R18 短編集

上島治麻

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黒咲璃桜という男は死の恐怖に常に怯えていた。何時からだろう。高校生の頃くらいかもしれないし、もっと幼い頃かも知れない。自分は常に死の恐怖に怯えていた。ただ普通に、生活しているのに明日死ぬかもしれないという恐怖心が影のように離れずにくっついてくる。だから、寝るなんて俺にとって恐怖の対象でしかなかった。けれど、人間の体力には限界があったから、気絶することも多々あった。流石に日常生活に支障が出てきて、睡眠薬を処方してもらって強制的に睡眠をとるようになっても心は恐怖に囚われたままで休まらない。だから、睡眠薬の代わりにセフレを探してセックスをするようになった。セックスは良い。何も考えられなくなって、ひとときだけでも死という恐怖から逃れられるから。痛みから逃れるモルヒネみたいなものだ。幸いと顔だけは良かったので璃桜のセフレになりたいという者は男女問わずに途切れることなく現れてくれた。そんな大学生活を送っていた時に白凪澄玲にアイドルを誘われてアイドルをするようになる。誘われるがままにアイドルを始めたのは断る理由がなかったから。
「ねぇ、璃桜。次の曲は璃桜が作詞してよ」
大学のカフェテラスで二人で座って珈琲を飲んでいる時に澄玲は唐突に言った。ちょっと、コンビニまでアイス買ってきてほしいくらいのノリで。
「え、なんで?」
澄玲は端麗な顔に人差し指を当てて考える素振りをする。
「うーん、俺が、璃桜が作詞した曲を聴きたいから…かな」
「良いけど。…でも俺、作詞の経験ないから上手になんて書けないよ」
澄玲は、にこりと笑うと俺の手を両手で包む。
「璃桜が思ったことをそのまま書いてくれれば良いんだよ。それが、そのまま最高傑作になる」
「はぁ」
そこまで言われてしまえば、断る理由も無いので思ったままを、そのまま歌詞として綴った。その歌詞に澄玲が曲を付けて初めて発表したライブの時のことは今でも覚えている。熱心な信者が神に初めて己の罪を許された時のような目をして見つめてくるファンが居たから。それが、南月海斗だった。まさか、同業者になってるなんて思いもしなかったけれど。同業者になっていると知った時は驚いた。最初は俺を追いかけてアイドルになったのかと思ってたから、そのうち声でもかけてくると思っていたけれど、廊下ですれ違っても会釈くらいで話しかけられない。もう飽きたのか?と思ったけれど、ファンとして熱心にライブには通ってくれる。そうなってくると、そのパラドックスが気になって益々気になってしまい、もともと気になることは徹底的に調べ尽くさないと気が済まない性格も相まって、今では、どちらがファンか分からないほど南月海斗のこともフェアリーミルクのことも網羅している。


突然だった。セフレの中の一人と密会しているところを南月海斗に見られたのは。丁度いいと思った。自分の中で興味の対象である南月海斗に近づける好機だと。だから、セフレの契約を迫った。俺を熱狂的に見つめている熱心なファンの南月海斗は、この契約を拒否しない、という確信が俺の中には在ったから。俺の確信通り南月海斗は拒否せずに俺の家までやって来た。予定外だったのは彼がセックスを男女問わずしたことが無かったこと。だから、セフレも解消しようとした。流石に、初めてがセフレは可哀想すぎる。
「でも、口づける前の璃桜さんの目があんまりに悲しい目をしていたから、もし俺が抱かれることで一瞬でもその悲しみから解放されるなら何が何でも抱かれたいって今は思ってます。悲しさから解放されるためにセフレを探しているんでしょう?」
海斗が俺の目を射抜くように言う。
そんなに、正義感に燃えているような子にも他人のために自分を差し出すような慈善的な子にも見えなかったからそう言われて正直に驚く。
「海斗君は優しいんだね。でも、そう言うのは独善的っていうんだよ」
「知ってます。それに俺は璃桜さんのために璃桜さんを悲しみから解放したいわけじゃない」
「どういう?」
心底困惑する。この子はいったい何を言っているんだ?
「俺は、璃桜さんが俺に口づけようとした時の目を知っています。小さい頃から俺がしている目だ。鏡で何度も何度も見てきた目。だから、放って置けない。それは、悲しんでいる自分を放置することだから。誰だって自分は可愛いでしょう?」
「うーん。分かったような、分からないような」
「分からなくても良いです。でも、璃桜さんが悲しみから一瞬でも解放される行為の手伝いをしたいんです。新しいセフレが出来るまででいいです。お願いします。」
困惑したまま、結局押し切られてセフレじゃなくてソフレの契約をした。でも、なんでだろうか、胸の中に、ほんわりと蠟燭の灯のように温かなものが灯った。俺が思っているよりも南月海斗という子は、ずっと暖かかったみたいだ。その後、セックスもしてないし、今日は徹夜か…と思いながら海斗の寝顔を見ていたら、いつの間にか爆睡していた。気づいたら朝だった時は驚きのあまり声も出なかったのを覚えている。なんで、どうして、そればかりが頭の中を駆け巡る。理由を知りたくてまた呼んだ。けれども、会うたび会うたび疑問は更新されていくばかりだ。だって、今までセックスくらいでしか消えてくれなかった死への恐怖が海斗といる時だけ消えるなんて謎だ。
「それって、海斗君といると安心するってことでしょ?」
いつかの時と同じように大学のカフェテラスで珈琲を飲みながら澄玲に相談すると、さも当たり前のことを聞かれたみたいな顔で返された。
「それはそうなんだと、思うけど。その理由が気になるというか…」
「それは、初日の言葉に璃桜が絆されたからじゃない?」
「初日の言葉…?絆された…?」
珈琲を優雅に飲みながら頬杖をつく澄玲は端麗な顔に呆れのようなものを浮かべている。
「だから、璃桜がセフレを断った時に言われた、璃桜さんの痛みから逃れる行為の手伝いがしたいって言葉」
「それだけで?」
「それだけで。人間なんて存外簡単で単純なものなんだよ。璃桜も例外なくね。璃桜は、死への恐怖が襲ってくる病をセックスでしか解消できないと思ってたみたいだけど、そんなの思い込みでしょ。良かったじゃん。もっとお手軽で多方面に迷惑をかけなくて済む病気の解消法を見つけることが出来て。俺も嬉しいよ。璃桜のことは大好きだし、才能は尊敬しているけどセフレを作る癖には辟易してたから」
海斗君万々歳!とかなんとか澄玲は言いながら、また一口珈琲を飲む。
「うーん。そうなると、海斗君から離れられなくなるからお手軽かどうかと言われると、より厄介なような」
「良いじゃん。璃桜ったら海斗君大好きでしょ?」
「え?」
「え?気づいてなかったの?」
驚いたように澄玲が目を瞠目させる。
「うん」
澄玲が呆れたと溜息を吐く。
「最近、ことあるごとに、海斗君、海斗君、海斗君、海斗君、ばっかり言ってるよ。聞きすぎて海斗君検定があるなら俺は一級を取れる自信がある」
「そんなに…」
「そんなに」
俺が、海斗君のことが好き…。その言葉と共に思い出すのは暖かい言葉たち、体温、柔らかな子守唄、璃桜を救うことで自分を救いたいと言った時の射抜くような目。
「俺、海斗君のこと好きかもしれない…」
未だ確証がない。けれども、しゃぼん玉のような海斗との思い出の一つ一つを思い返せば、そのどれもを愛おしいと思う。こういうことを、人は、恋というのかもしれない。


いつものように、いつものごとくレッスン終わりに璃桜の部屋に向かう。もはや日課のようになっている。レッスン終わりに璃桜から電話が来た日以来、毎日同じ時間に――今日来て――という連絡が来るようになった。こないだなんてついに合鍵まで渡された。曰く、どうせ毎日来るんだから合鍵あった方が便利でしょう、だそうだ。因みに呼んだのはそっちでしょうという俺のツッコミは華麗にスルーされた。悲しい。
手慣れた仕草で合鍵を回して玄関に入ると璃桜が夕飯を作っているのか美味しそうな匂いが漂ってきた。璃桜は料理上手だ。何を作っても美味しい。俺は育ちもあって手作り料理なんて数えるほども食べてこなかったから璃桜の料理が自分でも驚くほど好きで嬉しい。徐々に胃袋を掴まれている気すらする。
「いらっしゃい、海斗君」
「お邪魔します、璃桜さん」
「今日は肉じゃがと野菜炒めと豚汁と炊き込みご飯だよ」
「やったぁ」
好物のオンパレードに笑みがこぼれる。
璃桜が俺を見て吹き出すように笑った。
「そんなに、嬉しい?」
「もちろん。璃桜さんの作る料理は何でも好きですけど、特に肉じゃがと炊き込みご飯は大好物ですから」
「そう、それは良かった」
その後は、いつも通り二人で食卓を囲んで、俺が食器を洗っている間に璃桜が珈琲を淹れた。それも、飲み干すと各々お風呂に入って同じベッドの布団に入る。
「…それで三月ったら、俺が教えるって言った途端に大好き!って切り替えが早すぎるんです」
「…海斗君は三月君が大好きだね」
「それは、唯一の親友ですから。あ、湊も、もちろん好きなんですけど、湊はメンバーって感じが強いので。…三月は俺を照らしてくれる太陽なんです。俺は薄汚れているから、いつか吸血鬼みたいに焼かれて灰になってしまうかもしれないけど、居心地が良くてできればずっと居たいと思って…え?」
言葉は最後まで紡げなかった。璃桜が唇を塞いだから。柔らかくて熱い感触。顔中が、りんご飴のように赤く染まっていくのが逆流していく血で分かる。
「あ…」
「なんで?」
「なんとなく」
それっきり、璃桜は喋らずに目を閉じてしまった。俺はどうすればいいか分からなくて布団に潜り込むと目を瞑る。なんで、どうして、セフレ解消宣言された時からキスなんてされたことないのに。くるくるくる、螺旋階段のように、なんでと、どうしてが頭を巡る。その日は結局、口づけについて言及することも日課である子守唄を歌うことも出来なかった。
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