辺境騎士の奮闘記

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 ガン!
 強烈な一撃が鼻に直撃して、九歳のひ弱な少年は噴水のように鼻血を吹き上げながら後ろに倒れる。

「女じゃない! 女みたいとか言うな!」

 拳を返り血に染めながら、鼻息も荒く息巻いているのは、まだ八歳の少年。
 赤い髪に深緑の瞳をした綺麗な少年で、出会った瞬間にファンドール公爵家次男のレイモンドは見とれてしまった。

「女の子だなんて言ってない! 綺麗だって言っただけじゃないか!」

 レイモンドは泣きながら立ち上がり、アルフレッドに向かって行く。

「綺麗なんて言うな! 僕は女じゃない!」

 負けじとアルフレッドも応戦する。
 ファンドール公爵ハインドリッヒは呆れ顔で静観を決め込み、レイの姉と兄、エリンとベルナルドが二人を止めに入る。

「二人とも落ち着いて、離れて」

 制止の声など、二人の少年には聞こえていない。見かねた長女と長男が引き離そうとするが無視して取っ組み合いのケンカを続けている。

「ひどいじゃないか、ばぁかぁ」
「バカじゃない。バカって言った方がバカなんだ」

 もうどっちが何を言ったのか、先に手を出したのは誰なのか、何が原因で殴り合っているのかすら分からなくなっている。

「お父様、いいんですか?」

 ファンドール家の長女、十五歳になるエリンが父に助けを求めるが、父は無言で首を振り動こうともしない。
 そんな父を見て、十二歳になる長男は深い溜め息を吐いた。
 アルフレッド・レオニール・アルバンダイン、ブルワーヌ王家の傍流である大公家唯一の子息。
 幼くして父を失った公子の後見として王より直々に任命されたのが、武門の名家として知られるファンドール公爵ハインドリッヒだった。

「構わん、気が済むまでやらせておけ」

 ハインドリッヒは 二人が疲れ果て動けなくなるまで動かなかった。
 庭園の地べたに座り込んだ二人を見て、漸く重い腰を上げる。肩で息をするのがやっとの少年達の首根っこを摘まみ上げてから言った。

「ケンカ両成敗だ。二人とも頭を冷やしなさい」

 救急箱と一緒に同じ部屋に放り込む。

「仲直りするまで出てくるな」

 そう言って、外から鍵まで掛けた。
 レイモンドとアルフレッド、二人はそれぞれ部屋の対角線上に陣取り、ぶすくれる。
 気まずい沈黙に耐えられなかったのか、しばらく経ってからアルが小声で言った。

「綺麗とか言われたくない。顔のこと、言われるのがいやなんだ」

 体育座りで固まったままのアルを見ていると、さっきまで怒っていたのが嘘みたいにどうでもよくなった。

「ごめんね。いやだなんて思わなかったから、いやならもう言わない」

 レイが謝ると、アルはこくんと頷いてくれた。

「殴ってごめん。先に手を出したのは僕だから、僕が悪い」
「ううん、そんなの、僕もやり返しちゃったし、おあいこだよ」

 近づいて小指を差し出すと、アルがそっと小さな指を絡めてきた。

「ねえ、アル、あっ、アルって呼んでいい?」
「いいよ」

 レイは固まっているアルの頭をそっと撫でる。

「なっ……」
「アル、大丈夫? どこか痛いの? 辛そうだよ」
「何を言ってるんだ。どこも痛くなんかない。何ともない」

 そう言いながらアルは泣いていた。
 緑色の瞳を涙で濡らし声を殺して泣く姿に胸が痛んだ。以来七年、ずっと隣にいた。
 互いに親友であり兄弟であり、理解者でもある。
 アルが十五歳、レイが十六歳の時、最初の別れの時が来た。
 アルフレッド・レオニール・アルバンダイン、亡きアルバンダイン大公の後を継ぎ辺境公として領地に戻ることが決定したのだ。
 友の門出だ。レイモンドは募る寂しさを必死に堪え精一杯の笑顔で送り出そうと心に決めた。

「騎士になる。騎士になって救国騎士団に入って、辺境に行く。僕が行くまで元気でいて」

 大公領は東の堺にあり、魔族と隣接する危険地帯だ。アルの父親である先代辺境公が命を落としたのも魔族との戦闘が原因だった。そんな危険な場所に親友が旅立つ。

 ――行かないで。ずっとここにいて。

 本当はそう言いたかった。言えば、アルの気持ちを踏みにじる気がして言えなかった。

「レイモンド、君と共にいられる日を信じて、いつまでも待っている」

 アルはこの時、銀色の仮面を被って素顔を覆い隠していた。
 二人は抱き合い、束の間の別れを惜しむ。
 再び、共に立てるその日を夢見て……。

 
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