双子妖狐の珈琲処

五色ひいらぎ

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三章 防戦の杖を手中に掴み

油揚げづくし御膳

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 結婚式の二次会は、十七時開始ということになっていた。けれど実際には、十六時半頃にはもうお客妖怪さんが入り始めていた。店内には油揚げの香ばしい匂いが漂い、やってきた妖怪さんたちは皆そわそわしている。
「なんだかちょっと申し訳ないね……」
 エプロンを着けた梢が言う。けれど声色には、言葉と裏腹の自信と楽しさが滲んでいる。
「そうはいっても、主賓が来ないことには始められないからね。空腹は最高のソースって言うし、これも演出のうちと思えば」
 壮華くんが笑う。この場のアルカナムスタッフは、全員揃いのエプロン姿だ。なんだかスポーツのユニフォームのようだけど、今の私たちはエース梢を援護するチームメンバーなんだから、あながち間違ってない。
 主賓は、十七時を数分過ぎた頃にやってきた。新郎さんは、番紅花さん屋敷に仕える若い狐さん。茶色の髪の上に、同じ茶色の耳がぴょこんと立っている。袴姿に茶色の尻尾が揺れていて可愛いけれど、アルカナムでは見たことのない顔だ。新婦さんは、茶釜の付喪神だと聞いている。茶釜は明治初期に作られた品で、元々東京都内の骨董店の在庫だったものが、色々あって番紅花さんの手元に来たらしい。ご本人は、上品な和装の肩口に長い黒髪がかかっていて、歩く日本人形みたいなお嬢さんだ。
「良い匂いがいたしますね」
 目を細める茶釜さんを、蓮司くんが茶狐さんともども席へ案内した。その頃には店内もお客でいっぱいになっていて、皆が期待に目を輝かせて厨房を見つめている。
 薄紫色の着物を揺らし、番紅花さんが立ち上がった。皆の視線が、一斉にそちらへ向く。
「さて、今日のこのめでたい席。将来有望なる若き妖狐と、百五十年の時を経た付喪神との前途を祝し、先達としての言葉を贈る……べきなのじゃろうが――」
 急に、番紅花さんの目つきが鋭くなった。射殺すような視線で、厨房の梢をにらみつける。
「――このように腹の空く香りがしておる中で、妾の長話を聞きたい者などおらぬであろう。早う皿を持て! 宴じゃ! 飲め! 食え!」
 一同から大歓声が上がる。
 梢が大きく頷き、私たちは、用意した大皿を次々に運び始めた。梢と壮華くんが、テーブルの脇に立って説明を始める。
「まずはこちら。当店『喫茶アルカナム』の新登場メニュー、『油揚げとネギのカリカリ焼き』および『カリカリお揚げの大葉しょうが』でございます!」
 壮華くんが満面の笑みで、朗々と言った。
 黄金色のお揚げに散る、濃緑と赤。匂い立つ油の香り。月初の登場以来、あっという間にアルカナムの人気をさらった新定番メニューが、大皿にぎっしりと並ぶ。
「これよこれ。滲む油とネギの香味がたまらぬのよ。皆、好きなだけ食せ」
 なぜか得意げな番紅花さんが、切れ長の目をうっとりと細めながら、割いたお揚げを次々に口に運んでいく。でも、これは序の口。今日はまだまだ隠し玉がある。
「続きましてこちら。『油揚げの味噌マヨ焼き』と、同じく『チーズ焼き』でございます!」
 梢の、高らかな声がする。
 蓮司くんが運んだお皿の上で、短冊に刻まれたお揚げが湯気を上げている。大皿の真ん中から手前側は、茶色く焼き色のついた味噌マヨネーズ風味。奥側は、クリーム色の糸を引くチーズ風味。チーズの方には、鮮やかな七味とネギもかかっている。三種の香りが混ざって、濃厚に立ちこめる。
「ほう……これはなかなか、悪くなさそうよの」
 番紅花さん、口先だけは冷静そうだけど、表情が全然伴ってない。綺麗な顔が、それこそお揚げの上のチーズみたいにとろけている。夢見心地で箸を動かす番紅花さんに、茶狐さんと茶釜さんは呆気にとられた様子だ。
 私は、さらにもう一皿をテーブルに持って行った。料理を置いて一礼すると、誇らしげな梢の声が響き渡った。
「さらにこちら、『ネギとチーズの巾着焼き』でございます。お揚げの中に、長ネギと熱々のチーズが入っております。口の楊枝を抜いてお召し上がりくださいませ!」
 手を伸ばそうとした番紅花さんが、ようやく新郎新婦の様子に気付いた。
「何をしておる、遠慮せんと食わぬか。おぬしらのための宴ぞ」
「あ……は、はいっ!」
 恐縮しながら、茶狐さんと茶釜さんが料理に手を伸ばす。茶狐さんが味噌マヨ焼きを、茶釜さんがチーズ焼きをそれぞれ口に運んで……表情が、同時にとろける。
 こちらまで幸せになりつつ、でも、まだ私たちは終われない。踵を返すと梢と目が合った。満面の笑みで小さくガッツポーズをしつつ、梢はキッチンの向こうへ消えた。まだ「メインディッシュ」は出ていない。
 梢の作業を待ちつつ、私たちはお客妖怪さんたちに飲物を注いで回った。とはいえ、出せるのはアルカナムにあるソフトドリンクだけだ。蓮司くんがお茶、私が水を出しつつ、私は皆の様子を確かめた。皆、満面の笑顔だった。
 先行して食べ始めていた番紅花さんは、今はお腹がいっぱいになったのか手を止めて、皆の様子を眺めている。目尻を下げて、口角を緩めて……先日の冷たさが嘘みたいに、満足げに微笑んでいる。このお母さん、コーヒーが嫌いだとは聞いているけれど、人が集まってわいわいしている様子は好きなのかもしれなかった。
 やがて大皿も空になりはじめ、お客さんたちの口数も増えてきた。茶狐さんは壮華くんと、茶釜さんは蓮司くんと、それぞれ話し込んでいる。蓮司くんたちの話の内容が、水を注いで回る私にも聞こえてきた。
「わたくし、ほんとうに幸せですわ。愛する伴侶を得て、このような美味も味わえて、釜であった頃には想像もつかない喜びを得ております」
 茶釜さんはやわらかく笑っている。蓮司くんは深々と頭を下げた。
「九十九年大切に使われた道具は、魂を得て付喪神となると聞きます……歴代の持ち主様方は、さぞや良い御方だったのでしょう」
「はい、大変よくしていただきました。わたくし高価な釜ではありませんが、茶匠の家の備品として、数々の茶席で使っていただきましたし、傷つけば丁寧な修繕もしていただきました。おかげでこの身を得られましたし、こうして最高の伴侶にも巡り会えました……ご縁をくださった、貴方の御母堂にも感謝しております」
 目を細める茶釜さんに、蓮司くんは無言で頭を下げた。
「蓮司様にも、良いお話があるよう願っております。いずれ世継にふさわしい、素晴らしき伴侶を得られますよう」
 茶釜さんの言葉に、私の胸の奥のほうが凍りついた。
 蓮司くんは顔を起こし、淡々と答える。
「……あいにく、そのような話はまだありませんが」
「あら、そうでしたの。ですが大妖狐の世継ともなれば、良いお話はいずれ舞い込むことと――」
 そこで、茶釜さんは首を傾げた。目を何度かしばたたかせながら、視線を泳がせる。
「不思議ですのね。蓮司様には、あまり狐の匂いがいたしませぬ」
 茶釜さんは、何度か不思議そうに頭を巡らせた。
「香りが……すこし違っておりますね。妖狐というよりは、むしろ――」
「さて皆さん!」
 突然、壮華くんが叫んだ。
「そろそろメインディッシュができあがります。題して『油揚げステーキ』……とはいえ、ただ油揚げを焼いただけではございません! 今日この席だけの特別メニュー、心の準備をしてお召し上がりください!!」
 満座が一斉にどよめく。茶釜さんも、すっかり壮華くんの言葉に意識を持って行かれたようだった。
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