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後日譚
花嫁の証
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「さて、アウファト。君のお腹にあるのは竜王の卵だ。わかるね?」
「たまご……」
やはりそうなのかと、アウファトは自分の平らな腹を撫でる。この薄い腹の中に卵が宿っているなどと、そう簡単には信じられなかった。
まだ受け止められないでいるアウファトに、フィノイクスは続けた。
「それは、君たちだけだはなく、我々にも大切なものだ」
「っ、え」
そんなに大切なものなのかと、アウファトは目を瞠る。両親が大切にするならまだしも、竜王が、というのはどういうことなのか。わからないアウファトは困惑したままフィノイクスを見つめた。
「その卵は我々が守護する」
「はあ……」
ずいぶんと大変なことになったと思いながらも、ひとりで抱え込まなくてもいいのかと思うと少し気が楽になった。
自分が卵を抱え、産むことになるなんて、三十年ほどの人生の中で一度も考えたことなどなかった。
以前フィノイクスが言っていた『性など瑣末なこと』というのを身をもって知ることになっても、アウファトはただ呆然とするばかりだった。
「ジェジーニアからは、毎日力はもらってる?」
「力?」
「あげてる。あうはいつもお腹いっぱいにしてる」
「ならよかった。人間の母体は飢えやすいからね」
「まってくれ、どういうことだ。俺の腹が減らないのと、何か関係が……」
どうも自分を置き去りにして話が進んでいる気がして、アウファトは声を上げた。ジェジーニアから何か与えられているわけでもない。
「ジェジーニア、説明はした?」
「ン。あうのおなかの卵に、ご飯をあげてるって言った」
「ふざけてたんじゃないのか……」
ジェジーニアが口づけをする口実に冗談で言っているのだと思っていた。
「ふふ、竜王の卵は、竜王の力で育つ。それは口づけで与えられるものだ。他の方法で与えることもできるけどね」
アウファトは信じられないものを見る目でフィノイクスを見た。
ジェジーニアとは、定期的に身体を重ねている。それすらも全部見通されているようで、勝手に顔に熱が集まる。
「ふふ、そんな顔しないで。皆していることだよ」
揶揄われているのだとわかるが、竜王に囲まれた状況で、閨ごとまで把握されているみたいで、なんだか居た堪れなくなって、アウファトは俯いた。
「さて、アウファト。今日僕がここへ来たのは、この話をするだけじゃないんだ。君が竜王の花嫁として認められた証だ。これを」
おそるおそる顔を上げたアウファトは、フィノイクスから差し出されたものを見て息を呑んだ。
黒い柄と鞘に金色の美しい花の装飾の施された短剣だった。
「断罪の為の剣だ」
その名を聞いて、アウファトは身を強張らせる。
フィノイクスに聞かされた話を思い出して受け取る手が震えた。
使わずに済むのならそれに越したことはない。
ジェジーニアが竜王としての道を違えたときにアウファトが使うための刃だ。
アウファトは差し出した手のひらに乗せられた重みに小さく身震いした。
ジェジーニアの命を絶やすもの。そんなものを自分が持つことに、緊張で胸の奥が冷たくなった。
これが竜王の花嫁の責任なのか。アウファトはうまく回らない頭で考える。
「心配いらないよ。これを使うことはほとんどない。トルヴァディアのあれは、例外中の例外だ」
静かな声に、アウファトは縋るように声の主を見た。
アウファトの手は、震えながらも鞘に収まった小ぶりな剣をしっかりと握る。これが誤って誰かの手に渡れば、ジェジーニアの命を奪うものとなる。それは、フィノイクスに聞かされた昔話で知ったことだ。
同じ過ちを繰り返してはいけない。アウファトの喉が強張る。
そんなアウファトの視線を受け止めて、神の使いのような美しい少年は目を細める。
「心配いらない。ジェジーニアは、僕たちがちゃんと導くよ」
フィノイクスは優しく笑ってみせた。
「そのために僕たちがいる」
「そういうことだ」
フィノイクスに続いたのは白銀の角の竜王だった。
「ようやく竜王が揃ったのだ。早く一人前になってもらわねばな」
白銀の角の竜王ニヤリと不敵に笑うと、ジェジーニアが珍しく渋い顔をした。
「うぅ」
時々泣き言を言いながら帰ってくるのはそういうことかと、アウファトはようやく理解した。
こうして、アウファトは竜王たちに、そして神から正式に黒き竜王ジェジーニアの花嫁として認められたのだった。
竜王たちが去ったあと、部屋に戻ったアウファトは賜った断罪の剣を机の引き出しの一番奥にしまった。
使うことがないように、使う日が来ないように、祈りながら。
「あう?」
閉じた引き出しを撫でたまま動かないアウファトを、ジェジーニアが不思議そうに覗き込んだ。
「俺は……」
「大丈夫だよ、あう」
ジェジーニアの大きな手のひらが、引き出しに張り付いたままのアウファトの手を取った。包み込むような温かな手に、アウファトの胸には安堵が広がる。
「あうにはこれを使わせないから、大丈夫」
芯のある声とともにジェジーニアが微笑んだ。細められた金色の瞳にはアウファトが映っている。
「ありがとう、ジジ」
表情を緩めたアウファトを、ジェジーニアはしっかりと抱きしめる。逞しいつがいの腕の中に収められて、アウファトは小さくため息をついた。
ジェジーニアの声を聞くと、不思議と大丈夫だと思える。きっと竜人よりもずっと強い力を持つ竜王の声だからなのだろう。魔力を帯びた声は、柔らかくアウファトの鼓膜を揺らす。
擦り寄った温もりは、いつもよりもずっと濃く甘やかなものに思えた。
「たまご……」
やはりそうなのかと、アウファトは自分の平らな腹を撫でる。この薄い腹の中に卵が宿っているなどと、そう簡単には信じられなかった。
まだ受け止められないでいるアウファトに、フィノイクスは続けた。
「それは、君たちだけだはなく、我々にも大切なものだ」
「っ、え」
そんなに大切なものなのかと、アウファトは目を瞠る。両親が大切にするならまだしも、竜王が、というのはどういうことなのか。わからないアウファトは困惑したままフィノイクスを見つめた。
「その卵は我々が守護する」
「はあ……」
ずいぶんと大変なことになったと思いながらも、ひとりで抱え込まなくてもいいのかと思うと少し気が楽になった。
自分が卵を抱え、産むことになるなんて、三十年ほどの人生の中で一度も考えたことなどなかった。
以前フィノイクスが言っていた『性など瑣末なこと』というのを身をもって知ることになっても、アウファトはただ呆然とするばかりだった。
「ジェジーニアからは、毎日力はもらってる?」
「力?」
「あげてる。あうはいつもお腹いっぱいにしてる」
「ならよかった。人間の母体は飢えやすいからね」
「まってくれ、どういうことだ。俺の腹が減らないのと、何か関係が……」
どうも自分を置き去りにして話が進んでいる気がして、アウファトは声を上げた。ジェジーニアから何か与えられているわけでもない。
「ジェジーニア、説明はした?」
「ン。あうのおなかの卵に、ご飯をあげてるって言った」
「ふざけてたんじゃないのか……」
ジェジーニアが口づけをする口実に冗談で言っているのだと思っていた。
「ふふ、竜王の卵は、竜王の力で育つ。それは口づけで与えられるものだ。他の方法で与えることもできるけどね」
アウファトは信じられないものを見る目でフィノイクスを見た。
ジェジーニアとは、定期的に身体を重ねている。それすらも全部見通されているようで、勝手に顔に熱が集まる。
「ふふ、そんな顔しないで。皆していることだよ」
揶揄われているのだとわかるが、竜王に囲まれた状況で、閨ごとまで把握されているみたいで、なんだか居た堪れなくなって、アウファトは俯いた。
「さて、アウファト。今日僕がここへ来たのは、この話をするだけじゃないんだ。君が竜王の花嫁として認められた証だ。これを」
おそるおそる顔を上げたアウファトは、フィノイクスから差し出されたものを見て息を呑んだ。
黒い柄と鞘に金色の美しい花の装飾の施された短剣だった。
「断罪の為の剣だ」
その名を聞いて、アウファトは身を強張らせる。
フィノイクスに聞かされた話を思い出して受け取る手が震えた。
使わずに済むのならそれに越したことはない。
ジェジーニアが竜王としての道を違えたときにアウファトが使うための刃だ。
アウファトは差し出した手のひらに乗せられた重みに小さく身震いした。
ジェジーニアの命を絶やすもの。そんなものを自分が持つことに、緊張で胸の奥が冷たくなった。
これが竜王の花嫁の責任なのか。アウファトはうまく回らない頭で考える。
「心配いらないよ。これを使うことはほとんどない。トルヴァディアのあれは、例外中の例外だ」
静かな声に、アウファトは縋るように声の主を見た。
アウファトの手は、震えながらも鞘に収まった小ぶりな剣をしっかりと握る。これが誤って誰かの手に渡れば、ジェジーニアの命を奪うものとなる。それは、フィノイクスに聞かされた昔話で知ったことだ。
同じ過ちを繰り返してはいけない。アウファトの喉が強張る。
そんなアウファトの視線を受け止めて、神の使いのような美しい少年は目を細める。
「心配いらない。ジェジーニアは、僕たちがちゃんと導くよ」
フィノイクスは優しく笑ってみせた。
「そのために僕たちがいる」
「そういうことだ」
フィノイクスに続いたのは白銀の角の竜王だった。
「ようやく竜王が揃ったのだ。早く一人前になってもらわねばな」
白銀の角の竜王ニヤリと不敵に笑うと、ジェジーニアが珍しく渋い顔をした。
「うぅ」
時々泣き言を言いながら帰ってくるのはそういうことかと、アウファトはようやく理解した。
こうして、アウファトは竜王たちに、そして神から正式に黒き竜王ジェジーニアの花嫁として認められたのだった。
竜王たちが去ったあと、部屋に戻ったアウファトは賜った断罪の剣を机の引き出しの一番奥にしまった。
使うことがないように、使う日が来ないように、祈りながら。
「あう?」
閉じた引き出しを撫でたまま動かないアウファトを、ジェジーニアが不思議そうに覗き込んだ。
「俺は……」
「大丈夫だよ、あう」
ジェジーニアの大きな手のひらが、引き出しに張り付いたままのアウファトの手を取った。包み込むような温かな手に、アウファトの胸には安堵が広がる。
「あうにはこれを使わせないから、大丈夫」
芯のある声とともにジェジーニアが微笑んだ。細められた金色の瞳にはアウファトが映っている。
「ありがとう、ジジ」
表情を緩めたアウファトを、ジェジーニアはしっかりと抱きしめる。逞しいつがいの腕の中に収められて、アウファトは小さくため息をついた。
ジェジーニアの声を聞くと、不思議と大丈夫だと思える。きっと竜人よりもずっと強い力を持つ竜王の声だからなのだろう。魔力を帯びた声は、柔らかくアウファトの鼓膜を揺らす。
擦り寄った温もりは、いつもよりもずっと濃く甘やかなものに思えた。
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