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黄昏の竜王
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白く眩い光の中で、アウファトはひどく穏やかな気持ちで目を覚ました。まだ焦点の合わない空色の瞳に、ジェジーニアの姿が映る。
穏やかな表情で自分を見つめているジェジーニアの頬へ、アウファトは手を伸ばした。
白い頬を指先で撫でると、指先で温もりが混ざり合う。ジェジーニアが温もりを取り戻したことに安堵ひた。
「ジジ」
「あう、身体は、平気?」
「ん、痛くは、ないが」
深く噛まれた項の痛みはないが、腰が重だるい。尻にはまだ何か入っているような感覚があって、胎の奥はまだうっすらと甘い熱を帯びている。起き上がれるかは不安だった。
まだ裸で、服を着たいのに身体を動かすのも億劫だった。
「ジジ、服は」
「ン、これ。俺が着せてあげる」
動けないのを察したのか、ジェジーニアはアウファトを抱き起こすと優しい手つきでアウファトに服を着せていく。もともと手先は器用なのだろう。上手に服のボタンを留める。
アウファトはまだどこか夢心地で、身支度を整えてくれるジェジーニアを見守った。
ジェジーニアが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのがなんだか嬉しかった。
「行こう、アウファト。あうの家に、帰ろう」
「ん」
小さく返事をすると、ジェジーニアに抱き上げられた。
「あ、おい、あれも」
アウファトが指差したのは、放り出した外套と防寒着、それからランタンだった。
「大丈夫。ちゃんと、連れていくから」
ジェジーニアは、持ってきた防寒着と外套、ランタンもちゃんと拾ってくれた。
ジェジーニアが部屋を出ると、それまで暖かな光に満ちていた部屋がゆっくりと暗くなっていく。
それはジェジーニアがアウファトと結ばれるのを待っていたかのようだった。
光とともに温もりも薄れて、やがて白い石の壁が薄ぼんやりと辺りを照らすだけになった。
「揺籠が……」
「儀式が、おわったから」
ジェジーニアの声は静かだった。
「ありがとう、フィー」
ジェジーニアに抱かれ、アウファトは冷たく暗くなった揺籠を後にした。
王宮の外に出ると、そこは別世界のようになっていた。雪は消え、辺りは一面の白い花畑になっている。咲いているのは、ランダリムの花だ。
覚悟していた肌寒さもない。空を重たく覆った雲は消え、遠くの空に欠片のような雲が浮かぶだけだった。
空は淡い黄昏前の美しい金色に染まっている。
夜通し抱き合って身体を重ねて、丸一日、揺籠にいたようだった。
「これも、祝福なのか」
「それだけじゃないよ」
ジェジーニアがそっと下ろしてくれた。
そばにある水溜まりを示され、覗き込むと。
アウファトの髪は温かみのある乳白色に染まり、瞳は深い赤になっていた。
これは、フィオディークの髪と瞳ではないのか。
「これは」
あの日、白い嵐の中で見た気がした、あの姿だ。アウファトの手を引いて導いてくれたのは、白き王、フィオディークの姿だったのか。
「白き王」
「フィーの、祝福。フィーが、アウにあげた。おれと、ずっと一緒にいられるように、くれた祝福。今はフィーの力が強いけど、馴染んだら元のあうに戻るよ」
白き王は、自分の死を予見していた。だから、残りの寿命と力を、ジェジーニアと共に過ごすもののために残し、ジェジーニアに託した。神託を受けるものであった王の、力の全て。それが今、アウファトの中にある。
「祝福、か」
そんなものをもらって、自分が何かできるとは思えなかった。それでも、大切にしようと思った。彼らの残した気持ちを、アウファトは伝えなくてはならない。そう強く思った。
「あう、ずっと、おれと一緒にいて」
顔を上げると、ジェジーニアの笑みが見えた。その笑みを失わずに済んだことに、アウファトは安堵する。
「ああ。ジジと一緒にいるよ」
差し伸べられた温かな手を取る。
迷いの消えたアウファトの胸は、素直にジェジーニアからの愛を受け止め、ジェジーニアへ愛の言葉を返す。
二人は手を繋いで、白い花に埋められた広場を歩く。
ジェジーニアに手を引かれゆっくりと進んだ先は、氷柱のあった場所だった。
聳えていた氷柱はすっかり解けて、その形を変えていた。
氷柱のなくなった跡に残されていたのは、白い花の中に突き立てられた夜の色を集めて結晶にしたような、美しい艶を持つ漆黒の槍。黒き竜王が死の直前に突き立てた、竜王の槍だった。
「ジジ?」
ジェジーニアは握っていたアウファトの手を離すと、誘われるように、ふらふらとその槍へと歩み寄る。
あの日のままそこに突き立てられた黒い槍に、ジジは手をかけた。
その手に迷いはない。それを手にすることを知っているかのように澱みのない動きで、ジェジーニアの手は柄を握った。
持ち上げると、長い時をそこで過ごしていたのが嘘のようにするりと抜けた。
ジェジーニアは槍を天に翳す。刃こぼれひとつない美しい黒槍は、空からの光を受けて煌めいた。
「トル……」
ジェジーニアの声がかつての持ち主を呼ぶ。応える声はない。それでも、ジェジーニアには聞こえているのかもしれない。彼の父、かつての黒き竜王の声が。
黒い槍は初めて持ったとは思えないほどその姿に馴染んでいた。
竜王に与えられた、竜王の証。
ジェジーニアの漆黒の鱗は、陽光を反射して磨かれた石のようにきらきらと煌めいた。
証を手にして目覚めた竜王は、うっすらと金の燐光を纏っているようだった。
その神々しさに、アウファトは思わず石畳の上に膝をついた。それが自分の意思なのか、白き王の意思なのか分からなかった。ただ、黒き竜王に、跪きたいと思った。
こうして、長く空位だった黒き竜王の座に竜王が戻った。
黒き竜王の帰還だった。
「おかえり、ジェジーニア」
フィノイクスの声が響き、アウファトとジェジーニア、二人の視線は声の主へと向く。
「フィノ」
「その槍が、竜王の証だ。これで君は晴れて竜王になった」
ジェジーニアはフィノイクスをじっと見つめる。そこにはもう警戒や不信はない。真っ直ぐと見つめる金色の瞳には、芯のある強い光が宿っていた。
「まだ、そっちには行かない」
「ん、いいよ。ゆっくりしておいで。また、迎えにくるよ」
フィノイクスはアウファトへと向き直った。
膝をつき、へたり込むように座ったままのアウファトの前に跪くと、フィノイクスはアウファトの頭を撫でた。
「ふふ、フィーみたいだ。よくやったね、お姫様」
「フィノイクス……」
「ありがとう、アウファト。君のおかげで、救われた」
フィノイクスの白い手がアウファトの頬を撫でた。
フィノイクスの声は、今まで聞いたことがないくらいに慈愛に満ちた穏やかなものだった。
その日、長きにわたり王都を閉ざした白い嵐は止んだ。
重苦しく空を覆った灰色の雲は晴れ、神代の終わり以来見えることのなかった空が広がり、陽射しが見えた。
黄昏の迫る天の頂に、金色の星が煌めいたのを、知るものはいない。
穏やかな表情で自分を見つめているジェジーニアの頬へ、アウファトは手を伸ばした。
白い頬を指先で撫でると、指先で温もりが混ざり合う。ジェジーニアが温もりを取り戻したことに安堵ひた。
「ジジ」
「あう、身体は、平気?」
「ん、痛くは、ないが」
深く噛まれた項の痛みはないが、腰が重だるい。尻にはまだ何か入っているような感覚があって、胎の奥はまだうっすらと甘い熱を帯びている。起き上がれるかは不安だった。
まだ裸で、服を着たいのに身体を動かすのも億劫だった。
「ジジ、服は」
「ン、これ。俺が着せてあげる」
動けないのを察したのか、ジェジーニアはアウファトを抱き起こすと優しい手つきでアウファトに服を着せていく。もともと手先は器用なのだろう。上手に服のボタンを留める。
アウファトはまだどこか夢心地で、身支度を整えてくれるジェジーニアを見守った。
ジェジーニアが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのがなんだか嬉しかった。
「行こう、アウファト。あうの家に、帰ろう」
「ん」
小さく返事をすると、ジェジーニアに抱き上げられた。
「あ、おい、あれも」
アウファトが指差したのは、放り出した外套と防寒着、それからランタンだった。
「大丈夫。ちゃんと、連れていくから」
ジェジーニアは、持ってきた防寒着と外套、ランタンもちゃんと拾ってくれた。
ジェジーニアが部屋を出ると、それまで暖かな光に満ちていた部屋がゆっくりと暗くなっていく。
それはジェジーニアがアウファトと結ばれるのを待っていたかのようだった。
光とともに温もりも薄れて、やがて白い石の壁が薄ぼんやりと辺りを照らすだけになった。
「揺籠が……」
「儀式が、おわったから」
ジェジーニアの声は静かだった。
「ありがとう、フィー」
ジェジーニアに抱かれ、アウファトは冷たく暗くなった揺籠を後にした。
王宮の外に出ると、そこは別世界のようになっていた。雪は消え、辺りは一面の白い花畑になっている。咲いているのは、ランダリムの花だ。
覚悟していた肌寒さもない。空を重たく覆った雲は消え、遠くの空に欠片のような雲が浮かぶだけだった。
空は淡い黄昏前の美しい金色に染まっている。
夜通し抱き合って身体を重ねて、丸一日、揺籠にいたようだった。
「これも、祝福なのか」
「それだけじゃないよ」
ジェジーニアがそっと下ろしてくれた。
そばにある水溜まりを示され、覗き込むと。
アウファトの髪は温かみのある乳白色に染まり、瞳は深い赤になっていた。
これは、フィオディークの髪と瞳ではないのか。
「これは」
あの日、白い嵐の中で見た気がした、あの姿だ。アウファトの手を引いて導いてくれたのは、白き王、フィオディークの姿だったのか。
「白き王」
「フィーの、祝福。フィーが、アウにあげた。おれと、ずっと一緒にいられるように、くれた祝福。今はフィーの力が強いけど、馴染んだら元のあうに戻るよ」
白き王は、自分の死を予見していた。だから、残りの寿命と力を、ジェジーニアと共に過ごすもののために残し、ジェジーニアに託した。神託を受けるものであった王の、力の全て。それが今、アウファトの中にある。
「祝福、か」
そんなものをもらって、自分が何かできるとは思えなかった。それでも、大切にしようと思った。彼らの残した気持ちを、アウファトは伝えなくてはならない。そう強く思った。
「あう、ずっと、おれと一緒にいて」
顔を上げると、ジェジーニアの笑みが見えた。その笑みを失わずに済んだことに、アウファトは安堵する。
「ああ。ジジと一緒にいるよ」
差し伸べられた温かな手を取る。
迷いの消えたアウファトの胸は、素直にジェジーニアからの愛を受け止め、ジェジーニアへ愛の言葉を返す。
二人は手を繋いで、白い花に埋められた広場を歩く。
ジェジーニアに手を引かれゆっくりと進んだ先は、氷柱のあった場所だった。
聳えていた氷柱はすっかり解けて、その形を変えていた。
氷柱のなくなった跡に残されていたのは、白い花の中に突き立てられた夜の色を集めて結晶にしたような、美しい艶を持つ漆黒の槍。黒き竜王が死の直前に突き立てた、竜王の槍だった。
「ジジ?」
ジェジーニアは握っていたアウファトの手を離すと、誘われるように、ふらふらとその槍へと歩み寄る。
あの日のままそこに突き立てられた黒い槍に、ジジは手をかけた。
その手に迷いはない。それを手にすることを知っているかのように澱みのない動きで、ジェジーニアの手は柄を握った。
持ち上げると、長い時をそこで過ごしていたのが嘘のようにするりと抜けた。
ジェジーニアは槍を天に翳す。刃こぼれひとつない美しい黒槍は、空からの光を受けて煌めいた。
「トル……」
ジェジーニアの声がかつての持ち主を呼ぶ。応える声はない。それでも、ジェジーニアには聞こえているのかもしれない。彼の父、かつての黒き竜王の声が。
黒い槍は初めて持ったとは思えないほどその姿に馴染んでいた。
竜王に与えられた、竜王の証。
ジェジーニアの漆黒の鱗は、陽光を反射して磨かれた石のようにきらきらと煌めいた。
証を手にして目覚めた竜王は、うっすらと金の燐光を纏っているようだった。
その神々しさに、アウファトは思わず石畳の上に膝をついた。それが自分の意思なのか、白き王の意思なのか分からなかった。ただ、黒き竜王に、跪きたいと思った。
こうして、長く空位だった黒き竜王の座に竜王が戻った。
黒き竜王の帰還だった。
「おかえり、ジェジーニア」
フィノイクスの声が響き、アウファトとジェジーニア、二人の視線は声の主へと向く。
「フィノ」
「その槍が、竜王の証だ。これで君は晴れて竜王になった」
ジェジーニアはフィノイクスをじっと見つめる。そこにはもう警戒や不信はない。真っ直ぐと見つめる金色の瞳には、芯のある強い光が宿っていた。
「まだ、そっちには行かない」
「ん、いいよ。ゆっくりしておいで。また、迎えにくるよ」
フィノイクスはアウファトへと向き直った。
膝をつき、へたり込むように座ったままのアウファトの前に跪くと、フィノイクスはアウファトの頭を撫でた。
「ふふ、フィーみたいだ。よくやったね、お姫様」
「フィノイクス……」
「ありがとう、アウファト。君のおかげで、救われた」
フィノイクスの白い手がアウファトの頬を撫でた。
フィノイクスの声は、今まで聞いたことがないくらいに慈愛に満ちた穏やかなものだった。
その日、長きにわたり王都を閉ざした白い嵐は止んだ。
重苦しく空を覆った灰色の雲は晴れ、神代の終わり以来見えることのなかった空が広がり、陽射しが見えた。
黄昏の迫る天の頂に、金色の星が煌めいたのを、知るものはいない。
応援ありがとうございます!
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