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後日譚
花嫁教育
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ジェジーニアの甲斐甲斐しい世話のおかげで、十日も経つとアウファトの体調はすっかり戻った。もう起き上がれるし、食事もできるようになった。部屋から出て庭の散歩もできるが、しばらくはベッドでゆっくりするように言われた。竜王の卵を産むのは、人間の身体には大きな負担らしい。
ベッドの上で大人しくしているアウファトのもとにやってきたのは、白緑色の角の竜王、キールヘイゼンだった。長身ですらりとした細身の体躯に、優しそうな顔立ちの竜王だ。
「身体はどうですか、アウファト」
キールヘイゼンの穏やかな声は、心地好くアウファトの鼓膜を震わせた。
「あなたは……」
「キールヘイゼンです。こうして話すのは初めてですね」
キールヘイゼンは、庭にやってきたときにアウファトの腹に卵があることを見抜いた竜王だ。
あの時は緊張でそれどころではなかったが、話してみると物腰の柔らかい優しそうな竜王だった。
「ええ」
「ふふ、そんなに畏まらなくてもいいんですよ。年齢でいえば、私はフィノよりも年下ですから」
「あ……」
まずいことをしたと思ったアウファトは、小さな声を漏らした。フィノイクスにはあんな口の聞き方をしているが、フィノイクスも、竜王だ。
その様子を見て、キールヘイゼンは薄く笑う。
「もう、起きられるようになったんですね」
「ええ。だいぶ良くなりました」
アウファトが笑うと、キールヘイゼンも微笑んだ。
「フィノイクスから、あなたに花嫁の話をするようにと」
「フィノイクスから?」
「何から話しましょうか。われわれ竜王がどういうものかは知っていると聞いています」
「ああ」
「アウファト、あなたは竜王の花嫁としてジェジーニアに迎えられました。竜王の花嫁は、竜王の卵を産むもの。そして、伴侶として竜王とともにその長い生を歩むもの」
「長い、生」
「うなじに、証があるでしょう。それは、竜王と同じときを生きる証です」
アウファトの指先はうなじを撫でた。傷はもう癒えたが、そこには確かにジェジーニアの残した痕がある。
「あなたは、人とは違う時間を生きることになります。友人たちは先に亡くなるでしょう。人よりも長命な竜人さえも超えて、竜王とともに生きることになります。寂しくなったら、いつでもここへ来てください」
「ジェジーニアが死んだら、俺はどうなるんだ」
「竜王とともに死ぬのが伴侶の運命です」
「それなら、寂しくないな」
「あなたが優しい人でよかった」
「優しくなんて……」
「永遠を求めるものは少なくない。竜王を置いてでも生きながらえたいと思うものもいますが、それは叶わないこと。それを理解してくれているあなたが、ジェジーニアの伴侶になってくれてよかった」
まるで親のように、キールヘイゼンはその美しい瞳を細めた。美しい緑の宝石のような瞳は、慈愛に満ちた光を湛えている。
「花嫁としての素養は、もう十分あるようですね」
「そう、ですか」
それからも、アウファトは休みながら、竜王の花嫁としての教育を受けた。教育といっても堅苦しい講義ではなく、絵本の読み聞かせのような、穏やかなものだった。
その間にも、卵には日々ジェジーニアやフィノイクス、他の竜王たちも力を与えにやってきた。
卵の上に手をかざす。それだけだ。そこで何が起きているのか、アウファトにはわからない。
「卵が孵るまで、どれくらいかかるんだ」
やってきたフィノイクスに、アウファトが尋ねた。
「人間の感覚で一年から三年、といったところかな。五年や十年かかることもあるけど、こればかりは卵次第なんだ。ジェジーニアの時はどうだったかな。生まれる時には教えてあげるよ」
フィノイクスはにこやかに答えた。
ずっと腹で抱えるわけではないから気は楽だが、それにしてもずいぶんと気まぐれだ。
これが竜王の卵なのかと、アウファトは寝台の上からフィノイクスの笑みを眺めた。
ベッドの上で大人しくしているアウファトのもとにやってきたのは、白緑色の角の竜王、キールヘイゼンだった。長身ですらりとした細身の体躯に、優しそうな顔立ちの竜王だ。
「身体はどうですか、アウファト」
キールヘイゼンの穏やかな声は、心地好くアウファトの鼓膜を震わせた。
「あなたは……」
「キールヘイゼンです。こうして話すのは初めてですね」
キールヘイゼンは、庭にやってきたときにアウファトの腹に卵があることを見抜いた竜王だ。
あの時は緊張でそれどころではなかったが、話してみると物腰の柔らかい優しそうな竜王だった。
「ええ」
「ふふ、そんなに畏まらなくてもいいんですよ。年齢でいえば、私はフィノよりも年下ですから」
「あ……」
まずいことをしたと思ったアウファトは、小さな声を漏らした。フィノイクスにはあんな口の聞き方をしているが、フィノイクスも、竜王だ。
その様子を見て、キールヘイゼンは薄く笑う。
「もう、起きられるようになったんですね」
「ええ。だいぶ良くなりました」
アウファトが笑うと、キールヘイゼンも微笑んだ。
「フィノイクスから、あなたに花嫁の話をするようにと」
「フィノイクスから?」
「何から話しましょうか。われわれ竜王がどういうものかは知っていると聞いています」
「ああ」
「アウファト、あなたは竜王の花嫁としてジェジーニアに迎えられました。竜王の花嫁は、竜王の卵を産むもの。そして、伴侶として竜王とともにその長い生を歩むもの」
「長い、生」
「うなじに、証があるでしょう。それは、竜王と同じときを生きる証です」
アウファトの指先はうなじを撫でた。傷はもう癒えたが、そこには確かにジェジーニアの残した痕がある。
「あなたは、人とは違う時間を生きることになります。友人たちは先に亡くなるでしょう。人よりも長命な竜人さえも超えて、竜王とともに生きることになります。寂しくなったら、いつでもここへ来てください」
「ジェジーニアが死んだら、俺はどうなるんだ」
「竜王とともに死ぬのが伴侶の運命です」
「それなら、寂しくないな」
「あなたが優しい人でよかった」
「優しくなんて……」
「永遠を求めるものは少なくない。竜王を置いてでも生きながらえたいと思うものもいますが、それは叶わないこと。それを理解してくれているあなたが、ジェジーニアの伴侶になってくれてよかった」
まるで親のように、キールヘイゼンはその美しい瞳を細めた。美しい緑の宝石のような瞳は、慈愛に満ちた光を湛えている。
「花嫁としての素養は、もう十分あるようですね」
「そう、ですか」
それからも、アウファトは休みながら、竜王の花嫁としての教育を受けた。教育といっても堅苦しい講義ではなく、絵本の読み聞かせのような、穏やかなものだった。
その間にも、卵には日々ジェジーニアやフィノイクス、他の竜王たちも力を与えにやってきた。
卵の上に手をかざす。それだけだ。そこで何が起きているのか、アウファトにはわからない。
「卵が孵るまで、どれくらいかかるんだ」
やってきたフィノイクスに、アウファトが尋ねた。
「人間の感覚で一年から三年、といったところかな。五年や十年かかることもあるけど、こればかりは卵次第なんだ。ジェジーニアの時はどうだったかな。生まれる時には教えてあげるよ」
フィノイクスはにこやかに答えた。
ずっと腹で抱えるわけではないから気は楽だが、それにしてもずいぶんと気まぐれだ。
これが竜王の卵なのかと、アウファトは寝台の上からフィノイクスの笑みを眺めた。
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