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白き王
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その日、王都リウストラに数多の荒々しい足音が近付いていた。
南からやってきた人間の軍勢が、王都へと攻め上がる音だった。その数は、王都を蹂躙するには十分すぎる数だった。
開かれた王都に城壁は無く、迎え撃つ兵もいない。壁を持たない無防備な街は、容易く賊軍の侵入を許した。
すでに王都に住む竜人の多くは各地に逃れていたが、街に残る者も少なくなかった。
王都に残った竜人は連れ去られ、殺される者、自ら命を絶つ者もいた。
賊軍の侵攻は速く、王宮が落ちるのも時間の問題であった。
白き王には、予知の能力があった。かつて神官をしていた頃から、時折未来のことがわかった。全てではなく断片的なものだったが。
王は予見していた。王都は落ちる。そして自分に訪れる死のことも。
民には逃げられるものは逃げろと伝えてあった。
残っているのは、それでも王都を守ろうという者、王の側にいようとする者だった。王は彼らの意思を尊重した。
そして、王が予見したその日がやってきたのだ。
泣くものか。死ぬのは自分だけでいい。王は何度も何度もそう言い聞かせた。
王は心根の優しい竜人だった。
王となってからも、王は救える限りの民を救った。手の届く限り、施しを惜しむこともなかった。
多くの民に安寧が訪れるよう、王は尽力を惜しまなかった。
その民が蹂躙されるのを見るのは忍びなかった。自分が死ぬだけで済むのなら、それに越したことはない。
王は祈るように、侵攻の進む街を見守った。
「フィー? どうしたの?」
自室から街を見つめる白き王フィオディークは、腕の中で不思議そうに自分を見上げるまだ幼い我が子を見た。
黒き竜王より賜ったジェジーニアは、まだ生まれて十年ほど。千年以上の時を生きる竜人の中では幼子である。
黒き竜王の子ジェジーニアは、次なる黒き竜王となる子である。彼だけでも、守らなくてはならない。この大陸を守護する黒き竜王の血を途絶えさせてはならない。何より、ジェジーニアは自分にとって最愛の存在であった。
王は寝所の奥に隠し部屋を持っていた。自分と、限られたものしか知らない、秘密の部屋だった。
そこは、真白い、暖かな部屋だった。優しい明るさに包まれた部屋の、心地好い温もりが身体を包む。
甘く清廉な花の香りがする。その香りは、愛しい人と同じ香りだった。
王はそこに術をかけておいた。長い眠り、生命維持、悪しきものからの守護。それから、つがいを引き寄せる縁を結ぶ術式である。
神官をしていた王の魔力量は竜人の中でも桁外れだった。部屋に四つの術式を重ねてかけるくらい、造作もないことだった。
王はそこに、ジェジーニアを入れた。
「次に目覚めたときのために、お前とそのつがいに、この祝福を残そう」
朝焼けに似た色の唇が額に触れた。その意味を理解できないジェジーニアは、その瞳を不思議そうに瞬かせた。
いずれ現れるであろう彼のつがいへ、王の力を残した。ここに封印を施したら、自分はあと少し生きられればいい。もう術も使えなくていい。連中に、王だったいれものを処刑させてやる。持っている全ての力をジェジーニアに託した。
「フィー」
ジェジーニアの喉から出た細い声は色濃い不安に染まっていた。覗き込む赤い瞳が優しく細められる。
「心配いらない。冬の空みたいなの瞳のつがいが、お前を迎えにくる。だから、安心しておやすみ」
それは、王が予見した、ジェジーニアのつがいの姿だった。遠い未来の話なのか、それくらいしかわからなかった。だが、いずれ現れる彼のつがいのために、道標は充分過ぎるほど残した。
王のしもべである白き花の一族へ、青き瞳の子に伝える歌を残した。善なるものが、つがいを導いてくれるように。
そして、王都の周りにも術式を残した。ジェジーニアのもとへやってくるつがいが、迷わないように。
「お前のつがいは、この花と同じ香りがするからすぐにわかるよ」
美しい指先が優しく頬を撫でる。
「おやすみ。愛しているよ、わたしのジジ」
朝焼け色の唇が言葉を紡ぐ。幾度と交わした眠りにつく前の挨拶。でも今はその意味が違う。
「どうか、お前が善なる者に見つけられるように」
白い部屋。足元には、美しい白い花が一面に咲く。
まだ幼いジェジーニアを眠らせ、扉を閉じると、王はその扉に封印を施した。
善なる者、彼のつがいになるものがここをに彼を迎えにくるように願い、祈った。
扉に刻まれたのは、宣誓に似た文だった。
これを理解するものが、善なるものが、この扉を開けるように。
最後の一文は、つがいだけがわかるように、細工をした。扉に刻まれた言葉を理解した、つがいだけに見える、一文。
『ランダリムの名の下に』
全ての術式を巡らせて、そして、王は部屋を後にした。
玉座へ向かう。
白い石でできた美しい王宮にはもう、誰の姿もない。
ただ、白き王の姿があるだけだった。
南からやってきた人間の軍勢が、王都へと攻め上がる音だった。その数は、王都を蹂躙するには十分すぎる数だった。
開かれた王都に城壁は無く、迎え撃つ兵もいない。壁を持たない無防備な街は、容易く賊軍の侵入を許した。
すでに王都に住む竜人の多くは各地に逃れていたが、街に残る者も少なくなかった。
王都に残った竜人は連れ去られ、殺される者、自ら命を絶つ者もいた。
賊軍の侵攻は速く、王宮が落ちるのも時間の問題であった。
白き王には、予知の能力があった。かつて神官をしていた頃から、時折未来のことがわかった。全てではなく断片的なものだったが。
王は予見していた。王都は落ちる。そして自分に訪れる死のことも。
民には逃げられるものは逃げろと伝えてあった。
残っているのは、それでも王都を守ろうという者、王の側にいようとする者だった。王は彼らの意思を尊重した。
そして、王が予見したその日がやってきたのだ。
泣くものか。死ぬのは自分だけでいい。王は何度も何度もそう言い聞かせた。
王は心根の優しい竜人だった。
王となってからも、王は救える限りの民を救った。手の届く限り、施しを惜しむこともなかった。
多くの民に安寧が訪れるよう、王は尽力を惜しまなかった。
その民が蹂躙されるのを見るのは忍びなかった。自分が死ぬだけで済むのなら、それに越したことはない。
王は祈るように、侵攻の進む街を見守った。
「フィー? どうしたの?」
自室から街を見つめる白き王フィオディークは、腕の中で不思議そうに自分を見上げるまだ幼い我が子を見た。
黒き竜王より賜ったジェジーニアは、まだ生まれて十年ほど。千年以上の時を生きる竜人の中では幼子である。
黒き竜王の子ジェジーニアは、次なる黒き竜王となる子である。彼だけでも、守らなくてはならない。この大陸を守護する黒き竜王の血を途絶えさせてはならない。何より、ジェジーニアは自分にとって最愛の存在であった。
王は寝所の奥に隠し部屋を持っていた。自分と、限られたものしか知らない、秘密の部屋だった。
そこは、真白い、暖かな部屋だった。優しい明るさに包まれた部屋の、心地好い温もりが身体を包む。
甘く清廉な花の香りがする。その香りは、愛しい人と同じ香りだった。
王はそこに術をかけておいた。長い眠り、生命維持、悪しきものからの守護。それから、つがいを引き寄せる縁を結ぶ術式である。
神官をしていた王の魔力量は竜人の中でも桁外れだった。部屋に四つの術式を重ねてかけるくらい、造作もないことだった。
王はそこに、ジェジーニアを入れた。
「次に目覚めたときのために、お前とそのつがいに、この祝福を残そう」
朝焼けに似た色の唇が額に触れた。その意味を理解できないジェジーニアは、その瞳を不思議そうに瞬かせた。
いずれ現れるであろう彼のつがいへ、王の力を残した。ここに封印を施したら、自分はあと少し生きられればいい。もう術も使えなくていい。連中に、王だったいれものを処刑させてやる。持っている全ての力をジェジーニアに託した。
「フィー」
ジェジーニアの喉から出た細い声は色濃い不安に染まっていた。覗き込む赤い瞳が優しく細められる。
「心配いらない。冬の空みたいなの瞳のつがいが、お前を迎えにくる。だから、安心しておやすみ」
それは、王が予見した、ジェジーニアのつがいの姿だった。遠い未来の話なのか、それくらいしかわからなかった。だが、いずれ現れる彼のつがいのために、道標は充分過ぎるほど残した。
王のしもべである白き花の一族へ、青き瞳の子に伝える歌を残した。善なるものが、つがいを導いてくれるように。
そして、王都の周りにも術式を残した。ジェジーニアのもとへやってくるつがいが、迷わないように。
「お前のつがいは、この花と同じ香りがするからすぐにわかるよ」
美しい指先が優しく頬を撫でる。
「おやすみ。愛しているよ、わたしのジジ」
朝焼け色の唇が言葉を紡ぐ。幾度と交わした眠りにつく前の挨拶。でも今はその意味が違う。
「どうか、お前が善なる者に見つけられるように」
白い部屋。足元には、美しい白い花が一面に咲く。
まだ幼いジェジーニアを眠らせ、扉を閉じると、王はその扉に封印を施した。
善なる者、彼のつがいになるものがここをに彼を迎えにくるように願い、祈った。
扉に刻まれたのは、宣誓に似た文だった。
これを理解するものが、善なるものが、この扉を開けるように。
最後の一文は、つがいだけがわかるように、細工をした。扉に刻まれた言葉を理解した、つがいだけに見える、一文。
『ランダリムの名の下に』
全ての術式を巡らせて、そして、王は部屋を後にした。
玉座へ向かう。
白い石でできた美しい王宮にはもう、誰の姿もない。
ただ、白き王の姿があるだけだった。
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