【完結】ゼジニアの白い揺籠

はち

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旅支度

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 アウファトの部屋に小さな荷物を持った研究員が血相を変えて駆け込んできたのは、調査へと旅立つ二日前のことだった。

「シエナが風邪?」

 シエナはアウファトの助手だった。若いが、ミシュアに似て遺跡調査の技術に長けた研究員だ。気立ても良く、性格も穏やかで他の研究員たちからの信頼も厚い。
 首席を譲るなら彼が適任だろうと考えている、頼りになる助手だった。

 そんなシエナが風邪をひいた。すぐ治るだろうが、病み上がりの人間を連れていくには白い柩周辺は過酷な環境だ。気候が落ち着くこの時期でも、運が悪ければ吹雪に遭うこともある。安全を考えれば、王都で休ませる方がいい。痛手ではあるが、命より優先するものはない。

「わかった。ゆっくり休むよう伝えてくれ」
「かしこまりました。アウファト様、シエナからこれを渡すようにと」

 研究員から手渡されたのは小さな紙包みだった。ずしりと重みのあるそれは、アウファトが片手で持つには少々重かった。

「重いな」
「今回の資料だそうです」

 言われて、アウファトは目を瞠る。これだけの量の資料をまとめるのは一日二日ではできない。シエナの努力に頭が下がる思いだった。

「そうか、ありがとう。シエナに礼を言っておいてくれるか」
「はい」

 アウファトに一礼して、研究員は部屋を出ていった。
 シエナがいる前提で準備を進めていたが、今から代わりの人員を探しては間に合わない。かといってこのチャンスを逃せば、一年待つ羽目になる。
 少々荷物が重くなるが、アウファト一人でも行けなくはない。
 失敗すれば命を落とす。上手くいけば、名声と実績が手に入る。わかりやすい対価だ。
 何より、この調査でゼジニアが何かわかるかもしれない。それだけで、アウファトはこの無茶な行程に挑もうとしていた。

 無論、感情だけで簡単に実現できるとは思っていない。
 アウファトは今しがた受け取った、シエナに託された包みを開けた。
 そこには、シエナがまとめた今回の行程、地図と経路、資料が入っていた。
 行程は距離と野営予定地まで詳細に記されていた。地図には注意すべき点が書き込まれている。先人たちが残した情報を丁寧にまとめてあった。

 白い柩を取り巻く白い嵐は、人を拒む、呪詛のようなものだ。これくらい準備しても、やりすぎということはなかった。

 単独調査を、ひとりで行った前例が無い訳ではない。道中で同伴者が怪我や病気で同行できなくなった場合や、稀にだが命を落としたという例もある。
 ミシュアに聞いたことがある限りでは、ミシュアもひとりでの調査経験はない。
 今回ばかりはミシュアに知恵を借りることもできそうにない。

 アウファトには、この研究しかない。
 功名心があるわけでもない。ただ、この研究が好きで続けていた。
 何より、幼い頃から焦がれ続けた秘密に、手が届きそうなところまでやっと来られたのだ。もう目と鼻の先にあるそれを、逃したくなかった。
 シエナに託された資料に一通り目を通して、アウファトは受け取った包みを荷物の中に入れた。



 出発の日の朝は晴天だった。金色の朝日が街を照らす頃、宿舎の前に馬車が迎えにやって来た。
 単身で調査に旅立つのは初めてだった。
 荷物を積み込み乗り込むと、馬のいななきが聞こえ、程なくして馬車が走り出した。馬車は街道を走り、王都の北西にある城塞都市エンダールへ向かう。エンダールまでは、馬車で丸一日かかる距離だ。
 馬車の中でも、アウファトは資料に目を通した。
 地図を頭に入れ、行程を覚える。白い柩の近くでは、吹雪で地図など見ていられないからだ。
 何度か休憩を挟み、エンダールの城門にたどり着く頃には日が暮れようとしていた。
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