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つがいの身体
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ベッドもなんとか整って、立てるようになったアウファトは服を着た。自室とはいえ、いつまでも裸でいるのは落ち着かない。ジェジーニアにも服を着せると、カーテンを開け、窓を開けた。
吹き込む風が涼やかにアウファトの髪を揺らす。新しい空気が入ってきて、部屋を埋めていた情事の残り香が薄まっていくことに、アウファトは小さく息を吐く。
窓の外は真昼の明るさで、空は青く澄み、高いところに雲がいくつか浮かんでいる。
洗濯するにはいい日和だった。
アウファトは汚れたシーツと、帰ってきてから手をつけていなかった調査で着た服をかき集める。
ついでにジェジーニアの服も洗おうと、ベッドのそばに脱ぎ捨てられたジェジーニアの服を持ち上げたときだった。
ふわりと香る、花の香りがアウファトの鼻腔をくすぐる。
今まで感じたものよりずっと濃い香りだった。長いこと着ていたからかと思った途端に、アウファトの心臓が跳ねた。
「あ……」
思わず声が漏れた。
膝が震える。
心臓が早鐘のように打って、血を全身に送っていくのがわかる。眩暈のように、視界が揺れる。身体が熱い。
自分の身体に起きていることがわからず、アウファトはその場に蹲った。
濃い、花の香り。甘い蜜のように感じるそれが、アウファトの奥まで入ってくる。
脳髄まで浸すような、甘い香りだった。
ジェジーニアの匂いを吸い込んだだけのはずだ。なのに。
気持ちよくて、何もわからない。何が起きているのかも、わからない。
身体の力が抜け、アウファトは倒れ込みそうだった。
「あう、大丈夫?」
異変に気付いたジェジーニアが駆け寄ってきた。
「んう、じじ……」
「痛い?」
痛みはない。ただ、腹の奥がずくずくと熱を持っている。
「たすけて、おれ、なんか、へん、だ」
声が掠れた。言葉も、途切れ途切れに紡ぐのがやっとだった。
蹲るアウファトの前に座り込んだジェジーニアの手が頬を撫でる。
「ふあ」
触れられただけで身体の中に甘いものが溢れ、声が漏れる。怖いのに、湧いてくる気持ちよさに抗えない。
「やだ、なん、で」
アウファトは怯えた。
声が震える。身体の奥から湧いてくる熱は止まる様子はない。
「大丈夫だよ。あうの身体が、つがいの身体になってるだけ。こわくないよ」
ジェジーニアの優しい声に勝手に涙が滲む。どうしてジェジーニアはわかるのか。つがいの身体。自分の身体が変わっていくような気がして、怖かった。
「ジジ」
「おれの匂いで、つがいの身体が目を覚ましたんだ」
視線を合わせたジェジーニアはアウファトの身体を優しく抱き寄せた。濃くなる匂いに、アウファトはため息を漏らす。
つがいの身体。その言葉に、アウファトの胸は穏やかな鼓動を奏でる。嬉しい。そんな感情が胸に溢れる。
「あう、おれに委ねて」
「ジジ」
ジェジーニアに縋るような目を向けてしまう。どうやって委ねたらいいのか、アウファトはわからない。
アウファトの視線を受け止め、ジェジーニアはその美しい金の瞳を甘やかに溶かす。
「大丈夫だよ、あう。もう、痛くしないから」
ジェジーニアの大きな手に撫でられると、縋りつきたくなってしまう。内から湧き上がる衝動は自分じゃないみたいで怖いのに、抗うことはできない。
「ジジ」
おそるおそる腕を伸ばしたアウファトを、ジェジーニアがそっと抱きしめてくれる。胸が幸せな気持ちで埋め尽くされる。苦しいくらいに、幸福感がアウファトを満たしていく。
どうしてこんなに、幸せな気持ちになるのかわからない。抱きしめられるのが気持ちいいのか、ジェジーニアだからなのか、アウファトには判断できない。
ただわかるのは、ジェジーニアの腕の中はひどく安心するということだけだ。
「ジジ」
「大丈夫だよ」
アウファトの身体は軽々とジェジーニアに抱き上げられる。
ベッドに連れてこられ、優しく降ろされると、替えたばかりのシーツの匂いがする。石鹸の匂いだ。
「ジジ、おれ、どうなるんだ?」
「あうの身体が、たまごをつくる支度をしてる」
「たまご?」
「そう。あうのおなかに、たまごをつくるんだ」
そんなわけない。アウファトは男だし、人間だ。そんな身体じゃない。そのはずなのに。
ジェジーニアに撫でられた腹の奥がせつなく疼いた。
「ジジ、はら、せつないんだ」
「こうしたら、楽になる?」
ジェジーニアの大きな手が、せつなく疼く腹を撫でてくれる。こんな薄い腹のどこに卵が宿るのか、見当もつかない。
「っふ、ア」
ジェジーニアの手に撫でられると、腹がじんわりと温かくなる。魔法でもかけられているようだった。
「ん、ジジ、うれしい」
それはひどく落ち着く。胸に湧いてくるのは歓喜で、アウファトは泣き出しそうだった。
「ジジ」
アウファトは腕を伸ばしてジェジーニアに縋り付く。ジェジーニアの温もりがないと不安でばらばらになりそうだった。
こんなことは初めてだ。こんなに誰かが欲しいと思うのも、誰かの温もりを求めるのも。
まるで、欠けた心の片割れがみつかったような、半身が見つかったような、そんな感覚だ。
いつだったか、似たような感覚を感じたことがあった。
幼い頃に聴いた、古い歌を思い出す。
「あ……」
勝手に涙が溢れた。
古い旋律を思い出す。古い歌。そして、特別な歌。
青き瞳の子にだけ教えられる、秘密の歌だった。
王子様はランダリムの花の香りがする。
白い花の揺籠で眠るあなたの王子様。
ランダリムの花は、あなたとの絆の証。
柩の底、真っ白い揺籠で眠る王子様。
どうして忘れていた。
今ならわかる。それこそが、アウファトをジェジーニアへと導く歌だった。
棺の底の揺籠、王子様、そして、ランダリムの花。
そんなころから、きっかけをあたえられていたなんて。
自分は本当に、ジェジーニアのつがいなのか。
「あう?」
涙の粒を落とすアウファトの空色の瞳を、ジェジーニアが覗き込む。
「いたい?」
「痛くない」
ジェジーニアの問いにアウファトは首を横に振る。痛みはない。
時々痛む胸も、今は甘い幸福感に満たされている。
「おれは、お前に、会うために」
震える唇から、譫言のような言葉が漏れる。勝手に、唇が言葉を紡ぐ。喉が震え、声になる。
「ジジ、おれの、つがい」
アウファトの声にジェジーニアは甘やかに笑う。
「嬉しい」
唇が重なった。それだけで、アウファトの中にはとろけるような優しい気持ちが生まれる。
もっとほしい。ジェジーニアがほしい。
それは、昨夜胸に生まれたのよりもずっと穏やかで優しい感情だった。
吹き込む風が涼やかにアウファトの髪を揺らす。新しい空気が入ってきて、部屋を埋めていた情事の残り香が薄まっていくことに、アウファトは小さく息を吐く。
窓の外は真昼の明るさで、空は青く澄み、高いところに雲がいくつか浮かんでいる。
洗濯するにはいい日和だった。
アウファトは汚れたシーツと、帰ってきてから手をつけていなかった調査で着た服をかき集める。
ついでにジェジーニアの服も洗おうと、ベッドのそばに脱ぎ捨てられたジェジーニアの服を持ち上げたときだった。
ふわりと香る、花の香りがアウファトの鼻腔をくすぐる。
今まで感じたものよりずっと濃い香りだった。長いこと着ていたからかと思った途端に、アウファトの心臓が跳ねた。
「あ……」
思わず声が漏れた。
膝が震える。
心臓が早鐘のように打って、血を全身に送っていくのがわかる。眩暈のように、視界が揺れる。身体が熱い。
自分の身体に起きていることがわからず、アウファトはその場に蹲った。
濃い、花の香り。甘い蜜のように感じるそれが、アウファトの奥まで入ってくる。
脳髄まで浸すような、甘い香りだった。
ジェジーニアの匂いを吸い込んだだけのはずだ。なのに。
気持ちよくて、何もわからない。何が起きているのかも、わからない。
身体の力が抜け、アウファトは倒れ込みそうだった。
「あう、大丈夫?」
異変に気付いたジェジーニアが駆け寄ってきた。
「んう、じじ……」
「痛い?」
痛みはない。ただ、腹の奥がずくずくと熱を持っている。
「たすけて、おれ、なんか、へん、だ」
声が掠れた。言葉も、途切れ途切れに紡ぐのがやっとだった。
蹲るアウファトの前に座り込んだジェジーニアの手が頬を撫でる。
「ふあ」
触れられただけで身体の中に甘いものが溢れ、声が漏れる。怖いのに、湧いてくる気持ちよさに抗えない。
「やだ、なん、で」
アウファトは怯えた。
声が震える。身体の奥から湧いてくる熱は止まる様子はない。
「大丈夫だよ。あうの身体が、つがいの身体になってるだけ。こわくないよ」
ジェジーニアの優しい声に勝手に涙が滲む。どうしてジェジーニアはわかるのか。つがいの身体。自分の身体が変わっていくような気がして、怖かった。
「ジジ」
「おれの匂いで、つがいの身体が目を覚ましたんだ」
視線を合わせたジェジーニアはアウファトの身体を優しく抱き寄せた。濃くなる匂いに、アウファトはため息を漏らす。
つがいの身体。その言葉に、アウファトの胸は穏やかな鼓動を奏でる。嬉しい。そんな感情が胸に溢れる。
「あう、おれに委ねて」
「ジジ」
ジェジーニアに縋るような目を向けてしまう。どうやって委ねたらいいのか、アウファトはわからない。
アウファトの視線を受け止め、ジェジーニアはその美しい金の瞳を甘やかに溶かす。
「大丈夫だよ、あう。もう、痛くしないから」
ジェジーニアの大きな手に撫でられると、縋りつきたくなってしまう。内から湧き上がる衝動は自分じゃないみたいで怖いのに、抗うことはできない。
「ジジ」
おそるおそる腕を伸ばしたアウファトを、ジェジーニアがそっと抱きしめてくれる。胸が幸せな気持ちで埋め尽くされる。苦しいくらいに、幸福感がアウファトを満たしていく。
どうしてこんなに、幸せな気持ちになるのかわからない。抱きしめられるのが気持ちいいのか、ジェジーニアだからなのか、アウファトには判断できない。
ただわかるのは、ジェジーニアの腕の中はひどく安心するということだけだ。
「ジジ」
「大丈夫だよ」
アウファトの身体は軽々とジェジーニアに抱き上げられる。
ベッドに連れてこられ、優しく降ろされると、替えたばかりのシーツの匂いがする。石鹸の匂いだ。
「ジジ、おれ、どうなるんだ?」
「あうの身体が、たまごをつくる支度をしてる」
「たまご?」
「そう。あうのおなかに、たまごをつくるんだ」
そんなわけない。アウファトは男だし、人間だ。そんな身体じゃない。そのはずなのに。
ジェジーニアに撫でられた腹の奥がせつなく疼いた。
「ジジ、はら、せつないんだ」
「こうしたら、楽になる?」
ジェジーニアの大きな手が、せつなく疼く腹を撫でてくれる。こんな薄い腹のどこに卵が宿るのか、見当もつかない。
「っふ、ア」
ジェジーニアの手に撫でられると、腹がじんわりと温かくなる。魔法でもかけられているようだった。
「ん、ジジ、うれしい」
それはひどく落ち着く。胸に湧いてくるのは歓喜で、アウファトは泣き出しそうだった。
「ジジ」
アウファトは腕を伸ばしてジェジーニアに縋り付く。ジェジーニアの温もりがないと不安でばらばらになりそうだった。
こんなことは初めてだ。こんなに誰かが欲しいと思うのも、誰かの温もりを求めるのも。
まるで、欠けた心の片割れがみつかったような、半身が見つかったような、そんな感覚だ。
いつだったか、似たような感覚を感じたことがあった。
幼い頃に聴いた、古い歌を思い出す。
「あ……」
勝手に涙が溢れた。
古い旋律を思い出す。古い歌。そして、特別な歌。
青き瞳の子にだけ教えられる、秘密の歌だった。
王子様はランダリムの花の香りがする。
白い花の揺籠で眠るあなたの王子様。
ランダリムの花は、あなたとの絆の証。
柩の底、真っ白い揺籠で眠る王子様。
どうして忘れていた。
今ならわかる。それこそが、アウファトをジェジーニアへと導く歌だった。
棺の底の揺籠、王子様、そして、ランダリムの花。
そんなころから、きっかけをあたえられていたなんて。
自分は本当に、ジェジーニアのつがいなのか。
「あう?」
涙の粒を落とすアウファトの空色の瞳を、ジェジーニアが覗き込む。
「いたい?」
「痛くない」
ジェジーニアの問いにアウファトは首を横に振る。痛みはない。
時々痛む胸も、今は甘い幸福感に満たされている。
「おれは、お前に、会うために」
震える唇から、譫言のような言葉が漏れる。勝手に、唇が言葉を紡ぐ。喉が震え、声になる。
「ジジ、おれの、つがい」
アウファトの声にジェジーニアは甘やかに笑う。
「嬉しい」
唇が重なった。それだけで、アウファトの中にはとろけるような優しい気持ちが生まれる。
もっとほしい。ジェジーニアがほしい。
それは、昨夜胸に生まれたのよりもずっと穏やかで優しい感情だった。
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