【完結】ゼジニアの白い揺籠

はち

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愛の輪郭

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 カーテンから漏れる白い光に、アウファトは朝の訪れを知った。
 まだ頭の芯が幸福感に浸されて、いつになくぼんやりと迎えた朝だった。

 外行きの服に着替えると、アウファトは宿舎のシエナの部屋を訪れ、しばらく休む旨を伝えた。
 シエナは快く了承してくれた。アウファトの見立てでは、シエナならばもう一人でも問題ないと思っていた。シエナの善意に甘えせさてもらい、アウファトは部屋に戻った。

 王に言われた通り、少し休んだ方がいいのかもしれない。ジェジーニアを目覚めさせてから、短い間にいろいろなことがありすぎた。
 誰にも会わず、自室でゆっくりしたかった。そうすれば、考えも少しはまとまるのではないか。アウファトは肌に馴染んだ部屋着に着替えると、寝台にいるジェジーニアの隣に寝そべり、天井を見上げる。

「あう、出かけないの?」

 陽が高くなってもベッドから降りようとしないアウファトを見て、目を覚ましたジェジーニアが首を傾げた。

「ああ、しばらく出かけない」
「シエナのところには行かない?」
「ああ」
「俺、あうと一緒にいていい?」
「ああ」

 ジェジーニアの問いに、アウファトは一つずつ答えていく。思えばこんなふうにゆっくり言葉を交わすこともしていなかった気がする。

「ふふ、あうを独り占めできるの、うれしい」

 ジェジーニアが鼻先を擦り付ける。あやすように頬を撫でてやると、喉が美しく鳴った。
 そうやって一日中、アウファトはベッドの上でジェジーニアとともに過ごした。
 時折微睡み、腹が減れば食堂へ行って。後をついて回るジェジーニアと微笑み合い、擦り寄るジェジーニアを撫でて。そうやって、夕暮れまで、甘やかな時を過ごした。

 夕暮れ近くなって、ジェジーニアは眠ってしまった。ずっと一緒にいて、話をして、触れ合って、疲れたのかもしれない。
 夕食まではまだ少し時間がある。少し寝かせてやろうと、アウファトは綺麗な寝顔を眺めた。

 ジェジーニアは、綺麗な顔立ちをしている。男だとわかるが、はっきりした目鼻立ちに長いまつ毛は美しいという以外の例えが思いつかない。
 こんなに美しい存在が、自分に愛を囁いているのが不思議に思えた。

 今まで、誰かから愛を囁かれたことなどない。囁いたこともだ。
 愛という感情を、深く考えたこともなかった。それで、ずいぶんとミシュアに揶揄われたものだ。

 ふと、女でも抱いたらどうだというミシュアの言葉を思い出す。
 今まで、興味もなかった。
 アウファトは、ジェジーニアに抱かれはしたが、誰かを抱いてはいない。

 竜王のつがいは、つがいでないものを愛せるのか。抱くことができるのか。
 何かわかるかもしれないと、アウファトは身体を起こした。アウファトの持つ探究心が、妙なところに火をつけたのをアウファトは気づいていない。

 隣では、ジェジーニアが寝顔を晒し、気持ちよさそうに寝息を立てていた。



 アウファトは、夕暮れとともに街に出た。暗くなる時間に街に出るのは久しぶりのことだった。
 もう夏の終わりに差し掛かり、日が暮れた街には涼やかな風が吹き抜ける。肌寒いくらいで、アウファトは小さく身震いした。
 ジェジーニアを部屋に置いてきたことがアウファトの心に後ろめたさの影を落とす。
 なんだかすごくいけないことをしているようなざわつきがアウファトの胸をさざめかせていた。

 アウファトがやってきたのは王都の外れにある、ミシュアに教えてもらった娼館だった。
 愛。それが、娼館に行って見えるのか、知りたかった。
 夜の気配が濃くなりつつある街に欲望が灯りはじめる頃。アウファトは、娼館の重厚な扉を開けた。

「いらっしゃいませ。ご予約はございますか」

 出迎えてくれたのは、身なりの良い壮年の男。どうやらこの店の支配人のようだった。
 上品な言葉遣いに居心地の悪さを感じ、アウファトは思わず服の裾を握った。
 深い茶色を基調とした店の中は高級感のある調度品で揃えられ、床には赤い絨毯が敷かれている。照明は落とされ、落ち着いた雰囲気が流れている。

 いつも行くのは酒場ばかりで、こんなに上品な店には慣れていなかった。娼館自体も初めてだ。
 アウファトの手のひらには、うっすらと汗が滲み、鼓動はざわざわと騒いで落ち着かない。

「あ、いえ、初めてで」
「それでは、こちらにお名前を」

 落ち着いた声に促されるまま、入り口脇のカウンターで、アウファトはペンを取り、差し出された帳簿に名前を書き込む。手が震えた。いつもは書き慣れた名前のはずが、ひどく不恰好な文字になってしまった。
 名前を書き終えたアウファトに、次の問いが飛んできた。

「お好みはございますか?」
「この、み?」
「容姿、行為のお好みです」
「あ、いえ、特には」

 緊張を気取られまいと、アウファトは口数少なく受け答えをする。鼓動がやけに大きく身体の中にこだまする。

「では、お部屋にご案内しましょう」

 支配人に促され、アウファトが一歩踏み出したときだった。
 入り口の扉が無遠慮に開かれた。

「あう!」
「は」

 聞き慣れた声とともに店に飛び込んできたのはジェジーニアだった。それには、アウファトだけでなく支配人も驚いて動きを止めた。
 突然見知らぬ竜人が飛び込んできたのだ。無理もない。

「あう、どこに行くの」

 大股でアウファトのもとへやってきたジェジーニアは、人目も憚らずアウファトを抱きしめた。

「知らない匂い」

 ぽつりと零れるようなその声は、いつもよりも硬く、嫌悪感すら滲んでいた。
 ここは娼館。香でも焚かれているのか、花のような香りがする。ジェジーニアが言うのはこのことだろう。

「俺じゃない匂いのところに行かないで」
「俺じゃない、匂い?」
「ここ、知らない匂いがいっぱいする。だめ。行かないで」
「ジジ」

 眠っていたジェジーニアには、行き先も告げていないのに。アウファトの匂いだけを頼りに見つけたのだろうか。
 困惑するアウファトが見上げると、ジェジーニアは薄く笑う。

「勝手に離れないって、約束した」

 初めて研究所へジェジーニアを連れて行った日。アウファトはジェジーニアと約束を交わした。その中のひとつ、勝手に離れない、というのを、ジェジーニアは守ろうとしていたようだった。
 勝手に離れたのはアウファトなのに、ジェジーニアはアウファトを責めるような素振りも見せない。

 ジェジーニアがアウファトを捕まえる腕に力を込めた。

「だから、だめ」
「ジジ……」

 ジェジーニアの唇から漏れる、こんな切羽詰まった声は聞いたことがない。
 自分の興味本位の行動で、ずいぶんとジェジーニアを不安にさせてしまったのだと気がついた。
 途端に押しやっていた罪悪感が戻ってきて胸を埋めた。
 何をやっているのか。このところ、アウファトはジェジーニアに甘えてばかりだ。
 そんな自己嫌悪に苛まれ、アウファトは俯いた。

「わかった。帰ろう、ジジ」
「ン」

 小さく頷くジェジーニアの声は、喜びに満ちた澄んだ響きをしていた。
 アウファトを捕える腕は解かれて、そっと手を握られる。

「すみません、今日は帰ります」
「お客様……?」
「すみません」

 それ以上の言葉が出なかった。
 アウファトは支配人に向き直ると頭を下げ、踵を返した。
 しっかりと手を握った手の温もりに、アウファトはジェジーニアのそばにいたいと、そう思った。
 図らずも、アウファトの求めたものの輪郭は、また少し鮮明になった。
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