【完結】ゼジニアの白い揺籠

はち

文字の大きさ
上 下
33 / 63

牙を剥く悪意

しおりを挟む
 午後になると、アウファトのもとに王宮から謁見許可の書類が届いた。明日の午後だ。いよいよ、王にジェジーニアを会わせることができる。
 心地好い緊張感がアウファトを包む。今日は早く帰って身支度をしなくてはならない。ジェジーニアもだ。
 書類を受け取った後、アウファトの研究室には忙しなく来客が来るようになった。どうやらジェジーニアの存在をどこかから聞きつけたようだった。

「だめだ。帰ってくれ」

 アウファトは十人目の客を追い返したところだった。
 髪の毛をひと房欲しい、血を調べさせて欲しい、爪のかけらが欲しい。案の定、科学科の研究員たちがこぞってやってきた。
 そして、十一度目の扉を叩く音が響いた。
 さすがにアウファトも辟易していた。昼を過ぎてから、戸口での対応しかしていない。シエナは使いに出してしまったので、アウファトが対応せざるを得なかった。

「いい加減にしてくれ」

 扉を開けるなり、アウファトは客人を鋭く睨み、唸るような声を上げた。

「おっと、ずいぶんとご機嫌斜めだな」
「ヴェルネスト」

 そこにいたのは科学科主席研究員、ヴェルネストだった。流れるような美しい金髪に、涼しげな深い青の瞳、背はアウファトと同じくらいの、人間の男だ。
 リガトラ王国、特にメイエヴァードではでは学問が盛んだ。アウファトの所属する史学科、ヴェルネストの所属する科学科、他にも文学科、数学科が存在する。
 ヴェルネストは科学科の首席研究員だ。

「うちの研究員たちに失礼があったようだな。すまない」

 アウファトの様子を見て、ヴェルネストは苦笑いして頭を下げた。
 ヴェルネストがしおらしいことを言うので、アウファトは怒りのやり場をなくしてため息をひとつついた。

「言葉を交わすくらいなら構わないか」

 低く落ち着いた声で、ヴェルネストは伺いを立てる。ジェジーニアが嫌がることでなければいいだろう。怪しいそぶりを見せたらつまみ出せばいい。

「わかった、手短にしてくれ」
「ふふ、感謝するよ、アウファト」

 アウファトはヴェルネストを部屋に招き入れた。
ジェジーニアは応接席でうとうとしていた。昼食の後だ、無理もない。

「君が、竜王の子か。はじめまして、わたしはヴェルネスト」

 ヴェルネストはジェジーニアのそばに膝をつき、視線を合わせた。ジェジーニアは目を擦りながらヴェルネストを見た。

「俺はジェジーニア」
「ジェジーニアか。素敵な名前だ」

 ジェジーニアは不思議そうにヴェルネストを見つめる。それほど人見知りはしないのだろうか。

「君は、黒き竜王の子?」
「ン、そう。ヴェルネストは、あうの、おとうと?」
「私はアウファトの友だちだ」

 アウファトは釈然としない気持ちでヴェルネストを見た。できる男だが、得体の知れないところがある。
 アウファトは黙って二人を見守った。

「あうのともだち」
「そう。綺麗な髪だね」
「ン」
「手を見せてくれるかい?」
「いいよ」
「黒い爪か」

 ヴェルネストの手に、ジェジーニアの手のひらが乗っている。
 ジェジーニアは不思議そうに瞬きをした。

「ありがとう、ジェジーニア。飴は好きかい?」
「あ、め?」
「あめを、知らないのか」

 ヴェルネストは懐から紙に包まれた小さな何かを取り出した。

「これだ」

 前に、同じようなところに遭遇した。確か、あれは。

「待て」

 アウファトの独り言のような声は二人には届いていない。

「口を開けてごらん」

 言われるままにジェジーニアが口を開ける。放り込まれたのは、金色の飴玉だ。
 それはだめだ。
 記憶にある。それは。
 ジェジーニアが眉を寄せる。

「っえ」

 ジェジーニアが口を開け、舌を出す。
 ジェジーニアの舌の上から唾液で濡れた飴玉が零れ落ちる。
 床に金色の飴玉が転がる。

「にが……」

 ジェジーニアが眉を顰める。何が起きたかわかっていないようだった。

「おや……すごいな、これだけでわかるのか」

 ヴェルネストは包み紙にくるんで飴玉を拾い上げる。
 アウファトは咄嗟にヴェルネストに駆け寄り、胸ぐらを掴んだ。
 腹の底から湧くのは、煮えたぎるような怒りだ。
 ヴェルネストはアウファトの目の前で、ジェジーニアに毒入りの飴玉を食べさせた。

「おまえ、また」

 以前にも同じようなことがあった。
 王都を訪れたウィルマルトを紹介したときだ。
 あのときも、ヴェルネストは毒入りの飴をウィルマルトに食わせた。ウィルマルトは怒らなかったが、ヴェルネストは謹慎処分になった。
 反省したと思っていたが、それはアウファトが思っていただけのようだった。

「驚いた。竜王の子は、防衛本能も強いんだな。竜人は食うまでわからなかったようだが」
「帰れ、ヴェルネスト」

 アウファトは低く唸るような声を上げた。

「その飴、今ここで食べてみろ」
「心配するな、身体に影響は出ない」

 ヴェルネストは悪びれた様子もない。
 アウファトは薄い青の瞳で鋭く睨む。その目にははっきりと憎悪が滲んでいた。

「この子に何かあれば、お前を追放してやるからな」
「わかった、帰るよ」

 両手を挙げ薄く笑ったヴェルネストは、静かに後退る。

「お邪魔しました。またね、ジェジーニア」
「ん、またね、ヴェルネスト」

 ジェジーニアは素直に応える。
 アウファトはヴェルネストが部屋を出るまで視線を離さなかった。
 ヴェルネストの後ろ姿が扉の向こうに消え、部屋には静寂が訪れた。

「あう、怒ってる。ヴェルネストのことが嫌い? 俺がいけないことをした?」
「ジジ、あいつからはものをもらってはだめだ」

 ジェジーニアは頷く。

「身体は大丈夫か?」
「ん、苦かっただけ」
「口を濯ごうか。動けるか」
「ン」

 アウファトはジェジーニアの手を取ると手洗い場へとジェジーニアを連れて行った。
 うがいをさせて、部屋に戻る。
 応接用のソファに座らせると、アウファトはジェジーニアに視線を合わせ跪く。

「ヴェルネストは、ウィルマルトに毒を食わせるようなやつだ。おれの不注意だ。すまない、ジジ」

 ジェジーニアは、薄く笑って首を横に振った。
 以前、ウィルマルトを紹介したときのことだった。アウファトの目を盗んで、ヴェルネストはウィルマルトに毒入りの飴を食べさせた。大事には至らなかったが、ウィルマルトはしばらく体調を崩した。

 自分がついていながら、ジェジーニアを危険な目に遭わせてしまった。アウファトは不甲斐なさに胸が痛んだ。
 ジェジーニアに向けられる悪意からも護らなくてはならない。王都には、様々な人間がいる。善良な人間ばかりではない。悪意を持った人間も多い。それらから、ジェジーニアを護らなくてはならない。

「帰るか。パンを買って帰ろう」
「ン」

 ジェジーニアの瞼が自然と落ちた。

「ジジ?」

 寝息が聞こえる。

「ジジ」

 規則正しい寝息。穏やかな寝顔。起こすのも可哀想で、アウファトはジェジーニアを応接用のソファに寝かせた。
 先程の毒の飴の影響だろうか。アウファトの胸を不安がよぎる。

 すぐに吐き出したし、うがいもさせた。ウィルマルトはしばらく寝込んだが、体調はすぐに戻った。ジェジーニアもそうであってほしいと思う。

 こんなことなら連れてこなければよかったと思う。結果としてジェジーニアに苦しい思いをさせてしまった。
 もっと気を配らなくてはならない。

 ジェジーニアは竜王の子。竜王になるものだ。
 白き王がそうしたように、アウファトもジェジーニアを守らなくてはならない。
 ジェジーニアはいずれ竜王としてこの地を守るようになるのだろうか。そうなるともうこんなふうに、気軽に話したりできないのだろう。
 そう思うとアウファトの胸を冷たい風が撫でた。
 寂しい。
 そんな思いを抱くのは久しぶりだった。
 ジェジーニアがいなくなるのは寂しい。
 眠るジェジーニアの傍らで、アウファトはそんなことをぼんやりと考えた。



 執務机で追加分の報告書をまとめるアウファトのもとに、シエナが戻ったのはジェジーニア日が大きく西に傾いた頃だった。

「アウファト様、戻りました」
「おかえり、シエナ」
「眠ってしまったんですか」

 応接席で眠るジェジーニアに気が付いたシエナは少し寂しそうだった。朝、パンをもらってから、ジェジーニアはシエナが気に入ったようでよく懐いていた。たくさん話もしていたので、無理もない話だった。

「ああ、ヴェルネストが、毒の飴を食わせた」
「っえ、大丈夫なんですか」
「うがいもさせたから大事ないとは思う」
「そうでしたか。飲み物をもらってきます」
「ありがとう、シエナ」

 使いから戻ったシエナは水をもらってきてくれた。
 今日のやることは全て終わったので、シエナは帰らせた。

 ジェジーニアはまだ眠っている。
 日差しは大きく西に傾き、西向きの研究室には色付いた日差しが差し込む。
 差し込む夕陽を眺めて、アウファトはため息をひとつついた。

 ジェジーニアの邪魔にならないよう、カーテンを引く。
 差し込む夕陽のなくなった部屋は黄昏時の暗さになった。
 今夜はここで眠ることになるかもしれない。
 毛布はどこにしまっただろうかと、アウファトは記憶を探った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。

N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間 ファンタジーしてます。 攻めが出てくるのは中盤から。 結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。 表紙絵 ⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101) 挿絵『0 琥』 ⇨からさね 様 X (@karasane03) 挿絵『34 森』 ⇨くすなし 様 X(@cuth_masi) ◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。

若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!

古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。 そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は? *カクヨム様で先行掲載しております

【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」 「恩? 私と君は初対面だったはず」 「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」 「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」 奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。 彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

悪役令息の七日間

リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。 気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

処理中です...