海祇の岬

はち

文字の大きさ
上 下
42 / 44
ニギホシ編

堕ちた海祇の夢5

しおりを挟む
 荒瀬の心には、まだ今野がいる。

「和磨」

 そうやって呼ぶと、いつだって今野は笑ってくれた。
 そんな今野に、荒瀬は向けてはいけない感情を抱いていた。

「和磨」

 知られてはいけない。知られたらきっと、今野はもう笑ってはくれない。こうしてそばにいることも許してはくれない。

 だから、今野を助けて、ずっと、こうやってそばに、いさせて欲しかった。
 結局、自分のためだ。自分のために、生きていて欲しかった。

「和磨、和磨」

 死なないで。
 好きなんだ。
 そばにいさせて。

 荒瀬の胸には、そんな思いばかりが絶えず生まれてはあぶくのように消えていく。

 今野が好きだった。
 いなくなっても、それは変わらなかった。

「カズマ……」



 胸の痛みとともに目を覚ますと、不思議そうな顔でニギホシが荒瀬を覗き込んでいた。

「トーマ、どうして俺の花嫁の名前を知ってるの?」

 夢を見ていた。今野の夢だ。荒瀬が呼んだのは、今野の名だ。

「はな、よめ?」
「カズマは、俺の、初めての花嫁。俺のところに落ちてきた、花嫁」

 ニギホシが花嫁は全て食べたと言ったのを思い出して、荒瀬の胸は急激に冷えていく。

「あいつを、和磨を、食ったのか」

 荒瀬の問いに、ニギホシは何の迷いもなく頷く。

「うん、食った」
「どうして」
「カズマは、白くて、きれぇで、かあいくて、それからやらかくて、おいしそうだったから」

 うっとりとしたニギホシの声は続いた。

「カズマはおいしかった。他の誰よりもおいしかった。甘くて、全部甘くて」

 赤い瞳が蕩けた。

「俺とカズマはそっくりだった。みんなと同じになれない、はみ出し者。カズマは金の卵を、産んでくれた。たくさん、俺の精を飲んで、花嫁になった。卵も産んだ。それで、俺とひとつになった」

 溶け出しそうな赤い瞳で、ニギホシは荒瀬を見た。
 荒瀬は呆然とニギホシを見つめた。

「どうして」

 呟きのような、独り言のような、力無い声が漏れた。

「カズマは、俺の大切な、特別な」
「あは、俺と一緒だ」

 ニギホシが笑う。

「俺も、カズマはたいせつで、とくべつだった。なのに、食べちゃった」

 ニギホシの笑みは、悲しげに歪んだ。

「カズマは、トーマの、シンユウで、大切なものだった?」

 ニギホシは首を傾げた。

「ごめんね、トーマ」

 この気持ちを、どうしたらいいのだろう。
 喉奥が引き攣る。視界がぼやけて、目が熱を持っている。涙が溢れていた。

「トーマ、泣いてるの」

 言われて、涙が零れたのがわかった。溢れた涙は、海の水に滲んで消えた。

「泣かないで。ごめんね、トーマ」

 あやすように、ニギホシの大きな手のひらが頬を撫でる。
 ニギホシの温もりの薄い手のひらは、無垢で優しかった。

 自分にできることはもう何もない。あいつにはもうどう足掻いても会えない。
 大切で特別な人間を食った人ならざるものへ、怒ればいいのか悲しめばいいのか、憎めばいいのか。何もわからなかった。

 ただ胸の奥がざわめいている。
 今野を食ったと聞いても、殺してやろうとか、傷つけてやろうとか、そんな気持ちはかけらも生まれない。
 ニギホシを責める気持ちも生まれなかった。

 本当に、今野とひとつになったのなら、ニギホシを助けたら、今野も助けられるのではないか。
 そう思った途端に荒瀬の心は凪いだ。

 甘やかな妄執が荒瀬を絡め取ったことを、荒瀬は知らない。

「いいよ、ニギホシ。あいつの分まで、お前を救ってやる」

 そうは言ったが、救える自信はない。だめでも、一緒に死んでやることはできる。
 泡になるのは、痛いだろうかと考える荒瀬の耳に、また、海鳴りが聞こえた。



 それから、荒瀬はニギホシに抱かれ続けた。

 時の流れのわからない薄暗い洞窟で、目覚めては抱かれ、意識を失うまで絶頂を繰り返した。
 もう陸に戻れなくていい。今野はもうニギホシとひとつになってしまった。

「ニギホシ」

 ニギホシを、今野を救いたい。その身が、その心が、妄執に雁字搦めになっていることに荒瀬は気がついていない。
 花嫁になって、卵を産んで、それで、ニギホシが、今野が救われるのなら、そうしたい。
 その想いだけが、荒瀬を突き動かしていた。

「あは、うれしい、とおま、おなか、あつくて、きもちいい。いっぱいでちゃう」

 深い海の色の身体の下に閉じ込められ、腹の奥までニギホシを受け入れて、揺すられる。
 排泄のための器官だと思っていた場所は、ニギホシを受け入れ、快感を生む器官へと変わり果てていた。

「んあ、にぎ、ぉし」

 どこまで入っているのかわからない。腹の中全体が気持ちいい。はらわたを掻き回されるみたいなのに、気持ちよくて仕方なかった。中にはもう何度も精を注がれて、腹はうっすらと膨らんでいた。

「ほら、トーマのお腹が、花嫁の胎になるよ」

 腹いっぱいに注がれた温もりの薄い精を掻き回されて、腹の熱が馴染んでいくのがわかる。

「あ、う」

 熱を帯びた腹の中は歓喜するように震えている。

「トーマも、カズマみたいにたくさん産んでね」
「ひ、あ、ア」

 長くて、大きな、人のそれとは違うニギホシの性器。それが、腹のずっと深い場所に届いている。
 それは脈打ち、また温もりの薄いものを吐いて、腹が満たされていく。
 熱く疼く胎。変わっていく、胎。

「あはは、トーマの温もりが馴染んできた」

 ニギホシが喜んでいる。その声に、荒瀬の胸には温かなものが生まれる。

「あったかい。もうすぐ、もうすぐだよ、トーマ」

 ニギホシに揺すられ、腹の中を掻き混ぜられている。目の前は何度も白く眩く弾けて、脚は勝手に跳ねて、身体には力が入らない。

「おれ、食べないようにがんばるから、トーマ、ずっと、俺の花嫁でいてね」

 荒瀬は笑った。
 荒瀬の肌に、紺色の紋様が浮かぶ。
 幾何学模様で構成された紋様は、荒瀬の身体全体に刺青のように浮かんで、すぐに消えた。

「あは、花嫁の証しだ」

 ニギホシの指先が、紋様の消えた肌を這う。

「うれしい。おれの花嫁だ。トーマ、おれの花嫁」

 ニギホシが喜んでいる。
 ひどく満たされた気持ちになって、荒瀬は意識を手放した。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

カテーテルの使い方

真城詩
BL
短編読みきりです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

俺は触手の巣でママをしている!〜卵をいっぱい産んじゃうよ!〜

ミクリ21
BL
触手の巣で、触手達の卵を産卵する青年の話。

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

真・身体検査

RIKUTO
BL
とある男子高校生の身体検査。 特別に選出されたS君は保健室でどんな検査を受けるのだろうか?

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...