ミロクの山

はち

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宗慈編

巳禄山

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 険しい山の中腹。深い森の最奥に、それはあった。大きな岩を積んで作られた、苔むした門のような構造物。朽ちて千切れた注連縄が時折風に揺れる。
 それが何なのか、知る者はいない。
 作られたのはずっと昔。
 彼が山の神と呼ばれ、信仰されていた頃のこと。

 十年勤めた会社を退職し、次の職を探す前に、気分転換に巳禄山みろくやまへやってきたのは、槙野まきの宗慈そうじ、三十二歳。趣味は登山。普段から筋トレとランニングは欠かさない。長い休みにはあちこち登山に行くが、ここ数年は激務続きだった上、プライベートでも両親の他界などで慌しく、とても登山どころではなかった。

 少し前まで付き合っていた彼女と別れてから、しばらく恋愛もしていない。
 正直なところ、生きることに疲れていた。ひと月くらい、ゆっくり休んでから次の職場を探そうかと思っていたところだった。

 宗慈がかねてから行ってみたいと思っていた巳禄山は、それなりに難易度のある山だった。
 中腹までは鬱蒼とした原生林の中を進む。そのせいで方角を見失うものも少なくないようで、登山道の途中には注意を促す看板がいくつも立てられていた。
 登山道は生い茂る木々で昼間とはいえ薄暗い。足元は人ひとりがやっと通れる幅の獣道だった。

 斜面を横切る道に差し掛かった。依然として道幅は狭く、季節は秋ということもあり降り積もる枯葉も多い。
 落ち葉の積もった斜面、慎重に足を進めていたはずが、宗慈は足を滑らせ、登山用の装備があるせいでそのままバランスを崩して斜面を転がる。

 そのまま斜面を滑り落ちてしまった。
 傾斜は急だったが、降り積もった落ち葉のおかげか、怪我はなさそうだった。見上げると、随分と下の方まで滑り落ちてしまったらしい。
 斜面をほぼ真っ直ぐ降りてきたのでそのまま戻ればいいのだが、傾斜のきつい斜面はそれを許してくれなかった。
 登山道へは、少し先に見えるなだらかな斜面から迂回をして戻るほかなさそうだった。

 幸い、怪我はなさそうだった。落ち葉がクッションになっていたのか、痛めたところもなく、問題なく歩けた。
 一旦休憩をして、そちらへ向かう。
 スマートフォンは電波が入らず使えない。
 頼りになるのは地図とコンパスだけだった。

 昼前には山頂に着く予定でいたが、このままでは帰れるかどうかもわからない。
 そうこうしているうちに雨が降り出した。予報ではそんなことは言っていなかったが、山の天気は変わりやすい。
 宗慈はマウンテンパーカーのフードを被り、雨の登山道を進んだ。

 緩やかな斜面を登り切ったところで、不意に視界が開けた。

 登山道に戻ったかと思ったが、そうではなかった。森の中、見つけたのは大きな岩で作られた、人工物ではないかと思われる門のような構造物。千切れたしめ縄のようなものは見えるが、背に腹は変えられない。

 落胆はあったが、休めそうな場所だったのは幸いした。
 日はまだ高いはずだが、降り出した雨のせいか、薄暗い森が一層暗くなる。
 なんとか人ひとりが収まる岩の門の下、ガスコンロに火をつけ湯を沸かして暖をとり、簡単な食事をする。
 気温も下がってきた。
 このまま死ぬかもしれないと思いながら、宗慈膝を抱えた。足元で枯れ葉が乾いた音を立てて砕ける。

 山へ入るまでは、最悪、遭難してもいいと思っていた。
 心の片隅には、死がいつもちらついていた。それでも、いざ遭難してみれば、死にたくないと思う自分がいた。
 霧のような雨は止むことなく、音もなく降り続いていた。
 飢えて死ぬか、寒くて死ぬか、どちらになるだろう。そんなことを考えながらちらちらと揺れるキャンプ用のコンロの炎を眺めるうち、宗慈はいつの間にか眠っていた。
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