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白い揺籠へ
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石造りの王宮の中は外よりもずっと静かで暖かかった。白い石でできている内部は薄明るい。
寒さが和らいで緊張が緩んだのか、大きな欠伸が出た。
アウファトは襲いくる眠気をなんとかやり過ごし、取り急ぎ外套と毛布にくるまって、王宮の隅で横になった。
体力の限界だったのか、目を閉じるとすぐに意識は途切れた。
目を覚ましたアウファトは伸びをひとつした。どれくらい眠っていたのかわからない。相変わらず薄明るい王宮の中は、静かで、風の音も聞こえない。アウファトの立てる物音だけが大袈裟に響く。身支度をし、簡単な食事をして、アウファトは奥へと進む。
アウファトは過去の調査隊の残した地図を広げた。一年前、ミシュアと進めた調査では王の寝所と、そこに隠された入り口までは見つけられた。
王の寝所は王宮の一番奥、玉座の間の裏にあたる。
音のない、時が止まったような空間に、アウファトの息遣いと足音だけが密やかに響いた。
白い石でできた王宮。白い柩と呼ばれるのは、ここにいた王が殺されたからだ。それを悼んで、残されたこの石の宮殿を柩と呼んだ。その奥に揺籠があるというのも妙な話だった。
長い石の廊下を進み、角を曲がり、アウファトは王の寝所へと辿り着く。
揺籠への入り口は、部屋の玉座側の壁に隠されていた。石の板をずらすと現れる、大人一人が通り抜けられるくらいの階段。おそらくは竜人の体躯に合わせて作られているのだろう。翼の分も考えて作られているのか、人間のアウファトは余裕を持って通ることができた。
白い石の階段は、光が届かない空間にあっても薄ぼんやりと明るい。
照明代わりの竜人の魔力の込められたランタンのお蔭で視界は青白く明るく照らされている。
アウファトの足音が反響する階段はすぐに終わった。背丈の二倍ほどの深さを降りると、そこは一年前にやってきた空間だった。
あの日解読できなかった、あの文字が刻まれた白い石の壁が見えた。
先人たちへの感謝が溢れ、胸が震える。
手の震えをなんとか抑えつけ、ランタンを置き、アウファトはボロボロの皮の手帳を開いた。
古代言語の翻訳を見ながら、扉に刻まれた古代文字を読み上げる
「我は、善なる、もの。忠誠、と、献身、を、もって、この、扉を、開ける。これは、誓約、である。
これに、背けば、あらゆる、責苦、を、呪詛、を、受けよう。これは、誓約である。この、宝を、護る、と、いう、誓約である」
古代文字を、今の自分たちの言語で読み上げたところでどうにかなるのか、わからなかった。
しばらく待ってみてもやはり何も起きない。
ミシュアの言っていたアムの解釈というのが気になった。
もう一度、アムの解釈を変えて読み上げるか。あるいは、古竜語で読み上げるか。時間はまだある。ひとつずつ試せばいい。アウファトは手帳のページをめくる。
手が震えていた。寒さからではない。また一歩、核心へと近付いたからだ。
功名心がないと言えば嘘になる。国の歴史に名を刻むことになるかもしれない。
しかし、それよりも幼い頃からずっと追い求めた秘密が、伝承の核心の一つが、ゼジニアが。目の前にあって、その謎が解き明かされようとしていた。
アウファトの研究者としての血が騒いでいた。
喉が乾く。手先の冷たさも、もうわからない。
心臓が脈打って、その音が耳の奥まで反響している。
幼い頃から追い求めたゼジニアがなんなのか、初めて、この目で見ることができる。
アウファトは古竜語の音読が書き記してあるページを開いた。
ここにあるのは古竜文字だ。一度、古竜語で読もうと思った。
「ミア、セントレ、ネ。フィデ、デディ、ウム、ラドゥ、セト、アプラ。ラドゥア、ジュラム、ニア。ラドゥイ、イントラ、アル、ディオゾ、カスト、セブラ。ラドゥア、ジュラム、ニア。ラドゥ、トレゾ、アム、キア、ジュラム、ニア」
古竜語は伝承や民謡の中に残されたものしか残っていない。かき集めて繋いだこの言葉で合っているのかわからない。
これであっていれば良いのだが。
願いを込めてランタンを掲げ、アウファトは指先で壁面に刻まれた文字に触れた。
ふと、その下に並ぶ文字に気がつく。
一年前には気がつかなかったその文字列に、アウファトはランタンを近付け目を凝らす。
やはり古竜文字で書かれているそれは、上に書かれたものよりも短い。
『ランダリムの名の下に』
訳するとそんな意味だ。
ランダリムの花は、この大陸に広く自生している植物の名だ。白く丸い花弁を五つつける、この大陸に住むものなら誰もが知っている花の名だった。
「ランダリム、ノーエ、セトゥエ」
知っている単語が連なっていたので、解読は容易だった。
ランダリムの花は、この地を守護する竜王が、神から証として賜った花だと言われている。竜王にまつわる聖遺物、というやつだろうか。
文の中にあった誓約、というのがずっと気になっていた。
この扉を開けるものに、誓約させる。守護を強制させる至宝。それは何か。
思考に沈んだアウファトの意識を引き戻すように、壁の中央が縦に割れ、左右に開いた。
アウファトは顔を上げ目を見開いた。
心臓が跳ね、期待と不安で満ちた血を胸から全身に送り出していく。
誰も辿り着かなかった場所へ辿り着いたのだと、目の前の眩さを見つめて思う。
待ち望んだ歓喜の瞬間。
「ミシュア、やったぞ」
思わず声が漏れた。
隙間からは、柔らかな光が溢れている。
暗い部屋に溢れる、神々しさすら感じる白く優しい光にアウファトは息を呑んだ。
アウファトが開きかけの扉をそっと押すと、石でできていると思われる扉は、奥に入り込み、ゆっくりと左右に開いていく。その動きは軽やかで、まるで重さなどないように音もなく開いていった。
今までの薄暗さがのような、眩い光が溢れる。
薄布越しの日差しのような、柔らかな光だった。
アウファトは目を眇め、静かに光の中へと踏み込んだ。
その先は薄明るく、それまでの寒さが嘘のように暖かい。春の陽だまりのような暖かさだった。
白い揺籠の名に相応しい暖かな空間。は、床には白い石ではなく白い花を咲かせる植物が敷き詰められている。ランダリムの花だった。
甘く清廉な香りの漂うその中央。
その白い世界には不釣り合いにも思える、黒い、何かがいた。
アウファトの目はそれに吸い寄せられた。
薄手の白い服を纏った身体を丸め、背には立派な漆黒の竜翼が折り畳まれている。身体を守るように丸めた、黒い鱗に覆われた長い尾。黒い艶やかな髪は長く、少年とも青年ともとれる、目を閉じてなお美しい顔立ちをしている。流れるような美しい黒髪とともにあるのは、四本の曲がった長い角。指先の爪は美しい漆黒だった。
特徴から見て、竜人であるのは間違いなさそうだった。
アウファトは息を呑んだ。
白き王が残したゼジニアは、美しい竜人だった。
寒さが和らいで緊張が緩んだのか、大きな欠伸が出た。
アウファトは襲いくる眠気をなんとかやり過ごし、取り急ぎ外套と毛布にくるまって、王宮の隅で横になった。
体力の限界だったのか、目を閉じるとすぐに意識は途切れた。
目を覚ましたアウファトは伸びをひとつした。どれくらい眠っていたのかわからない。相変わらず薄明るい王宮の中は、静かで、風の音も聞こえない。アウファトの立てる物音だけが大袈裟に響く。身支度をし、簡単な食事をして、アウファトは奥へと進む。
アウファトは過去の調査隊の残した地図を広げた。一年前、ミシュアと進めた調査では王の寝所と、そこに隠された入り口までは見つけられた。
王の寝所は王宮の一番奥、玉座の間の裏にあたる。
音のない、時が止まったような空間に、アウファトの息遣いと足音だけが密やかに響いた。
白い石でできた王宮。白い柩と呼ばれるのは、ここにいた王が殺されたからだ。それを悼んで、残されたこの石の宮殿を柩と呼んだ。その奥に揺籠があるというのも妙な話だった。
長い石の廊下を進み、角を曲がり、アウファトは王の寝所へと辿り着く。
揺籠への入り口は、部屋の玉座側の壁に隠されていた。石の板をずらすと現れる、大人一人が通り抜けられるくらいの階段。おそらくは竜人の体躯に合わせて作られているのだろう。翼の分も考えて作られているのか、人間のアウファトは余裕を持って通ることができた。
白い石の階段は、光が届かない空間にあっても薄ぼんやりと明るい。
照明代わりの竜人の魔力の込められたランタンのお蔭で視界は青白く明るく照らされている。
アウファトの足音が反響する階段はすぐに終わった。背丈の二倍ほどの深さを降りると、そこは一年前にやってきた空間だった。
あの日解読できなかった、あの文字が刻まれた白い石の壁が見えた。
先人たちへの感謝が溢れ、胸が震える。
手の震えをなんとか抑えつけ、ランタンを置き、アウファトはボロボロの皮の手帳を開いた。
古代言語の翻訳を見ながら、扉に刻まれた古代文字を読み上げる
「我は、善なる、もの。忠誠、と、献身、を、もって、この、扉を、開ける。これは、誓約、である。
これに、背けば、あらゆる、責苦、を、呪詛、を、受けよう。これは、誓約である。この、宝を、護る、と、いう、誓約である」
古代文字を、今の自分たちの言語で読み上げたところでどうにかなるのか、わからなかった。
しばらく待ってみてもやはり何も起きない。
ミシュアの言っていたアムの解釈というのが気になった。
もう一度、アムの解釈を変えて読み上げるか。あるいは、古竜語で読み上げるか。時間はまだある。ひとつずつ試せばいい。アウファトは手帳のページをめくる。
手が震えていた。寒さからではない。また一歩、核心へと近付いたからだ。
功名心がないと言えば嘘になる。国の歴史に名を刻むことになるかもしれない。
しかし、それよりも幼い頃からずっと追い求めた秘密が、伝承の核心の一つが、ゼジニアが。目の前にあって、その謎が解き明かされようとしていた。
アウファトの研究者としての血が騒いでいた。
喉が乾く。手先の冷たさも、もうわからない。
心臓が脈打って、その音が耳の奥まで反響している。
幼い頃から追い求めたゼジニアがなんなのか、初めて、この目で見ることができる。
アウファトは古竜語の音読が書き記してあるページを開いた。
ここにあるのは古竜文字だ。一度、古竜語で読もうと思った。
「ミア、セントレ、ネ。フィデ、デディ、ウム、ラドゥ、セト、アプラ。ラドゥア、ジュラム、ニア。ラドゥイ、イントラ、アル、ディオゾ、カスト、セブラ。ラドゥア、ジュラム、ニア。ラドゥ、トレゾ、アム、キア、ジュラム、ニア」
古竜語は伝承や民謡の中に残されたものしか残っていない。かき集めて繋いだこの言葉で合っているのかわからない。
これであっていれば良いのだが。
願いを込めてランタンを掲げ、アウファトは指先で壁面に刻まれた文字に触れた。
ふと、その下に並ぶ文字に気がつく。
一年前には気がつかなかったその文字列に、アウファトはランタンを近付け目を凝らす。
やはり古竜文字で書かれているそれは、上に書かれたものよりも短い。
『ランダリムの名の下に』
訳するとそんな意味だ。
ランダリムの花は、この大陸に広く自生している植物の名だ。白く丸い花弁を五つつける、この大陸に住むものなら誰もが知っている花の名だった。
「ランダリム、ノーエ、セトゥエ」
知っている単語が連なっていたので、解読は容易だった。
ランダリムの花は、この地を守護する竜王が、神から証として賜った花だと言われている。竜王にまつわる聖遺物、というやつだろうか。
文の中にあった誓約、というのがずっと気になっていた。
この扉を開けるものに、誓約させる。守護を強制させる至宝。それは何か。
思考に沈んだアウファトの意識を引き戻すように、壁の中央が縦に割れ、左右に開いた。
アウファトは顔を上げ目を見開いた。
心臓が跳ね、期待と不安で満ちた血を胸から全身に送り出していく。
誰も辿り着かなかった場所へ辿り着いたのだと、目の前の眩さを見つめて思う。
待ち望んだ歓喜の瞬間。
「ミシュア、やったぞ」
思わず声が漏れた。
隙間からは、柔らかな光が溢れている。
暗い部屋に溢れる、神々しさすら感じる白く優しい光にアウファトは息を呑んだ。
アウファトが開きかけの扉をそっと押すと、石でできていると思われる扉は、奥に入り込み、ゆっくりと左右に開いていく。その動きは軽やかで、まるで重さなどないように音もなく開いていった。
今までの薄暗さがのような、眩い光が溢れる。
薄布越しの日差しのような、柔らかな光だった。
アウファトは目を眇め、静かに光の中へと踏み込んだ。
その先は薄明るく、それまでの寒さが嘘のように暖かい。春の陽だまりのような暖かさだった。
白い揺籠の名に相応しい暖かな空間。は、床には白い石ではなく白い花を咲かせる植物が敷き詰められている。ランダリムの花だった。
甘く清廉な香りの漂うその中央。
その白い世界には不釣り合いにも思える、黒い、何かがいた。
アウファトの目はそれに吸い寄せられた。
薄手の白い服を纏った身体を丸め、背には立派な漆黒の竜翼が折り畳まれている。身体を守るように丸めた、黒い鱗に覆われた長い尾。黒い艶やかな髪は長く、少年とも青年ともとれる、目を閉じてなお美しい顔立ちをしている。流れるような美しい黒髪とともにあるのは、四本の曲がった長い角。指先の爪は美しい漆黒だった。
特徴から見て、竜人であるのは間違いなさそうだった。
アウファトは息を呑んだ。
白き王が残したゼジニアは、美しい竜人だった。
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