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愛について
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先程までの美しい歌とは打って変わって、低く重い音を響かせるジェジーニアは、どうやらミシュアを害のあるものと判断したらしい。
それにはアウファトも慌てた。
「ジジ、違う、ミシュアは、おれの師匠だ」
「ししょう?」
アウファトが宥めるようにジェジーニアの腕を撫でる。師匠と言ってもわかっていないようで、ジェジーニアはアウファトの言葉に首を傾げるばかりだ。
「兄、みたいなものか」
「あうの、兄」
それでようやくジェジーニアは理解できたようだった。
低い唸りは止み、部屋には再び静寂が戻った。
「でも、だめだ。あうは、おれのつがい」
ジェジーニアは腕に力を込めた。どうやらやきもちのようだった。黒い竜王は愛情深いというのも頷ける気がした。
「こんなおっさんより、もっと若くてかわいい子がいるだろうに」
苦笑するミシュアは呆れた様子だった。ミシュアの言い分はよくわかる。
「おっさん?」
また聞いたことのないことばだったようで、ジェジーニアが不思議そうな顔をする。
「歳をとった雄、ってこと」
ミシュアの説明に、ジェジーニアは首を傾げた。
「どうして? あうは、かわいい。いい匂いがする」
「雄だぞ、俺は」
「雄でも雌でも関係ない。俺のつがいは、アウファトじゃないとだめだ」
ジェジーニアはアウファトに擦り寄る。ずっとこんな調子だった。性別は関係ないとなると、もうアウファトに逃げ道はない。
アウファトは眉を下げてミシュアを見た。
「はは、愛されてるじゃないか」
他人事のミシュアは楽しげだった。それがなんだか恨めしい。アウファトも望んでこうなったわけではない。不可抗力だ。
「名はあるのか」
「ジェジーニアだ」
ミシュアの問いにアウファトが促すと、ジェジーニアはおずおずとミシュアに向き直った。
「ジェジーニア、はじめまして。ミシュアだ」
「ミシュア、唸ってごめんなさい。俺は、ジェジーニア」
二人は握手をした。ひとまずはこれで大丈夫だろう。
「白き王の至宝ジェジーニア。なるほど、それで、ゼジニアか」
ミシュアは感慨深げだった。
ジェジーニアの名は口伝で伝わるうち、訛ってゼジニアになったのだろう。
白き王の至宝ゼジニアは、竜王の子、ジェジーニアだった。
「こうなると、白い揺籠を開けたお前が、白き花の一族だと考えるのが妥当だ。末裔、となれば血が薄れ、普通の人と大差なくなっていることも十分ありうる」
アウファトは息を呑む。
とても自分がそうだとは思えない。
特段人に誇れるような能力もないのに、アウファトは自分が白い花の一族だなんて思えなかった。
「お前が白き花の一族で、ジェジーニアが竜王。お前がつがいで、ジェジーニアもお前をつがいだと認めてる。そうなれば、あとはお前の問題だな」
ミシュアが目を細める。
「白き花の一族は、竜王の加護を受けた一族だ。人でありながら竜人に等しい力を持つというが、お前は割と人間らしいからな……まあ、何かしらあるんだろうよ」
ミシュアの声は続いた。
「竜人は匂いで相手を見つけ、歌で愛を告げる。おそらく竜王もそれは変わらない。人よりも、本能に近いところでつがいを見つける。あの歌を聴いただろう。少なくとも、この子はお前をつがいだと思っている」
それは、アウファトも肌で感じている。だからといって、すんなり受け入れられるものでもない。
「ッ、おれ、は」
アウファトは胸に引っかかっていることを口にした。ミシュアなら、何かいい知恵を授けてくれるかもしれないと思った。
「愛が、わからない」
バカにされるだろうが、構わなかった。
こんな、調べようのないものにぶつかるのは初めての経験だった。
文献も何もない、ただ自分の胸の中にある得体の知れないものと向き合うのは、アウファトにとって初めてのことだ。
しかしながら、ミシュアから返ってきたのは思わぬ言葉だった。
「愛、ね。流石にそれは俺もほいほい教えてはやれない。まっすぐ向き合ってみたらどうだ。お前の気持ちに」
ミシュアは諭すような穏やかな声で続けた。
「この子ことはそれからにしろ。焦るな。そうじゃなきゃ、総崩れになるぞ」
アウファトは黙ってミシュアの声に耳を傾ける。ジェジーニアも大人しくしている。
「お前は堅物だが、素直なところもあるからな。お前ならできるだろ」
ミシュアの声は淡々としたものだったが、それでもアウファトには心強いものだった。
ミシュアは続けた。
「理不尽だろうが、覚悟を決めろよ。忠誠と献身を捧げるか、責苦と呪詛を受けるか」
ミシュアはそこで言葉を切った。
アウファトは息を呑む。
「陛下には、このことは?」
「まだ、伝えてない。明日の謁見で伝える」
「あの方なら、悪いようにはしないだろう」
ミシュアはため息をひとつついた。ミシュアなりに考えてくれているのだろう。
「王子様を連れ出したんだ、大事にしてやれ」
ミシュアの笑みは、優しく慈愛に満ちたものだった。
「ありがとう」
「また連絡する」
ミシュアは机から降りた。
「またね、ミシュア」
「ああ」
ジェジーニアが手を振ると、ミシュアもそれに応えて手を振る。
ミシュアは、ジェジーニアに向けていた視線をアウファトに向け、不適な笑みを浮かべた。
「挙式する時は教えろよ」
冗談というには笑えない言葉を残してミシュアは帰っていった。
研究室はまた静かになった。
「俺たちも帰るか」
「ン」
日もすっかり暮れてしまった。急いで帰らないと夕食を食べられなくなってしまう。それではさすがにジェジーニアが可哀想だ。夕飯は美味しいものを食べさせてやりたい。
アウファトはジェジーニアを、連れて研究室を後にした。
それにはアウファトも慌てた。
「ジジ、違う、ミシュアは、おれの師匠だ」
「ししょう?」
アウファトが宥めるようにジェジーニアの腕を撫でる。師匠と言ってもわかっていないようで、ジェジーニアはアウファトの言葉に首を傾げるばかりだ。
「兄、みたいなものか」
「あうの、兄」
それでようやくジェジーニアは理解できたようだった。
低い唸りは止み、部屋には再び静寂が戻った。
「でも、だめだ。あうは、おれのつがい」
ジェジーニアは腕に力を込めた。どうやらやきもちのようだった。黒い竜王は愛情深いというのも頷ける気がした。
「こんなおっさんより、もっと若くてかわいい子がいるだろうに」
苦笑するミシュアは呆れた様子だった。ミシュアの言い分はよくわかる。
「おっさん?」
また聞いたことのないことばだったようで、ジェジーニアが不思議そうな顔をする。
「歳をとった雄、ってこと」
ミシュアの説明に、ジェジーニアは首を傾げた。
「どうして? あうは、かわいい。いい匂いがする」
「雄だぞ、俺は」
「雄でも雌でも関係ない。俺のつがいは、アウファトじゃないとだめだ」
ジェジーニアはアウファトに擦り寄る。ずっとこんな調子だった。性別は関係ないとなると、もうアウファトに逃げ道はない。
アウファトは眉を下げてミシュアを見た。
「はは、愛されてるじゃないか」
他人事のミシュアは楽しげだった。それがなんだか恨めしい。アウファトも望んでこうなったわけではない。不可抗力だ。
「名はあるのか」
「ジェジーニアだ」
ミシュアの問いにアウファトが促すと、ジェジーニアはおずおずとミシュアに向き直った。
「ジェジーニア、はじめまして。ミシュアだ」
「ミシュア、唸ってごめんなさい。俺は、ジェジーニア」
二人は握手をした。ひとまずはこれで大丈夫だろう。
「白き王の至宝ジェジーニア。なるほど、それで、ゼジニアか」
ミシュアは感慨深げだった。
ジェジーニアの名は口伝で伝わるうち、訛ってゼジニアになったのだろう。
白き王の至宝ゼジニアは、竜王の子、ジェジーニアだった。
「こうなると、白い揺籠を開けたお前が、白き花の一族だと考えるのが妥当だ。末裔、となれば血が薄れ、普通の人と大差なくなっていることも十分ありうる」
アウファトは息を呑む。
とても自分がそうだとは思えない。
特段人に誇れるような能力もないのに、アウファトは自分が白い花の一族だなんて思えなかった。
「お前が白き花の一族で、ジェジーニアが竜王。お前がつがいで、ジェジーニアもお前をつがいだと認めてる。そうなれば、あとはお前の問題だな」
ミシュアが目を細める。
「白き花の一族は、竜王の加護を受けた一族だ。人でありながら竜人に等しい力を持つというが、お前は割と人間らしいからな……まあ、何かしらあるんだろうよ」
ミシュアの声は続いた。
「竜人は匂いで相手を見つけ、歌で愛を告げる。おそらく竜王もそれは変わらない。人よりも、本能に近いところでつがいを見つける。あの歌を聴いただろう。少なくとも、この子はお前をつがいだと思っている」
それは、アウファトも肌で感じている。だからといって、すんなり受け入れられるものでもない。
「ッ、おれ、は」
アウファトは胸に引っかかっていることを口にした。ミシュアなら、何かいい知恵を授けてくれるかもしれないと思った。
「愛が、わからない」
バカにされるだろうが、構わなかった。
こんな、調べようのないものにぶつかるのは初めての経験だった。
文献も何もない、ただ自分の胸の中にある得体の知れないものと向き合うのは、アウファトにとって初めてのことだ。
しかしながら、ミシュアから返ってきたのは思わぬ言葉だった。
「愛、ね。流石にそれは俺もほいほい教えてはやれない。まっすぐ向き合ってみたらどうだ。お前の気持ちに」
ミシュアは諭すような穏やかな声で続けた。
「この子ことはそれからにしろ。焦るな。そうじゃなきゃ、総崩れになるぞ」
アウファトは黙ってミシュアの声に耳を傾ける。ジェジーニアも大人しくしている。
「お前は堅物だが、素直なところもあるからな。お前ならできるだろ」
ミシュアの声は淡々としたものだったが、それでもアウファトには心強いものだった。
ミシュアは続けた。
「理不尽だろうが、覚悟を決めろよ。忠誠と献身を捧げるか、責苦と呪詛を受けるか」
ミシュアはそこで言葉を切った。
アウファトは息を呑む。
「陛下には、このことは?」
「まだ、伝えてない。明日の謁見で伝える」
「あの方なら、悪いようにはしないだろう」
ミシュアはため息をひとつついた。ミシュアなりに考えてくれているのだろう。
「王子様を連れ出したんだ、大事にしてやれ」
ミシュアの笑みは、優しく慈愛に満ちたものだった。
「ありがとう」
「また連絡する」
ミシュアは机から降りた。
「またね、ミシュア」
「ああ」
ジェジーニアが手を振ると、ミシュアもそれに応えて手を振る。
ミシュアは、ジェジーニアに向けていた視線をアウファトに向け、不適な笑みを浮かべた。
「挙式する時は教えろよ」
冗談というには笑えない言葉を残してミシュアは帰っていった。
研究室はまた静かになった。
「俺たちも帰るか」
「ン」
日もすっかり暮れてしまった。急いで帰らないと夕食を食べられなくなってしまう。それではさすがにジェジーニアが可哀想だ。夕飯は美味しいものを食べさせてやりたい。
アウファトはジェジーニアを、連れて研究室を後にした。
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