異世界でカフェを開店しました。

甘沢林檎

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5巻

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   プロローグ


 フェリフォミア王国の王都。昼間であるにもかかわらず、その中心街は閑散としていた。
 それもそのはず、近年まれに見る猛暑を迎えているのだ。
 晴れ渡った空と言えば聞こえはいいが、強烈な太陽の光が何にもさえぎられることなく地上に降りそそいでいる。
 石畳からは熱気が立ちのぼり、陽炎かげろうが揺らめいていた。
 これほどの暑さを経験したことがない王都の人々は、完全に参ってしまっている。
 それでも、生活するためには外出しなければならない。
 涼を求めてなるべく日陰を歩く人々の顔や首筋からは、汗が噴き出していた。
 道具街にあるカフェ・おむすびの店内も、中心街と同様に人が少ない。冷房機能を持つ魔術具のおかげで店内は涼しいものの、客たちは連日の暑さにどこかぐったりした様子だ。
 中には夏バテで食欲がないのか、注文した料理にちょっと手を付けただけで残してしまい、冷たい飲み物をちびちび飲んでいる人もいる。
 いつもは機敏な店員たちも、緩慢かんまんな動きで給仕をしていた。
 客が少なすぎて張り合いがないというのも一因のようである。
 それでも、店を開けないわけにはいかない。
 いつまで続くかわからないこの暑さに、人々はみな辟易へきえきしていた。



   第一章 夏真っ最中です。


 時はさかのぼって、数日前。
 隣国スーザノウルへの慰安いあん旅行から帰ってきたカフェ・おむすびのメンバーは、残りの夏期休暇を思い思いに過ごし、二週間ぶりに出勤した。
 久々の営業ということもあって、カフェの店内では朝早くから慌ただしく準備が進められている。

「ヘレナ、オリヴィア。念のため、冷たい飲み物を多めに準備しておいてくれる?」

 そう言って厨房ちゅうぼうからホールに顔を出したのは、長い黒髪を一つにまとめた女性。このカフェのオーナー兼店長であるリサ・クロカワ・クロードだ。
 元は黒川理沙くろかわりさという名前であり、この世界とは別の世界にある、日本という国の出身である。それは、カフェ・おむすびのメンバーやリサの養父母などの限られた人しか知らない秘密だった。

「わかりました。お茶もコーヒーも冷えるのに時間かかりますからね」

 そう答えたのは、オレンジ色の髪をショートカットにした女性店員だ。彼女は接客係のヘレナ・チェスター。カフェ・おむすびが開店して間もない頃から働いている。
 ヘレナはスレンダーな体にカフェの制服をまとっていた。人気商品であるケーキ類を毎日のように食べても太らないのは、元々そういう体質だかららしい。
 リサからすればうらやましい限りだが、本人は胸も全く大きくならないのが悩みだそうだ。

「それじゃあ、氷も多めに用意しておかなくちゃね」

 少し考えてからそう言ったのは、同じく接客係のオリヴィア・シャーレインだ。ミルクティー色をしたくせのある髪をサイドでまとめている。
 涙ぼくろと豊満な胸のせいか、独特の色気を持つ彼女は、こう見えて一児の母だ。夫を亡くして以来、今年で七歳になる息子を一人で育てている。
 おっとりした雰囲気から性格もそうだと思われがちだが、シングルマザーとして苦労しているため、かなりのしっかり者だ。カフェ・おむすびで働き出したのはメンバーの中で一番遅いが、最年長ということもあって、よきお姉さん的存在である。
 リサはそんな二人の言葉に頷き、「よろしく!」と一声かけて厨房ちゅうぼうへ戻った。
 厨房では料理の下準備が着々と進められている。

「リサさん! こっち味見してもらってもいいですか?」

 戻ってきたリサを見るなりそう言ったのは、天然パーマがかかったうぐいす色の髪が特徴的な青年だ。彼はアラン・トレイル。元は王宮の料理人だったが、本人の強い希望によりカフェ・おむすびで働き始めた。
 彼が作っているのはランチセットについているスープだ。コンソメベースで、野菜がたっぷり入っている。

「お願いしまっす!」

 アランは近づいてきたリサに、スープを少量よそった小皿を差し出す。
 リサはそれを受け取りつつ、ふと視界に入った彼の表情にクスリと笑った。
 期待に目を輝かせてリサの感想を待つその顔が、お預けをされているワンコのように見えたからだ。
 小皿に軽く息を吹きかけてから、リサはスープを味わう。鶏ガラと野菜のうまみがぎゅっと詰まったそのスープは、味に深みがあった。塩加減もちょうど良い。

「うん、おいしい!」

 リサが頷きながら言うと、アランは一度で合格をもらえたことが嬉しいのか、小さくガッツポーズをした。

「よっしゃ!」

 その様子をリサは微笑ましく思う。

「他の準備もよろしくね」

 空になった小皿をアランに返しながら、リサはそう声をかけ、自身も他の料理の準備をするため作業台へ向かった。
 その作業台には先客がいた。
 シルバーブロンドの髪に青い瞳をした無表情な青年が、カスタードを塗ったタルト台にフルーツを並べている。
 彼はジーク・ブラウン。かつては騎士団に所属していたが、カフェ・おむすびが開業してすぐリサの料理にれ込み、従業員となった。
 現在はカフェで調理を担当するかたわら、リサと共にフェリフォミア国立総合魔術学院の料理科で教鞭きょうべんをとっている。
 そして、リサとは恋人同士でもあった。

「ジークくん、あとは何が残ってる?」

 リサが作業台の上を見回しながら問うと、ジークは手を止めてリサを見る。

「ケーキのデコレーションがあと二つ残ってます。ゼリー類は冷蔵庫に入れて、固まるのを待ってる状態です」
「そっか。じゃあ、出来てるケーキはカットしておくね」

 リサはそう言って、ケーキナイフやトレーなどを準備し始めた。
 すでにデコレーションが終わっているショートケーキを、お湯で温めたケーキナイフで八等分に切り分けていく。ナイフについたクリームをこまめに拭き取りつつ、形が崩れないよう慎重にナイフを入れていった。
 すべて切り分け終えると、今度は切断面を紙でおおっていく。このつるつるした紙は、水分や油分を吸わない性質を持っている。そのため、リサが元いた世界で使われているケーキフィルムの代用としていた。
 すべて巻き終わったら、同じ紙で作った円型の敷き紙にのせる。
 そしてケーキの種類ごとにトレーに並べ、ショーケースに入れやすい状態にしておくのだ。


 メンバーそれぞれがテキパキと準備を進めたおかげで、開店時間まで余裕が出来た。リサたちはゆっくりまかないを食べてから、いよいよ久しぶりにカフェを開店する。

「では、開店します!」

 ヘレナがメンバーに向かって言い、入り口のドアを開ける。
 それと同時に、暑い中待っていた客が店内に入ってきた。
 リサはショーケースの上にある小窓を日よけで覆うため、店の外に出る。

「うわぁ……」

 一歩外に出た瞬間、体全体が熱気に包まれた。
 出勤した時は早朝だったためにまだ気温が上がっておらず、そこまでの暑さは感じなかった。しかし、今はお昼前であるにもかかわらず、既に屋外の気温はかなり高い。
 地表をじりじりと焼く強い日差しに目を細めたリサは、日よけを持ち上げて付属の棒で固定する。そして、逃げるように店内へ戻った。
 厨房ちゅうぼうに入ったリサは、オーダーが入るのを待っているジークとアランに声をかける。

「外かなり暑いよ~、今年一番かも!」

 その言葉に先に反応したのはジークだった。

「じゃあ、冷たいスイーツが多く出そうだな」
「そうだね。状況を見て早めに補充していこう」

 リサがジークに答えると、アランも頷く。品切れになってしまってから作るのでは遅い。だが残りの営業時間を考えて適切な個数を補充しなければ、余計なロスを生むことになる。そのさじ加減が難しかった。

「それにしても、室内にいると外の暑さがわからないっすよね」

 アランがしみじみと呟く。

「うん。それに暑いスーザノウルから帰ってきたばかりっていうのもあるし」
「お客さんとは、体感温度がずれているかもしれないな」

 リサの言葉に、ジークがその通りと言わんばかりに続いた。

「スイーツ類の補充に関してはお客さんの様子を見たり、ヘレナとオリヴィアに聞いたりして対応していこう」

 リサがそう言うと、二人は頷いた。
 そこでヘレナが厨房に駆け込んでくる。

「注文入りました!」

 読み上げられる注文内容を聞きながら、三人はそれぞれ動き出した。



   第二章 見えない敵が出現しました。


 リサはその日の暑さが今年一番だろうと思っていたが、翌日もその翌日も同じくらいの暑さが続いた。
 慰安いあん旅行で行ったスーザノウルは、フェリフォミア王国より南にあるため気温が高かった。だが、湿度は低くからっとしているので、そこまで過ごしにくいわけではない。
 一方、今のフェリフォミア王国は気温が高いのに加えて、湿度もかなり高かった。
 じっとりと体に張り付くような暑さに、フェリフォミアの人々は参りつつある。
 そして、その暑さはカフェにも深刻な影響を与えていた。

「お客さんが来ない……」

 ヘレナがカウンターの中から店内を見回して呟く。カフェ・おむすびでは珍しいことに、営業時間中にもかかわらず一人も客がいなかった。
 ランチタイムが終わり、最後の客を見送ったのはつい先程。いつもならそれと入れ替わるようにして、ティータイムを楽しむ客がやってくる。
 だが、今日はそのきざしすら全くなかった。
 何しろ、道を歩いている人が一人もいないのだ。
 今は十四時を回ったところで、一日で最も暑い時間帯。そのせいか、カフェ・おむすびの前を通る人影はない。

「この暑さの中で外を歩くのは、厳しいわよね」

 オリヴィアが、ショーケース上の窓から通りを眺めながら言った。
 カフェの向かい側の石畳が日の光を反射し、見るからに暑そうである。
 注文が一向に入らないのでホールの様子を見に来たリサは、ガランとした店内を見て驚いた。

「あれ? お客さん、いないの?」
「そうなんです。ランチのお客さんが帰ってから、ずっとこうなんですよ」

 ヘレナが布巾ふきんを手でもてあそびながら、困ったように答えた。

「この暑さじゃねぇ……外に出てお茶する気分にもなれないか」

 リサも店内から通りを眺めて苦笑する。

「それにしても、いつまで続くのかしらね? この暑さ」

 オリヴィアがうんざりした様子でため息をく。

「こればっかりは自然のものだからねぇ……」

 リサはそう言いつつも、この暑さが長く続かないことを願った。


 しかし、リサの思いとは裏腹に暑さは続いた。いや、むしろいっそう厳しくなっていったのである。
 そして、それはカフェ・おむすびの売り上げにも大きく響いていた。
 カフェ・おむすびには週に二回、休業日がある。そのうちの一日を使い、カフェのメンバーは対策を立てることにした。
 普段まかないを食べている二階の部屋は暑いので、カフェのテーブル席に集まる。

「ケーキ類が全然売れてないね」

 リサが毎日記録しているスイーツの作成個数と廃棄個数、売上個数の表を見て言った。

「そうですね。スイーツに関しては、冷たいゼリーやアイスに人気が集中してます。まぁ、わからなくもないですが」

 そう言いながら、ヘレナは苦笑する。
 暑い日が続いているのだから、冷たくてさっぱりしたものを食べたくなるのは当然だ。
 ケーキ類も冷蔵庫に入れているのでそれなりに冷えてはいるが、アイスほどではない。ましてクリームがふんだんに使われたものはこってりしているからか、暑い時期にはどうしても敬遠されがちだった。

「あと、ランチを残してる人が結構多いっす。暑くて食欲がわかないっていうのもあるんですかね?」

 アランの言葉に、他の全員が頷く。
 ランチメニューは季節に合わせて考えており、今はさっぱりとしていて夏でも食べやすいメニューにしているが、それでも残しているお客さんが少なくなかった。

「そういえば、常連のお客さんの中に『食欲がないから今日の昼ご飯はアイスでいい』って言ってる人がいたわ」

 オリヴィアが困惑した表情で言うと、リサはぎょっとした。

「アイスって……それだけで足りるの?」

 だがリサとは違い、ヘレナには客の気持ちがわかるらしい。

「私はすごくわかります! 私も最近は暑くて食欲がないので、フルーツだけで済ませることもありますもん。むしろ、この暑さの中でもしっかり食べてるリサさんの方が信じられない……」

 生まれも育ちも王都であるヘレナは、この暑さにかなりやられているようだ。アランとオリヴィアもヘレナほどではないものの、そこそこ参っている様子である。
 だが、騎士団できたえられたジークと、日本の夏を経験しているリサは、平然としていた。

「私の故郷の夏はもっと暑かったからねぇ。湿気も多くてさ。フェリフォミアは朝晩が涼しい分、向こうより全然楽だよ」

 リサが元の世界の夏を思い出して言うと、ヘレナは顔をしかめた。

「これよりもっと暑いなんて……どうやって生活してたんですか!?」

 暑さが心底苦手であるらしいヘレナに、リサは思わず苦笑する。
 そこへ、突然ノックの音が響いた。
 誰かが店のドアを性急に叩いている。
 ジークが椅子から立ち上がり、そちらへ向かった。
 ドアにかかるカーテンを開け、ガラス越しに外を確認した彼は、目を見開く。

「アンジェリカ!?」

 ジークが急いでドアを開けると、カフェの隣にあるサイラス魔術具店の娘・アンジェリカが、今にも泣きそうな顔で店に入ってきた。
 心配して駆け寄ったリサの両腕を、アンジェリカは飛びつくような勢いで掴む。

「ど、どうしよう! 父さんが、父さんが倒れて……」
「え!? ガントさんが!?」

 ガクガクと震えるアンジェリカの言葉に、リサは驚愕きょうがくする。しかし、こうしてはいられないと、すぐ行動を開始した。

「アランくん、すぐお医者さんに連絡して。ジークくんとヘレナは私と一緒にお隣に行こう。オリヴィアは留守番と何かあった時の連絡役を兼ねて、待機をお願い!」

 リサが出した指示に、それぞれが真剣な面持ちで頷く。
 医者を呼ぶため真っ先に出ていったアランに続き、ヘレナがアンジェリカを支えながら店を出る。そして、リサとジークも彼女たちと一緒にサイラス魔術具店へ向かった。


 アンジェリカによれば、ガントが倒れたのは奥にある工房らしい。
 リサたちが工房に入ると、床に寝かされたガントのそばには弟子らしき青年がおり、オロオロしていた。
 リサはガントのもとへ駆け寄り、すぐさま彼の状態を確認する。
 仰向あおむけに横たわったガントの表情は、苦しそうに歪んでいる。倒れた拍子に何かにぶつけたのか、唇が切れて血がにじんでいた。
 工房の中は、カフェの店内と違って蒸し暑い。しかし、倒れているガントは全く汗をかいていなかった。

「倒れた時、頭は打ちませんでしたか?」

 リサが弟子の青年に問うと、彼は動揺しつつも口を開く。

「前のめりに倒れたので、頭は打っていないかと……お、親方は、だ、だ、大丈夫なんですか?」
「それはわかりませんが、原因として思い当たることはあります。アンジェリカ、ガントさんは最近ちゃんとご飯食べてた?」

 いつになく真剣な顔で聞くリサに気圧けおされたのか、アンジェリカは戸惑いながら答える。

「最近は食欲ないって言って……今日も朝ご飯は食べてない……」
「水は飲んでた?」

 弟子の青年がハッとしたように答えた。

「そういえば、今日はあまり飲んでなかったかも……」
「わかった。じゃあ、ジークくんは砂糖大さじ一と塩小さじ一を溶かした水を作ってきてくれる?ヘレナは氷と水、それにタオルをたくさん用意して!」

 リサがジークとヘレナに言うと、二人はすぐさま工房を出ていった。

「すみませんが、クッションを持ってきてくれませんか? ブランケットを丸めたものでも構いません。ガントさんの足の下に入れて、足を高くしたいんです」

 その言葉に、弟子の青年が素早く動き、工房の隅から毛布を持ってくる。
 リサは彼と一緒に丸めた毛布をガントの足首の下に入れ、足が高くなるようにした。

「リサ……父さん、大丈夫?」

 アンジェリカがガントの顔を不安げに見つめながら、リサの服をギュッと握りしめる。

「出来る限りのことはするから! アンジェリカもしっかり!」
「うん……」

 涙目になりつつも、泣くまいと唇を噛みしめるアンジェリカ。
 そうしているうちに、ヘレナが駆け込んできた。脇にタオルを挟み、両手に氷と水が入った鍋を抱えている。

「リサさん、これ!」
「うん、ありがとう!」

 ヘレナから鍋とタオルを受け取ったリサは、タオルを水にひたし、それを軽く絞る。
 そして、ガントの首筋や脇、太ももの付け根などを濡れタオルでおおっていった。

「そうだ! バジルちゃん、ガントさんに風を送ってくれる?」

 自分の肩に乗っている小さな精霊に向かって、リサが言った。
 緑色の服を着たその精霊はバジルと言い、リサと契約している。緑をつかさどる精霊だが、風の力も少しだけ使えるのだ。

「お安いご用です、マスター!」

 リサの肩から飛び立ったバジルは、ガントの上に浮かんだまま両手を前に出す。すると、その場にそよ風が吹いた。
 この中でバジルの姿が見えているのはリサだけだ。他の人たちは急に風が吹いてきたことに驚き、目をみはった。

「……うっ……」
「父さん!!」

 濡れタオルと風で体を冷やされたからか、ガントが小さくうめきながらも目を開ける。

「ガントさん、わかりますか? お水飲めそうですか?」

 リサの声に、ガントはかすかに頷いた。
 ついさっき工房に戻ってきていたジークから、リサは塩と砂糖を溶かした水を受け取る。
 そしてアンジェリカと弟子にお願いしてガントの体を少し起こしてもらい、彼の口にスプーンで水を流し込んだ。
 それを何度か繰り返し、グラス半分ほど飲ませたところで、アランと医師が入ってきた。
 リサは立ち上がって医師に場所をゆずる。
 その頃になると、ガントも少し話せるまで回復していた。

「この様子なら大丈夫だ。ただ、しっかり水分を取ること。あとは涼しい場所で安静にしていることだな! ガント、無理は禁物だぞ」

 ぶっきらぼうな口調だが、医師は真剣な顔で言った。
 アランが呼んできたのは、道具街の端に小さな診療所を構える医師である。話しぶりからして、ガントとも顔なじみのようだった。
 弟子の青年とジーク、アランの三人によって、ガントは工房よりも涼しい居住スペースへ運ばれていく。
 医師はガントの様子をよく見ているようアンジェリカに伝えると、それを見守っていたリサに視線を移した。

「応急処置の指示を出したのは、あんたか?」
「あ、はい。私は隣のカフェ・おむすびの者です」

 リサが答えると、医師は彼女が着ている制服を見て頷いた。

「おたくに知識があって助かった。ここ数日、同じような患者が後をたないんだよ。診療所もてんやわんやだ」

 はぁとため息をく医師に、リサは苦笑する。

「私の故郷はここよりももっと暑いので、たまたま対処法を知っていただけです。それが今回初めて役に立ちました」

 リサが生まれ育った日本では、毎年夏になると必ず熱中症や日射病で人が倒れ、ニュースになっている。
 リサ自身も小学校の頃に全校集会の途中で倒れたことがあるし、中学や高校の頃には運動部に所属する友人が何人か軽い熱中症にかかっていた。
 誰でも罹りかねない上に、重症になると命にかかわることから、たいていの日本人は症状や対処法について知っている。
 だからリサも、アンジェリカの話を聞いてすぐにぴんときたのだ。

「そうか。この国の人はこれほど暑い夏は経験したことがないから、応急処置の方法も知らないんだ。だから、あんたが知っててよかったよ。そうじゃなかったら、ガントは手遅れになってたかもしれないな」

 医師はそう言って安堵の息を吐く。

「じゃあ、そろそろ行くよ。何かあったらすぐに知らせてくれ!」

 先程、同じ症状の患者が後を絶たないと言っていたから、かなり忙しいのだろう。医師は挨拶あいさつもそこそこに帰っていった。

「リサもみんなも、本当にありがとう」

 アンジェリカが涙ぐみながら、リサたちにお礼を言った。ガントの意識が戻り、医師にも大丈夫と言われたことで、ほっとしたようだ。

「ううん、困った時はお互い様だよ。とにかく今はガントさんについててあげて。あとで食べられそうなものを作って持ってくるから」

 リサはそう言って、アンジェリカの背中を叩く。
 アンジェリカは頷き、ようやく笑みを浮かべた。


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