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第1章 PLAYER1
もう一度、その先へ ④
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店の中に誰かが入ってくる音がした。
「いらっしゃーい」
ギリアンは反射的に声を出す。足音はカウンターまで迷いなく進んできて歩みを止める。馴染みあるその長身の男を見て、彼は気を緩めた。
「何だお前か」
「何だとは、何だよ。俺だって客だぜ」
昔は触れるものは傷つけてしまいそうなギラギラとした雰囲気だったが、今では随分と柔らかくなった。かつて死神とさえ呼ばれた少年も今では立派な探窟家だ。
「今日は休みじゃなかったのかよ」
その男ベンに向かって語りかける。
「休みさ。ただボーッと歩いてたらここに行き着いちまったから寄って見たのさ。いつもの癖かね」
男は頭を掻く。彼がここの常連になるなんてはじめは思いもしなかった。四大カルテルの何処にも属さないこの店に頻繁に出入りするような人間は基本的に早死にだ。特にこの男はとっととくたばるだろうと思っていた。今では一番の常連だ。
「何も持ってきてねえなら。客じゃねえじゃねえか」
笑いながら、揚げ足を取る。
「明日か?」
彼は明日五層を目指してトーヴァの街を出発するらしい。
「ああ、しばらく顔出さないからよ」
彼の目には期待と不安が宿っていた。
「あの小僧達はお前に似て悪運が強そうだ。あいつらなら大丈夫さ」
彼の不安が手に取るようにわかる。ギリアンも仲間に先立たれる悲しみを知らないわけじゃない。かつて、彼も一攫千金を夢見てこの街にやってきた探窟家の一人だった。希望が目の前にぶら下がった時、不安もまた大きくなることも知っている。
「わかってるさ。次会う時はカレーを抜ける完全制覇ルートに俺の名前がついてるはずだぜ。楽しみにしてな」
ベンは不安を振り切るように、見栄を切った。もしかすると彼は誰かに大丈夫だと背中を押してもらいたかったのかも知れない。彼にそんな風に頼られた事を、ギリアンは少し嬉しく思った。
「・・・なあベン、この探窟が終わったら俺の店を手伝わないか。カレーまで行けばあいつらはそれぞれも目的に向かって進む事になるだろうし。お前だって、いつまでも現役でいるわけにはいかないだろう」
ギリアンには後継者もいないし、ベンは目利きは確かだ。前々から考えていたことでもある。
「不吉な事言うなよ。約束事は死神の好物だぜ」
ベンが自虐気味にジョークを飛ばす。
「ああ、そうだな。帰ってきたら話そう」
ベンは本当に特に用事はなかったらしく、それだけ話すと踵を返す。
「またな」
ギリアンは店を出る人間に必ず「またな」と言う事にしている。危険な探窟に出かける命しらずどもに、少しでもこの世への楔を打ち込めることを祈って。
「また来いよ」
今、この店を去ろうとする男には殊更に太くて強い楔を打ち込んでおこうと、彼はもう一度だけ静かに付け足したのだった。
******
アルビシオントンネルには長らく人の踏み入れぬ深淵がある。その深淵に向かって降る人影があった。人影はゆるりとした歩調で歩む。誰も使わない道を深く深く地中に向かって進む様は、まるで地獄に下るがごとくであった。
前方が淡く輝いている。男にはそんな光など必要ないが、常人であれば暗闇に突如現れるその光を救いに思うだろう。だが、その先に待ち構えるものを目にした時、彼らの全てが恐怖に震えるだろうことも想像に難くない。
その化け物は一見すると淡く光る卵形の球体の様に見える。しかしよく見ればそれを構成する要素は様々であるとわかる。地龍の足、ネズミのしっぽ、コウモリの羽、そして人の顔。生き物という生き物を肉団子にして混ぜ合わせた様なその風貌を異様意外に表現するすべはない。球体にはよく見れば瞳の様なものがある。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10。全部で10つある目は球体をぐるりと囲んでいるがそのどれもが閉じられていた。
闇と探窟家達は言う。だが、その実態がこの様な姿をしていると知る者は誰もいないだろう。彼らにとって闇はどこからともなく現れる暗い触手の闇だ。男は闇に躊躇することなく近ずいた。十ある目のうち男に比較的近いもの二つが瞼をあげる。そこに映るものが魂を持った生き物である事を認識すると、男の周りを囲んでいたただの暗闇だと思われた場所から、細い無数の糸からなる毛束の様な触手が一斉に湧き出した。
「驚いた。きちんと生きている」
襲いくる触手を一向に気にすることなく男はつぶやく。触手は男の体を絡め取ろうと四方八方から襲いかかるが、何者すらも絡め取るその毛の一本一本が男に触れることすらできなかった。
「なるほど、動けぬのか。そのために触手をあちこちに飛ばしているのだね」
男が自らが生み出した闇の触手の海を平然とすり抜けてくる事に驚いたのか、闇の閉じていた残りの八つ目が開いた。その一つ一つに知性の様なものが蠢いている事が、この化け物の不気味さをいっそうに引き立てる。
「上で見た時は、あまりに力が弱かったからよもや実態を持っていようとは思わなかったよ」
そう言いながら男は球体を観察する。生き物という生き物を無理やり混ぜ合わせた様なその風貌は、男に恐怖ではなく哀れみを与えた。
「可哀想に魂が足りなかったのだ。それを補おうと洞窟のあちこちで生き物達を捉えては取り込んだ結果がそれか」
ため息をつく。
「低俗な魂をいくら招き入れようと、醜くなっていくばかりさ。もはや、自らが何であるか定義する事もできず、自重で動くことすらままならないではないか」
歌が聞こえる。賛美歌の様な歌。この部屋に入ったときからずっと鳴り響いていた。鼓膜ではなく、頭の中を直接震わせるその音は美しく悲しい。
–––––––––・・・・けて–––––––––
歌に混じって声が聞こえる。少年の声、少女の声。
–––––––––・・・・けて––––––––––––––––––・・・・けて–––––––––––––––––・・・・けて–––––––––
声が5つあり、それぞれがそれぞれに叫んでいた。
「わかっているとも。求めるものには救いを。私は主の使徒なのだから」
声に応じる様に男は球体に歩み寄ると自らの腕をその塊の中に突っ込んだ。声はますます大きくなる。
–––––––––・・・・けて–––––––––––––––––––––––––––・・・・けて––––––––––––––––––たすけて–––––––––くるしい–––––––––––––––––もうイヤだ––––––––––・・・・けて––––––––––––––––––たすけておかあさん–––––––––・・・・けて–––––––––––––––––––––––––––––––––おねがい、たすけて–––––くるしいの––––––––––––––––・・・・けて––––––––––––––––––––––––
それから流れたもう一つの声に驚いて男は手を止めた。
–––––––––・・・・たすけて、カイ・・・––––––––––––––––––
男は手を引き抜くと、その化け物に静かに告げる。
「そうか、これが君の約束か・・・。ならばこれは私の役割ではないのだろう。もう少し待つといい、きっとあの男は現れる。そのために契約まで交わしたのだから」
男は微笑むとともに羽ばたいた。現れたのは大きな輝く白い羽。その姿はまるで天使の様だ。
「私は見届けさせてもらうよ。カイ」
翼が男の体を追おい再び開いたとき、そこに男の姿はなかった。一枚の羽と、悲痛な賛美歌だけが洞窟の地下に取り残された。
「いらっしゃーい」
ギリアンは反射的に声を出す。足音はカウンターまで迷いなく進んできて歩みを止める。馴染みあるその長身の男を見て、彼は気を緩めた。
「何だお前か」
「何だとは、何だよ。俺だって客だぜ」
昔は触れるものは傷つけてしまいそうなギラギラとした雰囲気だったが、今では随分と柔らかくなった。かつて死神とさえ呼ばれた少年も今では立派な探窟家だ。
「今日は休みじゃなかったのかよ」
その男ベンに向かって語りかける。
「休みさ。ただボーッと歩いてたらここに行き着いちまったから寄って見たのさ。いつもの癖かね」
男は頭を掻く。彼がここの常連になるなんてはじめは思いもしなかった。四大カルテルの何処にも属さないこの店に頻繁に出入りするような人間は基本的に早死にだ。特にこの男はとっととくたばるだろうと思っていた。今では一番の常連だ。
「何も持ってきてねえなら。客じゃねえじゃねえか」
笑いながら、揚げ足を取る。
「明日か?」
彼は明日五層を目指してトーヴァの街を出発するらしい。
「ああ、しばらく顔出さないからよ」
彼の目には期待と不安が宿っていた。
「あの小僧達はお前に似て悪運が強そうだ。あいつらなら大丈夫さ」
彼の不安が手に取るようにわかる。ギリアンも仲間に先立たれる悲しみを知らないわけじゃない。かつて、彼も一攫千金を夢見てこの街にやってきた探窟家の一人だった。希望が目の前にぶら下がった時、不安もまた大きくなることも知っている。
「わかってるさ。次会う時はカレーを抜ける完全制覇ルートに俺の名前がついてるはずだぜ。楽しみにしてな」
ベンは不安を振り切るように、見栄を切った。もしかすると彼は誰かに大丈夫だと背中を押してもらいたかったのかも知れない。彼にそんな風に頼られた事を、ギリアンは少し嬉しく思った。
「・・・なあベン、この探窟が終わったら俺の店を手伝わないか。カレーまで行けばあいつらはそれぞれも目的に向かって進む事になるだろうし。お前だって、いつまでも現役でいるわけにはいかないだろう」
ギリアンには後継者もいないし、ベンは目利きは確かだ。前々から考えていたことでもある。
「不吉な事言うなよ。約束事は死神の好物だぜ」
ベンが自虐気味にジョークを飛ばす。
「ああ、そうだな。帰ってきたら話そう」
ベンは本当に特に用事はなかったらしく、それだけ話すと踵を返す。
「またな」
ギリアンは店を出る人間に必ず「またな」と言う事にしている。危険な探窟に出かける命しらずどもに、少しでもこの世への楔を打ち込めることを祈って。
「また来いよ」
今、この店を去ろうとする男には殊更に太くて強い楔を打ち込んでおこうと、彼はもう一度だけ静かに付け足したのだった。
******
アルビシオントンネルには長らく人の踏み入れぬ深淵がある。その深淵に向かって降る人影があった。人影はゆるりとした歩調で歩む。誰も使わない道を深く深く地中に向かって進む様は、まるで地獄に下るがごとくであった。
前方が淡く輝いている。男にはそんな光など必要ないが、常人であれば暗闇に突如現れるその光を救いに思うだろう。だが、その先に待ち構えるものを目にした時、彼らの全てが恐怖に震えるだろうことも想像に難くない。
その化け物は一見すると淡く光る卵形の球体の様に見える。しかしよく見ればそれを構成する要素は様々であるとわかる。地龍の足、ネズミのしっぽ、コウモリの羽、そして人の顔。生き物という生き物を肉団子にして混ぜ合わせた様なその風貌を異様意外に表現するすべはない。球体にはよく見れば瞳の様なものがある。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10。全部で10つある目は球体をぐるりと囲んでいるがそのどれもが閉じられていた。
闇と探窟家達は言う。だが、その実態がこの様な姿をしていると知る者は誰もいないだろう。彼らにとって闇はどこからともなく現れる暗い触手の闇だ。男は闇に躊躇することなく近ずいた。十ある目のうち男に比較的近いもの二つが瞼をあげる。そこに映るものが魂を持った生き物である事を認識すると、男の周りを囲んでいたただの暗闇だと思われた場所から、細い無数の糸からなる毛束の様な触手が一斉に湧き出した。
「驚いた。きちんと生きている」
襲いくる触手を一向に気にすることなく男はつぶやく。触手は男の体を絡め取ろうと四方八方から襲いかかるが、何者すらも絡め取るその毛の一本一本が男に触れることすらできなかった。
「なるほど、動けぬのか。そのために触手をあちこちに飛ばしているのだね」
男が自らが生み出した闇の触手の海を平然とすり抜けてくる事に驚いたのか、闇の閉じていた残りの八つ目が開いた。その一つ一つに知性の様なものが蠢いている事が、この化け物の不気味さをいっそうに引き立てる。
「上で見た時は、あまりに力が弱かったからよもや実態を持っていようとは思わなかったよ」
そう言いながら男は球体を観察する。生き物という生き物を無理やり混ぜ合わせた様なその風貌は、男に恐怖ではなく哀れみを与えた。
「可哀想に魂が足りなかったのだ。それを補おうと洞窟のあちこちで生き物達を捉えては取り込んだ結果がそれか」
ため息をつく。
「低俗な魂をいくら招き入れようと、醜くなっていくばかりさ。もはや、自らが何であるか定義する事もできず、自重で動くことすらままならないではないか」
歌が聞こえる。賛美歌の様な歌。この部屋に入ったときからずっと鳴り響いていた。鼓膜ではなく、頭の中を直接震わせるその音は美しく悲しい。
–––––––––・・・・けて–––––––––
歌に混じって声が聞こえる。少年の声、少女の声。
–––––––––・・・・けて––––––––––––––––––・・・・けて–––––––––––––––––・・・・けて–––––––––
声が5つあり、それぞれがそれぞれに叫んでいた。
「わかっているとも。求めるものには救いを。私は主の使徒なのだから」
声に応じる様に男は球体に歩み寄ると自らの腕をその塊の中に突っ込んだ。声はますます大きくなる。
–––––––––・・・・けて–––––––––––––––––––––––––––・・・・けて––––––––––––––––––たすけて–––––––––くるしい–––––––––––––––––もうイヤだ––––––––––・・・・けて––––––––––––––––––たすけておかあさん–––––––––・・・・けて–––––––––––––––––––––––––––––––––おねがい、たすけて–––––くるしいの––––––––––––––––・・・・けて––––––––––––––––––––––––
それから流れたもう一つの声に驚いて男は手を止めた。
–––––––––・・・・たすけて、カイ・・・––––––––––––––––––
男は手を引き抜くと、その化け物に静かに告げる。
「そうか、これが君の約束か・・・。ならばこれは私の役割ではないのだろう。もう少し待つといい、きっとあの男は現れる。そのために契約まで交わしたのだから」
男は微笑むとともに羽ばたいた。現れたのは大きな輝く白い羽。その姿はまるで天使の様だ。
「私は見届けさせてもらうよ。カイ」
翼が男の体を追おい再び開いたとき、そこに男の姿はなかった。一枚の羽と、悲痛な賛美歌だけが洞窟の地下に取り残された。
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