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ジェジーニアの羽ばたき
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ジェジーニアを連れて白い柩を出ると、入る前には確かに吹き荒れていた吹雪が止んでいた。
風のない白い石の街は耳の痛くなるような静寂に包まれていた。
空は変わらず暗い色の雲に覆われているが、ひとかけらの雪も落ちてくることはなかった。明るさから、まだ日の出ている時間のようだった。
アウファトが知る中で、この辺りがこんなに凪いだのを見るのは初めてだった。
ジェジーニアを目覚めさせたことで何かが変わったのか、それともアウファトが知らないだけでたまにあることなのか、わからなかった。
アウファトは自分についてきているはずのジェジーニアの姿を探して振り返る。
ジェジーニアは王宮の入り口に立ち尽くし、空を仰いでいた。
重い灰色の空をその目に映し、何を思うのか。
ここはもう彼の知るリウストラではない。何もかも変わってしまった、誰もいない王都の残骸だ。
「フィー?」
ジェジーニアはぼんやりと空を見上げ、先ほども口にしたその言葉をまた呟いた。
その声は吐息になって白く吐き出され、霞のように空に消えていった。
天を仰ぐ姿はどこか悲しげで、アウファトの胸は痛む。
かつての王都で起きたことを、彼を守ろうとした者たちの行く末を、ジェジーニアはまだ知らない。
白き王が残した、黒き竜王から賜った至宝、ジェジーニア。彼にリウストラの最期を伝えないわけにはいかないだろう。だが、どうやって伝えるべきか、アウファトはまだ考えあぐねていた。
長い眠りから目覚めたばかりのジェジーニアに、それを伝えるのは酷なことに思えた。
「ジェジーニア」
アウファトが呼ぶと、アウファトの胸中など知らないジェジーニアは笑った。
ジェジーニアは外套を捲り上げ、その竜翼を大きく羽ばたかせた。
緩い風が巻き起こり、アウファトの髪を揺らす。竜人の羽ばたきを間近で見るのは初めてだった。
ジェジーニアの手がアウファトの腕を掴んで引いた。ジェジーニアの力は強く、アウファトは簡単に引き寄せられてしまう。
ジェジーニアは探索用の重い荷物を背負うアウファトを抱き上げた。痩せてはいるが、アウファトも大人の男だ。それを軽々と抱き上げるジェジーニアに、アウファトは驚きを隠せない。竜人の力を目の当たりにして、アウファトはただ惚けた顔でジェジーニアを見上げた。
アウファトの視線を受け止めたジェジーニアは微笑むと、その逞しい竜翼を大きく揺らし、アウファトを抱いて高く舞い上がった。
身体が浮き上がる感覚に、アウファトは思わずジェジーニアにしがみついた。
ジェジーニアの温もりが伝わってくる。生きているのだと、幻でもなく、目の前にいるのだとアウファトはその温もりで再確認する。
ジェジーニアは羽ばたくごとに高度を上げ、地面はもう遥か下にある。
ジェジーニアからは、あの部屋と同じ、白い花の甘く清廉な花の香りがした。胸が痛む。心臓が震える。高いところが怖いわけでもなく、理由はわからない。
黒い竜翼が風を起こし、あっという間にジェジーニアは王都の上空へと辿り着いた。
見渡せば、一帯の吹雪が止んでいるのがわかる。足下には王都と雪の残る湿原が見えた。
「あ! あっち!」
アウファトが咄嗟に指差したのはエンダールの方角だった。ジェジーニアは笑うと、羽ばたき、風に乗って竜人の都、城塞都市エンダールのある方角へと飛んだ。
ジェジーニアの翼は速かった。風を切る音が聞こえる。冷たい風が頬を撫でて髪を靡かせていく。
遺跡からエンダールまでは、まともに歩いて徒歩で二日ほどかかる距離だが、徒歩とは違い、瞬く間にエンダールの高い城壁が見えてきた。
ジェジーニアはまっすぐに前を見ている。アウファトはその美しい顔を見つめた。
少年のような、青年のような、端正な顔立ち。竜人は綺麗な顔立ちのものが多いが、ジェジーニアは群を抜いているように思えた。
金の瞳を縁取るのは艶やかで長い漆黒のまつ毛。鼻筋は綺麗に通っていて固く結ばれた唇は厚く弾力がありそうだった。
よそ見をしているうちに、エンダールはずいぶんと大きく見えるようになっていた。
「ジェジーニア」
アウファトは名を呼んで下を指差すと、ジェジーニアは速度を緩める。ゆったりと高度を落としながら、城門に程近い、街道に舞い降りた。
ジェジーニアの足が地につくと、アウファトをそっと下ろしてくれた。
「ティーケ、ジェジーニア」
「ジウィーナ、アウファト」
礼を言うと、ジェジーニアは褒美をねだる子供のように擦り寄ってくるので頭を撫でてやる。
「ジェウ、ノッテ」
古竜語でいい子という意味だ。
艶のある黒髪を撫でてやると、ジェジーニアは嬉しそうに微笑む。笑顔にはまだ子どものような無邪気さがあるせいで、自分よりも大きな相手ながら、アウファトも子どもの相手をするような気持ちになってしまう。
時間の感覚が曖昧だが、白い揺籠の中にはそんなに長くはいなかったはずだ。仮眠をとった時間を考えても出発から三日ほどだろうか。
エンダール近くともなると、流石にもう防寒具は要らないくらいの気温だった。防寒具をしまい、念のためジェジーニアに外套を被せる。アウファトの知る竜人は二本の角を持っているが、ジェジーニアには四本ある。これがどういうことなのか、アウファトにはわからなかった。
アウファトはジェジーニアを連れて街道を辿り、日暮れ前にはエンダールの城門に到達した。
「止まれ」
城門でアウファトを呼び止めたのは衛兵だった。
「研究者だ。リガトラ王立研究所、主席研究員アウファト・クイレム。宿はヴィーエガルテンをとっている」
懐から身分証と王からの委任状を出すと衛兵は敬礼をした。衛兵の視線は次いでジェジーニアに向けられた。
「そっちは」
「こちらで雇った助手だ」
遺跡で拾った竜人と言うわけにはいかない。こう言っておけば問題ないだろう。幸い、外套を被っているおかげで四本角は見えない。
「わかった。通れ」
衛兵はすんなりと二人を通してくれた。
こうしてアウファトはジェジーニアを連れて無事に城門をくぐることができた。
風のない白い石の街は耳の痛くなるような静寂に包まれていた。
空は変わらず暗い色の雲に覆われているが、ひとかけらの雪も落ちてくることはなかった。明るさから、まだ日の出ている時間のようだった。
アウファトが知る中で、この辺りがこんなに凪いだのを見るのは初めてだった。
ジェジーニアを目覚めさせたことで何かが変わったのか、それともアウファトが知らないだけでたまにあることなのか、わからなかった。
アウファトは自分についてきているはずのジェジーニアの姿を探して振り返る。
ジェジーニアは王宮の入り口に立ち尽くし、空を仰いでいた。
重い灰色の空をその目に映し、何を思うのか。
ここはもう彼の知るリウストラではない。何もかも変わってしまった、誰もいない王都の残骸だ。
「フィー?」
ジェジーニアはぼんやりと空を見上げ、先ほども口にしたその言葉をまた呟いた。
その声は吐息になって白く吐き出され、霞のように空に消えていった。
天を仰ぐ姿はどこか悲しげで、アウファトの胸は痛む。
かつての王都で起きたことを、彼を守ろうとした者たちの行く末を、ジェジーニアはまだ知らない。
白き王が残した、黒き竜王から賜った至宝、ジェジーニア。彼にリウストラの最期を伝えないわけにはいかないだろう。だが、どうやって伝えるべきか、アウファトはまだ考えあぐねていた。
長い眠りから目覚めたばかりのジェジーニアに、それを伝えるのは酷なことに思えた。
「ジェジーニア」
アウファトが呼ぶと、アウファトの胸中など知らないジェジーニアは笑った。
ジェジーニアは外套を捲り上げ、その竜翼を大きく羽ばたかせた。
緩い風が巻き起こり、アウファトの髪を揺らす。竜人の羽ばたきを間近で見るのは初めてだった。
ジェジーニアの手がアウファトの腕を掴んで引いた。ジェジーニアの力は強く、アウファトは簡単に引き寄せられてしまう。
ジェジーニアは探索用の重い荷物を背負うアウファトを抱き上げた。痩せてはいるが、アウファトも大人の男だ。それを軽々と抱き上げるジェジーニアに、アウファトは驚きを隠せない。竜人の力を目の当たりにして、アウファトはただ惚けた顔でジェジーニアを見上げた。
アウファトの視線を受け止めたジェジーニアは微笑むと、その逞しい竜翼を大きく揺らし、アウファトを抱いて高く舞い上がった。
身体が浮き上がる感覚に、アウファトは思わずジェジーニアにしがみついた。
ジェジーニアの温もりが伝わってくる。生きているのだと、幻でもなく、目の前にいるのだとアウファトはその温もりで再確認する。
ジェジーニアは羽ばたくごとに高度を上げ、地面はもう遥か下にある。
ジェジーニアからは、あの部屋と同じ、白い花の甘く清廉な花の香りがした。胸が痛む。心臓が震える。高いところが怖いわけでもなく、理由はわからない。
黒い竜翼が風を起こし、あっという間にジェジーニアは王都の上空へと辿り着いた。
見渡せば、一帯の吹雪が止んでいるのがわかる。足下には王都と雪の残る湿原が見えた。
「あ! あっち!」
アウファトが咄嗟に指差したのはエンダールの方角だった。ジェジーニアは笑うと、羽ばたき、風に乗って竜人の都、城塞都市エンダールのある方角へと飛んだ。
ジェジーニアの翼は速かった。風を切る音が聞こえる。冷たい風が頬を撫でて髪を靡かせていく。
遺跡からエンダールまでは、まともに歩いて徒歩で二日ほどかかる距離だが、徒歩とは違い、瞬く間にエンダールの高い城壁が見えてきた。
ジェジーニアはまっすぐに前を見ている。アウファトはその美しい顔を見つめた。
少年のような、青年のような、端正な顔立ち。竜人は綺麗な顔立ちのものが多いが、ジェジーニアは群を抜いているように思えた。
金の瞳を縁取るのは艶やかで長い漆黒のまつ毛。鼻筋は綺麗に通っていて固く結ばれた唇は厚く弾力がありそうだった。
よそ見をしているうちに、エンダールはずいぶんと大きく見えるようになっていた。
「ジェジーニア」
アウファトは名を呼んで下を指差すと、ジェジーニアは速度を緩める。ゆったりと高度を落としながら、城門に程近い、街道に舞い降りた。
ジェジーニアの足が地につくと、アウファトをそっと下ろしてくれた。
「ティーケ、ジェジーニア」
「ジウィーナ、アウファト」
礼を言うと、ジェジーニアは褒美をねだる子供のように擦り寄ってくるので頭を撫でてやる。
「ジェウ、ノッテ」
古竜語でいい子という意味だ。
艶のある黒髪を撫でてやると、ジェジーニアは嬉しそうに微笑む。笑顔にはまだ子どものような無邪気さがあるせいで、自分よりも大きな相手ながら、アウファトも子どもの相手をするような気持ちになってしまう。
時間の感覚が曖昧だが、白い揺籠の中にはそんなに長くはいなかったはずだ。仮眠をとった時間を考えても出発から三日ほどだろうか。
エンダール近くともなると、流石にもう防寒具は要らないくらいの気温だった。防寒具をしまい、念のためジェジーニアに外套を被せる。アウファトの知る竜人は二本の角を持っているが、ジェジーニアには四本ある。これがどういうことなのか、アウファトにはわからなかった。
アウファトはジェジーニアを連れて街道を辿り、日暮れ前にはエンダールの城門に到達した。
「止まれ」
城門でアウファトを呼び止めたのは衛兵だった。
「研究者だ。リガトラ王立研究所、主席研究員アウファト・クイレム。宿はヴィーエガルテンをとっている」
懐から身分証と王からの委任状を出すと衛兵は敬礼をした。衛兵の視線は次いでジェジーニアに向けられた。
「そっちは」
「こちらで雇った助手だ」
遺跡で拾った竜人と言うわけにはいかない。こう言っておけば問題ないだろう。幸い、外套を被っているおかげで四本角は見えない。
「わかった。通れ」
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こうしてアウファトはジェジーニアを連れて無事に城門をくぐることができた。
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