【完結】ゼジニアの白い揺籠

はち

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王立研究所にて

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 アウファトを乗せた馬車は王都の中央、王城のにある王立研究所の前に到着した。アウファトが馬車を降りるのとほぼ同時に、研究所から飛び出してきた銀髪の青年、シエナが出迎えてくれた。

「アウファト様!」

 芯のある声には、もう病の影はない。もうすっかり元気になったようだった。

「シエナ、もう大丈夫なのか」
「はい! 申し訳ありません!」

 アウファトのもとへ駆け寄ってきたシエナは乱れた息のまま深々と頭を下げた。それにはアウファトの方が驚いた。
 シエナの資料のおかげで、アウファトは一人でもあの嵐に挑むことができた。よくわからない出来事もあったが、あの資料がなければ順調な行程にはならなかっただろう。

「シエナ、君の資料のおかげで帰って来れたんだ。顔を上げてくれ」

 アウファトが放っておいたらずっと頭を下げていそうなシエナを宥めると、シエナは深く垂れた頭をおそるおそるといった様子で持ち上げた。頬のあたりの長さで揃えられた銀髪が絹糸のように美しく揺れる。アウファトよりも少し背が低いのでその視線は自然とアウファトを見上げる形になる。眉尻は下がり、澄んだ青い瞳は縋るようにアウファトへと向けられていた。

「ご無事で何よりです。何かお手伝いできることがあれば何でもおっしゃってください」

 シエナは声を震わせた。同行できなかったことを相当気にしているようだった。
 それについては責めるつもりは毛頭なかった。シエナはしっかり者で自己管理もアウファトよりずっと上手い。そんなシエナが風邪をひいたとなれば不可抗力でしかないとアウファトもわかっている。
 シエナの手を借りられるのは本当にありがたい。この調査で、アウファトは改めてシエナの有り難みを思い知った。

「病み上がりのところすまないが、手続きの手伝いを頼めるか?」
「はい!」

 有り余る元気を感じさせる返事に頬を緩めると、アウファトはシエナとともに研究室に向かった。

 久しぶりに戻ってきた研究室は静かに主人を迎えてくれた。いない間にシエナが片付けておいてくれたのか、出発前の散らかりようが嘘のようだった。

 アウファトはまずミシュアへ宛てた手紙をしたためた。アムの意味について話を聞くためだ。書き終えた手紙の発送手続きをシエナに託すと、王に提出する報告書に取り掛かる。

 日が暮れるまでのわずかな時間、アウファトは報告書をの作成を終えた。
 面倒な手続きはシエナがひと通り進めてくれたおかげで、アウファトは報告書作りに専念できた。
 家にはジェジーニアがいる。何かと構ってしまいそうだったので研究室の方が集中できた。

 報告書とともに謁見許可の申請を用意して窓口へ提出した後、アウファトはシエナとともに研究所を出た。
 宿舎までの道は、まもなく暮れる金色の陽射しに照らされていた。
 シエナと並んで歩きながら、アウファトはシエナにジェジーニアのことを話した。突然会わせたら驚くだろうと思ったからだ。

「実は、竜人を見つけたんだ」
「竜人、ですか」

 まだ話の全貌を知らないシエナは首を傾げる。

「白い揺籠で。どうやら、黒き竜王の子らしい」
「は」

 目を丸くするシエナの反応はアウファトが期待した通りのものだった。

「はは、嘘みたいだろ。古竜語しか話せない竜人なんだ。黒き竜王の子なら、そうなのも頷ける」
「そんなことが、あるんですか」

 シエナも信じられない様子だった。無理もないことだとアウファトは思う。

「そう思うよな」

 アウファトも、まだ信じきれないでいる。
 幼い頃から追い求めたゼジニアは、黒き竜王の子ジェジーニアだった。
 それも、自分をつがいだという。
 この話はシエナに言うべきか、まだ決めかねていた。まだ、自信がない。それに、気持ちの整理もできていない。そんな状態で話をするのは気が引けた。

「明日は休みをもらってるから、明後日にでも紹介する。研究室に連れて行っても構わないか」
「はい。是非」

 シエナが快く了承してくれて、アウファトは胸を撫で下ろす。流石に部屋に閉じ込めておくのもかわいそうだと思う。何せ随分と長いこと眠っていたのだ。外の世界も見せてやりたいと思った。
 ふと、シエナに聞きたかったことを思い出す。パンのことだ。
 シエナはアウファトに比べたらずっと舌が肥えている。味はともかく食べられればいいアウファトは、雑な食生活をよくシエナに怒られていた。

「そうだ、シエナ、この辺りで一番美味しいパンを知らないか?」
「パン、ですか」

 シエナはどうして急にパンの話になったのかと不思議そうに首を傾げた。

「竜王の子……あぁ、ジェジーニアというんだが、ヴィーエガルテンのパンを気に入ったようで」

 話していて、なんだかくすぐったい気分だった。こんなにも誰かに尽くそうと思うのは初めてだった。

「はは、パンが好きなんですか。そうですね、中央通りにあるエンシェというパン屋は多分味が近いと思います」
「そうか、ありがとう」

 やはりシエナに聞いて正解だった。アウファトはそんなところにパン屋があることを知らなかった。

「多分、運が良ければまだ残っていると思います」
「そうなのか」
「エンシェは人気店なので。夕方に焼き上がる分があるんですが、早いとそれもすぐに売れてしまうんです」
「ありがとう、行ってみるよ」
「お気をつけて」
「今日はありがとう、シエナ。助かったよ」
「どういたしまして」

 シエナと別れ、アウファトは中央通りのパン屋へと向かった。



 アウファトが運良く手に入ったパンを抱えて宿舎に戻る頃には、日はすっかり暮れていた。
 食堂の方からは、夕食の匂いがしてくる。ジェジーニアも、腹を空かしているだろうと自室に戻ったアウファトは戻り寝室を覗く。

 ジェジーニアはアウファトのベッドに丸まって眠っていた。
 ベッドが気に入ったのか、歌うように喉を鳴らしている。その音色に、自然と鼓動が早まる。嬉しい時に鳴らすのとも違う、歌うような響きだ。
 まるで、竜人の求愛の歌のようだ。

 求愛。竜王も、竜人と同じように求愛をするのだろうか。黒き竜王は愛情深いという、ウィルマルトに借りた本にあった一節を思い出す。
 アウファトがぼんやりとジェジーニアを眺めていると、ジェジーニアの尾が揺れた。

「パン?」

 アウファトが買ってきたパンの匂いに気がついたのか、ジェジーニアが目を覚ました。

「ふふ、そうだ。パンを買ってきたんだ」

 アウファトの声に、ジェジーニアが微笑む。寝起きの笑みは柔らかく無垢で愛らしかった。
 アウファトは食堂から二人分の食事を持ってくると部屋で二人で食事をした。まだジェジーニアを食堂に連れて行くのは躊躇われた。少しずつ、慣らしていくのがいいだろう。その方がジェジーニアにも負荷が少ないはずだ。

 明日は一日休みになっている。調査の荷物の片付けもしなくてはならない。ジェジーニアも長旅で疲れているはず。明日は一日ゆっくり部屋で過ごそう。
 嬉しそうにパンを頬張るジェジーニアを眺めて、アウファトは久しぶりの休日の計画を立てた。

 アウファトはまだ知らない。
 このあと自らに降りかかるものも、それによって目覚めるものも。
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