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三章 防戦の杖を手中に掴み
影にまつわる推理
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翌日、蓮司くんと壮華くんは、閉店後の店で顔を突き合わせて話をしていた。たまたま水を飲みたくなった私が店内へ入っていくと、テーブル席で顔突き合わせていたふたりは、ほとんど同時に私の方を見た。
「どうした」
「ちょっと、喉が渇いて」
浄水器付きの蛇口から、水を汲んで飲む。一息ついたところで、ふたりの前の卓を見に行ってみる。
大量のメモが並べられていた。どこそこで人が消えた、どこそこに瘴気が残っていた――と、「影」の動向に関する走り書きが、机一面にびっしり並んでいる。
「これ、お客さんからの情報?」
蓮司くんは頷いた。
「昨日の貸切パーティで一気に増えた……結婚式の二次会ともなれば、普段うちに来ない妖怪たちも来るからな。対象の地域も期間も、ずいぶん広がった」
「そういえば蓮司くん」
ここに雇われた当初のことを思い出し、訊いてみる。
「情報収集とか整理のお仕事って、そろそろ私もできそうかな? お客さんの顔もだいぶ覚えたし、妖怪特有の事情もちょっとずつわかってきたし」
「……そうだな」
蓮司くんは、首を傾げつつも頷いた。
「話自体はできるだろうが、注文取りと配膳でそれどころじゃないだろう。すいている時間ならともかく」
「だったら、できる時間帯だけでもやるよ」
話し合う私たちの前で、壮華くんはメモをあちこち並べ替えている。雑多な並べ方に法則性が見えないのが気になって、ちょっと訊ねてみる。
「これ、どういう基準?」
「一応、地図をイメージしてる。この辺がアルカナム、この辺が中央通りを想定してるんだけど――」
言われてみると確かに、出現場所が近いメモは近く同士にまとめられている。でもそれなら、やり方が非効率すぎないだろうか。
「これ、机に並べるよりは、地図アプリで整理した方がいいんじゃないかなあ。地図の上にピンを刺したら場所が一目瞭然だし、コメントも書けるよ」
「うーん。敵に情報が漏れないかな?」
心配そうな壮華くんに、アプリの設定画面を見せながら説明する。
「ほら、ここでプライベート設定ができるよ。プライベートにすれば、自分以外にはピンもコメントも見えなくなる。敵が、アプリの運営会社に手を回してたらどうしようもないけど……それはまずないと思うし」
「根拠は?」
「ないけど……妖怪が電子データにアクセスできるなんて、聞いたことないから」
壮華くんはまだ不安そうだ。けど蓮司くんが、メモを何枚か私に渡してくれた。
「やってみてくれ」
「了解!」
ボールペンで書かれたメモには、太くてカクカクした蓮司くんの字と、柔らかくて崩れ気味の壮華くんの字が混ざっている。でも、幸いどちらも読みにくくはない。場所を合わせてピンを打ちつつ、ひとつひとつ内容を転記していく。
九月十一日。坂本ビルで人が消え、あとにスマホが残っていた。
九月八日。古橋市役所駅南庁舎付近に濃厚な瘴気あり。複数台のスマホが落ちていた。
九月二十七日。山下通りにて「影」目撃。ノートPCを含む鞄が置かれていた。
……文字を打ち込みながら気がついた。人が襲われた時、スマホが現場に残っていることが妙に多い。
いまどきの人間は大抵スマホを持ち歩いているし、歩きスマホもよく見かけるけれど、それにしたって多すぎないだろうか。普段は鞄の中にしまっている人も多いはずなのに。
「スマホってなくすと大変なんだよね……定期券機能使ってたり、電子決済と紐づけてたりする人も多いし。そういうのやってなくても、連絡先なくなるのは痛いし」
「そういうものなのか」
「そういえば蓮司くんたちって、スマホ持ってなかったよね?」
「ああ、ないな」
蓮司くんは、ちらりと店の電話機を見た。博物館にあってもおかしくなさそうな、年代物の黒電話だ。カウンターで古びたコーヒーミルと並んでいると、そこだけ時代の流れが違っているように見える。
「人間たちとの連絡は電話で事足りる。妖怪は、そもそも連絡を取り合わない」
「だからこそ、情報を集めるためのたまり場が必要なんだけどね。うちの店とか」
そういうものなのか、と思いつつ、ピンを打ち続ける。
机上のメモをピンとコメントに変え終わったところで、縮尺を少しばかり変更する。中央通り近辺の全体が一画面に収まるよう、調整をしてみたものの……ピンの配置に、期待したほどの法則性は見当たらなかった。
「ピンの刺さり方に、なにか心当たりない?」
蓮司くんたちに訊いてみても、首を傾げるばかりだ。少しスクロールさせて、古橋駅前を見てもらっても同じだった。場所はばらばら、強いて言うなら「表通り沿いには刺さっていない」くらいだ。それも、単に人目の多い所を避けているだけかもしれない。
「ここは、刺さなくていいのか」
蓮司くんが指差したのは、先日みんなが「影」と戦った、百円ショップの裏手だった。メモにはないけど、確かにここも「影」の出現箇所だ。頷きつつピンを刺し、コメント編集欄を開く。
「『強力な群体の出現を確認、番紅花様の霊力により浄化』と書いておいてくれ」
少し嫌な気分になりつつ、言われた通りに文字を打つ。あの夜の番紅花さんを思い出すと、今でも胸の奥に暗いものが澱み始める。傷ついた蓮司くんや壮華くんが、うなだれてカードやぬいぐるみを拾い集める姿は、今思い出しても――
そこまで考えて、手が止まった。
「ごめん、ちょっと……メモ、もう一回見せてもらっていいかな」
入力を終えたメモの山に、もう一度目を通す。スマホの小さな画面だと、どうしても全部のコメントは一覧できないから、こっちの方がいい。確認するのは、「影」が後に残したものだ。
スマホ。またスマホ。携帯ゲーム機。スマートウォッチ。タブレット。さらにスマホ……それらが残ったのは、確率の問題だと思っていた。現代人は確実に何かの機械を持ち歩いているから、それらが残るのも必然だったのだろうと。
けれど、実は違うのかもしれない。
あの日「影」の大群が残したのは、電子機器入りのバースデーカードとぬいぐるみだった。それは、偶然じゃないかもしれない。
「『影』が残していくの、だいたい電子機器だよね?」
「襲われた人間の持ち物じゃないのか?」
「でも人間って、機械ばかり持って歩いてるわけじゃないよ。単純に持ち物っていうなら、鞄とか財布とか普通の腕時計とかがあってもおかしくないはず……でもこのメモを見るかぎり、記録がある範囲だと、『影』は電子機器ばかり残していく。だから」
蓮司くんと壮華くんの顔つきが変わった。目に、狐らしい鋭さが宿る。
「ひょっとしたら、だけど……『影』の発生元が、電子機器ってことはないかな?」
ふたりは、少し困惑したように顔を見合わせた。
「機械に妖力が宿るなどという話、聞いたことはないが――」
「聞いたことがないからって、これからもないとは限らない、よね。確かに」
意外なほどすんなり、ふたりは納得してくれた。ちょっと嬉しい。
けど次の瞬間、ふたりの話は意外な方向へ進み始めた。
「なら確かめてみるか……危険は伴うが」
「母上にも助力をお願いした方がいいね、万が一ということもあるし。話、してこようか」
「俺が連絡する……壮華は、諸々の準備を頼む」
えっ、ふたりとも、すぐ確かめるつもりなんだろうか。今、私が思いついたばかりの話を。それにここには、確認に使えそうな電子機器なんてないはずなのに。
私のスマホを囮に、とか言い出さないよね……と不安になって、訊ねてみる。
「蓮司くんたち、いますぐ確かめに行くの? どうやって?」
「すぐには行かない。母上に話を通して、準備を整えてからだ。おそらく明日の夜くらいになるだろう」
「でもどうやって? 検証に使えそうな電子機器なんてここにはないし、『影』が都合よく出るのを待つわけにもいかないよね?」
スマホを貸せ、と言われたら断るつもりで、訊いてみた。
けれど返ってきたのは、思いもよらない言葉だった。
「簡単なことだ。『影』が集まっている場所に行けばいい。そこに電子機器も集まっているなら、七葉、あんたの言うことが正しいんだろう」
「でもそんな都合よく、『影』が現れる場所なんて――」
言いかけて気付いた。
そうだ、確かに一箇所あった。湧いてきた大量の「影」を、蓮司くんと壮華くんが封じた場所が。
「七葉、あんたの部屋だ。あそこには大量の『影』がいた……確かめるにはうってつけだ」
やっぱり。でもそれなら、危険なんて冒さなくてもいい。
「だったら、わざわざ行って確かめる必要ないよ、蓮司くん」
部屋の様子を思い出す。あの日のままなら、ぐちゃぐちゃの室内に大量のごみ袋が並んでいるはず。そして、部屋にはパソコンもタブレットもあるはずだ。ゲーム機は旧世代のものも含めて数台、スマホに変える前のガラケーも、捨てられなくて置いたままだ。
「私の部屋、確かめるまでもなく……電子機器だらけだったからね」
蓮司くんと壮華くんが、顔を見合わせた。
「どうした」
「ちょっと、喉が渇いて」
浄水器付きの蛇口から、水を汲んで飲む。一息ついたところで、ふたりの前の卓を見に行ってみる。
大量のメモが並べられていた。どこそこで人が消えた、どこそこに瘴気が残っていた――と、「影」の動向に関する走り書きが、机一面にびっしり並んでいる。
「これ、お客さんからの情報?」
蓮司くんは頷いた。
「昨日の貸切パーティで一気に増えた……結婚式の二次会ともなれば、普段うちに来ない妖怪たちも来るからな。対象の地域も期間も、ずいぶん広がった」
「そういえば蓮司くん」
ここに雇われた当初のことを思い出し、訊いてみる。
「情報収集とか整理のお仕事って、そろそろ私もできそうかな? お客さんの顔もだいぶ覚えたし、妖怪特有の事情もちょっとずつわかってきたし」
「……そうだな」
蓮司くんは、首を傾げつつも頷いた。
「話自体はできるだろうが、注文取りと配膳でそれどころじゃないだろう。すいている時間ならともかく」
「だったら、できる時間帯だけでもやるよ」
話し合う私たちの前で、壮華くんはメモをあちこち並べ替えている。雑多な並べ方に法則性が見えないのが気になって、ちょっと訊ねてみる。
「これ、どういう基準?」
「一応、地図をイメージしてる。この辺がアルカナム、この辺が中央通りを想定してるんだけど――」
言われてみると確かに、出現場所が近いメモは近く同士にまとめられている。でもそれなら、やり方が非効率すぎないだろうか。
「これ、机に並べるよりは、地図アプリで整理した方がいいんじゃないかなあ。地図の上にピンを刺したら場所が一目瞭然だし、コメントも書けるよ」
「うーん。敵に情報が漏れないかな?」
心配そうな壮華くんに、アプリの設定画面を見せながら説明する。
「ほら、ここでプライベート設定ができるよ。プライベートにすれば、自分以外にはピンもコメントも見えなくなる。敵が、アプリの運営会社に手を回してたらどうしようもないけど……それはまずないと思うし」
「根拠は?」
「ないけど……妖怪が電子データにアクセスできるなんて、聞いたことないから」
壮華くんはまだ不安そうだ。けど蓮司くんが、メモを何枚か私に渡してくれた。
「やってみてくれ」
「了解!」
ボールペンで書かれたメモには、太くてカクカクした蓮司くんの字と、柔らかくて崩れ気味の壮華くんの字が混ざっている。でも、幸いどちらも読みにくくはない。場所を合わせてピンを打ちつつ、ひとつひとつ内容を転記していく。
九月十一日。坂本ビルで人が消え、あとにスマホが残っていた。
九月八日。古橋市役所駅南庁舎付近に濃厚な瘴気あり。複数台のスマホが落ちていた。
九月二十七日。山下通りにて「影」目撃。ノートPCを含む鞄が置かれていた。
……文字を打ち込みながら気がついた。人が襲われた時、スマホが現場に残っていることが妙に多い。
いまどきの人間は大抵スマホを持ち歩いているし、歩きスマホもよく見かけるけれど、それにしたって多すぎないだろうか。普段は鞄の中にしまっている人も多いはずなのに。
「スマホってなくすと大変なんだよね……定期券機能使ってたり、電子決済と紐づけてたりする人も多いし。そういうのやってなくても、連絡先なくなるのは痛いし」
「そういうものなのか」
「そういえば蓮司くんたちって、スマホ持ってなかったよね?」
「ああ、ないな」
蓮司くんは、ちらりと店の電話機を見た。博物館にあってもおかしくなさそうな、年代物の黒電話だ。カウンターで古びたコーヒーミルと並んでいると、そこだけ時代の流れが違っているように見える。
「人間たちとの連絡は電話で事足りる。妖怪は、そもそも連絡を取り合わない」
「だからこそ、情報を集めるためのたまり場が必要なんだけどね。うちの店とか」
そういうものなのか、と思いつつ、ピンを打ち続ける。
机上のメモをピンとコメントに変え終わったところで、縮尺を少しばかり変更する。中央通り近辺の全体が一画面に収まるよう、調整をしてみたものの……ピンの配置に、期待したほどの法則性は見当たらなかった。
「ピンの刺さり方に、なにか心当たりない?」
蓮司くんたちに訊いてみても、首を傾げるばかりだ。少しスクロールさせて、古橋駅前を見てもらっても同じだった。場所はばらばら、強いて言うなら「表通り沿いには刺さっていない」くらいだ。それも、単に人目の多い所を避けているだけかもしれない。
「ここは、刺さなくていいのか」
蓮司くんが指差したのは、先日みんなが「影」と戦った、百円ショップの裏手だった。メモにはないけど、確かにここも「影」の出現箇所だ。頷きつつピンを刺し、コメント編集欄を開く。
「『強力な群体の出現を確認、番紅花様の霊力により浄化』と書いておいてくれ」
少し嫌な気分になりつつ、言われた通りに文字を打つ。あの夜の番紅花さんを思い出すと、今でも胸の奥に暗いものが澱み始める。傷ついた蓮司くんや壮華くんが、うなだれてカードやぬいぐるみを拾い集める姿は、今思い出しても――
そこまで考えて、手が止まった。
「ごめん、ちょっと……メモ、もう一回見せてもらっていいかな」
入力を終えたメモの山に、もう一度目を通す。スマホの小さな画面だと、どうしても全部のコメントは一覧できないから、こっちの方がいい。確認するのは、「影」が後に残したものだ。
スマホ。またスマホ。携帯ゲーム機。スマートウォッチ。タブレット。さらにスマホ……それらが残ったのは、確率の問題だと思っていた。現代人は確実に何かの機械を持ち歩いているから、それらが残るのも必然だったのだろうと。
けれど、実は違うのかもしれない。
あの日「影」の大群が残したのは、電子機器入りのバースデーカードとぬいぐるみだった。それは、偶然じゃないかもしれない。
「『影』が残していくの、だいたい電子機器だよね?」
「襲われた人間の持ち物じゃないのか?」
「でも人間って、機械ばかり持って歩いてるわけじゃないよ。単純に持ち物っていうなら、鞄とか財布とか普通の腕時計とかがあってもおかしくないはず……でもこのメモを見るかぎり、記録がある範囲だと、『影』は電子機器ばかり残していく。だから」
蓮司くんと壮華くんの顔つきが変わった。目に、狐らしい鋭さが宿る。
「ひょっとしたら、だけど……『影』の発生元が、電子機器ってことはないかな?」
ふたりは、少し困惑したように顔を見合わせた。
「機械に妖力が宿るなどという話、聞いたことはないが――」
「聞いたことがないからって、これからもないとは限らない、よね。確かに」
意外なほどすんなり、ふたりは納得してくれた。ちょっと嬉しい。
けど次の瞬間、ふたりの話は意外な方向へ進み始めた。
「なら確かめてみるか……危険は伴うが」
「母上にも助力をお願いした方がいいね、万が一ということもあるし。話、してこようか」
「俺が連絡する……壮華は、諸々の準備を頼む」
えっ、ふたりとも、すぐ確かめるつもりなんだろうか。今、私が思いついたばかりの話を。それにここには、確認に使えそうな電子機器なんてないはずなのに。
私のスマホを囮に、とか言い出さないよね……と不安になって、訊ねてみる。
「蓮司くんたち、いますぐ確かめに行くの? どうやって?」
「すぐには行かない。母上に話を通して、準備を整えてからだ。おそらく明日の夜くらいになるだろう」
「でもどうやって? 検証に使えそうな電子機器なんてここにはないし、『影』が都合よく出るのを待つわけにもいかないよね?」
スマホを貸せ、と言われたら断るつもりで、訊いてみた。
けれど返ってきたのは、思いもよらない言葉だった。
「簡単なことだ。『影』が集まっている場所に行けばいい。そこに電子機器も集まっているなら、七葉、あんたの言うことが正しいんだろう」
「でもそんな都合よく、『影』が現れる場所なんて――」
言いかけて気付いた。
そうだ、確かに一箇所あった。湧いてきた大量の「影」を、蓮司くんと壮華くんが封じた場所が。
「七葉、あんたの部屋だ。あそこには大量の『影』がいた……確かめるにはうってつけだ」
やっぱり。でもそれなら、危険なんて冒さなくてもいい。
「だったら、わざわざ行って確かめる必要ないよ、蓮司くん」
部屋の様子を思い出す。あの日のままなら、ぐちゃぐちゃの室内に大量のごみ袋が並んでいるはず。そして、部屋にはパソコンもタブレットもあるはずだ。ゲーム機は旧世代のものも含めて数台、スマホに変える前のガラケーも、捨てられなくて置いたままだ。
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