双子妖狐の珈琲処

五色ひいらぎ

文字の大きさ
上 下
13 / 36
二章 金貨の女王は冷たく笑む

麗しき九尾狐

しおりを挟む
 四日目の夜、閉店時間三十分前。ラストオーダーを終え、カウンターで一息ついていた時、ドアベルの音と共に美しい声が聞こえてきた。

「なるほど、この娘か」

 絹みたいに滑らかな、でもどこか威圧感のある声だった。背筋にわずかに寒気が走る。洗い物をしていた蓮司くんも、帳簿を書いていた壮華くんも、手を止めて早歩きでカウンターを出てきた。五人ほどいたお客さんも、ドアへ向けて一斉に頭を下げる。

「え、あの……」
「妾がわからぬか。なるほど確かに、そなたは人の子よの」

 同じ声がしたのと同時に、ドアの前あたりの空間が淡く輝いた。青白い光がどこからか湧いてきて、人型に固まる。
 びっくりするほど綺麗な、着物の女の人が現れた。切れ長の目、高い鼻筋、鮮血のように赤い唇。手に持っている透かし彫りの何かは、扇だろうか。一糸の乱れもない長い銀髪の上には、鈍く艶めく純白の獣耳が一対、つんと誇らしく尖っている。薄紫色が基調の着物には、ところどころに黄色と赤の差し色が入っていて、質感は重々しいのに霞のような軽やかさも感じる。見ただけで、地面にひれ伏したくなる威厳だった。
 そして背後には、耳と同じく純白の尾が九本、ふさふさと立派な被毛をたくわえている。触ったらとても気持ちよさそうだ。でも、「高貴」の概念がそのまま人型になったようなこの女性に、尻尾を触らせてくれなんて言える誰かが、この世にいるとは思えなかった。
 店内を圧する存在感に、指先と足先が震えだす。何もできずに固まっていると、女性は金色の瞳をぎろりと動かし、私を見た。

「そなた、名をなんという」

 少しにらまれただけで、身体がすくみ上がる。蛇ににらまれた蛙……いや、狐ににらまれた小動物ってこんな感じなんだろうか。
 怖い、けど訊かれて黙っているのはそれ以上に恐ろしい。震える声で、名乗る。

「ふじもり、なのはです。あの……」

 訊いてしまって、失礼にあたらないか迷う。けど、一度言葉を発したせいか、少し気が大きくなった。

「番紅花……さま、ですか」

 番紅花、つまり蓮司くんと壮華くんのお母様は、このあたりの妖怪たちを束ねる九尾の狐だと聞いている。もしこの方だったら、挨拶は必要なんじゃないかと思う。きっと。
 女性は扇を開いて、口を隠しながらほっほっと笑った。透明感がある上品な声なのに、聞いているとやっぱり、背筋の辺りがぞわりと冷える。

「娘、どこで妾の名を知った」
「息子さんたちから……いつも大変、よくしていただいています」
「母上、ご機嫌麗しゅう」

 蓮司くんのかしこまった口調を、初めて聞く。扇で口を隠したまま、番紅花さんは、また小さく笑い声をあげた。

「蓮司よ。真名でないとはいえ、あやかしの名をみだりに人の子に明かすでない」

 蓮司くんと壮華くんが、下げたままの頭をぴくりと震わせた。

「……申し訳ございません」
「母上、この者に名を伝えたのは僕です。罰を下されるなら僕を」
「構わぬ、ちょっとした戯れよ。それより今宵は、おぬしらに大事な話がある」

 番紅花さんの声色が低くなった。蓮司くんと壮華くんは頭を下げたままだ。

「承知いたしました……人払いいたします」

 壮華くんが上体を起こし、足を踏み出そうとすると、番紅花さんの扇が差し出されて行く手を阻む。壮華くんが、目を見開いて固まった。

「不要じゃ。……二日前から、ここで珍味が供されておると小耳にはさんでのう」

 店内を包む重苦しい空気が、一気に消し飛んだ。店のあちこちから、安堵の溜息が聞こえてくる。

「まったく、薄情ではないか! 蓮司よ、壮華よ! そなたたち、また独り占めしたのか!」
「ひ、独り占めといいますか、作っているのは僕ですので……」
「言い訳は聞かぬ! 母にも知らせずそのような美味を……下男下女どもが噂する佳肴を、妾だけが知らぬ寂しさよ! さあ、早く供せ!」

 緊張感が和らいだのはいいけど、油揚げとネギのカリカリ焼きはもう完売してる。ラストオーダーの時間が過ぎてるのはともかく、品切れした料理はいまさら出せない。怖いけど仕方ない。

「すみません番紅花様。ご希望のお料理、本日分はもう――」

 言いかけた私の声を、壮華くんがすごい勢いで遮った。

「少々お待ちください! お作りいたしますので!!」

 壮華くんは、私に向けて激しくまばたきをした。間を持たせてくれ、って言いたいんだろうか。
 私が声をかける前に、壮華くんはすごい勢いで自分のショルダーバッグを掴んだ。デニムのバッグを肩に掛けると、そのまま、白い背中は暗い外へ飛び出していく。乾いたドアベルの音だけが、奇妙に後を引いて響いていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

旦那様、不倫を後悔させてあげますわ。

りり
恋愛
私、山本莉子は夫である圭介と幸せに暮らしていた。 しかし、結婚して5年。かれは、結婚する前から不倫をしていたことが判明。 しかも、6人。6人とも彼が既婚者であることは知らず、彼女たちを呼んだ結果彼女たちと一緒に圭介に復讐をすることにした。

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

カラフル*レイヴン♪~アホの相手は面倒ですね~

月白ヤトヒコ
キャラ文芸
黒髪黒瞳の容姿が鴉のようで不吉だと称されているが、中身は能天気でアホなお子様主と、容姿端麗な毒舌従者の二人旅。 そんな二人がやって来たのは、吸血鬼の住むと言われている城で・・・ 少しシリアス。ちょっとミステリー風味。でも、多分コメディ。 美形従者はアホを雑に扱います。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

処理中です...