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竜哭の平原
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白い柩への行程一日目。
夜明けとともに起き出したアウファトは荷物を背負い、部屋を出た。夜明けから間もない宿は静かだった。正面玄関へ降りると、すでに起きていた支配人が見送ってくれた。
エンダールの朝は王都メイエヴァードよりも幾らか涼しい。朝は特に冷える。アウファトは外套を羽織り、小さく身震いした。
青白く清涼な空気が早朝の街に降る。
帰還予定は五日後。往復で四日、調査で一日の予定だ。
夜が明けて間もないせいか、城門を通る者はアウファト以外にいない。衛兵もどこか眠そうに門を出るアウファトを見送った。
ここから先は徒歩になる。白い柩までは街道に沿って歩いて二日。天候が悪くなれば三日以上かかることもある。
夜明けとともに晴天のエンダールを出発したアウファトは北東に向けて伸びる街道を辿る。かつての王都まで続く街道だ。
本来ならシエナが一緒にいるはずだった。アウファトは話し相手がいないことに一抹の寂しさを感じながら、ひとり黙々と街道を進んだ。
アウファトが歩くのは、神代に作られた街道だ。
かつては南の都市との貿易に使われた道で、商人や旅人など、多くの民が王都へ続くこの道を辿った。
荷馬車が二台すれ違ってもまだ余裕のある道幅の街道が、どこまでも続いている。
四角く形の整えられた石が敷き詰められた石畳は、神代の竜人が作ったものだ。王都リウストラが滅びてから荒れ放題で所々欠けたり割れたりはあるが消えずに残っていることに、アウファトはここを通るたびに感動する。
街道の先には、背の高い木々が見え始めている。
陽の高さから考えて、予定よりも少し早く歩けているようで安堵して、アウファトは荷物を下ろした。
シエナが調べておいてくれた休憩場所だった。
シエナの準備してくれた行程表は、昼頃に樹氷の森へと差し掛かる見込みだった。
持ってきたパンを齧り、水分を摂って、アウファトは再び街道を進む。
やがてアウファトの目の前に深い森が見えてきた。
樹氷の森と呼ばれている森林地帯だった。白い嵐の影響で、夏以外は白く閉ざされ、樹氷の森となる。
普段は白く閉ざされた森が、この時期は本来の姿を取り戻す。氷雪が溶け、柔らかな湿度が深い緑の森を包んでいた。
まもなく、再びこの森が凍りつく季節がやってくる。束の間の生きた緑の姿を眺めながら、アウファトは溶けた樹氷の森を北東へと進んだ。
森を抜けると、視界が開ける。
肌を撫でる風の温度が下がった。
ここからは竜哭の平原である。
吹き荒れる吹雪は止み、晴れ間こそ見えないが重い鈍色の雲は薄れて、うっすらとではあるが陽射しの暖かさを感じる。
氷雪は解け出し、一帯は湿地となり背の低い草に覆われた平原が広がる。これも、この季節だけのものだ。
昔は穏やかな草原だったという。今見えているのは、その片鱗だ。
雪解けの水で泥濘む道は、お世辞にも良いとは言えない。アウファトは泥濘に足を取られないよう注意しながら、歯抜けの石畳が続くかつての街道の跡を進む。
膝下くらいの高さの背の低い草の生い茂る草原には鳥や小型の草食獣がいるようで、時折鳴き声が聞こえた。
空は薄曇り。明るいが、北に向かって、空は徐々に暗くなっていた。
色彩はあるが、草むらも空もどこかうっすらと濁ったような沈んだ色合いをしている。
普段なら樹氷の森までが吹雪に飲まれ、この辺りも白い雪原になる。
吹き荒れる吹雪の音が黒き竜王の咆哮を思わせることからそう呼ばれる。
竜哭の平原に入ってしばらくすると、街道は真北に向かう。
このまま、リウストラまでは一本道だ。
アウファトは時折休みながら、街道を進む。
平原には、ところどころ立ち枯れた木の残骸が残っている。凍結と融解を繰り返し、石は砕け、木々もまた土に還っていく。
エンダールから北は、進めば進むほど夏の気配は薄れ、空気は徐々に涼やかなものに変わっていく。
かつての王都リウストラを取り巻く、白い嵐の影響だ。
今は晴天だが、気は抜けない。
空を覆う雲も増え、風は徐々に熱を失い、切り付けるような鋭さを帯び始める。
天候が落ち着くとはいえ、時折雪は降るので安心はできない。
雲越しに届くうっすらとした日差しの温もりはささやかなもので、吹き付ける風は容易く温もりを掻き消していく。
太陽も星空もあまり見えない竜哭の平原では、道標になるのは、足元の石畳と、先人が打ち込んだらしき朽ちかけた杭くらいだった。
あとは地図と、方位磁針が頼りだ。
寒さは、ウィルマルトに貰った石がなんとか和らげてくれている。魔力が込められた、暖かな石だ。
明日も天候に恵まれるとは限らない。翌日に疲れを残さない程度に、アウファトは歩みを進めた。
その甲斐あって、シエナの作ってくれた予定の道のりよりもずっと進めた。
日暮れ前に、アウファトは街道から少し外れた丘に天幕を張り、野営をした。
日が暮れると、気温は下がる。
雲の多い空には星は見えない
暖をとるための焚き火も、集めた枝が湿っていたせいか煙を吐くばかりだ。
アウファトは行程と地図を確認して、早々に眠りについた。
白い柩の周辺は、広い平原になっている。
白い柩の北、大陸の北の果てに聳える霊峰アンティウムから流れるいく筋もの川が作り出した広い平原。ここに栄えた王都リウストラを中心とする一帯は、神代の終わり、氷雪に閉ざされた。
吹き荒れる風がこの地の終焉に鳴り響いた竜王の咆哮に似ていることから、いつからかこの地は竜哭の平原と呼ばれるようになっていた。竜人たちからは閉ざされた呪いの地と呼ばれ恐れられる。恐れないのはウィルマルトくらいだった。
白い柩を中心に、進入を拒むように渦を巻いて吹き荒れる吹雪。この時期は雪は止むが、依然として風は強いままだ。
竜王祭のこの時期だけ気候が和らぐのは竜王のおかげだと言われている。
もうずっと長いこと、この地はこんな有様だった。アウファトが生まれてから、ずっとだ。
かつてこの平原は緑豊かな温暖な地であったということが周囲の遺跡や洞窟の壁画、伝承からわかっている。
それを狂わせ、冷たく閉ざしたのは人であった。
かつて、フィオディカ大陸には竜人と、人が共存していた。
遠い昔の話である。アウファトが生まれるよりもずっと前。人が過ちを犯した、神代の終わりまで遡る。
フィオディカ伝承と呼ばれる、古くから伝わる神代の終わりの物語がある。
人の愚かさと、竜王の力を今に伝える物語である。
夜明けとともに起き出したアウファトは荷物を背負い、部屋を出た。夜明けから間もない宿は静かだった。正面玄関へ降りると、すでに起きていた支配人が見送ってくれた。
エンダールの朝は王都メイエヴァードよりも幾らか涼しい。朝は特に冷える。アウファトは外套を羽織り、小さく身震いした。
青白く清涼な空気が早朝の街に降る。
帰還予定は五日後。往復で四日、調査で一日の予定だ。
夜が明けて間もないせいか、城門を通る者はアウファト以外にいない。衛兵もどこか眠そうに門を出るアウファトを見送った。
ここから先は徒歩になる。白い柩までは街道に沿って歩いて二日。天候が悪くなれば三日以上かかることもある。
夜明けとともに晴天のエンダールを出発したアウファトは北東に向けて伸びる街道を辿る。かつての王都まで続く街道だ。
本来ならシエナが一緒にいるはずだった。アウファトは話し相手がいないことに一抹の寂しさを感じながら、ひとり黙々と街道を進んだ。
アウファトが歩くのは、神代に作られた街道だ。
かつては南の都市との貿易に使われた道で、商人や旅人など、多くの民が王都へ続くこの道を辿った。
荷馬車が二台すれ違ってもまだ余裕のある道幅の街道が、どこまでも続いている。
四角く形の整えられた石が敷き詰められた石畳は、神代の竜人が作ったものだ。王都リウストラが滅びてから荒れ放題で所々欠けたり割れたりはあるが消えずに残っていることに、アウファトはここを通るたびに感動する。
街道の先には、背の高い木々が見え始めている。
陽の高さから考えて、予定よりも少し早く歩けているようで安堵して、アウファトは荷物を下ろした。
シエナが調べておいてくれた休憩場所だった。
シエナの準備してくれた行程表は、昼頃に樹氷の森へと差し掛かる見込みだった。
持ってきたパンを齧り、水分を摂って、アウファトは再び街道を進む。
やがてアウファトの目の前に深い森が見えてきた。
樹氷の森と呼ばれている森林地帯だった。白い嵐の影響で、夏以外は白く閉ざされ、樹氷の森となる。
普段は白く閉ざされた森が、この時期は本来の姿を取り戻す。氷雪が溶け、柔らかな湿度が深い緑の森を包んでいた。
まもなく、再びこの森が凍りつく季節がやってくる。束の間の生きた緑の姿を眺めながら、アウファトは溶けた樹氷の森を北東へと進んだ。
森を抜けると、視界が開ける。
肌を撫でる風の温度が下がった。
ここからは竜哭の平原である。
吹き荒れる吹雪は止み、晴れ間こそ見えないが重い鈍色の雲は薄れて、うっすらとではあるが陽射しの暖かさを感じる。
氷雪は解け出し、一帯は湿地となり背の低い草に覆われた平原が広がる。これも、この季節だけのものだ。
昔は穏やかな草原だったという。今見えているのは、その片鱗だ。
雪解けの水で泥濘む道は、お世辞にも良いとは言えない。アウファトは泥濘に足を取られないよう注意しながら、歯抜けの石畳が続くかつての街道の跡を進む。
膝下くらいの高さの背の低い草の生い茂る草原には鳥や小型の草食獣がいるようで、時折鳴き声が聞こえた。
空は薄曇り。明るいが、北に向かって、空は徐々に暗くなっていた。
色彩はあるが、草むらも空もどこかうっすらと濁ったような沈んだ色合いをしている。
普段なら樹氷の森までが吹雪に飲まれ、この辺りも白い雪原になる。
吹き荒れる吹雪の音が黒き竜王の咆哮を思わせることからそう呼ばれる。
竜哭の平原に入ってしばらくすると、街道は真北に向かう。
このまま、リウストラまでは一本道だ。
アウファトは時折休みながら、街道を進む。
平原には、ところどころ立ち枯れた木の残骸が残っている。凍結と融解を繰り返し、石は砕け、木々もまた土に還っていく。
エンダールから北は、進めば進むほど夏の気配は薄れ、空気は徐々に涼やかなものに変わっていく。
かつての王都リウストラを取り巻く、白い嵐の影響だ。
今は晴天だが、気は抜けない。
空を覆う雲も増え、風は徐々に熱を失い、切り付けるような鋭さを帯び始める。
天候が落ち着くとはいえ、時折雪は降るので安心はできない。
雲越しに届くうっすらとした日差しの温もりはささやかなもので、吹き付ける風は容易く温もりを掻き消していく。
太陽も星空もあまり見えない竜哭の平原では、道標になるのは、足元の石畳と、先人が打ち込んだらしき朽ちかけた杭くらいだった。
あとは地図と、方位磁針が頼りだ。
寒さは、ウィルマルトに貰った石がなんとか和らげてくれている。魔力が込められた、暖かな石だ。
明日も天候に恵まれるとは限らない。翌日に疲れを残さない程度に、アウファトは歩みを進めた。
その甲斐あって、シエナの作ってくれた予定の道のりよりもずっと進めた。
日暮れ前に、アウファトは街道から少し外れた丘に天幕を張り、野営をした。
日が暮れると、気温は下がる。
雲の多い空には星は見えない
暖をとるための焚き火も、集めた枝が湿っていたせいか煙を吐くばかりだ。
アウファトは行程と地図を確認して、早々に眠りについた。
白い柩の周辺は、広い平原になっている。
白い柩の北、大陸の北の果てに聳える霊峰アンティウムから流れるいく筋もの川が作り出した広い平原。ここに栄えた王都リウストラを中心とする一帯は、神代の終わり、氷雪に閉ざされた。
吹き荒れる風がこの地の終焉に鳴り響いた竜王の咆哮に似ていることから、いつからかこの地は竜哭の平原と呼ばれるようになっていた。竜人たちからは閉ざされた呪いの地と呼ばれ恐れられる。恐れないのはウィルマルトくらいだった。
白い柩を中心に、進入を拒むように渦を巻いて吹き荒れる吹雪。この時期は雪は止むが、依然として風は強いままだ。
竜王祭のこの時期だけ気候が和らぐのは竜王のおかげだと言われている。
もうずっと長いこと、この地はこんな有様だった。アウファトが生まれてから、ずっとだ。
かつてこの平原は緑豊かな温暖な地であったということが周囲の遺跡や洞窟の壁画、伝承からわかっている。
それを狂わせ、冷たく閉ざしたのは人であった。
かつて、フィオディカ大陸には竜人と、人が共存していた。
遠い昔の話である。アウファトが生まれるよりもずっと前。人が過ちを犯した、神代の終わりまで遡る。
フィオディカ伝承と呼ばれる、古くから伝わる神代の終わりの物語がある。
人の愚かさと、竜王の力を今に伝える物語である。
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