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エンダールの夜
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「おかえりなさいませ。お早いお戻りですね」
宿に辿り着いたアウファトを出迎えてくれたのは、ヴィーエガルテンの支配人だった。
「今日は、出発から何日目ですか」
時間の経過のわからないアウファトは、支配人に尋ねた。どれくらい時間が経っているのか、確証が欲しかった。
「三日目です」
「三日……」
想定通りではあったが、アウファトは驚いていた。まさかこんなに早く戻ってこられるとは思っていなかった。
「お天気が良かったんですね」
事情を知らない支配人はにこやかにアウファトから荷物を受け取った。
「ええ、それと、彼のおかげです」
「そちらの方は」
「助手です。こちらで雇いました」
「そうでしたか」
幸い、それ以上は追求されなかった。
元々竜人はおおらかなものが多く、おかげで助けられることばかりだった。嘘をつくことに多少の罪悪感はあるが、大きな混乱は避けたかった。何せ、遺跡から連れてきた竜人だ。
「同室でいいので、泊めてもいいですか?」
「ええ、もとより四人分のお部屋としてお代をいただいております。構いませんよ」
「ありがとうございます」
なんとかジェジーニアを泊める許可も貰えて、アウファトは安堵した。
ジェジーニアとともに部屋に入り、支配人から荷物を受け取る。
アウファトはベッドに座り、脇に荷物を置いた。
ジェジーニアは珍しそうに部屋を見回している。無理もない。彼のいた時代とは違う。彼のいた時代にはなかったものも多いはずだ。
今のジェジーニアは孤独だ。家族も、彼を知る者もいない。
自分がいてやらなければという義務感が頭を擡げる。見たところ、ジェジーニアはまだ若い。人でいう十代後半から二十代前半くらいの年頃のように見える。
「ジェジーニア」
何度か呼んでみているが、馴染みがないせいもあり、舌を噛みそうだった。
「言いにくいな……」
ゼジニア、と訛ったのも頷ける。何かいい呼び方はないかとアウファトは頭を捻る。
「……ジジ」
アウファトが呼ぶと、ジェジーニアは笑顔を見せた。もしかしたら、かつての彼もそう呼ばれていたのかもしれない。家族。親だろうか。
人懐こい柔らかな笑みは無邪気だった。
「ヴェイエ」
アウファトがおいでと声を掛けると、ジェジーニアは素直にアウファトの隣に座った。脱ぎ方がわからないのか、纏ったままでいる外套を脱がせてやる。
外套の下は、元から着ていた薄手の服だ。ゆとりの少ないところを見ると、ジェジーニアは寝ている間にそれだけ大きく育ったのだろう。
神代の終わりから今までだ。千年はくだらない。そんな長いときを眠っていたのだ。長命な竜人とはいえ、それくらいの時が経てば子どもから青年へと成長していてもおかしくはない。
ふと、疑問が浮かぶ。ウィルマルトは、いくつだったか。
見たところ、ジェジーニアはウィルマルトよりも若く見える。竜人にも、血統などで個体差があるのか。それとも、白い揺籠の何らかの効果なのか。
考え込んだアウファトを、ジェジーニアが不思議そうに覗き込む。
「あう?」
甘えるような声に呼ばれるとなんともこそばゆい。
ジェジーニアはアウファトよりもしっかりした体躯をしている。長い黒髪、美しい顔立ち、四本角に竜翼と長い尾。美しい漆黒の鱗。金色の美しい瞳がアウファトを映している。
美しい容姿に思わず見惚れる。着ている服は寝間着のような服だというのに纏う空気は凛として、どこか品のある雰囲気を漂わせていた。
「お腹は減らないか?」
「おなか?」
ジェジーニアはアウファトの隣で首を傾げる。アウファトの話すアーディス語はわからないようだった。
アウファトは荷物の中から、残っていた食料のパンを出す。帰りの食糧が持つか心配だったが、なんとかなってしまった。食事まではまだ時間がある。捨ててしまうのも勿体無いので、食べようと思った。
千切ってジェジーニアの口元に差し出すと、ジジは匂いを嗅いで、おそるおそるといった様子で口に含む。
咀嚼して、飲み込むと、雛鳥のようにもう一度口を開ける。どうやらこれは食べられるらしかった。何年振りの食事になるのだろうと思いながらパンを一口大に千切って口に入れてやると、咀嚼して飲み込む。食事は普通にできるようだった。
飲み込むたびに口を開けるジェジーニアは愛らしい。これも献身といえば献身だ。
「おなか?」
ジェジーニアはこれが『おなか』だと思ったようだった。
「パン」
「ぱん」
ジェジーニアはアウファトが言った言葉を繰り返す。あわよくばアーディス語を覚えてくれればという思いもあった。古竜語を話せるものはあまりに少ない。ジェジーニアが生活するにも、古竜語だけでは不自由するのは目に見えている。
「そう。それはパン」
頭を撫でてやるとジジは嬉しそうに笑った。
まるで子供のような、純粋な笑みだった。
「アウファト、アム」
胸が高鳴った。
アムは護るという意味だ。そうでなければ、好きとか愛しているという意味になる。
先ほどから、初対面の自分に対して何故そんなことを言うのか、アウファトには理由もわからない。
もしかしたら親と勘違いしているのかもしれない。長いこと眠っていたのなら、親が恋しいのかもしれない。
ジェジーニアにパンを与えながら、アウファトはそんなことを考えた。
最後のひとかけらを食べ終えたところで、ジェジーニアはアウファトの肩を掴み、ベッドに押し付けた。
竜人は力が強い。アウファトの身体は容易くベッドに縫い留められてしまった。
「あ、おい!」
のしかかってくるジェジーニア。アウファトよりも体躯の大きいジェジーニアに体重をかけられると、アウファトはなす術もない。力では、どうやってもジェジーニアには勝てなかった。
「ジジ、どうした、パンはもういいのか」
「アウファト」
その声は熱を帯びて、甘い響きを孕んでいた。
柔らかなベッドに身体を押し付けられ、じゃれつかれているのかと思っていると。
ジェジーニアの綺麗な顔が近づいてきて、唇がアウファトの唇に重なる。蕩けるような柔らかな唇が、アウファトのかさついた唇を塞いだ。
誰かとこうして唇を触れ合わせるのは初めてのことだった。
厚みのあるジェジーニアの舌が性急に唇をこじ開け、アウファトの舌に絡まる。
口の中で、小さな水音を立てて唾液が混ざる。ジェジーニアの唾液は、甘かった。
さっきのパンとは違う、花の蜜のような柔らかな甘さ。
ジェジーニアからは、あの、白い揺籠にあった花の匂いがした。
宿に辿り着いたアウファトを出迎えてくれたのは、ヴィーエガルテンの支配人だった。
「今日は、出発から何日目ですか」
時間の経過のわからないアウファトは、支配人に尋ねた。どれくらい時間が経っているのか、確証が欲しかった。
「三日目です」
「三日……」
想定通りではあったが、アウファトは驚いていた。まさかこんなに早く戻ってこられるとは思っていなかった。
「お天気が良かったんですね」
事情を知らない支配人はにこやかにアウファトから荷物を受け取った。
「ええ、それと、彼のおかげです」
「そちらの方は」
「助手です。こちらで雇いました」
「そうでしたか」
幸い、それ以上は追求されなかった。
元々竜人はおおらかなものが多く、おかげで助けられることばかりだった。嘘をつくことに多少の罪悪感はあるが、大きな混乱は避けたかった。何せ、遺跡から連れてきた竜人だ。
「同室でいいので、泊めてもいいですか?」
「ええ、もとより四人分のお部屋としてお代をいただいております。構いませんよ」
「ありがとうございます」
なんとかジェジーニアを泊める許可も貰えて、アウファトは安堵した。
ジェジーニアとともに部屋に入り、支配人から荷物を受け取る。
アウファトはベッドに座り、脇に荷物を置いた。
ジェジーニアは珍しそうに部屋を見回している。無理もない。彼のいた時代とは違う。彼のいた時代にはなかったものも多いはずだ。
今のジェジーニアは孤独だ。家族も、彼を知る者もいない。
自分がいてやらなければという義務感が頭を擡げる。見たところ、ジェジーニアはまだ若い。人でいう十代後半から二十代前半くらいの年頃のように見える。
「ジェジーニア」
何度か呼んでみているが、馴染みがないせいもあり、舌を噛みそうだった。
「言いにくいな……」
ゼジニア、と訛ったのも頷ける。何かいい呼び方はないかとアウファトは頭を捻る。
「……ジジ」
アウファトが呼ぶと、ジェジーニアは笑顔を見せた。もしかしたら、かつての彼もそう呼ばれていたのかもしれない。家族。親だろうか。
人懐こい柔らかな笑みは無邪気だった。
「ヴェイエ」
アウファトがおいでと声を掛けると、ジェジーニアは素直にアウファトの隣に座った。脱ぎ方がわからないのか、纏ったままでいる外套を脱がせてやる。
外套の下は、元から着ていた薄手の服だ。ゆとりの少ないところを見ると、ジェジーニアは寝ている間にそれだけ大きく育ったのだろう。
神代の終わりから今までだ。千年はくだらない。そんな長いときを眠っていたのだ。長命な竜人とはいえ、それくらいの時が経てば子どもから青年へと成長していてもおかしくはない。
ふと、疑問が浮かぶ。ウィルマルトは、いくつだったか。
見たところ、ジェジーニアはウィルマルトよりも若く見える。竜人にも、血統などで個体差があるのか。それとも、白い揺籠の何らかの効果なのか。
考え込んだアウファトを、ジェジーニアが不思議そうに覗き込む。
「あう?」
甘えるような声に呼ばれるとなんともこそばゆい。
ジェジーニアはアウファトよりもしっかりした体躯をしている。長い黒髪、美しい顔立ち、四本角に竜翼と長い尾。美しい漆黒の鱗。金色の美しい瞳がアウファトを映している。
美しい容姿に思わず見惚れる。着ている服は寝間着のような服だというのに纏う空気は凛として、どこか品のある雰囲気を漂わせていた。
「お腹は減らないか?」
「おなか?」
ジェジーニアはアウファトの隣で首を傾げる。アウファトの話すアーディス語はわからないようだった。
アウファトは荷物の中から、残っていた食料のパンを出す。帰りの食糧が持つか心配だったが、なんとかなってしまった。食事まではまだ時間がある。捨ててしまうのも勿体無いので、食べようと思った。
千切ってジェジーニアの口元に差し出すと、ジジは匂いを嗅いで、おそるおそるといった様子で口に含む。
咀嚼して、飲み込むと、雛鳥のようにもう一度口を開ける。どうやらこれは食べられるらしかった。何年振りの食事になるのだろうと思いながらパンを一口大に千切って口に入れてやると、咀嚼して飲み込む。食事は普通にできるようだった。
飲み込むたびに口を開けるジェジーニアは愛らしい。これも献身といえば献身だ。
「おなか?」
ジェジーニアはこれが『おなか』だと思ったようだった。
「パン」
「ぱん」
ジェジーニアはアウファトが言った言葉を繰り返す。あわよくばアーディス語を覚えてくれればという思いもあった。古竜語を話せるものはあまりに少ない。ジェジーニアが生活するにも、古竜語だけでは不自由するのは目に見えている。
「そう。それはパン」
頭を撫でてやるとジジは嬉しそうに笑った。
まるで子供のような、純粋な笑みだった。
「アウファト、アム」
胸が高鳴った。
アムは護るという意味だ。そうでなければ、好きとか愛しているという意味になる。
先ほどから、初対面の自分に対して何故そんなことを言うのか、アウファトには理由もわからない。
もしかしたら親と勘違いしているのかもしれない。長いこと眠っていたのなら、親が恋しいのかもしれない。
ジェジーニアにパンを与えながら、アウファトはそんなことを考えた。
最後のひとかけらを食べ終えたところで、ジェジーニアはアウファトの肩を掴み、ベッドに押し付けた。
竜人は力が強い。アウファトの身体は容易くベッドに縫い留められてしまった。
「あ、おい!」
のしかかってくるジェジーニア。アウファトよりも体躯の大きいジェジーニアに体重をかけられると、アウファトはなす術もない。力では、どうやってもジェジーニアには勝てなかった。
「ジジ、どうした、パンはもういいのか」
「アウファト」
その声は熱を帯びて、甘い響きを孕んでいた。
柔らかなベッドに身体を押し付けられ、じゃれつかれているのかと思っていると。
ジェジーニアの綺麗な顔が近づいてきて、唇がアウファトの唇に重なる。蕩けるような柔らかな唇が、アウファトのかさついた唇を塞いだ。
誰かとこうして唇を触れ合わせるのは初めてのことだった。
厚みのあるジェジーニアの舌が性急に唇をこじ開け、アウファトの舌に絡まる。
口の中で、小さな水音を立てて唾液が混ざる。ジェジーニアの唾液は、甘かった。
さっきのパンとは違う、花の蜜のような柔らかな甘さ。
ジェジーニアからは、あの、白い揺籠にあった花の匂いがした。
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