【完結】ゼジニアの白い揺籠

はち

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後日譚

ある朝の話

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 アウファトが王から譲り受けた屋敷に耳慣れない大きな羽音が近付いてきたのは、引っ越しが落ち着いてしばらくしてからのある朝のことだった。



 夏の気配はすっかり薄れ、窓から見える庭の草木には朝露が降り、夜明けから間もない清らかな陽射しを受けてきらめいていた。
 鳥の鳴き声も聞こえる、穏やかな朝。
 起き出したアウファトは台所に立ち、ジェジーニアのための朝食の支度を始めていた。
 このところアウファトは食事を摂らない。用意する食事はジェジーニアの分だけだ。アウファトが摂るのは水分だけ。今朝も火を起こして湯を沸かして、お茶を淹れる支度がそれだ。
 後から起きてきたジェジーニアは支度をするアウファトにそっと抱きつく。

「あう」
「ん、おはよう、ジジ」
「卵に、ごはんだよ」

 ジェジーニアは甘やかな声とともにアウファトを抱き寄せ、起き抜けの無防備な唇に口づける。
 真っ白い朝日の差し込む台所で交わされるつがいの甘やかな触れ合いを、アウファトは拒むこともなく素直に受け入れた。

 ジェジーニアからの口づけだけで、アウファトは満たされていく。どうなっているのかわからないが、事実、アウファトはジェジーニアとの口づけだけで一日中何も食べないで平気だった。
 卵に、というが、アウファトも満たされている。朝、起きてすぐと、夜、日が暮れてから。ジェジーニアが日中家にいる日は昼間も与えられる。それだけで腹が減らないのはアウファトには不思議だった。

 ジェジーニアはアウファトの腹に卵があると言うが、アウファトはまだ薄い自分の腹に卵があるのだと信じられないでいた。そっと撫でても、そこに何かがあるとは思えなかった。

 ジェジーニアの唇が静かに離れる。胸に生まれるもの寂しさに、アウファトは無意識に縋るような視線をジェジーニアに向けた。
 ジェジーニアはそれに気がついたのか、優しく微笑むとうっすらと熱を帯びたアウファトの頬を撫でた。

「あう、俺もお腹減った」
「そうだな、食事にするか」



 台所のそばに設えられた木製の食卓と椅子は、二人の食事のときの定位置になっていた。
 元は王の持ち物だっただけあって、繊細な装飾の施された食卓は、丈夫そうな硬い木でできていた。椅子は、体に沿うように曲線で作られて、長く座っても苦にならなそうだった。

 ジェジーニアが嬉しそうにアウファトの用意したパンを頬張る。アウファトが作り方を教わって家で焼いたものだ。美味しそうに食べるジェジーニアを眺めながら、今日の予定を頭の中で確かめる。

 ジェジーニアは朝、食事を終えると竜王の宮へと出向く。竜王の務めを果たすためだ。
 その間、アウファトは研究室へ行ったり、何もない日は家で講義の支度をする。日によっては家の掃除や洗濯もする。ジェジーニアがいるときはジェジーニアも一緒だ。

 今日は明日の講義の支度がある。余裕があれば庭の手入れでもしようかとアウファトが思ったところで、聞きなれない羽音が聞こえた。
 それも、一つではない。鳥にしては随分と大きな、ゆったりとした羽音がいくつか重なって聞こえる。
 アウファトが気が付いたのと、ジェジーニアが窓の外を見たのは同時だった。

「誰か来た」

 ジェジーニアの声で、アウファトはそれが鳥などではないことを知った。

「フィノだ」

 羽音だけでわかるのかと、アウファトはジェジーニアの横顔を見る。
 ジェジーニアも不思議そうな顔をしている。
 アウファトにもフィノイクスがやってくる理由がわからなかった。気まぐれなようで、いつも何かしらの目的を持っているフィノイクスが、何のために。考えても、その答えはアウファトの中には見つからなかった。

 アウファトの胸に生まれた不安を察したのか、ジェジーニアが窓の外に向けていた黄昏色の瞳をアウファトへと向けた。

「大丈夫だよ」

 ジェジーニアの柔らかな声と笑みは、アウファトの強張った心と身体を緩めていく。

「行こうか」
「ああ」

 ジェジーニアに手を取られ、アウファトは朝食の途中にもかかわらず、ジェジーニアと庭に出た。
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