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宗慈編
よもつへぐい
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彼が手をひとつ叩くと、部屋の外から十歳くらいの子供数人が膳を運んできた。皆一様に和服に身を包んだ小綺麗な身なりの子供だった。
あっという間に、部屋の中央、座布団の前に五人分はありそうな量の食事が運ばれてきた。
漆塗りと思われる黒い膳に乗せられた料理には、山菜やきのこ類、里芋に牛蒡に川魚もある。米は玄米だろうか。肉もある。豚のようだが、猪かもしれない。見たところ、知っている食材が多いようだ。食べても問題ないだろうと思うが、いかんせん量が多かった。
「さぁ、お食べ」
「あ、そんな、こんなに食べられないですから」
「気にしなくていい。食べられるだけ食べなさい」
「あの、ええと」
「ゆっくりでいいよ」
彼は柔らかく微笑む。その身に纏う穏やかな空気が感じられて、宗慈は小さく息を吐いた。
まだ混乱していた。命を助けられた上に、こんなに手厚くもてなされるとは思っていなかったからだ。
「……いただきます」
手を合わせて、膳から取り上げたのは美しい黒塗りの箸だった。
料理が多くて目移りした。宗慈が手前に置かれた汁椀を開けると、きのこのお吸い物が入っていた。椀を持ち上げて一口飲む。澄んだスープは出汁の味がする。飢えた身体に沁み渡るようだった。
温かな食べ物に、張り詰めていた心が緩む。
そういえば名乗っていないことを思い出す。
「あの、おれ、槙野宗慈といいます。東京から、巳禄山に登りにきて、それで、道に迷ってしまって。助かりました」
宗慈は一旦箸を置いて、居住まいを正すと男に向かって頭を下げた。
「私はこの辺りを守っているミロク」
「ミロク、って、この山の……?」
登山道の入り口にあったビジターセンターに、そんなパンフレットがあったのを思い出す。
『昔々、みろくという大きな蛇がおりました。みろくは神さまに仕える白銀色の大蛇でした。みろくは神さまと共に戦い、攻めてきた悪き神から土地を守り、山を与えられました。それがこの巳禄山です。
それ以来、みろくはこの辺り一帯を守り、豊かな山にしました』
巳禄山の成り立ちの昔話だった。
御伽噺や単なる言い伝えの類いだと思っていた。いや、そのはずだ。
ならば、目の前にいる、ミロクという名のこの美しい男は、何なのか。宗慈は考えようとするが、疲れているせいか、思考がそれ以上先に進まない。
「ミロク、さま?」
「ミロクで構わないよ」
「いやいやそんな、守り神さまなのに、呼び捨てなんて」
「宗慈は物知りだね」
微笑むミロクは否定しない。ということは、彼は、この山の守り神のミロクなのだろうか。
自分が対面しているのが山の神だなんてそうそう信じられなかったが、ミロクの纏う空気は人ならざる気配が濃く漂っていて、宗慈は納得せざるを得なかった。
「さあ、冷める前にお食べ」
ミロクに勧められ、宗慈は再び箸を取った。
口にする料理はどれも美味しく、腹も減っていたようで、結局三分の一ほどを食べてしまった。
旅館の晩ご飯のようだとぼんやり思う。
「寒かっただろう、ゆっくり休んでいきなさい」
食事が終わって膳が下げられ、少しすると腹一杯で眠くなってきた。うとうとしていると、ミロクに風呂に案内された。
宗慈が風呂から上がると、脱衣場には浴衣が用意されていた。浴衣に着替えた宗慈が元の部屋に戻ると、部屋には、布団が一式用意されていた。
まるで旅館のように至れり尽くせりで、ここに一晩泊まっていけということのようだった。
宗慈はそれに何の疑問も感じることなく布団に潜り込んだ。
布団に入ると、宗慈の意識は水に落とした砂糖のように簡単に溶け出した。
あっという間に、部屋の中央、座布団の前に五人分はありそうな量の食事が運ばれてきた。
漆塗りと思われる黒い膳に乗せられた料理には、山菜やきのこ類、里芋に牛蒡に川魚もある。米は玄米だろうか。肉もある。豚のようだが、猪かもしれない。見たところ、知っている食材が多いようだ。食べても問題ないだろうと思うが、いかんせん量が多かった。
「さぁ、お食べ」
「あ、そんな、こんなに食べられないですから」
「気にしなくていい。食べられるだけ食べなさい」
「あの、ええと」
「ゆっくりでいいよ」
彼は柔らかく微笑む。その身に纏う穏やかな空気が感じられて、宗慈は小さく息を吐いた。
まだ混乱していた。命を助けられた上に、こんなに手厚くもてなされるとは思っていなかったからだ。
「……いただきます」
手を合わせて、膳から取り上げたのは美しい黒塗りの箸だった。
料理が多くて目移りした。宗慈が手前に置かれた汁椀を開けると、きのこのお吸い物が入っていた。椀を持ち上げて一口飲む。澄んだスープは出汁の味がする。飢えた身体に沁み渡るようだった。
温かな食べ物に、張り詰めていた心が緩む。
そういえば名乗っていないことを思い出す。
「あの、おれ、槙野宗慈といいます。東京から、巳禄山に登りにきて、それで、道に迷ってしまって。助かりました」
宗慈は一旦箸を置いて、居住まいを正すと男に向かって頭を下げた。
「私はこの辺りを守っているミロク」
「ミロク、って、この山の……?」
登山道の入り口にあったビジターセンターに、そんなパンフレットがあったのを思い出す。
『昔々、みろくという大きな蛇がおりました。みろくは神さまに仕える白銀色の大蛇でした。みろくは神さまと共に戦い、攻めてきた悪き神から土地を守り、山を与えられました。それがこの巳禄山です。
それ以来、みろくはこの辺り一帯を守り、豊かな山にしました』
巳禄山の成り立ちの昔話だった。
御伽噺や単なる言い伝えの類いだと思っていた。いや、そのはずだ。
ならば、目の前にいる、ミロクという名のこの美しい男は、何なのか。宗慈は考えようとするが、疲れているせいか、思考がそれ以上先に進まない。
「ミロク、さま?」
「ミロクで構わないよ」
「いやいやそんな、守り神さまなのに、呼び捨てなんて」
「宗慈は物知りだね」
微笑むミロクは否定しない。ということは、彼は、この山の守り神のミロクなのだろうか。
自分が対面しているのが山の神だなんてそうそう信じられなかったが、ミロクの纏う空気は人ならざる気配が濃く漂っていて、宗慈は納得せざるを得なかった。
「さあ、冷める前にお食べ」
ミロクに勧められ、宗慈は再び箸を取った。
口にする料理はどれも美味しく、腹も減っていたようで、結局三分の一ほどを食べてしまった。
旅館の晩ご飯のようだとぼんやり思う。
「寒かっただろう、ゆっくり休んでいきなさい」
食事が終わって膳が下げられ、少しすると腹一杯で眠くなってきた。うとうとしていると、ミロクに風呂に案内された。
宗慈が風呂から上がると、脱衣場には浴衣が用意されていた。浴衣に着替えた宗慈が元の部屋に戻ると、部屋には、布団が一式用意されていた。
まるで旅館のように至れり尽くせりで、ここに一晩泊まっていけということのようだった。
宗慈はそれに何の疑問も感じることなく布団に潜り込んだ。
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