ミロクの山

はち

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悠真編

迎えの門

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 風の温まってきた春。巳禄山は若い草木に溢れていた。新緑の眩い山は、春の芽吹きが多く見えた。まだ若い緑があちこちを覆い、冬の痕跡を塗りつぶしていくようだった。

 そんな春の息吹に満ちた巳禄山に分け入る若者の姿があった。
 大学生の三笠悠真は、民俗学専攻の普通の男子大学生である。
 歳は二十一、背丈は一七〇センチほどで、体躯はやや痩せ型だが、フィールドワークの多い彼は足腰はしっかりしているし体力もあった。

 蛇の神の信仰について調べている悠真は調査のために巳禄山へやってきた。巳禄山には、蛇の神の言い伝えがある。登山口近くのビジターセンターにも、巳禄山の成り立ちのお伽話が書かれたパンフレットがある。そこに書かれているのは、白い蛇の神、ミロクの昔話だった。

『昔々、みろくという大きな蛇がおりました。みろくは神さまに仕える白銀色の大蛇でした。みろくは神さまと共に戦い、攻めてきた悪き神から土地を守り、山を与えられました。それがこの巳禄山です。それ以来、みろくはこの辺り一帯を守り、豊かな山にしました』

 伝承の絵には、ミロクは白い鱗の大蛇として描かれている。
 それ以外にも、巳禄山周辺に残る昔話には、蛇の神が多く出てくる。

 今はもう廃村となった村も多いが、巳禄山周辺の村には、古くから山に呼ばれるという言い伝えがある。それは行方不明であったり、遭難だったり、神隠しと言われることもあった。その神は、もちろんミロクだ。

 さらに、古い伝承には麓の村で贄を出す風習があったとされている。
 ミロクの門の下で火を焚くと、ミロク様が見つけてくださるのだとか。
 悠真が調べているのはこのミロクの話だった。

 そんなミロクの痕跡を求めて、美しい新緑の中を悠真は地図とコンパスアプリを頼りに進む。
 巳禄山は山の中腹くらいまで原生林の中を進むようになっている。それで道を見失うものも少なくない。

 五年前、この山では一件の遭難事件があった。荷物だけが残され、遺体は見つからなかった。
 そんなことがあったため、悠真は慎重に登山道を進んでいた。そのはずだった。

 若い草の生い茂る獣道のような登山道を進んでいたはずが、悠真はいつの間にか登山道を外れた場所にいた。
 いつの間に道を逸れたのかわからなかった。
 道を逸れたのだとわかったのは、悠真の目の前に突然平地が現れたからだった。
 木々の生い茂る中に突然開けたそこは、山の斜面ながら狭い平地になっていた。そして、その中央には石でできた門のようなものが鎮座している。

「なんだ、これ」

 思わず声が出た。

「門……?」

 巨石を積んで作ったような苔むしたそれは門のように見えた。朽ちて千切れた注連縄が垂れ下がっているところを見ると、何か信仰の対象物だろうかと思う。
 資料として、スマートフォンでそれを写真に残す。
 悠真はその周りをぐるりと一周回った。石には特に何か彫られている様子も見えない。
 苔に覆われたそれは、ずっと昔からそこにあるだろうことが窺えた。
 マップアプリに史跡があった記憶もない。この辺りの史跡は調べ尽くしたと思っていたので、妙な気分だった。こんな大きなものを、見落とす人間がいるとも思えなかった。

 そんな悠真のすっきりしない胸中を映すかのように、先程まではいい天気だったはずが、葉を打つ賑やかな音とともに雨が降り出した。
 落ちてくる大きな雨粒に、悠真は慌ててその門の下に入った。

 門の下は成人男性一人なら雨宿りするには困らない大きさだった。
 雨足は強まり、雨音が辺りを埋め尽くす。辺りはすっかり暗くなっていた。
 天気予報は確認したが、雨が降る予定はなさそうだった。山の天気だから仕方ないかたら思うが、風も冷えてきて、悠真は小さく身震いした。

 春とはいえ、気温が下がれば命の危険もある。悠真は座ると食事のために持ってきていたキャンプ用のコンロをリュックから出して火をつけた。
 雨が止むのを待ちながら揺れる炎を眺めてぼんやりしている悠真のもとに、不意に梔子の花のような匂いが流れてきた。
 まだ、梔子の花の時期には早い。何だろうと思っていると、背後に気配を感じた。

「おや、かわいい花嫁だな」

 男の声がして、悠真は弾かれたように顔を上げた。人の声だ。
 振り返ると背後に白い着物の青年が立っていた。背は悠真より高い。白い髪は頬の高さで整えられていて、白い肌に瞳は金色で、整った顔立ちをしている。歳は二十一の悠真よりも少し上くらいに見える。静かに佇む彼に人ならざる気配を濃く感じて、悠真は息を呑む。白い着物を着ているが、その着物に濡れた様子はない。美しいその男は、薄暗い山中で、うっすらと発光しているようにも見えた。
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