ミロクの山

はち

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悠真編

帰る場所

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「悠真?」

 ずっと俯いたままの悠真の顔をミロクが覗き込む。その目は変わらず美しく、穏やかな光を宿していた。

「おれは、どうなるんだ」

 悠真は震える声で胸の内を吐き出した。心臓が煩く鳴っている。手が震える。

「お前は、私の花嫁になる。大切にする。ずっとここにいてほしい」

 ミロクの手のひらがあやすように頬を撫でた。

「はな、よめ」
「悠真は帰りたいか?」
「かえる……」

 言われて、その思考がたどり着く先がないことに気付く。探しても探してもそれは見つからない。ただ虚無が口を開けているばかりで、胸の辺りが冷たくなる。

「どこ、へ?」

 どこへだろう。もう何もわからない。それが怖くて、涙が出た。悠真はミロクの前だというのも厭わず、幼子のように涙を落とす。

「どこ……」

 涙は止めどなく溢れる。頬を濡らし、ミロクの手を濡らし、顎まで伝い落ちていく。

「こわい、ミロクさま、おれ、わからない。どうなるの」

 自分の中にあったはずのものが、なくなっていた。レポートも、友達も、家族も、学校も、何もかもがぼやけて、薄れ、曖昧になっていた。

「大丈夫だよ、悠真。おいで。そんな不安、欠片も残さず消してやろう」
「あ……」

 梔子の花の香りがした。
 甘い香りが、優しく悠真を包み込む。感じたのは、安堵だった。

「おいで、悠真」

 甘く優しい誘う声。悠真は差し出された手に震える手を重ねる。
 抱き寄せられ、与えられた口づけは甘かった。
 頭の芯がとろけるように優しくぼやけていく。過去が、思い出が、溶け出していくようだった。

「骨の髄まで、愛してあげるよ」

 唇が離れ、囁かれた言葉は、空になった悠真の胸を満たしていく。

「みろくさま、うれしい」

 甘い言葉に満たされた胸は、素直に震えた。
 縋る悠真を、ミロクはきつく抱きしめた。悠真にはそれが心地よかった。バラバラになってしまいそうな心と身体が、ミロクの腕で繋ぎ止められているようだった。



 それから、悠真は何度もミロクに愛された。肉色の触手に腹の中を丁寧に拓かれ、卵を産みつけられた。膨らむ腹を撫でられ、精を注がれて、山を富ませる卵を産む。与えられるのは快感だけだった。

「ミロクさま」

 呼ぶ声には、もう恐怖も躊躇いもない。ただ甘く、縋るような媚びるような響きでミロクを呼んだ。
 愛らしい花嫁の声に、ミロクはただ笑みを深める。

「ミロクさまぁ、はら、くるしい」

 うっすらと膨らんだ腹を撫でられると、花嫁は蕩けた笑みを返す。
 甘やかな交わりは、霧に閉ざされた宮で幾度も繰り返された。
 花嫁の甘やかな声を知るのは、ミロクだけだった。



 三笠悠真の行方がわからなくなって一週間後。巳禄山の中腹の茂みで荷物が見つかった。リュックと、燃料の切れたキャンプ用のコンロだった。持ち物から、三笠悠真のものだとわかった。荷物の中にはスマートフォンもあった。
 回収されたスマートフォンのカメラロールの一番新しいところには、黒い画面がいくつも並んでいた。

 三笠悠真の行方はわからないまま、捜索は打ち切られ、やがて忘れられた。
 巳禄山には依然として遭難注意の看板が立っている。
 誰も知らない山のどこかでは今も、山神の営みが密やかに続くのだった。
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