ぜんぶのませて

はち

文字の大きさ
上 下
28 / 34
きみのくちびるで

羽鳥の過去

しおりを挟む
 夜半過ぎ、寝付く前の甘い時間。
 後始末を終えて、羽鳥に腕枕されて脚を絡めて抱き合う。

「保さん、項、噛んで」

 眠気に蕩けた吉井の声が羽鳥の鼓膜を優しく震わせた。

「ほまれくん、俺の番になってくれるの?」
「うん。いや?」
「ううん、嬉しいよ」

 羽鳥は優しく答え、吉井の頬にかかる髪を指先で梳いた。吉井はうっとりと瞬きする。

「あのね、誉くん、昔話なんだけど、聞いてくれる?」

 何の話だろうと思いながら吉井は頷く。

「俺ね、昔、番になりたいΩがいたんだ。判定が出たのが高一で、その後すぐ知り合ったΩの子。付き合ってたんだ。男子だったんだけど。俺、その頃からこの体質でね。判定が出たくらいから、ミルクが出るようになって」

 初めて聞く話だった。それは吉井がずっと聞きたかった、羽鳥の過去の話だった。瞼を重くしていた眠気はどこかへ消し飛んだ。

「だけど、相手の子はミルクの匂いに耐えられなくて半年で別れたんだ。甘ったるい匂い、やだって。まあ、そうだよなって思った。その後も、何度かΩの子に会ったけど、ミルクが出るのは気持ち悪いとか、まあ色々言われて」

 羽鳥の表情が曇ったのを吉井は見逃さなかった。
 胸が痛んだ。そんな顔、させたくなかった。羽鳥には、柔らかな笑みの方が似合うのにと吉井は思った。
 一緒に過ごしたヒートのさなか、熱に浮かされたようなふわふわした記憶の中、どこにも行かないで、と羽鳥の声が聞こえた気がした。それは気のせいなのか願望による幻聴なのか定かではなかったが、そんなことを聞いた後では、本当に羽鳥が言ったのかもと思ってしまう。

「それ以来、なんとなくΩの子とは距離を置くようにしてた」

 だからか、と吉井は思い出して納得した。初めて会ったとき、なんとなく距離を取りたがっていたのは、そんな理由もあったのだ。

「それで、誉くんに会ったんだ。嬉しかった。ミルクのこと、嫌がらない人、初めてで」

 だからあんなにすんなり受け入れてくれたのかと、ようやく腑に落ちた。

「誉くん、ほんとに、俺でいい?」
「いい、保さんがいい。保さんじゃなきゃ、やだ」

 吉井はなおも続けた。言葉が、想いが、止まらない。

「俺は、絶対別れません。嫌いにもなりません」

 吉井は真っ直ぐに羽鳥を見つめた。羽鳥も吉井の視線を受け止めてくれた。穏やかな笑みに、胸が締め付けられる。

「ね、たもつさん、ヒートのとき、行かないでって、言った?」

 吉井の問いに、羽鳥はひと呼吸おいて小さな声を上げた。

「あ……」

 思わず零れた声だった。

「言った、かも」

 独り言のように、記憶を探りながら羽鳥の唇が紡ぐ言葉は、吉井の胸を揺らすには十分だった。
 あぁやっぱり、そうだったんだ。そんな思いが胸に落ちた。
 自分ばかり求めているような気がすることの方が多かった。だから、羽鳥がそう思ってくれていると確信が持てて、嬉しさが膨らんでいく。

「俺はどこにも行かないから。俺を、保さんの番にして」

 胸に浮かんだ言葉は、するりと声になった。飾らない、真っ直ぐな言葉だった。
 羽鳥に届いたかどうかは、その表情を見れば明らかだった。

「ありがとう、誉くん」

 はにかむような羽鳥な笑みに、運命という単語が脳裏をよぎった。期待がないと言ったら嘘になる。
 そんな大層なもの、そうそうあるわけがないとわかっている。そうだったらいいし、そうでなくても構わない。
 羽鳥と、番になりたい。鳴りを潜めたはずの吉井の中のΩが声を上げる。

「噛んで」

 無意識だった。気が付けば喉から声がでていて、言い終えてからそれに気付いたくらいだった。
 言ってしまってから、思わず羽鳥を見た。目を見開いた羽鳥は、すぐに柔らかく微笑む。

「焦らなくても、俺は逃げないよ。せっかく就職も決まったんだから」

 柔らかな、子どもを諭すような声だった。

「ね?」

 覗き込む鳶色の瞳はいつもの羽鳥のものだった。羽鳥が言ってることはわかる。せっかく就職も決まって、新社会人になったのだ。辞めるのも勿体無いし、羽鳥の言う通り、羽鳥は逃げたりしない。だから、焦る必要はないのはわかる。
 吉井自身、子供じみた理由だとわかっている。
 それでも、繋がりが欲しかった。証が欲しかった。

「ん、避妊も、ちゃんとするから、噛んでたもつさん」

 喉が渇く。
 ほしいほしいと吉井の中のΩが騒いでいる。
 物欲しげな瞳を向けると、羽鳥は鳶色を蕩かしてそれを受け止めた。

「じゃあ、次のヒートでしようか。僕も準備しておくから」

 吉井の心臓が跳ねる。次のヒートは大きくずれなければ六月の予定だ。

「ろく、がつ」

 吉井は、声を震わせた。
 そんなにロマンチストではないが、思わず考えてしまう。

「ジューンブライドみたいでしょ?」

 そんな吉井に気がついたのか、羽鳥は吉井と視線を合わせると悪戯ぽく笑い、吉井の頬を撫でた。

「ありがとう」

 吉井は羽鳥に抱きついた。羽鳥も優しく抱きしめ返してくれた。嬉しくて、胸があたたかくなる。
 新しい約束に、胸が躍る。
 擦り寄る吉井の髪を、羽鳥は優しく撫でてくれた。



 二人が番になるのは、もう少し先の話。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうして、こうなった?

yoyo
BL
新社会として入社した会社の上司に嫌がらせをされて、久しぶりに会った友達の家で、おねしょしてしまう話です。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

俺は触手の巣でママをしている!〜卵をいっぱい産んじゃうよ!〜

ミクリ21
BL
触手の巣で、触手達の卵を産卵する青年の話。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

処理中です...