9 / 63
竜哭の平原
しおりを挟む
白い柩への行程一日目。
夜明けとともに起き出したアウファトは荷物を背負い、部屋を出た。夜明けから間もない宿は静かだった。正面玄関へ降りると、すでに起きていた支配人が見送ってくれた。
エンダールの朝は王都メイエヴァードよりも幾らか涼しい。朝は特に冷える。アウファトは外套を羽織り、小さく身震いした。
青白く清涼な空気が早朝の街に降る。
帰還予定は五日後。往復で四日、調査で一日の予定だ。
夜が明けて間もないせいか、城門を通る者はアウファト以外にいない。衛兵もどこか眠そうに門を出るアウファトを見送った。
ここから先は徒歩になる。白い柩までは街道に沿って歩いて二日。天候が悪くなれば三日以上かかることもある。
夜明けとともに晴天のエンダールを出発したアウファトは北東に向けて伸びる街道を辿る。かつての王都まで続く街道だ。
本来ならシエナが一緒にいるはずだった。アウファトは話し相手がいないことに一抹の寂しさを感じながら、ひとり黙々と街道を進んだ。
アウファトが歩くのは、神代に作られた街道だ。
かつては南の都市との貿易に使われた道で、商人や旅人など、多くの民が王都へ続くこの道を辿った。
荷馬車が二台すれ違ってもまだ余裕のある道幅の街道が、どこまでも続いている。
四角く形の整えられた石が敷き詰められた石畳は、神代の竜人が作ったものだ。王都リウストラが滅びてから荒れ放題で所々欠けたり割れたりはあるが消えずに残っていることに、アウファトはここを通るたびに感動する。
街道の先には、背の高い木々が見え始めている。
陽の高さから考えて、予定よりも少し早く歩けているようで安堵して、アウファトは荷物を下ろした。
シエナが調べておいてくれた休憩場所だった。
シエナの準備してくれた行程表は、昼頃に樹氷の森へと差し掛かる見込みだった。
持ってきたパンを齧り、水分を摂って、アウファトは再び街道を進む。
やがてアウファトの目の前に深い森が見えてきた。
樹氷の森と呼ばれている森林地帯だった。白い嵐の影響で、夏以外は白く閉ざされ、樹氷の森となる。
普段は白く閉ざされた森が、この時期は本来の姿を取り戻す。氷雪が溶け、柔らかな湿度が深い緑の森を包んでいた。
まもなく、再びこの森が凍りつく季節がやってくる。束の間の生きた緑の姿を眺めながら、アウファトは溶けた樹氷の森を北東へと進んだ。
森を抜けると、視界が開ける。
肌を撫でる風の温度が下がった。
ここからは竜哭の平原である。
吹き荒れる吹雪は止み、晴れ間こそ見えないが重い鈍色の雲は薄れて、うっすらとではあるが陽射しの暖かさを感じる。
氷雪は解け出し、一帯は湿地となり背の低い草に覆われた平原が広がる。これも、この季節だけのものだ。
昔は穏やかな草原だったという。今見えているのは、その片鱗だ。
雪解けの水で泥濘む道は、お世辞にも良いとは言えない。アウファトは泥濘に足を取られないよう注意しながら、歯抜けの石畳が続くかつての街道の跡を進む。
膝下くらいの高さの背の低い草の生い茂る草原には鳥や小型の草食獣がいるようで、時折鳴き声が聞こえた。
空は薄曇り。明るいが、北に向かって、空は徐々に暗くなっていた。
色彩はあるが、草むらも空もどこかうっすらと濁ったような沈んだ色合いをしている。
普段なら樹氷の森までが吹雪に飲まれ、この辺りも白い雪原になる。
吹き荒れる吹雪の音が黒き竜王の咆哮を思わせることからそう呼ばれる。
竜哭の平原に入ってしばらくすると、街道は真北に向かう。
このまま、リウストラまでは一本道だ。
アウファトは時折休みながら、街道を進む。
平原には、ところどころ立ち枯れた木の残骸が残っている。凍結と融解を繰り返し、石は砕け、木々もまた土に還っていく。
エンダールから北は、進めば進むほど夏の気配は薄れ、空気は徐々に涼やかなものに変わっていく。
かつての王都リウストラを取り巻く、白い嵐の影響だ。
今は晴天だが、気は抜けない。
空を覆う雲も増え、風は徐々に熱を失い、切り付けるような鋭さを帯び始める。
天候が落ち着くとはいえ、時折雪は降るので安心はできない。
雲越しに届くうっすらとした日差しの温もりはささやかなもので、吹き付ける風は容易く温もりを掻き消していく。
太陽も星空もあまり見えない竜哭の平原では、道標になるのは、足元の石畳と、先人が打ち込んだらしき朽ちかけた杭くらいだった。
あとは地図と、方位磁針が頼りだ。
寒さは、ウィルマルトに貰った石がなんとか和らげてくれている。魔力が込められた、暖かな石だ。
明日も天候に恵まれるとは限らない。翌日に疲れを残さない程度に、アウファトは歩みを進めた。
その甲斐あって、シエナの作ってくれた予定の道のりよりもずっと進めた。
日暮れ前に、アウファトは街道から少し外れた丘に天幕を張り、野営をした。
日が暮れると、気温は下がる。
雲の多い空には星は見えない
暖をとるための焚き火も、集めた枝が湿っていたせいか煙を吐くばかりだ。
アウファトは行程と地図を確認して、早々に眠りについた。
白い柩の周辺は、広い平原になっている。
白い柩の北、大陸の北の果てに聳える霊峰アンティウムから流れるいく筋もの川が作り出した広い平原。ここに栄えた王都リウストラを中心とする一帯は、神代の終わり、氷雪に閉ざされた。
吹き荒れる風がこの地の終焉に鳴り響いた竜王の咆哮に似ていることから、いつからかこの地は竜哭の平原と呼ばれるようになっていた。竜人たちからは閉ざされた呪いの地と呼ばれ恐れられる。恐れないのはウィルマルトくらいだった。
白い柩を中心に、進入を拒むように渦を巻いて吹き荒れる吹雪。この時期は雪は止むが、依然として風は強いままだ。
竜王祭のこの時期だけ気候が和らぐのは竜王のおかげだと言われている。
もうずっと長いこと、この地はこんな有様だった。アウファトが生まれてから、ずっとだ。
かつてこの平原は緑豊かな温暖な地であったということが周囲の遺跡や洞窟の壁画、伝承からわかっている。
それを狂わせ、冷たく閉ざしたのは人であった。
かつて、フィオディカ大陸には竜人と、人が共存していた。
遠い昔の話である。アウファトが生まれるよりもずっと前。人が過ちを犯した、神代の終わりまで遡る。
フィオディカ伝承と呼ばれる、古くから伝わる神代の終わりの物語がある。
人の愚かさと、竜王の力を今に伝える物語である。
夜明けとともに起き出したアウファトは荷物を背負い、部屋を出た。夜明けから間もない宿は静かだった。正面玄関へ降りると、すでに起きていた支配人が見送ってくれた。
エンダールの朝は王都メイエヴァードよりも幾らか涼しい。朝は特に冷える。アウファトは外套を羽織り、小さく身震いした。
青白く清涼な空気が早朝の街に降る。
帰還予定は五日後。往復で四日、調査で一日の予定だ。
夜が明けて間もないせいか、城門を通る者はアウファト以外にいない。衛兵もどこか眠そうに門を出るアウファトを見送った。
ここから先は徒歩になる。白い柩までは街道に沿って歩いて二日。天候が悪くなれば三日以上かかることもある。
夜明けとともに晴天のエンダールを出発したアウファトは北東に向けて伸びる街道を辿る。かつての王都まで続く街道だ。
本来ならシエナが一緒にいるはずだった。アウファトは話し相手がいないことに一抹の寂しさを感じながら、ひとり黙々と街道を進んだ。
アウファトが歩くのは、神代に作られた街道だ。
かつては南の都市との貿易に使われた道で、商人や旅人など、多くの民が王都へ続くこの道を辿った。
荷馬車が二台すれ違ってもまだ余裕のある道幅の街道が、どこまでも続いている。
四角く形の整えられた石が敷き詰められた石畳は、神代の竜人が作ったものだ。王都リウストラが滅びてから荒れ放題で所々欠けたり割れたりはあるが消えずに残っていることに、アウファトはここを通るたびに感動する。
街道の先には、背の高い木々が見え始めている。
陽の高さから考えて、予定よりも少し早く歩けているようで安堵して、アウファトは荷物を下ろした。
シエナが調べておいてくれた休憩場所だった。
シエナの準備してくれた行程表は、昼頃に樹氷の森へと差し掛かる見込みだった。
持ってきたパンを齧り、水分を摂って、アウファトは再び街道を進む。
やがてアウファトの目の前に深い森が見えてきた。
樹氷の森と呼ばれている森林地帯だった。白い嵐の影響で、夏以外は白く閉ざされ、樹氷の森となる。
普段は白く閉ざされた森が、この時期は本来の姿を取り戻す。氷雪が溶け、柔らかな湿度が深い緑の森を包んでいた。
まもなく、再びこの森が凍りつく季節がやってくる。束の間の生きた緑の姿を眺めながら、アウファトは溶けた樹氷の森を北東へと進んだ。
森を抜けると、視界が開ける。
肌を撫でる風の温度が下がった。
ここからは竜哭の平原である。
吹き荒れる吹雪は止み、晴れ間こそ見えないが重い鈍色の雲は薄れて、うっすらとではあるが陽射しの暖かさを感じる。
氷雪は解け出し、一帯は湿地となり背の低い草に覆われた平原が広がる。これも、この季節だけのものだ。
昔は穏やかな草原だったという。今見えているのは、その片鱗だ。
雪解けの水で泥濘む道は、お世辞にも良いとは言えない。アウファトは泥濘に足を取られないよう注意しながら、歯抜けの石畳が続くかつての街道の跡を進む。
膝下くらいの高さの背の低い草の生い茂る草原には鳥や小型の草食獣がいるようで、時折鳴き声が聞こえた。
空は薄曇り。明るいが、北に向かって、空は徐々に暗くなっていた。
色彩はあるが、草むらも空もどこかうっすらと濁ったような沈んだ色合いをしている。
普段なら樹氷の森までが吹雪に飲まれ、この辺りも白い雪原になる。
吹き荒れる吹雪の音が黒き竜王の咆哮を思わせることからそう呼ばれる。
竜哭の平原に入ってしばらくすると、街道は真北に向かう。
このまま、リウストラまでは一本道だ。
アウファトは時折休みながら、街道を進む。
平原には、ところどころ立ち枯れた木の残骸が残っている。凍結と融解を繰り返し、石は砕け、木々もまた土に還っていく。
エンダールから北は、進めば進むほど夏の気配は薄れ、空気は徐々に涼やかなものに変わっていく。
かつての王都リウストラを取り巻く、白い嵐の影響だ。
今は晴天だが、気は抜けない。
空を覆う雲も増え、風は徐々に熱を失い、切り付けるような鋭さを帯び始める。
天候が落ち着くとはいえ、時折雪は降るので安心はできない。
雲越しに届くうっすらとした日差しの温もりはささやかなもので、吹き付ける風は容易く温もりを掻き消していく。
太陽も星空もあまり見えない竜哭の平原では、道標になるのは、足元の石畳と、先人が打ち込んだらしき朽ちかけた杭くらいだった。
あとは地図と、方位磁針が頼りだ。
寒さは、ウィルマルトに貰った石がなんとか和らげてくれている。魔力が込められた、暖かな石だ。
明日も天候に恵まれるとは限らない。翌日に疲れを残さない程度に、アウファトは歩みを進めた。
その甲斐あって、シエナの作ってくれた予定の道のりよりもずっと進めた。
日暮れ前に、アウファトは街道から少し外れた丘に天幕を張り、野営をした。
日が暮れると、気温は下がる。
雲の多い空には星は見えない
暖をとるための焚き火も、集めた枝が湿っていたせいか煙を吐くばかりだ。
アウファトは行程と地図を確認して、早々に眠りについた。
白い柩の周辺は、広い平原になっている。
白い柩の北、大陸の北の果てに聳える霊峰アンティウムから流れるいく筋もの川が作り出した広い平原。ここに栄えた王都リウストラを中心とする一帯は、神代の終わり、氷雪に閉ざされた。
吹き荒れる風がこの地の終焉に鳴り響いた竜王の咆哮に似ていることから、いつからかこの地は竜哭の平原と呼ばれるようになっていた。竜人たちからは閉ざされた呪いの地と呼ばれ恐れられる。恐れないのはウィルマルトくらいだった。
白い柩を中心に、進入を拒むように渦を巻いて吹き荒れる吹雪。この時期は雪は止むが、依然として風は強いままだ。
竜王祭のこの時期だけ気候が和らぐのは竜王のおかげだと言われている。
もうずっと長いこと、この地はこんな有様だった。アウファトが生まれてから、ずっとだ。
かつてこの平原は緑豊かな温暖な地であったということが周囲の遺跡や洞窟の壁画、伝承からわかっている。
それを狂わせ、冷たく閉ざしたのは人であった。
かつて、フィオディカ大陸には竜人と、人が共存していた。
遠い昔の話である。アウファトが生まれるよりもずっと前。人が過ちを犯した、神代の終わりまで遡る。
フィオディカ伝承と呼ばれる、古くから伝わる神代の終わりの物語がある。
人の愚かさと、竜王の力を今に伝える物語である。
0
お気に入りに追加
137
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。
N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間
ファンタジーしてます。
攻めが出てくるのは中盤から。
結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。
表紙絵
⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101)
挿絵『0 琥』
⇨からさね 様 X (@karasane03)
挿絵『34 森』
⇨くすなし 様 X(@cuth_masi)
◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」
「恩? 私と君は初対面だったはず」
「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」
「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」
奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる