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第1章 PLAYER1
あの日見たもの ②
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「くそっ」
吠えたのはブルックリンだった。
「チャドは?」
アリスターが尋ねる。
「わからない。俺たちの後ろを走っていたはずだけど・・・」
ベンの声には力がない。ビニーに至っては茫然自虐としている。無理もない、マドック、ニックス、チャド、さっきまで笑いあっていたはずの仲間が一気に3人もいなくなったのだ。
「どうするつもりだ?」
いつまでもこうしているわけにはいかない。後ろからはいつアイツが襲ってくるかわからないのだ。進むか、戻るか、決めるのはアリスターだった。
「進むしかない。戻れば、アイツと鉢合わせる」
「今どこにいるかわかるのか?」
兎にも角にも必死に逃げ回ったせいで、ベンは方向感覚を失っていた。
「大体だがな、この辺は迷路の様に入り組んでいる様に見えるが、実はかなり法則性を持って作られてる」
「そうはいっても、それはあんたと学者先生の仮説だろう? この先が予想通りになってる保証なんて・・・」
口を挟んだはブルックリンだ。
「だとしても、今引き返せばアレに飲み込まれるだけだ。マドックを信じて進むしかない」
皆の脳裏に、ついさっきまで笑っていた男の姿が浮かんで、小さな沈黙が通り抜ける。
「クソっ、クソ、クソっ。後少しってところでくたばりやがってあの馬鹿野郎ども」
ブルックリンが怒りに任せて石やらなんやらを蹴り飛ばす。
「でも、なんでアイツがこんなところに」
ビニーの疑問も最もだった。四層の東で目撃されたのは三日前だ。頻繁に移動を繰り返すものではない。移動スピードも速いとは言えないし、突然現れては丸一日じっと動かない事すらある。こことの距離を考えれば出くわしようがなかった。
「わからないが、俺たちはアレについてほとんど何も知らないんだ。気づいたらどんどんと萎んでいって、別の場所突然現れたなんて目撃証言もあるんだ。何があっても不思議じゃないさ」
四層を主な活動の拠点とする探窟家にとってアレは死そのものでもあった。アレが這いずった後には、何も残らない。動物も植物も人も、すべてあの闇の中に帰っていく。
「なんにせよ今考えても仕方ないだろ。大事なのはこれからどうするかだ」
この入り組んだ狭い道でも、あのスポンジの様な伸縮する体なら容易に通り抜けられるだろう。
「ベンの言う通りだ。とにかく進むぞ。一つのところに止まるのは危険だ」
それからの行程は午前中までが嘘の様にしんみりとして辛いものになった。いつ襲ってくるかわからない闇に怯えながら全方位に気を張って、仲間の死を痛む間も無く歩き続けるのは、いかに仲間と別れ慣れたベンですら気が滅入った。
当初予定していた大きな側幹を避け、迷路の様に入り組む道を、右に左に蛇行しながら進んだ。どのぐらい歩いただろうか、道幅は徐々に大きくなっていき、ついに眼下に巨大な空間が現れた。直径30mほどの円が4分の1ほど地面に沈んだような切り口で、それが円筒の様に伸びている。ベンたちが見下ろすのは間違いなく、5層の幹線だ。
「やったぞ」
この瞬間ばかりは、皆の目に光が戻った。喜びを押し殺した小さな歓喜。そして、それは小さな油断でもあった。
違和感があった。今抜けようとする道の天井、側面、地面その全てに。気づいたのはベンだけだった。観察眼と感の良さ、それがあの無謀な探索を続けていた少年を生かして続けた能力であったし、アリスターのチームでも仲間の危機を幾度も救ってきた彼の才覚であった。
「待て!」
ベンのあげた声は仲間の耳に届くのに十分大きかったが、眼前にぶら下げられた5層の誘惑を断ち切るには不十分だった。彼らが踏み入れた5層へと続く最後の道。それを覆う天井も壁も、床も、その黒々とした道は全てソレに満たされていたのだ。
闇が滲み出てくる様だった。いや実際に、影と言う影から染み出すことがソレの特性の一部なのかもしれない。先頭をいくブルックリンは一瞬で闇に飲まれた。闇は鋭かった、いや本当は鈍かったのかもしれない。ただニックスを絡めっとったときと違って、ソレは道に入ってきた全てを咥え込んだから、ビニーとアリスターの体はちぎれたのだ。
ベンの声にかろうじて反応したアリスターは足一本ですんだ。だが、足が体と完全に離れなかったがために、今度は闇に囚われた足を伝って毛束の様な触手がするりするりと上半身まで伸びてくる。その触手は少しずつアリスターの体を自分のいる闇の中へとひきづり込んでいく。
対照的なのはビニーだった。体の下三分の一を完全に引きちぎられ、上半身が無残に中をまった。そして三メートルほど後方にいたベンの眼前にドチャリと着地する。
茫然とするベンに闇は襲いかからなかった。いや、襲い掛かれなかったのかもしれない。アレは滲み出てきたのだ。その総量を考えれば大半はまだ道に埋まっている。突然現れては、じっと動かないことがある。それはきっとこう言うことなのだ。あのおおよそ個体とは言い難き振る舞いをしたのなら、しばらくその実態を取り戻すのに時間がかかるのかもしれない。
「・・・おい、アリスター。どうすれば・・・」
どうすればいいかはわかっていた。それでもアリスターにすがる様に尋ねる。それは彼の悲痛な叫びだった。死神だった彼はこんなとき、そうすることに迷いなどなかっただろう。だが、彼はもう死神ではなかった。足が動かなかった。その化け物が怖かったからじゃない、また一人になるのが怖かった。
「ベン、ビニーを、せめてビニーを連れて帰ってやってくれ。俺やお前と違ってビニーにはトーヴァで帰りを待っている奴がいるんだ。知ってるだろ?」
ビニーは確かにまだ息をしていた。だけど、そうなった彼女を連れて帰ることにどれほどの意味があるだろうか。だが、ベンは混乱の中にいる。ビニーの状態を冷静に判断できてはいない。アリスターはだからこそ命令した。ベンを動かすには、理由が必要だった。ビニーを連れて帰るという理由が。さもなければ彼は、こちらに飛び込んできかねない顔をしていた。
「いけ」
アリスターは自分の首に下がっていたそれをベンに向かって投げつける。金属が硬いものに当たる音がして、アリスターのタグがベンの足元に着地した
「いけ、ベン!命令だ。探窟家はリーダーの指示に従うもんだろ。ビニーを助けるんだベン」
その言葉に後押しされる様に、タグを拾うとベンはビニーを担ぐ。三分の一になった彼女の体は悲しいほど軽かった。
「ベン! 振り返るな。いけ! いけ! いけ・・・、い・・・」
進むほどに背中で聞こえるアリスターの声が小さくなる。それは、二人の距離が離れていくからだろうか。それともベンを導いてきた、アリスター・ピットマンという人間の灯火が小さくなっていくからだろうか。
ベンは迷いながらも、来た道をひたすらに戻った。昼に休んだ岩陰、昨日ビバークをした野営地。行きがけにこんな結末を誰が予想したであろうか。ベンは、休みもせずにひたすら歩いた。ビニーには一刻の猶予もないことは明らかだった。彼は一人になりたくなかった。せめて彼女だけでも救いたかった。それだけが、彼の原動力となり三日間ひたすらに歩き続けた。
******
「・・・三日目の夜にベースキャンプに着いたよ」
ベンの語りに引き込まれる様にユウキ達は耳を傾けていた。
「・・・ビニーさんは・・・」
遠慮がちにサトリが尋ねる。
「着いた頃には、冷たくなってたね。というより、彼女がいつまで俺の背中で息をしていたのかすらわからない。案外、あの場所を後にしてすぐにくたばっちまってたのかもな。ただ、途中でそれに気づいちまったら俺はきっとベースキャンプまで戻れなかっただろうな。まだ生きていると信じなければ、足が動かなかった」
アリスターの、マドックの、チャドの、ニックスの、ブルックリンの、ビニーの、みんながいないトーヴァの街に帰る意味なんてなかった。アリスターにはそれがわかっていたから、もう助かりようのない姿のビニーをベンに背負わせたのかもしれない。
「あの日あった事をきちんと話すのは、お前達が初めてだ。というより、アリスター達がいなくなっちまえば、俺に話し相手なんていなかったんだがな」
暗い空気を吹き飛ばすかの様に冗談を飛ばす。
「なぜ話してくれたんだ」
イッポリートが尋ねる。ベンは意味ありげに肩をすくめてから言う。
「これから4層に挑むお前たちへのはなむけかな」
「けどさ、アレってのは結局なんなんだよ。ベンの話だと捉えようがない何かに思えるぞ。あの地龍ですら、実態のある怪物って感じだったのに」
ユウキたちのみた地龍も怪物と呼ぶにふさわしい生き物だった。ただベンの話から伝わるそれは、生き物であるかすら疑わしい。
「実際に、アレが何か近くで見ても一向にわからなかったんだよ。ただ、地龍の様な実態のある化け物じゃない。もっとこう、概念的な、観念的な何かに思えたよ。それこそ闇や影と形容することがピッタリとくる様な。探窟家たちは口ぐに言ってるよ。まるで伝え聞く太古の支配者の様だって。そう、アレはまるで、」
「旧神か」
ベンの言葉を引き継ぐ様に呟いたのはイッポリートだ。ベンは肯定する様に頷く。
「実際どうなのかはわかんないがな。太古の神に思えるほどあいつがヤバイてことは確かだ」
「だ、大丈夫なんでしょうか。そんな何かわからないものが蠢く中を探索するなんて、ベンさんだっていなくなるのに」
サトリが悲観する。無理もない。今までだってベンに頼りっきりだったのだ。これから実態のない化け物に怯えながら、四層を歩き回るなってぞっとする。
「まあ、しかし私たちだけでやるしかないだろう」
イッポリートが覚悟を決めうる様に言った。
「俺の話を聞いても、まだカレーを目指すつもりか?」
ベンは呆れた様にユウキたち3人の顔を見た。
「ああ、もちろんだ」
ユウキが力強く答える。ベンはその言葉を聞いて、ニヤリと笑う。
「そう言うと思ったさ。だから話したんだ」
ベンの言葉の意味を理解しかねたユウキたちは彼の顔を覗き込む。
「どう言う意味だ?」
イッポリートが代表して尋ねた。
「お前たちはちゃんと話を聞いてなかったのか? 俺は昔話をしたかったんじゃない。今後のために話したんだよ」
それから一人一人を見渡してから力強く口にする。
「あの日俺たちは確かに見たんだ。五層への入り口を。俺はまだ、アリスターたちと見た夢を叶えちゃいない。お前たちと過ごす中で、俺の中に燻っていたものがまた燃えだしたんだよ。俺はあの先を見て見たいんだ」
その言葉は、その場にいた全員に歓喜を持って迎えられる。
「俺も潜るぞ、四層に」
あの日見たもの、それは大きな絶望。そして、確かに手が届きかけた夢、すなわち小さな希望だ。
吠えたのはブルックリンだった。
「チャドは?」
アリスターが尋ねる。
「わからない。俺たちの後ろを走っていたはずだけど・・・」
ベンの声には力がない。ビニーに至っては茫然自虐としている。無理もない、マドック、ニックス、チャド、さっきまで笑いあっていたはずの仲間が一気に3人もいなくなったのだ。
「どうするつもりだ?」
いつまでもこうしているわけにはいかない。後ろからはいつアイツが襲ってくるかわからないのだ。進むか、戻るか、決めるのはアリスターだった。
「進むしかない。戻れば、アイツと鉢合わせる」
「今どこにいるかわかるのか?」
兎にも角にも必死に逃げ回ったせいで、ベンは方向感覚を失っていた。
「大体だがな、この辺は迷路の様に入り組んでいる様に見えるが、実はかなり法則性を持って作られてる」
「そうはいっても、それはあんたと学者先生の仮説だろう? この先が予想通りになってる保証なんて・・・」
口を挟んだはブルックリンだ。
「だとしても、今引き返せばアレに飲み込まれるだけだ。マドックを信じて進むしかない」
皆の脳裏に、ついさっきまで笑っていた男の姿が浮かんで、小さな沈黙が通り抜ける。
「クソっ、クソ、クソっ。後少しってところでくたばりやがってあの馬鹿野郎ども」
ブルックリンが怒りに任せて石やらなんやらを蹴り飛ばす。
「でも、なんでアイツがこんなところに」
ビニーの疑問も最もだった。四層の東で目撃されたのは三日前だ。頻繁に移動を繰り返すものではない。移動スピードも速いとは言えないし、突然現れては丸一日じっと動かない事すらある。こことの距離を考えれば出くわしようがなかった。
「わからないが、俺たちはアレについてほとんど何も知らないんだ。気づいたらどんどんと萎んでいって、別の場所突然現れたなんて目撃証言もあるんだ。何があっても不思議じゃないさ」
四層を主な活動の拠点とする探窟家にとってアレは死そのものでもあった。アレが這いずった後には、何も残らない。動物も植物も人も、すべてあの闇の中に帰っていく。
「なんにせよ今考えても仕方ないだろ。大事なのはこれからどうするかだ」
この入り組んだ狭い道でも、あのスポンジの様な伸縮する体なら容易に通り抜けられるだろう。
「ベンの言う通りだ。とにかく進むぞ。一つのところに止まるのは危険だ」
それからの行程は午前中までが嘘の様にしんみりとして辛いものになった。いつ襲ってくるかわからない闇に怯えながら全方位に気を張って、仲間の死を痛む間も無く歩き続けるのは、いかに仲間と別れ慣れたベンですら気が滅入った。
当初予定していた大きな側幹を避け、迷路の様に入り組む道を、右に左に蛇行しながら進んだ。どのぐらい歩いただろうか、道幅は徐々に大きくなっていき、ついに眼下に巨大な空間が現れた。直径30mほどの円が4分の1ほど地面に沈んだような切り口で、それが円筒の様に伸びている。ベンたちが見下ろすのは間違いなく、5層の幹線だ。
「やったぞ」
この瞬間ばかりは、皆の目に光が戻った。喜びを押し殺した小さな歓喜。そして、それは小さな油断でもあった。
違和感があった。今抜けようとする道の天井、側面、地面その全てに。気づいたのはベンだけだった。観察眼と感の良さ、それがあの無謀な探索を続けていた少年を生かして続けた能力であったし、アリスターのチームでも仲間の危機を幾度も救ってきた彼の才覚であった。
「待て!」
ベンのあげた声は仲間の耳に届くのに十分大きかったが、眼前にぶら下げられた5層の誘惑を断ち切るには不十分だった。彼らが踏み入れた5層へと続く最後の道。それを覆う天井も壁も、床も、その黒々とした道は全てソレに満たされていたのだ。
闇が滲み出てくる様だった。いや実際に、影と言う影から染み出すことがソレの特性の一部なのかもしれない。先頭をいくブルックリンは一瞬で闇に飲まれた。闇は鋭かった、いや本当は鈍かったのかもしれない。ただニックスを絡めっとったときと違って、ソレは道に入ってきた全てを咥え込んだから、ビニーとアリスターの体はちぎれたのだ。
ベンの声にかろうじて反応したアリスターは足一本ですんだ。だが、足が体と完全に離れなかったがために、今度は闇に囚われた足を伝って毛束の様な触手がするりするりと上半身まで伸びてくる。その触手は少しずつアリスターの体を自分のいる闇の中へとひきづり込んでいく。
対照的なのはビニーだった。体の下三分の一を完全に引きちぎられ、上半身が無残に中をまった。そして三メートルほど後方にいたベンの眼前にドチャリと着地する。
茫然とするベンに闇は襲いかからなかった。いや、襲い掛かれなかったのかもしれない。アレは滲み出てきたのだ。その総量を考えれば大半はまだ道に埋まっている。突然現れては、じっと動かないことがある。それはきっとこう言うことなのだ。あのおおよそ個体とは言い難き振る舞いをしたのなら、しばらくその実態を取り戻すのに時間がかかるのかもしれない。
「・・・おい、アリスター。どうすれば・・・」
どうすればいいかはわかっていた。それでもアリスターにすがる様に尋ねる。それは彼の悲痛な叫びだった。死神だった彼はこんなとき、そうすることに迷いなどなかっただろう。だが、彼はもう死神ではなかった。足が動かなかった。その化け物が怖かったからじゃない、また一人になるのが怖かった。
「ベン、ビニーを、せめてビニーを連れて帰ってやってくれ。俺やお前と違ってビニーにはトーヴァで帰りを待っている奴がいるんだ。知ってるだろ?」
ビニーは確かにまだ息をしていた。だけど、そうなった彼女を連れて帰ることにどれほどの意味があるだろうか。だが、ベンは混乱の中にいる。ビニーの状態を冷静に判断できてはいない。アリスターはだからこそ命令した。ベンを動かすには、理由が必要だった。ビニーを連れて帰るという理由が。さもなければ彼は、こちらに飛び込んできかねない顔をしていた。
「いけ」
アリスターは自分の首に下がっていたそれをベンに向かって投げつける。金属が硬いものに当たる音がして、アリスターのタグがベンの足元に着地した
「いけ、ベン!命令だ。探窟家はリーダーの指示に従うもんだろ。ビニーを助けるんだベン」
その言葉に後押しされる様に、タグを拾うとベンはビニーを担ぐ。三分の一になった彼女の体は悲しいほど軽かった。
「ベン! 振り返るな。いけ! いけ! いけ・・・、い・・・」
進むほどに背中で聞こえるアリスターの声が小さくなる。それは、二人の距離が離れていくからだろうか。それともベンを導いてきた、アリスター・ピットマンという人間の灯火が小さくなっていくからだろうか。
ベンは迷いながらも、来た道をひたすらに戻った。昼に休んだ岩陰、昨日ビバークをした野営地。行きがけにこんな結末を誰が予想したであろうか。ベンは、休みもせずにひたすら歩いた。ビニーには一刻の猶予もないことは明らかだった。彼は一人になりたくなかった。せめて彼女だけでも救いたかった。それだけが、彼の原動力となり三日間ひたすらに歩き続けた。
******
「・・・三日目の夜にベースキャンプに着いたよ」
ベンの語りに引き込まれる様にユウキ達は耳を傾けていた。
「・・・ビニーさんは・・・」
遠慮がちにサトリが尋ねる。
「着いた頃には、冷たくなってたね。というより、彼女がいつまで俺の背中で息をしていたのかすらわからない。案外、あの場所を後にしてすぐにくたばっちまってたのかもな。ただ、途中でそれに気づいちまったら俺はきっとベースキャンプまで戻れなかっただろうな。まだ生きていると信じなければ、足が動かなかった」
アリスターの、マドックの、チャドの、ニックスの、ブルックリンの、ビニーの、みんながいないトーヴァの街に帰る意味なんてなかった。アリスターにはそれがわかっていたから、もう助かりようのない姿のビニーをベンに背負わせたのかもしれない。
「あの日あった事をきちんと話すのは、お前達が初めてだ。というより、アリスター達がいなくなっちまえば、俺に話し相手なんていなかったんだがな」
暗い空気を吹き飛ばすかの様に冗談を飛ばす。
「なぜ話してくれたんだ」
イッポリートが尋ねる。ベンは意味ありげに肩をすくめてから言う。
「これから4層に挑むお前たちへのはなむけかな」
「けどさ、アレってのは結局なんなんだよ。ベンの話だと捉えようがない何かに思えるぞ。あの地龍ですら、実態のある怪物って感じだったのに」
ユウキたちのみた地龍も怪物と呼ぶにふさわしい生き物だった。ただベンの話から伝わるそれは、生き物であるかすら疑わしい。
「実際に、アレが何か近くで見ても一向にわからなかったんだよ。ただ、地龍の様な実態のある化け物じゃない。もっとこう、概念的な、観念的な何かに思えたよ。それこそ闇や影と形容することがピッタリとくる様な。探窟家たちは口ぐに言ってるよ。まるで伝え聞く太古の支配者の様だって。そう、アレはまるで、」
「旧神か」
ベンの言葉を引き継ぐ様に呟いたのはイッポリートだ。ベンは肯定する様に頷く。
「実際どうなのかはわかんないがな。太古の神に思えるほどあいつがヤバイてことは確かだ」
「だ、大丈夫なんでしょうか。そんな何かわからないものが蠢く中を探索するなんて、ベンさんだっていなくなるのに」
サトリが悲観する。無理もない。今までだってベンに頼りっきりだったのだ。これから実態のない化け物に怯えながら、四層を歩き回るなってぞっとする。
「まあ、しかし私たちだけでやるしかないだろう」
イッポリートが覚悟を決めうる様に言った。
「俺の話を聞いても、まだカレーを目指すつもりか?」
ベンは呆れた様にユウキたち3人の顔を見た。
「ああ、もちろんだ」
ユウキが力強く答える。ベンはその言葉を聞いて、ニヤリと笑う。
「そう言うと思ったさ。だから話したんだ」
ベンの言葉の意味を理解しかねたユウキたちは彼の顔を覗き込む。
「どう言う意味だ?」
イッポリートが代表して尋ねた。
「お前たちはちゃんと話を聞いてなかったのか? 俺は昔話をしたかったんじゃない。今後のために話したんだよ」
それから一人一人を見渡してから力強く口にする。
「あの日俺たちは確かに見たんだ。五層への入り口を。俺はまだ、アリスターたちと見た夢を叶えちゃいない。お前たちと過ごす中で、俺の中に燻っていたものがまた燃えだしたんだよ。俺はあの先を見て見たいんだ」
その言葉は、その場にいた全員に歓喜を持って迎えられる。
「俺も潜るぞ、四層に」
あの日見たもの、それは大きな絶望。そして、確かに手が届きかけた夢、すなわち小さな希望だ。
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