ミロクの山

はち

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ヤツハ編

夏の終わり

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 夏が、終わろうとしていた。
 木々の間を渡る風は少しだけ冷え、山に響く蝉の音は、ツクツクボウシが混ざり始めていた。

 もうじき夏休みも終わる。
 あと何度、この階段を登ってシラハに会えるのだろうと考えるたびに、ヤツハの胸は冷え、鈍く痛んだ。
 俄雨が降る前の冷たい風のようだった。

「おかえり、ヤツハ」
「ただいま……」

 シラハと交わす挨拶は変わらない。ひどく心地よく感じるようになってもうずいぶんと経つ。シラハと身体を探り合うようになってから、性欲が堪えられなくなることは減った。
 代わりに、シラハが欲しくて仕方なくなる。
 ヤツハの身体はまたシラハとの触れ合いを思って熱を上げた。

「どうした、元気がないな」

いつものように社の階段に並んで座ると、シラハは俯くヤツハを覗き込んだ。

「もうすぐ、シラハに会えなくなるから」

 ヤツハの声が沈む。夏の終わりと同時に、ヤツハひ大学に戻らなくてはならない。こうやってシラハと過ごす暮らしも終わりだ。

「そうか」

 隣にいたシラハの手が、そっとヤツハの手を握った。

「ヤツハ、俺の宮に来てくれるか」

 どこだろう。でも、どこでもいい。もっと、シラハのそばにいたいと思った。
 ヤツハが頷くと、シラハはその端正な顔立ちに喜びを滲ませ目を細めた。

「案内する」

 立ち上がったシラハに手を引かれ、社の裏手、楠のそばへと連れて行かれる。
 散々吐き出した精の匂いがする気がして、ヤツハの胸はざわめく。
 ヤツハの内心など知るわけもなく、シラハは静かに足を止めた。
 音もなくシラハが手を前に翳すと、ヤツハの目の前に苔むした石の門のようなものが現れた。
 そこは確かに、先程まで何ない平地だった。なのに、ヤツハの背丈よりも大きな石の門は、ずっとそこにあったような不思議な存在感を放っていた。
 ヤツハは隣にいるシラハを見た。

「シラハ……?」
「行こう、ヤツハ」

 シラハに手を握られ、導かれるように門をくぐる。ヤツハの胸には不思議と恐怖心はなかった。それどころか、握った手の温もりに、ひどく安堵した。鼓動は落ち着いて、穏やかな色を響かせている。
 門を潜った先は、そこはもう山ではなく、霧に包まれた屋敷のような場所だった。
 目の前にあるのは玄関だろうか。閉ざされた木の扉が見える。

「ここが、俺の宮だ」

 シラハの声が静かに告げる。
 木の柱に、白い壁。日本家屋のような建物だった。
 二人を迎え入れるように扉が開く。
 シラハはヤツハの手を引き、屋敷の中を進む。
 どこまでも続くような廊下は静かで、二人の足跡だけがずっと響く。

「ここに、一人で住んでるの?」
「ああ。ここへ迎えるのは、伴侶だけだ」
「はんりょ」

 それが何か、ヤツハにもわかる。自分なんかが来てしまって良かったのか、ヤツハは不安になった。シラハが神様だとして、その伴侶だ。そんな大層なもの、自分が選ばれるわけもない。期待するなと言い聞かせるヤツハは、胸に生まれた鈍い痛みに気がつかないふりをした。

「俺が来て、よかったの」
「ああ」

 ヤツハの問いに、シラハは頷いてくれた。
 返ってきた思わぬ答えに、胸の痛みが薄れる。シラハが微笑みかけてくれるのが嬉しくて、ヤツハも笑った。



 二人がたどり着いたのは、中庭に面した広い部屋だった。部屋は薄暗く、ぼんやりと明るい中庭が望める。薄い闇の中で、シラハの美しい金の瞳だけが煌めいて見えた。
 部屋には二人きりだ。シラハと真っ直ぐに向き合うヤツハの目に、せつなげに眉を寄せ、金の瞳を潤ませたシラハが映る。シラハがそんな表情を見せるのは初めてだった。

「俺は、眷族の中でも蛇の力が強い。お前を怖がらせてしまわないか」
「蛇……?」
「そう。おれは山神のミロクの眷族。蛇神の一族だ」

 形の良い唇から覗く舌先は二股に裂けていた。気が付かなかった。驚きはしたが、嫌悪感は湧かなかった。

「怖くないよ」

 ヤツハは笑ってみせた。本心だった。だから、そんなに哀しげな顔をして欲しくなかった。

「これでも、か」

 眉を下げたまま、シラハがぽつりと零した。
 ずず、と何かが畳を擦る重たい音が響く。
 音のした方に目を向けると、シラハの下半身が蛇へと形を変えていた。
 着物の裾から見える、白銀の美しい鱗を纏う長い蛇の身体。
 もともと蛇に対して恐怖心や嫌悪感を持たないヤツハには、それはとても美しいものに見えた。

「怖くないよ。シラハ、綺麗だ」

 ヤツハの声に、シラハは微笑む。

「ヤツハ」

 シラハの腕が、ヤツハを抱き寄せた。息も苦しいくらいにきつく抱きしめられる。シラハの腕の中は、ひどく心地好かった。

「ヤツハ、お前を、娶りたい。花嫁にして、俺の宮に迎えたい」

 耳元に響く、甘く低い声。それは必死で、切羽詰まったものだった。

「俺、男だよ?」
「構わない。お前は俺を受け入れてくれた。だから、大丈夫だ」
「ふふ、俺がお嫁さんか」
「そうだ。ヤツハが花嫁だ」
「ふふ。いいよ」

 ヤツハは両腕をシラハの背に回した。

「っ、ぅ」

 シラハが小さくうめいた。

「シラハ、どこか痛いのか」
「ちがう。抱きたい。お前を、抱きたい」

 縋るようなシラハの掠れた声とともに、ヤツハを抱き竦める腕に力が籠った。
 シラハに、求められている。その事実が、ヤツハの胸を甘く埋めていく。
 ヤツハの内に漂う曖昧だった欲望の形が、鮮明になっていく。それはたちまち、言葉にすることができるくらいにはっきりとしたものになった。

「いいよ。抱いて、シラハ」

 迷いや躊躇いはなかった。
 ヤツハの言葉に、シラハは表情を柔らかく綻ばせた。
 ヤツハは軽々と抱き上げられてしまった。筋肉量もそれなりにある。背丈もだ。なのに、シラハはものともしない。
 横抱きに抱えられたヤツハは、頬に手を添えられそっと上を向かされた。

 熱に染まった金の瞳が見えて、そのまま唇が重なった。
 シラハと唇を重ねるのは初めてだった。とろけるような柔らかな唇が、ヤツハの唇に重なった。
 それはすぐに深く重なり、互いの舌が探り合うように絡む。混ざり合う甘い唾液を、ヤツハは喉を鳴らして飲んだ。

 シラハの唾液は甘い。花の蜜のような柔らかな甘さを、ヤツハは夢中で啜った。
 欲しがるように伸ばした舌を、シラハの裂けた舌がくすぐるように撫で、絡め取る。ざらざらと擦れ合う舌がもどかしい快感を生み、ヤツハは膝を擦り合わせた。口の中はすっかり熱に染められ、シラハの舌先にくすぐられるだけでヤツハは身体を震わせる。

 たっぷりと唾液を飲んだヤツハの腹は、灼けるように熱くなった。その熱は燃え広がる炎のようにじりじりと腹の底へと広がっていく。

「っ、あ、腹が、熱い」

 声を漏らすヤツハを宥めるように、シラハの手がヤツハの引き締まった腹を撫でる。

「ヤツハの身体が支度をしている」
「支度?」
「花嫁となる支度だ」

 その言葉に、肌の熱がまた上がった。

「お前の胎を清めて、支度をする」
「は、ら」
「飲め」
「あ、ん」

 薄く開いた唇に押し付けられる、肉色の何か。視線だけで辿れば、それはシラハから伸びる、肉色の触手のようなものだった。
 口に含まされた柔らかな先端からは、とろとろと甘い蜜のようなものが溢れてくる。さっき飲んだシラハの唾液よりもずっと濃い甘さを喉を鳴らして飲み込むと、喉が灼けるようだった。
 触手の出ていった口の中には、まだ甘い蜜の味が残っていた。
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