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きみのくちびるで
羽鳥の過去
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夜半過ぎ、寝付く前の甘い時間。
後始末を終えて、羽鳥に腕枕されて脚を絡めて抱き合う。
「保さん、項、噛んで」
眠気に蕩けた吉井の声が羽鳥の鼓膜を優しく震わせた。
「ほまれくん、俺の番になってくれるの?」
「うん。いや?」
「ううん、嬉しいよ」
羽鳥は優しく答え、吉井の頬にかかる髪を指先で梳いた。吉井はうっとりと瞬きする。
「あのね、誉くん、昔話なんだけど、聞いてくれる?」
何の話だろうと思いながら吉井は頷く。
「俺ね、昔、番になりたいΩがいたんだ。判定が出たのが高一で、その後すぐ知り合ったΩの子。付き合ってたんだ。男子だったんだけど。俺、その頃からこの体質でね。判定が出たくらいから、ミルクが出るようになって」
初めて聞く話だった。それは吉井がずっと聞きたかった、羽鳥の過去の話だった。瞼を重くしていた眠気はどこかへ消し飛んだ。
「だけど、相手の子はミルクの匂いに耐えられなくて半年で別れたんだ。甘ったるい匂い、やだって。まあ、そうだよなって思った。その後も、何度かΩの子に会ったけど、ミルクが出るのは気持ち悪いとか、まあ色々言われて」
羽鳥の表情が曇ったのを吉井は見逃さなかった。
胸が痛んだ。そんな顔、させたくなかった。羽鳥には、柔らかな笑みの方が似合うのにと吉井は思った。
一緒に過ごしたヒートのさなか、熱に浮かされたようなふわふわした記憶の中、どこにも行かないで、と羽鳥の声が聞こえた気がした。それは気のせいなのか願望による幻聴なのか定かではなかったが、そんなことを聞いた後では、本当に羽鳥が言ったのかもと思ってしまう。
「それ以来、なんとなくΩの子とは距離を置くようにしてた」
だからか、と吉井は思い出して納得した。初めて会ったとき、なんとなく距離を取りたがっていたのは、そんな理由もあったのだ。
「それで、誉くんに会ったんだ。嬉しかった。ミルクのこと、嫌がらない人、初めてで」
だからあんなにすんなり受け入れてくれたのかと、ようやく腑に落ちた。
「誉くん、ほんとに、俺でいい?」
「いい、保さんがいい。保さんじゃなきゃ、やだ」
吉井はなおも続けた。言葉が、想いが、止まらない。
「俺は、絶対別れません。嫌いにもなりません」
吉井は真っ直ぐに羽鳥を見つめた。羽鳥も吉井の視線を受け止めてくれた。穏やかな笑みに、胸が締め付けられる。
「ね、たもつさん、ヒートのとき、行かないでって、言った?」
吉井の問いに、羽鳥はひと呼吸おいて小さな声を上げた。
「あ……」
思わず零れた声だった。
「言った、かも」
独り言のように、記憶を探りながら羽鳥の唇が紡ぐ言葉は、吉井の胸を揺らすには十分だった。
あぁやっぱり、そうだったんだ。そんな思いが胸に落ちた。
自分ばかり求めているような気がすることの方が多かった。だから、羽鳥がそう思ってくれていると確信が持てて、嬉しさが膨らんでいく。
「俺はどこにも行かないから。俺を、保さんの番にして」
胸に浮かんだ言葉は、するりと声になった。飾らない、真っ直ぐな言葉だった。
羽鳥に届いたかどうかは、その表情を見れば明らかだった。
「ありがとう、誉くん」
はにかむような羽鳥な笑みに、運命という単語が脳裏をよぎった。期待がないと言ったら嘘になる。
そんな大層なもの、そうそうあるわけがないとわかっている。そうだったらいいし、そうでなくても構わない。
羽鳥と、番になりたい。鳴りを潜めたはずの吉井の中のΩが声を上げる。
「噛んで」
無意識だった。気が付けば喉から声がでていて、言い終えてからそれに気付いたくらいだった。
言ってしまってから、思わず羽鳥を見た。目を見開いた羽鳥は、すぐに柔らかく微笑む。
「焦らなくても、俺は逃げないよ。せっかく就職も決まったんだから」
柔らかな、子どもを諭すような声だった。
「ね?」
覗き込む鳶色の瞳はいつもの羽鳥のものだった。羽鳥が言ってることはわかる。せっかく就職も決まって、新社会人になったのだ。辞めるのも勿体無いし、羽鳥の言う通り、羽鳥は逃げたりしない。だから、焦る必要はないのはわかる。
吉井自身、子供じみた理由だとわかっている。
それでも、繋がりが欲しかった。証が欲しかった。
「ん、避妊も、ちゃんとするから、噛んでたもつさん」
喉が渇く。
ほしいほしいと吉井の中のΩが騒いでいる。
物欲しげな瞳を向けると、羽鳥は鳶色を蕩かしてそれを受け止めた。
「じゃあ、次のヒートでしようか。僕も準備しておくから」
吉井の心臓が跳ねる。次のヒートは大きくずれなければ六月の予定だ。
「ろく、がつ」
吉井は、声を震わせた。
そんなにロマンチストではないが、思わず考えてしまう。
「ジューンブライドみたいでしょ?」
そんな吉井に気がついたのか、羽鳥は吉井と視線を合わせると悪戯ぽく笑い、吉井の頬を撫でた。
「ありがとう」
吉井は羽鳥に抱きついた。羽鳥も優しく抱きしめ返してくれた。嬉しくて、胸があたたかくなる。
新しい約束に、胸が躍る。
擦り寄る吉井の髪を、羽鳥は優しく撫でてくれた。
二人が番になるのは、もう少し先の話。
後始末を終えて、羽鳥に腕枕されて脚を絡めて抱き合う。
「保さん、項、噛んで」
眠気に蕩けた吉井の声が羽鳥の鼓膜を優しく震わせた。
「ほまれくん、俺の番になってくれるの?」
「うん。いや?」
「ううん、嬉しいよ」
羽鳥は優しく答え、吉井の頬にかかる髪を指先で梳いた。吉井はうっとりと瞬きする。
「あのね、誉くん、昔話なんだけど、聞いてくれる?」
何の話だろうと思いながら吉井は頷く。
「俺ね、昔、番になりたいΩがいたんだ。判定が出たのが高一で、その後すぐ知り合ったΩの子。付き合ってたんだ。男子だったんだけど。俺、その頃からこの体質でね。判定が出たくらいから、ミルクが出るようになって」
初めて聞く話だった。それは吉井がずっと聞きたかった、羽鳥の過去の話だった。瞼を重くしていた眠気はどこかへ消し飛んだ。
「だけど、相手の子はミルクの匂いに耐えられなくて半年で別れたんだ。甘ったるい匂い、やだって。まあ、そうだよなって思った。その後も、何度かΩの子に会ったけど、ミルクが出るのは気持ち悪いとか、まあ色々言われて」
羽鳥の表情が曇ったのを吉井は見逃さなかった。
胸が痛んだ。そんな顔、させたくなかった。羽鳥には、柔らかな笑みの方が似合うのにと吉井は思った。
一緒に過ごしたヒートのさなか、熱に浮かされたようなふわふわした記憶の中、どこにも行かないで、と羽鳥の声が聞こえた気がした。それは気のせいなのか願望による幻聴なのか定かではなかったが、そんなことを聞いた後では、本当に羽鳥が言ったのかもと思ってしまう。
「それ以来、なんとなくΩの子とは距離を置くようにしてた」
だからか、と吉井は思い出して納得した。初めて会ったとき、なんとなく距離を取りたがっていたのは、そんな理由もあったのだ。
「それで、誉くんに会ったんだ。嬉しかった。ミルクのこと、嫌がらない人、初めてで」
だからあんなにすんなり受け入れてくれたのかと、ようやく腑に落ちた。
「誉くん、ほんとに、俺でいい?」
「いい、保さんがいい。保さんじゃなきゃ、やだ」
吉井はなおも続けた。言葉が、想いが、止まらない。
「俺は、絶対別れません。嫌いにもなりません」
吉井は真っ直ぐに羽鳥を見つめた。羽鳥も吉井の視線を受け止めてくれた。穏やかな笑みに、胸が締め付けられる。
「ね、たもつさん、ヒートのとき、行かないでって、言った?」
吉井の問いに、羽鳥はひと呼吸おいて小さな声を上げた。
「あ……」
思わず零れた声だった。
「言った、かも」
独り言のように、記憶を探りながら羽鳥の唇が紡ぐ言葉は、吉井の胸を揺らすには十分だった。
あぁやっぱり、そうだったんだ。そんな思いが胸に落ちた。
自分ばかり求めているような気がすることの方が多かった。だから、羽鳥がそう思ってくれていると確信が持てて、嬉しさが膨らんでいく。
「俺はどこにも行かないから。俺を、保さんの番にして」
胸に浮かんだ言葉は、するりと声になった。飾らない、真っ直ぐな言葉だった。
羽鳥に届いたかどうかは、その表情を見れば明らかだった。
「ありがとう、誉くん」
はにかむような羽鳥な笑みに、運命という単語が脳裏をよぎった。期待がないと言ったら嘘になる。
そんな大層なもの、そうそうあるわけがないとわかっている。そうだったらいいし、そうでなくても構わない。
羽鳥と、番になりたい。鳴りを潜めたはずの吉井の中のΩが声を上げる。
「噛んで」
無意識だった。気が付けば喉から声がでていて、言い終えてからそれに気付いたくらいだった。
言ってしまってから、思わず羽鳥を見た。目を見開いた羽鳥は、すぐに柔らかく微笑む。
「焦らなくても、俺は逃げないよ。せっかく就職も決まったんだから」
柔らかな、子どもを諭すような声だった。
「ね?」
覗き込む鳶色の瞳はいつもの羽鳥のものだった。羽鳥が言ってることはわかる。せっかく就職も決まって、新社会人になったのだ。辞めるのも勿体無いし、羽鳥の言う通り、羽鳥は逃げたりしない。だから、焦る必要はないのはわかる。
吉井自身、子供じみた理由だとわかっている。
それでも、繋がりが欲しかった。証が欲しかった。
「ん、避妊も、ちゃんとするから、噛んでたもつさん」
喉が渇く。
ほしいほしいと吉井の中のΩが騒いでいる。
物欲しげな瞳を向けると、羽鳥は鳶色を蕩かしてそれを受け止めた。
「じゃあ、次のヒートでしようか。僕も準備しておくから」
吉井の心臓が跳ねる。次のヒートは大きくずれなければ六月の予定だ。
「ろく、がつ」
吉井は、声を震わせた。
そんなにロマンチストではないが、思わず考えてしまう。
「ジューンブライドみたいでしょ?」
そんな吉井に気がついたのか、羽鳥は吉井と視線を合わせると悪戯ぽく笑い、吉井の頬を撫でた。
「ありがとう」
吉井は羽鳥に抱きついた。羽鳥も優しく抱きしめ返してくれた。嬉しくて、胸があたたかくなる。
新しい約束に、胸が躍る。
擦り寄る吉井の髪を、羽鳥は優しく撫でてくれた。
二人が番になるのは、もう少し先の話。
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