちた黄泉の穢れより生まれた、厄災の神。穢れと厄災を齎す者だ。
それなのに、その白い腕は離れることはなく、彼の黒い身体を容易く抱き上げた。
初めて目にした自分以外の誰かは、真っ白で、温かくて、美しかった。
朝日のように眩い金色の瞳がゆらりと細められる。そこにはまだ、夜のように深い黒が映っていた。
「きみの金色の目は、わたしとお揃いだね」
朝焼けが滲んだような色の唇が言葉を紡いだ。そこから届く優しく澄んだ響きは胸に染み込み、熱となって腹の底に溜まっていく。
真っ白い、美しい指を目で追う。視界はどこもかしこも彼の真白い色に埋め尽くされている。
指先が頬を撫でる。
真白い彼の名前は知らない。何もわからない。それなのに、たまらなく懐かしい。
「マガツヒ」
優しく澄んだ声に呼ばれてマガツヒの胸が締め付けられる。
黄泉の穢れから生まれたこの身体に、彼は何の躊躇いもなく触れ、大事に大事に抱き上げる。大きな身体は容易くマガツヒを抱き上げ、膝に乗せた。
夜のように深い色の身体に、真白い指が這う。
眩い白い指が血の河のような長い髪を、毛先まで丁寧に梳かしていくと、波打つ髪はとろりと素直になった。
朝焼けの色をとって差したような唇が、夜の色の身体に、何度も触れる。
温かくてくすぐったくて、マガツヒは彼の膝の上で身を捩る。
「マガツヒ」
身体を撫でる白い手は、腰を撫で、双丘の間に息づく窄まりに触れた。
「あ……」
声が漏れる。ひどく掠れた声だった。
身体がその場所に触れられるのを拒む。まだ馴染んでいない身体だが、そこに触れられたくないことだけはわかった。
「マガツヒ」
彼はその美しい唇で、美しい声で、何度も呼んだ。乞うように、甘えるように。
「だめ」
唇を震わせ首を横に振る。彼が汚れてしまう。それだけは避けなければならない。彼のことなど何もわからないのに、不思議とそう思った。
「おれは、汚い、から、だめ。あなたが、汚れてしまう」
ざらざらな声が震えて、聞くに耐えない声だというのに、彼は目を細めた。嬉しそうに微笑む、その理由がわからなかった。
「汚くないよ、マガツヒ」
甘く穏やかな響きが染み込んでくる。身体中に染み込んで、胎の中が熱くなる。
「きみは、わたしから生まれたんだから」
その言葉の意味を反芻する間もなく、熱の籠った吐息を吹き込まれ、勝手に声が漏れる。
「あ、う」
唇を吸われる。美しい色の唇が自分に触れるだけで、まだ馴染みの浅い身体は簡単に熱を募らせる。
優しく甘く口を吸われ、柔らかな内側まで掻き混ぜられる。
「っん、む」
この美しい存在に愛されて、うれしい。眦からは温かな涙が溢れた。
「ほら、マガツヒ。きみの涙はこんなに綺麗だ」
「あ……」
舌が、涙を舐め上げた。
「わたしのマガツヒ。もう何処へもやらないよ」
白い腕が、強く抱き寄せる。自分を包み込む白い腕の強さにため息が漏れる。
「マガツヒ、きみの胎に、入らせて」
美しく柔らかな声が吹き込まれ、身体が震える。
胎に、このひとが入ってくる。それがどういうことかもわからないのに、身体はまた少し熱くなった。
胎の中が、じゅくじゅくと湿って気持ちが悪い。
自分の身体なのに、何が起きているのかちっともわからない。マガツヒは縋るように彼を見上げた。真白い彼は穏やかな笑みを浮かべているだけだった。
「はら、に……」
譫言のように、マガツヒは彼の言葉を繰り返す。
「そう、きみの胎に、わたしを」
白く指先が腹を撫でた。
誘われるように、マガツヒは視線を落とす。
白い彼の腹の下、天を仰ぐ逞しい肉槍がその存在を見せつけるように揺れた。
ずっと遠くに見える空の果ては深い黒から濃紺、青へと変わり、やがて金色になり、淡い赤に変わっている。
いつからここにいるのかわからない。ずっとここにいるような気もするし、ついさっきここへやってきたような気もする。
聞こえる音は不規則に打ち寄せる波の音だけだった。
水の中に揺蕩っていたはずが、いつのまにか器に据えられていた。図らずも得た器に魂が少し馴染んだのか、二本の足先に水の冷たさを感じた。足の裏には、冷たい砂の感触がある。
そして彼は自分に姿形があることを、足元に触れる水で知った。
ゆらゆらと波打つ水面に映ったのは、昏い空に溶けそうな黒い身体に、赤く波打つ髪と、金色の目だった。少年とも青年ともつかない痩せたその姿を見て、ただこれが自分の姿なのだと理解した。
揺れる水面をぼんやりと見つめる彼の後ろで、微かに音がした。
「やっと見つけた、マガツヒ」
甘く澄んだ音色の囁きが聞こえ、背後から真白い腕に抱かれた。
温かな腕だった。
マガツヒ。美しい声で呼ばれ、それが自分の名だと理解した。その意味も、役割も、その名を戴いた自分が何者なのかも、何をするでもなく勝手に、胸の内にあぶくのように湧いてきた。
マガツヒは、イザナギから剥がれ落ちた黄泉の穢れより生まれた、厄災の神。穢れと厄災を齎す者だ。
それなのに、その白い腕は離れることはなく、彼の黒い身体を容易く抱き上げた。
初めて目にした自分以外の誰かは、真っ白で、温かくて、美しかった。
朝日のように眩い金色の瞳がゆらりと細められる。そこにはまだ、夜のように深い黒が映っていた。
「きみの金色の目は、わたしとお揃いだね」
朝焼けが滲んだような色の唇が言葉を紡いだ。そこから届く優しく澄んだ響きは胸に染み込み、熱となって腹の底に溜まっていく。
真っ白い、美しい指を目で追う。視界はどこもかしこも彼の真白い色に埋め尽くされている。
指先が頬を撫でる。
真白い彼の名前は知らない。何もわからない。それなのに、たまらなく懐かしい。
「マガツヒ」
優しく澄んだ声に呼ばれてマガツヒの胸が締め付けられる。
黄泉の穢れから生まれたこの身体に、彼は何の躊躇いもなく触れ、大事に大事に抱き上げる。大きな身体は容易くマガツヒを抱き上げ、膝に乗せた。
夜のように深い色の身体に、真白い指が這う。
眩い白い指が血の河のような長い髪を、毛先まで丁寧に梳かしていくと、波打つ髪はとろりと素直になった。
朝焼けの色をとって差したような唇が、夜の色の身体に、何度も触れる。
温かくてくすぐったくて、マガツヒは彼の膝の上で身を捩る。
「マガツヒ」
身体を撫でる白い手は、腰を撫で、双丘の間に息づく窄まりに触れた。
「あ……」
声が漏れる。ひどく掠れた声だった。
身体がその場所に触れられるのを拒む。まだ馴染んでいない身体だが、そこに触れられたくないことだけはわかった。
「マガツヒ」
彼はその美しい唇で、美しい声で、何度も呼んだ。乞うように、甘えるように。
「だめ」
唇を震わせ首を横に振る。彼が汚れてしまう。それだけは避けなければならない。彼のことなど何もわからないのに、不思議とそう思った。
「おれは、汚い、から、だめ。あなたが、汚れてしまう」
ざらざらな声が震えて、聞くに耐えない声だというのに、彼は目を細めた。嬉しそうに微笑む、その理由がわからなかった。
「汚くないよ、マガツヒ」
甘く穏やかな響きが染み込んでくる。身体中に染み込んで、胎の中が熱くなる。
「きみは、わたしから生まれたんだから」
その言葉の意味を反芻する間もなく、熱の籠った吐息を吹き込まれ、勝手に声が漏れる。
「あ、う」
唇を吸われる。美しい色の唇が自分に触れるだけで、まだ馴染みの浅い身体は簡単に熱を募らせる。
優しく甘く口を吸われ、柔らかな内側まで掻き混ぜられる。
「っん、む」
この美しい存在に愛されて、うれしい。眦からは温かな涙が溢れた。
「ほら、マガツヒ。きみの涙はこんなに綺麗だ」
「あ……」
舌が、涙を舐め上げた。
「わたしのマガツヒ。もう何処へもやらないよ」
白い腕が、強く抱き寄せる。自分を包み込む白い腕の強さにため息が漏れる。
「マガツヒ、きみの胎に、入らせて」
美しく柔らかな声が吹き込まれ、身体が震える。
胎に、このひとが入ってくる。それがどういうことかもわからないのに、身体はまた少し熱くなった。
胎の中が、じゅくじゅくと湿って気持ちが悪い。
自分の身体なのに、何が起きているのかちっともわからない。マガツヒは縋るように彼を見上げた。真白い彼は穏やかな笑みを浮かべているだけだった。
「はら、に……」
譫言のように、マガツヒは彼の言葉を繰り返す。
「そう、きみの胎に、わたしを」
白く指先が腹を撫でた。
誘われるように、マガツヒは視線を落とす。
白い彼の腹の下、天を仰ぐ逞しい肉槍がその存在を見せつけるように揺れた。
0
お気に入りに追加
37
あなたにおすすめの小説
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)
天寿を全うした俺は呪われた英雄のため悪役に転生します
バナナ男さん
BL
享年59歳、ハッピーエンドで人生の幕を閉じた大樹は、生前の善行から神様の幹部候補に選ばれたがそれを断りあの世に行く事を望んだ。
しかし自分の人生を変えてくれた「アルバード英雄記」がこれから起こる未来を綴った予言書であった事を知り、その本の主人公である呪われた英雄<レオンハルト>を助けたいと望むも、運命を変えることはできないときっぱり告げられてしまう。
しかしそれでも自分なりのハッピーエンドを目指すと誓い転生───しかし平凡の代名詞である大樹が転生したのは平凡な平民ではなく……?
少年マンガとBLの半々の作品が読みたくてコツコツ書いていたら物凄い量になってしまったため投稿してみることにしました。
(後に)美形の英雄 ✕ (中身おじいちゃん)平凡、攻ヤンデレ注意です。
文章を書くことに関して素人ですので、変な言い回しや文章はソッと目を滑らして頂けると幸いです。
また歴史的な知識や出てくる施設などの設定も作者の無知ゆえの全てファンタジーのものだと思って下さい。
怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる