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王都陥落
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王が玉座の間に入って程なくして、荒々しい音とともに玉座の間の扉が開く。足音とともに駆け込んできたのは、数人の人間の男だった。
「白き王フィオディーク、王都は落ちた」
「リウストラは終わりだ」
男たちが口々に話すのは南の方の言葉だった。
王にはその言葉が理解できていた。
それでも、王は抵抗しなかった。
自らがこの後死ぬことも、理解していた。
予知の中には無かったが、自分が死ねば、きっと黒き竜王がやってくる。
愛しき竜王へ、王は思いを馳せた。
側に居なくとも、その気配はいつも共にあった。
彼には何も伝えていない。
伝えればきっと、彼は怒り、嘆き、裁いただろう。
彼も自分も、神の決めた運命という流れを変えてはならない。変えることは許されない。
つがい以外の生に深く関わってはならない。殺してはならない。
だから、王はこのことは胸に秘めたままにして、決して言葉にはしなかった。
王は男たちに両脇を抱えられ、王は王宮の外へ連れ出された。
空は赤く染まり、黄昏が迫っていた。
王宮の前の広場に連れ出された王は、両脇を抱えられたまま跪く。
項垂れた首を、白く美しい髪を雑に掴んで持ち上げるものがいた。血のこびりついた手が、王の美しい白い髪を赤黒く汚した。
「お前が王か」
南方の訛りのあるアーディス語だった。
静かな声に、王はその視線を持ち上げた。赤い瞳が映すのは、夥しい返り血に濡れた人間の男だった。
「我が名はエンタロト。この軍の将だ」
精悍な顔つきの人間の男。黒い髪に黒い瞳。鎧から覗く浅黒く日に焼けた肌には無数の傷跡が見えた。
男の名はエンタロト。この賊軍を率いる長だった。
「随分と竜人が少ないと思ったが、お前が逃したか」
南にはいくつもの人の国があるのを知っている。その国の言葉もだ。
王は多くの言語を理解していた。
王は答えない。
「賢い王だ」
エンタロトが目を細める。
「まあいい。宝はどこだ」
「痴れ者め」
王は笑い、語気を強め、吐き捨てた。
彼の国に金銀財宝のような宝などない。あるとすれは、それはこの国にいる民だ。竜人も人も等しく、宝だ。
王はそう思っていた。
民から王にもたらされるものは全て、再び民へと返っていった。王の元に残るのは必要な分だけ。王宮で持て余すものは全て民へ施した。
国が広く穏やかに豊かになるように王は努めた。
それでもこうなった。自分の責任だ。
だが、ジェジーニアは守らなくてはならない。
「殺すがいい。お前たちに我が至宝は渡さない」
凛とした赤の瞳は揺れることなくエンタロトを見据えていた。
「首を落とす」
抑揚の少ない声に、王は小さく息を呑んだ。
エンタロトは差し出された剣を手に取った。
「美しい剣だな。お前のものか」
エンタロトの手に握られている剣には見覚えがあった。そして冷ややかなものが急激に王の胸を冷やしていった。
王が黒き竜王から賜った剣、ジエクノウス。王が寝所の、寝台の下に隠していた剣だった。王はそれがどういうものか理解していた。
だから、王はその美しい表情を歪めた。
竜王を殺す、唯一の剣。竜王のつがいが賜る、断罪のための剣だ。
それを使う日が来ないことを祈りながら、隠したのに。
それを、自分以外の誰かが手にするなど、到底許せるものではなかった。
「お許しください、我が王、トルヴァディア」
王はか細い声を震わせ、深く首を垂れた。
絹のような美しい白い髪は、こびりついた血で赤黒く汚れていた。音もなく吹く風が、毛先を揺らす。
俯いた王の、苦悩と悔恨に歪む表情を誰も知ることはない。
叶わないとわかっても、断罪のための剣が、竜王に向かないことを祈った。
見つかるとは思っていなかった。
その剣がどういうものか、知っているのは王だけ。それでも、その鋭い切先がトルヴァディアへ向かないことを願わずにはいられない。
その剣は、必ず竜王を殺す。
自分以外のものに、竜王を殺されるのは耐え難い。口惜しい。
身を灼かれるような、胸を刃で刻まれるような、それすらまだ生温い。憎悪に似た後悔が胸を掻き乱す。
力がひとかけらでも残っていれば、ここにいるものたちを皆殺しにすることなど容易いのに。
最愛の者を護ることができるのなら、この魂が二度とこの世界に戻れなくてもかまわなかった。神との誓いを反故にすることなど怖くなかった。
だがそれも、今の彼には叶わないことだった。
持てる力の全ては、今はもうジェジーニアとともに揺籠に眠らせてしまった。
今の彼は、ただの空の器だった。神により賜ったものも、力もない。もはや、己の犯した過ちが最愛の者を殺めることがないよう、願う他なかった。
間も無く自らに訪れる終わりよりも、いつか訪れるかもしれない、最愛の者の最期が怖かった。
溢れそうになる涙を堪え、奥歯を噛み締める。
黒き竜王の死は見えなかった。だから大丈夫だと言い聞かせる。そうしなければ頭がおかしくなりそうだった。
王にはもう、祈ることしかできなかった。
そんな王の胸中など知るはずもなく、エンタロトは王から奪った剣を振り翳す。曇りの無い磨き抜かれた美しい刃は黄昏の色を映し、煌めいた。
その斬撃は一太刀で王の首を落とした。重い音とともに赤い飛沫を散らし、王の首が石畳に落ちた。
エンタロトは落ちた首を足で退けると、その白い亡骸の胸を裂き心臓を取り出し、腹を裂きはらわたを取り出し、最後に残された首からその美しい眼球を抉り出した。
美しく並ぶ白い石畳を、王の夥しい血が汚した。
王の亡骸は無惨に裂かれ、打ち捨てられた。
「竜人の王の血だ。さぞ強い力があるのだろう」
人間たちの間には、竜人の血には万病を癒し力を与えるという言い伝えがあった。その心臓は長命を齎し、はらわたは強靭を齎し、その美しい瞳は叡智を齎すと言われた。
歓喜の声が上がり、人はその血溜まりに群がった。
エンタロトは赤く濡れた胸から取り出した心臓をくらった。
夕暮れ前。日は大きく傾いて空は黄昏の色に染まっていた。
「白き王フィオディーク、王都は落ちた」
「リウストラは終わりだ」
男たちが口々に話すのは南の方の言葉だった。
王にはその言葉が理解できていた。
それでも、王は抵抗しなかった。
自らがこの後死ぬことも、理解していた。
予知の中には無かったが、自分が死ねば、きっと黒き竜王がやってくる。
愛しき竜王へ、王は思いを馳せた。
側に居なくとも、その気配はいつも共にあった。
彼には何も伝えていない。
伝えればきっと、彼は怒り、嘆き、裁いただろう。
彼も自分も、神の決めた運命という流れを変えてはならない。変えることは許されない。
つがい以外の生に深く関わってはならない。殺してはならない。
だから、王はこのことは胸に秘めたままにして、決して言葉にはしなかった。
王は男たちに両脇を抱えられ、王は王宮の外へ連れ出された。
空は赤く染まり、黄昏が迫っていた。
王宮の前の広場に連れ出された王は、両脇を抱えられたまま跪く。
項垂れた首を、白く美しい髪を雑に掴んで持ち上げるものがいた。血のこびりついた手が、王の美しい白い髪を赤黒く汚した。
「お前が王か」
南方の訛りのあるアーディス語だった。
静かな声に、王はその視線を持ち上げた。赤い瞳が映すのは、夥しい返り血に濡れた人間の男だった。
「我が名はエンタロト。この軍の将だ」
精悍な顔つきの人間の男。黒い髪に黒い瞳。鎧から覗く浅黒く日に焼けた肌には無数の傷跡が見えた。
男の名はエンタロト。この賊軍を率いる長だった。
「随分と竜人が少ないと思ったが、お前が逃したか」
南にはいくつもの人の国があるのを知っている。その国の言葉もだ。
王は多くの言語を理解していた。
王は答えない。
「賢い王だ」
エンタロトが目を細める。
「まあいい。宝はどこだ」
「痴れ者め」
王は笑い、語気を強め、吐き捨てた。
彼の国に金銀財宝のような宝などない。あるとすれは、それはこの国にいる民だ。竜人も人も等しく、宝だ。
王はそう思っていた。
民から王にもたらされるものは全て、再び民へと返っていった。王の元に残るのは必要な分だけ。王宮で持て余すものは全て民へ施した。
国が広く穏やかに豊かになるように王は努めた。
それでもこうなった。自分の責任だ。
だが、ジェジーニアは守らなくてはならない。
「殺すがいい。お前たちに我が至宝は渡さない」
凛とした赤の瞳は揺れることなくエンタロトを見据えていた。
「首を落とす」
抑揚の少ない声に、王は小さく息を呑んだ。
エンタロトは差し出された剣を手に取った。
「美しい剣だな。お前のものか」
エンタロトの手に握られている剣には見覚えがあった。そして冷ややかなものが急激に王の胸を冷やしていった。
王が黒き竜王から賜った剣、ジエクノウス。王が寝所の、寝台の下に隠していた剣だった。王はそれがどういうものか理解していた。
だから、王はその美しい表情を歪めた。
竜王を殺す、唯一の剣。竜王のつがいが賜る、断罪のための剣だ。
それを使う日が来ないことを祈りながら、隠したのに。
それを、自分以外の誰かが手にするなど、到底許せるものではなかった。
「お許しください、我が王、トルヴァディア」
王はか細い声を震わせ、深く首を垂れた。
絹のような美しい白い髪は、こびりついた血で赤黒く汚れていた。音もなく吹く風が、毛先を揺らす。
俯いた王の、苦悩と悔恨に歪む表情を誰も知ることはない。
叶わないとわかっても、断罪のための剣が、竜王に向かないことを祈った。
見つかるとは思っていなかった。
その剣がどういうものか、知っているのは王だけ。それでも、その鋭い切先がトルヴァディアへ向かないことを願わずにはいられない。
その剣は、必ず竜王を殺す。
自分以外のものに、竜王を殺されるのは耐え難い。口惜しい。
身を灼かれるような、胸を刃で刻まれるような、それすらまだ生温い。憎悪に似た後悔が胸を掻き乱す。
力がひとかけらでも残っていれば、ここにいるものたちを皆殺しにすることなど容易いのに。
最愛の者を護ることができるのなら、この魂が二度とこの世界に戻れなくてもかまわなかった。神との誓いを反故にすることなど怖くなかった。
だがそれも、今の彼には叶わないことだった。
持てる力の全ては、今はもうジェジーニアとともに揺籠に眠らせてしまった。
今の彼は、ただの空の器だった。神により賜ったものも、力もない。もはや、己の犯した過ちが最愛の者を殺めることがないよう、願う他なかった。
間も無く自らに訪れる終わりよりも、いつか訪れるかもしれない、最愛の者の最期が怖かった。
溢れそうになる涙を堪え、奥歯を噛み締める。
黒き竜王の死は見えなかった。だから大丈夫だと言い聞かせる。そうしなければ頭がおかしくなりそうだった。
王にはもう、祈ることしかできなかった。
そんな王の胸中など知るはずもなく、エンタロトは王から奪った剣を振り翳す。曇りの無い磨き抜かれた美しい刃は黄昏の色を映し、煌めいた。
その斬撃は一太刀で王の首を落とした。重い音とともに赤い飛沫を散らし、王の首が石畳に落ちた。
エンタロトは落ちた首を足で退けると、その白い亡骸の胸を裂き心臓を取り出し、腹を裂きはらわたを取り出し、最後に残された首からその美しい眼球を抉り出した。
美しく並ぶ白い石畳を、王の夥しい血が汚した。
王の亡骸は無惨に裂かれ、打ち捨てられた。
「竜人の王の血だ。さぞ強い力があるのだろう」
人間たちの間には、竜人の血には万病を癒し力を与えるという言い伝えがあった。その心臓は長命を齎し、はらわたは強靭を齎し、その美しい瞳は叡智を齎すと言われた。
歓喜の声が上がり、人はその血溜まりに群がった。
エンタロトは赤く濡れた胸から取り出した心臓をくらった。
夕暮れ前。日は大きく傾いて空は黄昏の色に染まっていた。
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