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第三話
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「目撃者はベンジャミン・デリー男爵の小倅だけか……。いやはや、やられましたな」
のほんとした調子でそう言ったのは、4大公爵家筆頭であり宰相を務めるヘンリー・ハイドン公爵である。
緊急事態という割に公爵家の面々に焦りはない。
老人会の集まりよろしく、出された茶を啜り、のんきに談笑さえしている。
時々だが笑い声が聞こえることもある。
そんな中、厳つい髭面の大男だけが憤怒の形相で鎮座していた。
彼の名はハイドリッヒ・ファンドール公爵、レイの父親であり剣聖の名を冠する英雄騎士である。
ハイドリッヒには三人の子がいる。長女エイドリアを筆頭に長男ベルナルドと末っ子のレイモンドだ。いずれも騎士として救国騎士団に所属している。
ベルナルドは父に似ず細身の優男だが、中身は父に似て冷静沈着。
指揮官として既に多くの戦場で勇名を馳せ、ファンドール小公爵として立派にその責務を果たしている。
次男のレイモンドも武芸には秀でており、23歳という年齢の割に多くの戦績と武功を誇る。
次男は父に似て偉丈夫で鋭い眼光を持つ。それゆえに「氷の刃」という二つ名が付いたのだが、これ以外にも本人も知らないもう一つのあだ名がある。
「掴まれた時に腕を骨折したそうで、今侍従医が手当しております。ハイドリッヒ、お前のとこのゆるわふわクマちゃんは、ちゃんと運動させているのか? ただ掴んだだけで腕を粉砕とか……」
書記長に書かせた報告書を斜め読みしながら、ハングリット公爵が感想を述べる。
ゆるわふわクマ、知る人ぞ知るレイの二つ名だ。
見かけに反して中身は夢見る少女のように柔らかく繊細で何より鈍い。
四人の公爵、そしてブルワール国王アンドレもよく知ることだ。
「誠に申し訳ない」
牧歌的な雰囲気の中、円卓に両手を突いて臣下に頭を下げる王陛下の声が響き渡る。
4人の公爵は溜め息を吐き、謝罪されたファンドール公爵ハイドリッヒは全身から殺気をみなぎらせたまま彫像のように一点を凝視していた。
「こうなるとは思っていました。ラティア王女様は美しくお育ちになりました。美しいものに目がなくて、まあ、愛らしく天使のような御方でございます。しかしながら……」
「分かっておる。みなまで言うな、ハイドン。ラティアが嵌めたのだろう。自分で選んだはいいが、クマちゃんでは不満だったのだ」
アンドレ王が頭痛を堪える病人のような声で宰相の繰り言を遮った。
「それはそうでしょう。あのゆるふわちゃんで王女が満足するなど、とてもとても。決めてから数ヶ月、まあよく頑張ったほうでしょう」
優雅に紅茶を啜りながら、今回の茶番を評したのはアントワヌ公爵である。
アルフレッドは少し離れた位置に立ち、4人の公爵と王のやり取りを静観していた。
御前会議というのにやたらと弛緩した茶番劇だ。
「頭痛がしてきた」
アルはつぶやき、こめかみを手で押さえる。
のほほんとした老人達の中にあって、怒りを抱えているのはハイドリッヒ、レイの父ただ一人だ。
殺気をみなぎらせている髭ツラの大男を前に王は萎縮し、3人の公爵達はのんきに茶を啜る。
「……だから反対だったのです」
絞り出すようなダミ声でハイドリッヒが喋り始めた。
「あんな頭に花が咲いたバカに王女の相手など無理だと、何度も申し上げました。第一、見てくれしか気にしない王女がうちのバカで満足するわけがないんだ。それをまったく……」
「ハイドリッヒ、ちょっと待て。お前、間接的にうちの娘を悪く言っただろう」
「事実を申し上げたまでです」
「事実って……。確かにラティアは少々ずるいところもあるが、可愛い娘であるぞ」
「王よ、あれは少々とは言いません。父親さえ手玉に取る小悪魔だ」
「小悪魔……。言葉が過ぎるぞ! 不敬罪で投獄されたいのか!」
「出来るもんならやってみろ。この腑抜け親父が」
「ええい、くそ。そもそもお前の息子が鈍いのが悪い。ラティアだけの責任ではないぞ」
王と臣下の口喧嘩を3人の老人は微笑ましげに見守り誰も止めようとしない。
「まったく……もういや……」
アルは大きな溜め息とともに両手を二回、打ち鳴らした。
「お二人ともそこまです」
銀仮面を着けているとはいえ、下の顔が満面の笑みであるのは疑いようもない。
棘を含んだ、凍り付くような笑みだ。
アンドレ王とハイドリッヒは揃って椅子に座り直し、ハイドン公爵が咳払いともに提案する。
「事実確認などするまでないでしょうが、ラティア王女と王女に取り入ろうとしている不埒者は狩り出す必要があるでしょう。ラティア王女も、少し懲りていただく必要がありますぞ」
王は答えず、哀しそうに溜め息を吐いた。
「王女と息子の婚約は白紙。これについては異議は認めん。問題はあのバカ息子だ」
「会議が終わるまで控え室で待機するように伝えたが、ご子息は勝手に営倉に入って中から鍵をかけて籠城しているそうだ」
ハングリット伯の説明に、その場にいた全員が溜め息を吐いた。
「王陛下、ファンドール公爵、レイモンドのことは私にお任せください」
ここぞとばかりにアルが提案すると、王は笑顔になり、ファンドール公爵ハイドリッヒは苦虫を噛み潰したような顔で王と、三人の公爵をそれぞれ睨みつけた。
「調査についてはお任せする。わしは息子を引きずり出しに行く」
会議の終了も待たずにハイドリッヒが退出する。アルは王に一礼してから後を追った。
のほんとした調子でそう言ったのは、4大公爵家筆頭であり宰相を務めるヘンリー・ハイドン公爵である。
緊急事態という割に公爵家の面々に焦りはない。
老人会の集まりよろしく、出された茶を啜り、のんきに談笑さえしている。
時々だが笑い声が聞こえることもある。
そんな中、厳つい髭面の大男だけが憤怒の形相で鎮座していた。
彼の名はハイドリッヒ・ファンドール公爵、レイの父親であり剣聖の名を冠する英雄騎士である。
ハイドリッヒには三人の子がいる。長女エイドリアを筆頭に長男ベルナルドと末っ子のレイモンドだ。いずれも騎士として救国騎士団に所属している。
ベルナルドは父に似ず細身の優男だが、中身は父に似て冷静沈着。
指揮官として既に多くの戦場で勇名を馳せ、ファンドール小公爵として立派にその責務を果たしている。
次男のレイモンドも武芸には秀でており、23歳という年齢の割に多くの戦績と武功を誇る。
次男は父に似て偉丈夫で鋭い眼光を持つ。それゆえに「氷の刃」という二つ名が付いたのだが、これ以外にも本人も知らないもう一つのあだ名がある。
「掴まれた時に腕を骨折したそうで、今侍従医が手当しております。ハイドリッヒ、お前のとこのゆるわふわクマちゃんは、ちゃんと運動させているのか? ただ掴んだだけで腕を粉砕とか……」
書記長に書かせた報告書を斜め読みしながら、ハングリット公爵が感想を述べる。
ゆるわふわクマ、知る人ぞ知るレイの二つ名だ。
見かけに反して中身は夢見る少女のように柔らかく繊細で何より鈍い。
四人の公爵、そしてブルワール国王アンドレもよく知ることだ。
「誠に申し訳ない」
牧歌的な雰囲気の中、円卓に両手を突いて臣下に頭を下げる王陛下の声が響き渡る。
4人の公爵は溜め息を吐き、謝罪されたファンドール公爵ハイドリッヒは全身から殺気をみなぎらせたまま彫像のように一点を凝視していた。
「こうなるとは思っていました。ラティア王女様は美しくお育ちになりました。美しいものに目がなくて、まあ、愛らしく天使のような御方でございます。しかしながら……」
「分かっておる。みなまで言うな、ハイドン。ラティアが嵌めたのだろう。自分で選んだはいいが、クマちゃんでは不満だったのだ」
アンドレ王が頭痛を堪える病人のような声で宰相の繰り言を遮った。
「それはそうでしょう。あのゆるふわちゃんで王女が満足するなど、とてもとても。決めてから数ヶ月、まあよく頑張ったほうでしょう」
優雅に紅茶を啜りながら、今回の茶番を評したのはアントワヌ公爵である。
アルフレッドは少し離れた位置に立ち、4人の公爵と王のやり取りを静観していた。
御前会議というのにやたらと弛緩した茶番劇だ。
「頭痛がしてきた」
アルはつぶやき、こめかみを手で押さえる。
のほほんとした老人達の中にあって、怒りを抱えているのはハイドリッヒ、レイの父ただ一人だ。
殺気をみなぎらせている髭ツラの大男を前に王は萎縮し、3人の公爵達はのんきに茶を啜る。
「……だから反対だったのです」
絞り出すようなダミ声でハイドリッヒが喋り始めた。
「あんな頭に花が咲いたバカに王女の相手など無理だと、何度も申し上げました。第一、見てくれしか気にしない王女がうちのバカで満足するわけがないんだ。それをまったく……」
「ハイドリッヒ、ちょっと待て。お前、間接的にうちの娘を悪く言っただろう」
「事実を申し上げたまでです」
「事実って……。確かにラティアは少々ずるいところもあるが、可愛い娘であるぞ」
「王よ、あれは少々とは言いません。父親さえ手玉に取る小悪魔だ」
「小悪魔……。言葉が過ぎるぞ! 不敬罪で投獄されたいのか!」
「出来るもんならやってみろ。この腑抜け親父が」
「ええい、くそ。そもそもお前の息子が鈍いのが悪い。ラティアだけの責任ではないぞ」
王と臣下の口喧嘩を3人の老人は微笑ましげに見守り誰も止めようとしない。
「まったく……もういや……」
アルは大きな溜め息とともに両手を二回、打ち鳴らした。
「お二人ともそこまです」
銀仮面を着けているとはいえ、下の顔が満面の笑みであるのは疑いようもない。
棘を含んだ、凍り付くような笑みだ。
アンドレ王とハイドリッヒは揃って椅子に座り直し、ハイドン公爵が咳払いともに提案する。
「事実確認などするまでないでしょうが、ラティア王女と王女に取り入ろうとしている不埒者は狩り出す必要があるでしょう。ラティア王女も、少し懲りていただく必要がありますぞ」
王は答えず、哀しそうに溜め息を吐いた。
「王女と息子の婚約は白紙。これについては異議は認めん。問題はあのバカ息子だ」
「会議が終わるまで控え室で待機するように伝えたが、ご子息は勝手に営倉に入って中から鍵をかけて籠城しているそうだ」
ハングリット伯の説明に、その場にいた全員が溜め息を吐いた。
「王陛下、ファンドール公爵、レイモンドのことは私にお任せください」
ここぞとばかりにアルが提案すると、王は笑顔になり、ファンドール公爵ハイドリッヒは苦虫を噛み潰したような顔で王と、三人の公爵をそれぞれ睨みつけた。
「調査についてはお任せする。わしは息子を引きずり出しに行く」
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