双子妖狐の珈琲処

五色ひいらぎ

文字の大きさ
上 下
29 / 36
五章 聖杯の下に家族は集えり

壮華と番紅花

しおりを挟む
 外から見るかぎり、私の目では、倉庫に変わったところは見えない。けれど蓮司くんの背中は、近づくにつれて緊張の色が強くなっていった。
 錆の浮いた鉄扉の前で、蓮司くんは守り刀を抜いた。
「中に、壮華と母上がいる。……大量の『影』と一緒に」
 相変わらず、私には何も感じられない。けれど蓮司くんの声は、少し苦しそうだ。
「入れる?」
「わからん。壮華たちが中にいる以上、入る方法はありそうだが――」
 言った瞬間、扉がきしりながら、ゆっくりと開き始めた。蓮司くんが刀を構えた。
 中は真っ暗だ……と、はじめは思った。けどすぐに、それが泥状のなにかだと気付いた。床も天井も、真っ黒な泥に覆い尽くされている。
 思わず後ずさりする。けれどそれらは、いつものように襲ってはこなかった。少しばかり波を打っているのが見えるけれど、それ以上に動こうとはしない。蓮司くんも腰を落としたまま、相手の出方を伺っている。
「何をしておる、早う来んか」
 響いた声が番紅花さんだと、気付くまでに少し時間がかかった。口調はいつもの、高貴で尊大な感じなのだけれど、声色が弱々しくかすれている。
 蓮司くんが、ひどく動揺した様子で叫ぶ。
「母上! どちらに――」
「援軍でも呼んだのかい? 無駄だよ」
 ぞっとするような冷たい声が、蓮司くんの声を遮った。
「できれば、自分から頭を下げてほしかったんだけどね。これ以上は、長引かせない方がいいかな」
 潮が引くように、目の前の黒泥が奥へと退いていく。露になったコンクリートの床を、蓮司くんと私は前へ進んだ。
 泥の向かう先に、大きな光の玉があった。中には番紅花さんがいて、正面に掌をかざしている。けれど光は弱々しくて、泥の大波が打ち付けるたびに大きく揺らいでいる。美しい顔の眉間には深い皺が寄り、薄紫の着物は裾がわずかに乱れ、見るからに苦しげだった。
「さあ皆、締め上げてやって。……取り込むのは、まだ待って」
 光の玉の反対側に、白い人影があった。着物姿で、白い狐耳と尻尾があって……泥の山の上に平然と立っている。さっきから聞こえる、おそろしく冷たい声の主だった。
 白い人影が右手を振る。さっきまでに倍する量の泥の波が――おそらく、この倉庫にある泥の全部が――指揮者に従う演奏者のように、光の玉を呑み込む。
 光が、散華した。
「母上!」
 蓮司くんが叫ぶ。白い着物の人影が、ようやくこちらを向いた。
「……兄さん。どうして、ここにいるの」
 冷たさの抜けた声色は、まちがいなく、聞き慣れた壮華くんのものだ。顔も……笑っている。人好きのする、小動物めいた笑顔。けれど、いつもの壮華くんじゃない。寂しげな、どこか悲しげな笑いだった。
「壮華! 母上が――」
 黒い大波の下から、番紅花さんの頭が現れた。けれど、首から下は浮かんでこない。泥の海から白い顔だけが出た状態で、番紅花さんは苦しげに息を荒げている。泥が、番紅花さんの頭を中心にゆっくりと渦を巻いていた。
「あの人のことは、気にしないで」
 あの人――と、汚いものにでも触れるような言い方で、壮華くんは吐き捨てる。どうして、と訊こうとして、声が出てこない。番紅花さんが、息子のはずの蓮司くんと壮華くんにどんな態度をとってきたか、短い間だったけど、私は見てきた。
 何も言えないで立ち尽くしていると、横で蓮司くんが叫んだ。
「母上を……見殺しにするつもりか」
「すぐ終わるから。兄さんは少し待ってて……本当は、屋敷で待っててほしかったんだけどね。なにもかもが終わるまで」
 目の前に泥が流れてきて、私の肩くらいの高さの壁を作った。刀を向ける蓮司くんに、またも冷たい声が飛んできた。
「新手はいくらでもいるよ。兄さんひとりで、どうにかできはしない」
「壮華……どういうことだ。説明しろ」
 壮華くんの返事には、少し間があった。
「別に、なんでもないよ。兄さんは知らなくていいことだ」
 言葉尻に、高い笑い声が被った。番紅花さんだった。時折苦しげな咳を混ぜつつも、人を食ったような誇り高さ――悪く言えば高慢さは、少しも失われていない。
「この期に及んで、なお隠し通そうとするか。出来損ないの付喪神よ」
 番紅花さんの言葉に、ぞっとするほどの棘がある。
「ずっと隠していたのは、おまえの側だろう。隠すなら墓場まで持って行け」
 壮華くんの側も、言葉が敵意に満ちている。微笑む瞳も冷たさで満ちていて……怖い。
「そういうわけにもゆかぬ。妾を母と慕う者には、報いてやらねばならぬのでなあ。真実という名の褒美でな」
「それ以上言うな!」
 白く浮かぶ顔をめがけて、泥の波が四方から押し寄せる。白い顔が、髪が、たちまち黒い泥まみれになった。周りの黒い水面の下でも、何かが激しく渦巻いているように見える。形の良い唇から、苦しげな呻きがあがった。
「言えば……『影』に沈めるぞ」
「もとよりそのつもりであろう? 妾を生かして返す気など、おまえには毛頭あるまい」
 喋り方は、あくまでも凛としている。けれど、声には隠しきれない苦痛の色が滲んでいる。
 急に、番紅花さんは蓮司くんを見つめた。けど、いつもの冷たい感じの目じゃなかった。柔らかくて穏やかで……「影」に呑まれかけてるなんて信じられないほどに、落ち着いたまなざしだった。
「蓮司よ。おまえは妾の息子ではない。……壮華と同じくな」
 番紅花さんは微笑んだ。奇妙に、やさしい笑いだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

旦那様、不倫を後悔させてあげますわ。

りり
恋愛
私、山本莉子は夫である圭介と幸せに暮らしていた。 しかし、結婚して5年。かれは、結婚する前から不倫をしていたことが判明。 しかも、6人。6人とも彼が既婚者であることは知らず、彼女たちを呼んだ結果彼女たちと一緒に圭介に復讐をすることにした。

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

処理中です...