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第1章 PLAYER1
もう一度、その先へ ③
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聖堂に設置されたステンドグラスから光が室内に降り注ぐ。光は同じ時間に同じ一点を照らすように設計されている。設計者によって最も輝くことを許されたのは、もちろんこの教会の守り神である一体の神々しき者だ。彼は祈りを捧げる信者たちのために設置された椅子の一つにポツンと腰掛けて、光の先で眠る神に到ったと言われる人の姿を見つめていた。
「君も、神々しき者に祈ることがあるとはね」
見知った聖職者が、聖堂に腰掛ける唯一の客を見つけて声をかけてきた。
「まさか、俺がそんなことするわけがないだろう。あんなものを有り難がる人間がなぜいるのかと不思議に思っていただけだ」
「これからどうするつもりだ?」
男の口調はいつも穏やかだ。だが彼にはそれが気に食わない。のうのうとした顔で裏で何をしているかわからないそんな油断ならない人間だ。
「そんなこと知ってどうする?」
「もし行くあてがないのなら改めて私の元で働いてみる気はないかね?」
彼のつれない態度など、御構い無しに聖職者は穏やかな表情を浮かべる。
「この件が終わったら俺を解放してくれる約束だろう?」
男に視線すら向けることなく、淡々と返す。
「もちろん、君が決めることだ。私はただ提案しただけさ。こう見えて、私は君のことを結構気に入っている」
どの口が言うのか、この男はいつも何を考えているのかわからない。
「俺が決めていいなら。もちろん答えはノーだ」
「そうか、残念だよ」
男は本当に残念そうに答える。
「行くあては決まっているのかね?」
「とりあえず北へ、故郷に戻るさ。果たせなかった約束があるんだ。もう、手遅れかもしれないが、でも約束は約束だ」
行き先を告げる義理もないが、言葉がポロリとこぼれてしまったのは全てが終わった後だからだろうか。
「約束か、それでは仕方ないな。引き止めるわけにもいくまい」
「そう言うことだ」
それ以上、男と話す気もなく彼は椅子から腰をあげた。
「行くのかね?」
「ああ」
言葉通り踵を返し背を向ける。
「もしこの先困ったことがあれば、祈るといい。すぐにでも駆けつけよう。私が君のことを気に入っているのは本当さ」
「主に祈ればあんたが助けにきてくれるのかい?」
皮肉な口調で言った。
「もちろんだとも、君が救いを求めるとき私はそこに現れる。何たって私は神の使徒なのだから」
皮肉が通じなかったのか、あるいはこの男も冗談を言うのかどちらとも取れるような声音だった。
「そうかい、じゃあそん時は頼むわ」
適当に返事を返してから扉に向けて歩き出す。
「カイ、その時がきたらまた会おう」
まるで二人が再び会うことがあるかのように告げる男に向かって背中からお座なりに手をふる。もう二度と会うこともないであろう男を残してカイ・カニンガルは教会を後にした。
******
少し肌寒く感じる。すっかり慣れてしまったトーヴァの夕暮れの中をユウキは当てもなく歩いていた。
「ユウキじゃないか。偶然だな。何をしてるんだ」
見知った顔と出くわす。
「特に何も、もうこの街も見納めかもしれないと思ってね。そっちは?」
銀髪のデミ、イッポリートに尋ね返す。
「色々と買い物とかな。女の子は色々と入りようなのさ」
「女の子ね」
含みを持たせるが、もちろん冗談だ。背が高く凛としたハスキーな声をしている能のとは裏腹に、彼女は立派に乙凸のある女性的なシルエットをしている。
「女の子だ、私も」
冗談とわかった上で膨れてみせる。はじめの頃に比べれば随分と打ち解けたものだ。
「今日はこれで終わり?」
「そのつもり、もう夕暮れみたいだし」
「じゃあ、一緒に食事でもどうだ」
イッポリートの申し出をユウキは快く受けた。
******
「では、ごゆっくり」
注文した料理を一通り並べた給仕が笑顔で一礼をすると下がった。彼女の頭には猫のような耳がある。
「やっぱり、デミは苦手か?」
そんなユウキの視線を追ってイッポリートがからかうように尋ねる。ここはデミの経営する店だ。客も給仕もほとんどがデミで、ユウキは店に入った時から借りてきた猫のようにおとなしい。イッポリートにはそんな彼の様子がおかしかった。
「別にそんなんじゃないさ、なんて言うかちょっとだけアウェーな感じだ」
店の雰囲気は独特のものがある。店の壁面には動物の頭骨や、不思議な仮面、タペストリーなどが飾られている。その柄や色使いはユウキには馴染みのない独特のものだった。
「はははは、私はいつもお前たちに囲まれてアウエーなんだたまにはユウキにも同じ体験をしてもらわないとな」
イッポリートは声を上げて笑った。
「とりあえず食べよう。こんなものですまないが。なんたってこの体はベジタリアンでね」
並べられた料理は一見するとそうは見えないが、確かに肉肉しいものは入っていないように思える。
「なんとなくそうじゃないかと思ったよ」
ユウキは彼女のウサギのような耳を見ながら言う。デミには色々な種類のものがいる。耳の長いもの、鋭い牙や爪を持つもの、ツノがあるものの。見た目の特徴は、食事の嗜好にも現れるのだろうか。
「いや、この耳は関係ないぞ。私の外見は確かに草食獣のそれと似ているが、これは個人の嗜好だ。デミの外見は確かに色々だが、それによって食事の好みが変わったりはせん。どちらかといえば生まれの問題だ」
先回りするように答えながら、ユウキの視線を受けて照れ臭そうに自らの長い耳を撫でた。
「生まれ? 出身で好みが分かれるのか?」
取り皿に料理をよそいながら尋ねる。
「そうだな。森や自然の中で暮らすデミは基本的に肉は食べない。都市で暮らすものたちはその限りではないがな」
イッポリートの声が心なしか沈んだ気がした。
「イッポリートはじゃあ、森の出身なのか?」
「私は・・・」
彼女はそこで一旦言葉を切る。
「・・・どっちなのだろうな」
結局出てきたのは曖昧な表現だ。
「そうか・・・」
なんとなくそれ以上踏み込んではいけない気がしてユウキはそこで会話を止める。彼女は何の為にアルビシオントンネルを抜けようとしているのだろうか。お互いの事情は詮索しない、それがなんとなく暗黙の了解のようになっていた。
「・・・」「・・・」
しばらくカチャカチャと二人が食事をする音だけが静かに流れた。
「・・・君は都市で暮らすデミを、見かけたことがあると言っていたな」
沈黙を破ったのはイッポリートだ。
「ああ、俺の通っていた学院でも、清掃にデミを雇っていたよ」
「人里でくらすデミのほとんどは、罪人やその子孫だ。禁忌を破りコミュニティーを追われたもの。そして人間の社会の中に入っても、彼らは常に社会の最底辺だ。君が見かけるデミ達もきっとみすぼらしい格好をしていたのではないか?」
「まあ確かに、イッポリートとは色々正反対だな。正直、デミってのはそういう生き物なんだと思ってたよ」
ユウキはドームにいたデミを思い浮かべた。あのデミは、イッポリートと比べて体格も悪く、身なりも粗末だった。汚いローブからは獣のような体臭が漂っていて決して衛生的な生活を送っているとは思えなかった。きちんと身なりを整え、むしろ普段はいい匂いすら漂わせているイッポリートを知った今なら、あれが彼らの典型的な姿というわけではないというのはわかる。
「そう思うのも無理もない。彼らは貧しさに慣れてしまっている。生きるのに精一杯なのさ。それは決して生活だけの話じゃない。心もだ。卑屈で誇りを持たない。いや、持てないんだ。彼らは誇り高く生きるという事を知らずに育った」
イッポリートの話をユウキは静かに聞いていた。
「私は彼らの生き方が嫌いだ」
彼女は静かにだがはっきりと言い切る。
「デミは誇り高い生き物だ。もっと誇り高く生きるべきなのさ。・・・だが、そう生きることができないのが彼らのせいでない事もまた知っている」
ユウキにも心が痛い話だった。本来のコミュニティーを追われ、行き着いた人間の社会の元でも見下されて生きている。ユウキもデミを当然のごとく下に見ていた。人より劣ったもの、不衛生で誇りを持たない生き物だと。そうある事を強要されてきた彼らが誇り高く生きれようか。
「・・・それはなんというか・・・」
「はははは、君が気に病むことはないさ」
言葉を探すユウキをフォローする。
「ただ・・・」
彼女は言葉を続ける。
「私はそんな彼らに誇りを取り戻したいんだ。できることなら、もう一度コミュニティーに帰したい。彼らの祖先は確かに罪を犯してコミュニティーを追われた。しかし、子であり孫でありそのまた子孫である彼らが、その罪を引き継がねばならん道理はあるまい。そのために私はカレーを目指すのだ」
なぜそれがカレーを目指すことにつながるのか、それを問う資格はユウキにはなかった。
「ユウキ、君に聞いておきたいことがある」
イッポリートは突然、いや話があったからこそ食事に誘ったのだろう、ふっと息をついたあと意を決したように切り出した。
「君はもしかすると教会の人間なんじゃないか?」
「えっ・・・」
突然の問いに戸惑う。それはどう言う意味であろうか。正教会の教徒であると言っているのだろうか、あるいはこの世界の外から・・・。
「答えなくて構わない。君には君の事情があるのだろう」
「ごめん」
「ふふっ、いいさ。君が悪い人間ではないと知っている。今はそれだけ知っていれば十分さ。そしてだからこそ君に小さなお願いがある」
そういって表情を少し崩す。
「ンイェイズゥーナ・ディ・ハットゥシャ」
「え?」
彼女が突然呟いてユウキは問い直す。
「私の本来の名前だ」
本来の名前ということは、イッポリートというのは偽名なのだろうか。様々な疑問がユウキの中を飛び交うがその言葉を全て飲み込む。
「君には君の事情があるだろう。だが、私にも私の事情がある。これは私の事情だ。もし叶うのならば君に私の名前を覚えておいて欲しい。ンイェイズゥーナ・ディ・ハットゥシャ。それが私のもう一つの名だ。それを君に伝えておくことは、私にとってとても意味がある」
何かの冗談かと思ったが、彼女の表情は真剣そのものだった。
「んイぇイズゥーな・でィ・はットゥシゃ・・・」
たどたどし発音で繰り返す。事情を聞こうとは思わない。ユウキだってほとんどの事情を彼女やベンに明かしてはいない。互いの事情を知る必要などないのだろう。だがこの先もそうとは限らない。彼女はきっとそう思っているのだ。
「ああ」
「わかった。覚えておくよ」
ユウキは彼女のささやかな願いを聞き入れる。その返事を聞いて美しいデミは満足そうに微笑む。その後明日の話などをして食事を終える頃には、ンイェイズゥーナと名乗った女性は探窟家のイッポリートの顔へと戻っていた。
「君も、神々しき者に祈ることがあるとはね」
見知った聖職者が、聖堂に腰掛ける唯一の客を見つけて声をかけてきた。
「まさか、俺がそんなことするわけがないだろう。あんなものを有り難がる人間がなぜいるのかと不思議に思っていただけだ」
「これからどうするつもりだ?」
男の口調はいつも穏やかだ。だが彼にはそれが気に食わない。のうのうとした顔で裏で何をしているかわからないそんな油断ならない人間だ。
「そんなこと知ってどうする?」
「もし行くあてがないのなら改めて私の元で働いてみる気はないかね?」
彼のつれない態度など、御構い無しに聖職者は穏やかな表情を浮かべる。
「この件が終わったら俺を解放してくれる約束だろう?」
男に視線すら向けることなく、淡々と返す。
「もちろん、君が決めることだ。私はただ提案しただけさ。こう見えて、私は君のことを結構気に入っている」
どの口が言うのか、この男はいつも何を考えているのかわからない。
「俺が決めていいなら。もちろん答えはノーだ」
「そうか、残念だよ」
男は本当に残念そうに答える。
「行くあては決まっているのかね?」
「とりあえず北へ、故郷に戻るさ。果たせなかった約束があるんだ。もう、手遅れかもしれないが、でも約束は約束だ」
行き先を告げる義理もないが、言葉がポロリとこぼれてしまったのは全てが終わった後だからだろうか。
「約束か、それでは仕方ないな。引き止めるわけにもいくまい」
「そう言うことだ」
それ以上、男と話す気もなく彼は椅子から腰をあげた。
「行くのかね?」
「ああ」
言葉通り踵を返し背を向ける。
「もしこの先困ったことがあれば、祈るといい。すぐにでも駆けつけよう。私が君のことを気に入っているのは本当さ」
「主に祈ればあんたが助けにきてくれるのかい?」
皮肉な口調で言った。
「もちろんだとも、君が救いを求めるとき私はそこに現れる。何たって私は神の使徒なのだから」
皮肉が通じなかったのか、あるいはこの男も冗談を言うのかどちらとも取れるような声音だった。
「そうかい、じゃあそん時は頼むわ」
適当に返事を返してから扉に向けて歩き出す。
「カイ、その時がきたらまた会おう」
まるで二人が再び会うことがあるかのように告げる男に向かって背中からお座なりに手をふる。もう二度と会うこともないであろう男を残してカイ・カニンガルは教会を後にした。
******
少し肌寒く感じる。すっかり慣れてしまったトーヴァの夕暮れの中をユウキは当てもなく歩いていた。
「ユウキじゃないか。偶然だな。何をしてるんだ」
見知った顔と出くわす。
「特に何も、もうこの街も見納めかもしれないと思ってね。そっちは?」
銀髪のデミ、イッポリートに尋ね返す。
「色々と買い物とかな。女の子は色々と入りようなのさ」
「女の子ね」
含みを持たせるが、もちろん冗談だ。背が高く凛としたハスキーな声をしている能のとは裏腹に、彼女は立派に乙凸のある女性的なシルエットをしている。
「女の子だ、私も」
冗談とわかった上で膨れてみせる。はじめの頃に比べれば随分と打ち解けたものだ。
「今日はこれで終わり?」
「そのつもり、もう夕暮れみたいだし」
「じゃあ、一緒に食事でもどうだ」
イッポリートの申し出をユウキは快く受けた。
******
「では、ごゆっくり」
注文した料理を一通り並べた給仕が笑顔で一礼をすると下がった。彼女の頭には猫のような耳がある。
「やっぱり、デミは苦手か?」
そんなユウキの視線を追ってイッポリートがからかうように尋ねる。ここはデミの経営する店だ。客も給仕もほとんどがデミで、ユウキは店に入った時から借りてきた猫のようにおとなしい。イッポリートにはそんな彼の様子がおかしかった。
「別にそんなんじゃないさ、なんて言うかちょっとだけアウェーな感じだ」
店の雰囲気は独特のものがある。店の壁面には動物の頭骨や、不思議な仮面、タペストリーなどが飾られている。その柄や色使いはユウキには馴染みのない独特のものだった。
「はははは、私はいつもお前たちに囲まれてアウエーなんだたまにはユウキにも同じ体験をしてもらわないとな」
イッポリートは声を上げて笑った。
「とりあえず食べよう。こんなものですまないが。なんたってこの体はベジタリアンでね」
並べられた料理は一見するとそうは見えないが、確かに肉肉しいものは入っていないように思える。
「なんとなくそうじゃないかと思ったよ」
ユウキは彼女のウサギのような耳を見ながら言う。デミには色々な種類のものがいる。耳の長いもの、鋭い牙や爪を持つもの、ツノがあるものの。見た目の特徴は、食事の嗜好にも現れるのだろうか。
「いや、この耳は関係ないぞ。私の外見は確かに草食獣のそれと似ているが、これは個人の嗜好だ。デミの外見は確かに色々だが、それによって食事の好みが変わったりはせん。どちらかといえば生まれの問題だ」
先回りするように答えながら、ユウキの視線を受けて照れ臭そうに自らの長い耳を撫でた。
「生まれ? 出身で好みが分かれるのか?」
取り皿に料理をよそいながら尋ねる。
「そうだな。森や自然の中で暮らすデミは基本的に肉は食べない。都市で暮らすものたちはその限りではないがな」
イッポリートの声が心なしか沈んだ気がした。
「イッポリートはじゃあ、森の出身なのか?」
「私は・・・」
彼女はそこで一旦言葉を切る。
「・・・どっちなのだろうな」
結局出てきたのは曖昧な表現だ。
「そうか・・・」
なんとなくそれ以上踏み込んではいけない気がしてユウキはそこで会話を止める。彼女は何の為にアルビシオントンネルを抜けようとしているのだろうか。お互いの事情は詮索しない、それがなんとなく暗黙の了解のようになっていた。
「・・・」「・・・」
しばらくカチャカチャと二人が食事をする音だけが静かに流れた。
「・・・君は都市で暮らすデミを、見かけたことがあると言っていたな」
沈黙を破ったのはイッポリートだ。
「ああ、俺の通っていた学院でも、清掃にデミを雇っていたよ」
「人里でくらすデミのほとんどは、罪人やその子孫だ。禁忌を破りコミュニティーを追われたもの。そして人間の社会の中に入っても、彼らは常に社会の最底辺だ。君が見かけるデミ達もきっとみすぼらしい格好をしていたのではないか?」
「まあ確かに、イッポリートとは色々正反対だな。正直、デミってのはそういう生き物なんだと思ってたよ」
ユウキはドームにいたデミを思い浮かべた。あのデミは、イッポリートと比べて体格も悪く、身なりも粗末だった。汚いローブからは獣のような体臭が漂っていて決して衛生的な生活を送っているとは思えなかった。きちんと身なりを整え、むしろ普段はいい匂いすら漂わせているイッポリートを知った今なら、あれが彼らの典型的な姿というわけではないというのはわかる。
「そう思うのも無理もない。彼らは貧しさに慣れてしまっている。生きるのに精一杯なのさ。それは決して生活だけの話じゃない。心もだ。卑屈で誇りを持たない。いや、持てないんだ。彼らは誇り高く生きるという事を知らずに育った」
イッポリートの話をユウキは静かに聞いていた。
「私は彼らの生き方が嫌いだ」
彼女は静かにだがはっきりと言い切る。
「デミは誇り高い生き物だ。もっと誇り高く生きるべきなのさ。・・・だが、そう生きることができないのが彼らのせいでない事もまた知っている」
ユウキにも心が痛い話だった。本来のコミュニティーを追われ、行き着いた人間の社会の元でも見下されて生きている。ユウキもデミを当然のごとく下に見ていた。人より劣ったもの、不衛生で誇りを持たない生き物だと。そうある事を強要されてきた彼らが誇り高く生きれようか。
「・・・それはなんというか・・・」
「はははは、君が気に病むことはないさ」
言葉を探すユウキをフォローする。
「ただ・・・」
彼女は言葉を続ける。
「私はそんな彼らに誇りを取り戻したいんだ。できることなら、もう一度コミュニティーに帰したい。彼らの祖先は確かに罪を犯してコミュニティーを追われた。しかし、子であり孫でありそのまた子孫である彼らが、その罪を引き継がねばならん道理はあるまい。そのために私はカレーを目指すのだ」
なぜそれがカレーを目指すことにつながるのか、それを問う資格はユウキにはなかった。
「ユウキ、君に聞いておきたいことがある」
イッポリートは突然、いや話があったからこそ食事に誘ったのだろう、ふっと息をついたあと意を決したように切り出した。
「君はもしかすると教会の人間なんじゃないか?」
「えっ・・・」
突然の問いに戸惑う。それはどう言う意味であろうか。正教会の教徒であると言っているのだろうか、あるいはこの世界の外から・・・。
「答えなくて構わない。君には君の事情があるのだろう」
「ごめん」
「ふふっ、いいさ。君が悪い人間ではないと知っている。今はそれだけ知っていれば十分さ。そしてだからこそ君に小さなお願いがある」
そういって表情を少し崩す。
「ンイェイズゥーナ・ディ・ハットゥシャ」
「え?」
彼女が突然呟いてユウキは問い直す。
「私の本来の名前だ」
本来の名前ということは、イッポリートというのは偽名なのだろうか。様々な疑問がユウキの中を飛び交うがその言葉を全て飲み込む。
「君には君の事情があるだろう。だが、私にも私の事情がある。これは私の事情だ。もし叶うのならば君に私の名前を覚えておいて欲しい。ンイェイズゥーナ・ディ・ハットゥシャ。それが私のもう一つの名だ。それを君に伝えておくことは、私にとってとても意味がある」
何かの冗談かと思ったが、彼女の表情は真剣そのものだった。
「んイぇイズゥーな・でィ・はットゥシゃ・・・」
たどたどし発音で繰り返す。事情を聞こうとは思わない。ユウキだってほとんどの事情を彼女やベンに明かしてはいない。互いの事情を知る必要などないのだろう。だがこの先もそうとは限らない。彼女はきっとそう思っているのだ。
「ああ」
「わかった。覚えておくよ」
ユウキは彼女のささやかな願いを聞き入れる。その返事を聞いて美しいデミは満足そうに微笑む。その後明日の話などをして食事を終える頃には、ンイェイズゥーナと名乗った女性は探窟家のイッポリートの顔へと戻っていた。
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